エリック・バーカー『残酷すぎる成功法則』序文

出版をお手伝いしたエリック・バーカー『残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する』のために書いた序文を、出版社の許可を得て掲載します。

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これは、「コロンブスのタマゴ」のような画期的な自己啓発書だ。そのうえわかりやすく、かつ面白い。だったら序文なんか必要ないじゃないか、といわれそうで、まさにそのとおりなのだが、それでもひとこといっておきたいのは本の厚さに躊躇するひとがいそうだからだ。

しかしこの本には、これだけの分量と膨大な参考文献がどうしても必要なのだ。なぜなら、玉石混淆の自己啓発の成功法則を、すべてエビデンスベースで検証しようとしているのだから。

日本にも「幸福になれる」とか「人生うまくいく」とかの本はたくさんあるが、そのほとんどは二つのパターンに分類できる。

(1) 著者の個人的な経験から、「わたしはこうやって成功した(お金持ちになった)のだから、同じようにやればいい」と説く本

(2) 歴史や哲学、あるいは宗教などを根拠に、「お釈迦さま(イエスでもアッラーでもいい)はこういっている」とか、「こんなとき織田信長(豊臣秀吉でも徳川家康でもいい)はこう決断した」とか説く本

じつはこれらの本には、ひとつの共通点がある。それは証拠(エビデンス)がないことだ。

ジャンボ宝くじで3億円当たったひとが、「宝くじを買えばあなたも億万長者になれる」という本を書いたとしたら、「バカじゃないの」と思うだろう。なぜなら、この「成功法則」には普遍性がないから。ちょっと計算すればわかることだが、宝くじで1等が当たる確率は、交通事故で死ぬ確率よりずっと低い。

ところが世の中には、不思議なことに、「1等がたくさん出た売り場に行けば当たりやすい」と行列をつくるひとが(ものすごく)たくさんいる。これを経済学者は「宝くじは愚か者に課せられた税金」と呼ぶが、著者のエリック・バーカーは「間違った木に向かって吠えている(Barking up the wrong tree)」という。――ちなみにこれが本書の原題だ。

「間違った木」というのは、役に立たない成功法則のことだ。会社で出世したり、幸福な人生を手に入れるためには、「正しい木」をちゃんと選ばなければならない。でも、どうやって?

それが、エビデンスだ。

じつは、エラいひとの自慢話や哲学者・歴史家のうんちく、お坊さんのありがたい講話がすべて間違っているわけではない。困るのは、そのなかのどれが正しくて、どれが役に立たないかを知る方法がないことだ。それに対してエビデンスのある主張は、科学論文と同じかたちで書かれているから、どんなときにどのくらい効果があるのかを反証可能なかたちで説明できる。

だとしたら、有象無象の成功法則を片っ端から同じように(エビデンスベースで)評価して、どれが「正しい木」でどれが「間違った木」なのかをわかるようにすればいいじゃないか、と著者は考えた。これが「コロンブスのタマゴ」で、最初に読んだときは「その手があったのか!」と思わず膝を打ったのだが、それをちゃんとやろうとするとこのくらいのページ数どうしても必要になってしまうのだ。

この本は、これまでいろんな自己啓発本を読んできて、「ぜんぶもっともらしいけど、どれが正しいかわからないよ」と思ったひとにまさにぴったりだ。それだけでなく、「自己啓発本なんて、どうせうさんくさいんでしょ」と思っているひとにもお勧めできる。なぜならすべての主張が、エビデンスまで辿ってその真偽を自分で確認できるようになっているから。

とはいえ、ここに「普遍的な成功法則」が書かれているわけではない。もしそんなものがあるとしたら、世界じゅうのひとが「成功」しているはずだ。

エビデンスのある主張というのは、(むずかしい)病気の治療法に似ている。

科学的に正しい治療を行なえば、一定の確率で治癒が期待できるが、誰でも確実に治るわけではない。しかしそれは、科学的根拠のない民間療法(水に語りかける、とか)よりも統計的に有意に治癒率が高い。これはようするに、デタラメな成功法則でも(どれほど確率が低くても宝くじの当せん者がいるように)たまたまうまくいくひとはいるが、エビデンスのある法則を実践したほうが成功率はまちがいなく上がる、ということだ。

ということで、本書の予備知識はここまで。それでは、混沌とした森のなかで「正しい木」を見分ける著者の見事な手際をお楽しみください。

左右の”コピー戦略”で自民党は消滅する? 週刊プレイボーイ連載(309)

*10月6日執筆10月16日発売号に掲載された記事を、選挙結果を受けて若干加筆しました。

1週間ほど海外にいたら、民進党(衆院)が希望の党に吸収され、「選別」から落ちた議員が立憲民主党を設立して、日本の政治の景色はすっかり変わってしまいました。国内は大騒ぎですが、CNNやBBCなど海外メディアではまったく報じられていませんでした。もはや日本の政治は、国際的なニュースにはならないのでしょう。

以前、このコラムで「自民党支配を終わらせるのは小池東京都知事の“保守vs保守”戦略」と書きましたが、その小池氏が希望の党を立ち上げたことで、民進党の前原党首は、選挙での確実な敗北か、希望の党に救済してもらうかの究極の選択に立たされました。いまは強い批判にさらされていますが、あのまま民進党で選挙に挑んでもなんの可能性もなかったのですから、これは合理的な判断でしょう。

