幸せになろうね、と約束した美樹(『80’s(エイティーズ)』未掲載原稿)

新刊『80’s(エイティーズ)』に掲載できなかった原稿をアップします。「少女雑誌」をつくっていたときのインタビュー記事で、紙幅の関係でカットしました。本文と合わせて読んでいただくと、当時の雰囲気がわかると思います。

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ちょっと恥ずかしいが、24歳のときに書いた記事を紹介する。しゃべっているのは陽子という16歳の女の子で、編集部に手紙をくれて知り合った。いちど自宅に行ったけれど、世田谷の瀟洒な一戸建ての家だった。1980年代半ばの、ちょっとツッパってるけど、ごくふつうの女の子の話だ。評価はまかせるけれど、まったく忘れていたこの文章を読み返して、自分はなにひとつ進歩してないんじゃないかと本気で思った(註と誤植の訂正を除き、原文をそのまま掲載する)。

美樹って、すごくステキな友だちがいたんだ。あたし、その子といっしょに、高1の春、家出したことがある。

美樹の家、母子家庭っていうのかなあ、お父さんがいないんだ。すごくビンボーでさ、つらいことも多かったみたい。6畳と3畳のせまいアパートに、お兄さんと3人で暮らしてた。お母さん水商売やってるから、朝まで帰ってこないしね。

4つ年上のお兄さん、スペクター(暴走族)の頭(カシラ)やっていた人。2年間年少(少年院)にいて、いまは関西のほうでヤクザやってるはず。あたしはもちろん会ったことないけど、エンペラー(スペクターとライバル関係にあった暴走族)の子をひとり殺したんじゃないかってウワサが流れたこともある、すごい不良だった。

だけど美樹って、小学校のときはすごく大人しい子だったんだ。頭はいいし、笑った顔なんてドキッとするほどカワイクて、よくハーフに間違えられたりしてたから。普通のカッコウして、ちゃんとお化粧すればすごい美人なんだろうなあって、いつも思ってたよ。

でも中3の新学期、美樹がトナリの席に座ってるのを見たとき、あたし本気でクラス変えてもらおうかって思ったんだ。そのときまであたし、勉強はできなかったけど、ほんとに普通の子で、ツッパリってすごくこわかったから、街でちょっとスカートの長い子を見かけると、「陽子ちゃんはあんなふうになっちゃダメよ」ってお母さんが言うんだ。その言葉を、そのまま信じてきたって感じ。

そのころ美樹は、「学校はじまって以来」って言われるほどの不良。地元じゃもちろんナンバー・ワンで、とてもあたしのようなハンパな子が話しかけられるような雰囲気じゃなかった。

金髪のカーリー、くるぶしまであるスカート、ブレザーの下からのぞく真っ赤なTシャツ、はきふるしたスニーカー、銀色のピアス。大嫌いな格好だけど、でも、美樹には似合ってた。あの子はなんでも特別なんだ。いつだって、いちばん目立ってたからね。

はじめて美樹に話しかけられたとき、あたし唇まで真っ青になっちゃって、そのときのこと、いまでもはっきり覚えてるよ。

「ねえ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」新学期がはじまって2日めの最初の休み時間、あたしは話し相手もいなくて、ぼんやりと窓の外を眺めていた。気がつくと、美樹があたしのほうを見てる。

「わたしのこと、どう思ってる?」

それは全然おどすような感じじゃなくて、まるで仲のいい友だちに話しかけるような優しい口調だったけど、でも、そんなこと言われたって答えられるはずがない。

あたしはうつむいたまま、震えていた。なにか言わなくちゃいけないって思うんだけど、なにも考えられないんだ。

「こわいんなら、そう言っていいよ」

美樹はちょっとはにかんだように笑った。

「わたしのこと見たら、だれだってこわいと思うじゃん」

「……こわい、と思ってました」

「そうかあ」

困ったように、美樹がつぶやいた。そのひと言で、あたしたち、親友になれたみたい。

美樹って、ほんとはスケバンなんかやるような子じゃないんだ。でも中学に入ると、先輩たちがちょっと目立つ子をグループに入れようとするじゃない。そのとき最初に狙われるのが、片親の子なんだよね。とくに美樹はお兄さんのことがあるから、入学式の日にいきなり先輩10人くらいに囲まれてリンチされたらしい。「その日から美樹が変わった」って、昔からの友だちはみんな言ってるよ。

