「幸福のポートフォリオ」のつくり方 週刊プレイボーイ連載(294) 

幸福な人生に必要なものは何でしょうか? 真っ先に思い浮かぶのはお金でしょうが、「幸せはカネでは買えない」というひともたくさんいます。

世の中には(値段がつけられない)プライスレスなものと、(値段がつけられる)プライサブルなものがあります。

彼女とセックスしたあとに3万円の指輪をプレゼントすれば、ものすごく喜んでくれます。3万円の現金を渡せば、二度と会ってもらえないでしょう。とはいえ、経済学的にはこの行動は不合理です。指輪より現金の方が使い勝手がいいのですから。

だったらなぜ彼女は怒るのでしょうか。それは、愛というプライスレスなものに値段をつけたからです。愛をお金で売るのは売春婦だけです。

とはいえ、プライスレスなものはかたちがありませんから、これだけではご飯が食べられません。生きていくためにはお金が必要で、対価を得ずに働くのは奴隷だけです(日本では「サービス残業」という奴隷労働が常態化していますが)。だとしたら問題は、プライスレスなものとプライサブルなものをきちんと分けていないことにありそうです。

私たちがお金を稼ぐ方法は、金融資本(貯金)を金融市場に投資するか、人的資本(労働力)を労働市場に投資するかの2つしかありません。このうち金融資本の活用はプライサブルでものすごくシンプルです。結果の良し悪しは収益のみによって決まり、「大損したけど有意義な投資」というのものはありません。

それに対して人的資本の投資は、お金だけでは判断できません。それは私たちが、働くことにお金以外の「やりがい」を求めているからです。これは「自己実現」として神格化され、多くの若者がこの聖杯を求めています。

内発的動機づけの研究では、好きなことにお金を払うと、好きでなくなってしまうことがわかっています。プライスレスなものにプライスをつけるからですが、だからといって「仕事にお金は関係ない」ということもできません。ブラック企業は「正社員のやりがい」をエサにして、若者たちを最低賃金以下で巧妙に搾取しているのです。

もちろん、お金と仕事だけで幸福になれるわけではありません。そこで、金融資本や人的資本と同様に、私たちは社会資本=絆を共同体に投資して、愛情や友情という富を得ていると考えてみましょう。

社会資本がなぜ幸福をもたらすかは、「ヒトが進化の過程でそのようにつくられたから」としか説明しようがありません。徹底して社会的な動物であるヒトは、近しいひとから評価されたときにしか幸せを感じられないのです。

しかしその一方で、家族や恋人などとの関係がこじれると、憎しみや嫉妬などの暗い感情に襲われてしまいます。社会資本は、喜びとともに苦しみをももたらすのです。

幸福はとらえがたいものですが、進化心理学や行動経済学、脳科学などの近年の急速な進歩によって、その輪郭がようやく見えてきました。

金融資本、人的資本、社会資本をどのように組み合わせれば、「幸福な人生」を実現できるのでしょうか。新刊の『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)では、そんな疑問にこたえています。

『週刊プレイボーイ』2017年6月19日発売号 禁・無断転載

第68回 幸せに必要なお金、おいくら(橘玲の世界は損得勘定)

アメリカは「超格差社会」だといわている。それがどのような社会なのか、具体的なデータで見てみよう(1ドル=110円で換算/端数は四捨五入)。

まずは所得の比較。アメリカの世帯数は1億6500万で、下位90%の1億5000万世帯の平均所得額は360万円。それに対して上位0.01%=1万6500世帯は32億円で下位90%の900倍になる。

次は資産だが、下位90%の世帯の平均純資産(資産―負債)は920万円。上位0.01%は4000億円でその差はなんと4万倍以上だ。毎年の所得が蓄積されて資産になるのだから、資産格差は所得格差よりもずっと大きくなる。

その結果アメリカでは、下位90%のひとたちが総純資産に占める割合は全体の22.8%しかなく、上位0.01%の超富裕層は資産全体の11.2%を占めている。

上位0.1%の富裕層と比較しても、超富裕層は所得で8倍、資産で9倍ゆたかで、極端な富の集中は明らかだ。このような数字からはアメリカが0.01%によって支配されているように思えてくるし、そのように主張するひとも多い。