小池都知事が都議会選で自民党を圧倒したのは、安倍政権の「右」に軸足を置き、政策のちがいをほとんどなくし、「よりましな保守」をアピールしたからでした。大都市の有権者は、どちらを選んでもたいしたちがいがないのなら、自民党に投票しようとは思わないのです。

同じ戦略を今回の総選挙でも使う以上、小池都知事が民進党の“リベラル系”議員を排除したのは当然です。その結果、枝野氏を中心にリベラル政党が誕生し、民主党=民進党を悩ませてきた保守系とリベラル系の対立が解消されました。どこまで想定していたのかはわかりませんが、後世、前原氏の決断は、日本の政治地図をすっきり整理させたとして評価されるかもしれません。

希望の党の本質は「ネオリベ右派」で日本維新の会と同じですから、早晩、両者は合併することになるでしょう。小池都知事が今回の選挙に出馬しない以上、その戦略は自民党を過半数以下に追い込み、選挙後の混乱に乗じて党内の反安倍勢力と連立・合併することだったと思われます。

それでは、分裂効果で民進党時代を上回る勢いを獲得した立憲民主党はどのようなポジションをとればいいのでしょうか。

ひとつの道は、共産党と共闘する「左派ポピュリズム」路線ですが、北朝鮮からミサイルが次々と飛んでくるなかで「平和憲法護持」を唱え、きれいごとのばらまきを約束するだけなら、政権交代など夢のまた夢です。

もうひとつの道は、安倍政権の安全保障政策を踏襲し、「女性が活躍できる社会」「一億総活躍」「人づくり革命」などリベラルな政策を徹底させることです。これはいわば、希望の党とは逆に、軸足を自民党のすこし「左」に置いたコピー戦略です。

ここでのポイントは、内閣府の調査で「現在の生活に満足」とこたえたひとが7割を超え過去最高になったという事実です。ひとびとは長期政権にうんざりしていても、現状を大きく変えたいとは思っていないのです。

立憲民主党が“左からのコピー戦略”を採用すれば、日本の政治は「ネオリベ右派」と「愛国リベラル」で二分され、その中間に“イデオロギーなき”自民党が位置することになります。今回は圧勝した自民党ですが、この近未来が現実のものとなれば左右のイデオロギー政党に吸収され、いずれは消滅するとの予想を(当たらぬも八卦で)書いておきましょう。

『週刊プレイボーイ』2017年10月16日発売号 禁・無断転載

第71回 「内部留保で賃上げ」は誤り(橘玲の世界は損得勘定)

日本企業の労働分配率が43.5%に低下し、1971年以来46年ぶりの低水準になったという。その一方で内部留保は増えつづけ、2016年末で375兆円と過去最高を更新した。これを見て、「企業は内部留保を取り崩して賃上げすべきだ」と怒るひとがいまだにいる。

本紙の読者には釈迦に説法だろうが、この理屈はものすごくおかしい。

株式会社は1年間の企業活動を決算し、利益に対して税金を払って、残った純利益を株主に分配する。このやり方には2つあって、ひとつは現金を配当することで、もうひとつは「株主資本」に組み込むことだ。

こうして会社内に留められた純利益が「内部留保」だが、それは本来株主のものだ。しかし日本の経営者のなかには、純利益の半分を株主に配当すれば、残りの半分は会社にもの、すなわち「自分のもの」と思っているひとがものすごく多い。

株式会社の原則からいえば、純利益は全額、(会社の所有者である)株主に配当すべきだ。それを内部留保するとしたら、株主が個人で資産運用するより、経営者が資本金として運用した方が投資利回りが高いという合意があるときだけだ。

マイクロソフトやアップルのようなIT企業がその典型で、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズが「私に資金を預ければもっと儲かる」と株主を説得し、それに納得したからこそ、ずっと無配でも誰も文句をいわなかった。ところが事業が成熟し、投資先がなくなってくると、株主から「だったら自分で運用するから配当してくれ」という要求が出てくる。このようにしてベンチャー企業は、ふつうの会社になっていく。

だとしたら、労働分配率の低下はなぜ起きるのか。これは世界的な現象で経済学者のあいだでもさまざまな意見があるようだが、基本はものすごくシンプルだ。

経営者が人材への投資を増やしたいなら、設備投資と同じく、事業を成長させ株価を上げると株主を説得しなければならない。利益を減らして給料を上げるならボランティアで、株主が納得するならいいが、ふつうは経営者が真っ先に解雇されるだろう。

日本で労働分配率が上がらないのは経営者が強欲だからではなく、労働生産性が先進国で最低だからだ。この問題はずっと指摘されてきたが、まったく改善されない。要は、働き方が非効率で、給料を上げても利益を増やせる自信がないのだ。

それにもかかわらずこの国では、株主のお金であるはずの内部留保を社員に分配するのが正義だという主張がまかり通っている。株主からすれば、これでは強盗にあったような話だ。

もちろん、内部留保が無駄に積みあがっているのも大問題だ。事業の成長に結びつかないなら、全額を株主に配当するのが正しい経営者の態度だ。

株式市場では日経平均株価が2万円を超え「20年ぶりの高値」を目指すのだという。しかしそれでもバブル期の半分で、過去最高値を更新するアメリカ株とは比ぶべくもない。その理由がここにあるのだろう。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.71『日経ヴェリタス』2017年10月8日号掲載
禁・無断転載