でもあの子、ほかのツッパリと全然違うんだ。ツッパリってふつう、同じグループの子としか付き合わないじゃない。休み時間になると仲間のいるクラスに行っちゃって、ベルが鳴るまで帰ってこないとか。美樹って、そういうことをほとんどしないんだ。いつもクラスの子と気軽に話してる。1週間に2日くらいしか学校に来ないんだけど、だからマジメな子の間でもすごく人気があったよ。

それにあの子、自分よりいつも他人(ひと)のことを見てるんだ。相談を受けたりすると、本気で悩んじゃう。どんなちょっとしたことだって、いつだって一生懸命なんだ。信じられないくらい優しいの。

いじめられる子っているじゃない。ちょっとトロいとかさ、さわると汚いとか臭いとか言ってみんなでいじめるの。美樹って、そういうことが許せない子なんだよね。カッコつけてるわけじゃないよ。必死になってかばうんだから。

仲間とリンチに行くとき、相手がどんなにイヤなヤツでも、あの子は最後まで許そうとしてた。あたしたちがメチャクチャ頭きてるときも、土壇場まで全然口調が変わらないの。だけど、一回怒っちゃうと、もう手がつけられないんだけどね。他校のツッパリをリンチしたときなんて、素っ裸にして木にしばりつけちゃうんだ。だから、キリッとしたときの美樹にはだれも逆らえなかったよ。

中3の夏休みかなあ、自分のこと、もうフツウじゃ生きていけないだって思ったのは。あのころは、一生ツッパってくんだってマジに信じてた。

制服の下、丸襟から開襟シャツにかえて、スカートの丈も少し長くした。アンモニアとオキシドールで髪の毛脱色する方法も覚えた。ツッパリのしゃべり方ってあるじゃない。「ざけんなよー!」とか。得意になって使ってたな。

お酒、タバコ、シンナー、万引き、暴走族、みんな美樹が教えてくれた。生まれてはじめて、好きなひともできた。同級生のK君! 彼とはたまり場になってる先輩の家で、はじめてのセックスをした。痛いだけだったけどね。

先輩って、あの頃19歳で、美容師の学校に行ってた。お母さんがいなくて、お父さんは仕事で出張ばっかり。だからそこが、あたしたちの秘密の隠れ家ってわけ。

お酒飲んで、タバコ吸って。でも、やることって言ったら、トランプとか男の話とか、フツウの女の子たちとそんなに変わらないよ。ただ、横にシンナーのやりすぎでゲロ吐いちゃった子とか、裸になってセックスはじめちゃうカップルなんかがいるだけでさ。

乱交パーティみたいなこと、よくあったよ。あたしそれまで、男の裸なんかもちろん見たことないじゃない。最初の頃は恥ずかしくて、終わるまでトイレに隠れてた。でもそのうち平気になってさ、3組ぐらいがいっしょにセックスはじめちゃうようなときでも全然気にならなくなった。

K君ってさ、ちょっとカッコいいから、学校の女の子たちにも人気あったんだ。リーゼントにビッと決めて、男っぽくて、万引きがうまくて、族ではいつも特攻隊やってた。はじめてA(キス)してからは、会うたびに「抱かせろよ」ってそれしか言わなくて、でもあたしK君のこと好きだから、仕方ないなって思ってたの。

はじめてのセックスのとき、あたしあんまり痛いから、ひーひー言って泣いちゃったの。横に美樹がいたから、「いいかげんにしなさいよ」って止めてくれた。だからK君、最後までいってないんじゃないかな。

あたしたちのグループ、女6人男4人。もちろん処女なんてひとりもいなかった。でも美樹だけは、あたしたちの前で絶対にやらなかったんだ。グラマーだから、男の子たちはみんな見たがってたけど。彼をつれてきたこともないし、D(中絶)しちゃったからセックスできないんだって言う子もいたけど、まさかね。