しかし視点を変えてこのデータを眺めると、アメリカ社会の別の側面が見えてくる。

所得分布で上位5%以上10%未満では、平均所得額は1600万円だ。資産分布で上位1%以上10%未満では、平均純資産額は1億4000万円になっている。さらに、下位90%と上位10%%を分けるボーダーラインは所得で1300万円、資産で7200万円だから、アメリカでは10世帯に1世帯が所得でも資産でもこれよりゆたかだということになる。

さまざまな幸福の研究では、お金は幸福感に影響するものの、一定額を超えるとそれ以上お金が増えても幸福感は変わらなくなる。暑い夏の日のビールのひと口めはものすごく美味しくても、その感動はだんだん薄れていって、やがて惰性で飲むようになるのと同じだ。経済学でいう「限界効用の逓減」で、ひとの感情はほとんどのことに慣れるようになっているから、お金でもこの法則が通用するのだ。

所得が増えても幸福感が変わらなくなるのはいくらだろうか。これはアメリカで年収7万5000ドル、日本で年収800万円とされていて、奇しくも日米でほぼ同じだ。これは一人あたりなので、世帯ではおおよそ1500万円になる。一方の資産では、金融資産(預金や株式など)が1億円を越えると幸福感が変わらなくなるという研究がある。

幸福の研究では、お金のことを気にすると幸福感が下がることがわかっている。世帯収入1500万円、金融資産1億円というのは、日々の生活でお金のことを気にせず、老後の経済的な不安もなくなる水準なのだろう。

データからわかるのは、アメリカでは上位10%の世帯の大半が、所得でも資産でもこの基準を越えていることだ。「超格差社会」とは、国民の10世帯に1世帯(おおよそ10人に1人)が、「幸福の限界値」を上回るゆたかさを手に入れたユートピアでもある。だからこそ、そこから取り残されたひとたちの絶望がより深まるのだろう。

参考:小林由美『超一極集中社会アメリカの暴走』

橘玲の世界は損得勘定 Vol.68『日経ヴェリタス』2017年6月11日号掲載
禁・無断転載

『幸福の「資本」論』あとがき

新刊『幸福の「資本」論』から、出版社の許可を得て、「あとがき」をアップします。

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この本が生まれるきっかけは「幸福な人生」の土台についてライターの渡辺一朗さんからインタビューを受けたことで、それをもとに過去の著作をアップデートするかたちで一冊にまとめました。東日本大震災を受けて2011年7月に『大震災のあとで人生について語るということ』(『日本人というリスク』として講談社+α文庫に収録)を出版したときに「人生設計についてはすべて書きつくした」という気持ちがあったのですが、今回、「3つの資本=資産のポートフォリオ」という視点から「幸福論」をまとめてみるとまた新しい発見があったことに気づきました。人的資本と社会資本については新たな知見も加え、より詳細に論じられたのではないかと思っています。

かつて、「幸福」は神の専売特許でした。しかしダーウィン以降の私たちは、もはや神に頼ることはできません。幸福は主観的なものですが、だからこそ「自分の幸福」については自分で考えるしかないのです。

この本で書いたことはさまざまな研究によってエビデンス(証拠)が示されていますが、それでもあらゆる幸福論と同様に、私の個人的な体験に基づいていることは間違いありません。

40歳でフリーエージェントになったとき、人生をできるだけシンプルにしたいと考え、それ以来、日々の生活は本を読むことと文章を書くこと、そしてときどきサッカーを観ることだけで、ほとんどなんの変化もありません。テレビ出演などを引き受ければいろいろな刺激を受けられるかもしれませんが、「キャラ」が合わない気がするのでその気になりません。その代わり、1年のうち数カ月を旅にあてています。

経済的に独立した一介のもの書きとして、どんな組織にも所属せず、誰に遠慮する必要もなく好きなことを書き、(批判も含めた)読者の声を社会資本とし、誰も読んでくれなくなったらそれでお終いだと思っています。ささやかなものですが、私にとってはこれ以上望むもののない幸福な人生です。

もの書きになってからずっと、この仕事は「読者を探す旅」だと考えてきました。その一方で、読者もまた著者を探しているはずです。

あらゆるひとに適した、普遍的な「幸福の法則」はありません。この本もすべての読者が満足することはないでしょうが、それは仕方のないことでもあります。しかし心理学者は、どのようなアドバイスが有用なのかを明らかにしました。その原則はとてもシンプルです。

ひとは、自分と似ているひとからの助言がもっとも役に立つ。

この本が、「私に似た」あなたの人生になんらかの役に立てば幸いです。

2017年4月 橘 玲