 高校に入る前、中3の春休みがいちばん楽しかったよ。その頃あたし、もうほとんど家に帰らなくなってた。先輩の車で、伊豆までドライブに行ったこともあったな。あたし、K君、美樹、先輩の4人。お金ないから、車のなかで寝たの。K君に抱かれてたら、左手にずーっと海が広がっててさ、波の音が聞こえてくるの。最高だったよ。

そのときかなあ、家出しようってはじめて思ったの。K君と美樹とあたしの3人でさ、アパートなんか借りて、いっしょに暮らしたらどんなにいいだろうって思ったの。

あたしの家、すごくカタいじゃない。お父さんはわりと有名な会社の部長さんで、仕事に行ってるか、ラジコンで遊んでるかのどっちかなの。50歳すぎて、まだラジコンに夢中になってつくってるんだよ。家の壁なんか塗装用のシンナーの臭いがしみついちゃって、あたしそのなかで育ったの。生まれたときから、シンナー中毒だったりしてね。

お母さんはお父さんと正反対で、すごく几帳面なひと。自分の子どものこと、全部知ってないと気がすまないみたい。手紙を勝手に開けちゃったり、あたしの日記を盗み読みしたり、男の子から電話がかかってくると黙って切っちゃうの。ちょっとでも口応えするとヒステリー起こして、何回なぐられたかわかんないよ。

お父さんが怒ると手がつけられなくて、髪の毛つかんで部屋中ひきずり回したりとか、やることがハンパじゃないの。普段はあたしのことなんか全然興味ないくせにさ。大キライだよ、あのふたり。

高1の春、K君と別れたの。新しい女ができたんだって。あたしこう見えても純情でさ、K君以外の男知らなかったから、すごいショックだったんだ。もうどうでもよくなっちゃって、死んじゃおうって思ったりしてね。

美樹が心配してくれて、訳を話したら怒っちゃってさ、落とし前つけるってK君はリンチだよ。いっしょに泣いてくれるの。つらいことが多かったからかなぁ、自分のことでは涙見せたことないのに、他人の不幸にはすごく敏感なんだよね。

あたしたちが家出したのは、その日の夜なんだ。

最初に行ったのは、美樹の彼氏の家、ケンジっていうんだけど、そのときはじめて会ったんだ。中学卒業して、なにもしないでバイクばっかり乗ってる。一見カッコいいんだけどすごいナンパで、どうしようもないやつ。口ばっかでさ。美樹がどうしてあんなのとつきあってたのかわかんないよ。

ケンジの家っていっても自宅だから、お父さんやお母さんもいっしょに暮らしてるんだ。大変だったよ。夜中にこっそり忍び込んで、美樹とふたりで押入れのなかで寝たんだ。息を殺しながら。

なにもかもどうだってよかったから、不安って感じなかった。だけど最初の夜はやっぱり眠れなくて、美樹もそうだったみたい。夜の2時ごろ、そっと押入れから抜け出していくの。あたし知ってたけど、眠ってるふりしてた。

その夜、美樹が男に抱かれているところ、はじめて見た。すごく哀しそうな声を出すの。まるで泣いてるみたい。その子を聞きながら、あたしすごくイヤだった。

昼は、パチンコばかりやってた。美樹とあたしは全然ダメだったけど、ケンジのやつはやたら強くてめったに負けなかった。それから喫茶店に行っておしゃべりして、スーパーで必要なもの借りてきて、そんなことの繰り返し。でも、美樹といっしょにいられるだけで楽しかったんだ。

5日めの夜、とうとうケンジのお母さんに見つかっちゃった。その日はふたりとも遅くまで帰ってこないっていうから、料理とかつくったり、洋服洗たくしたりしてたんだ。美樹はいつもお兄さんの晩ごはんつくってたから、料理うまいんだ。そしたらいきなりドアが開いて、ケンジのお母さんが立ってるじゃない。あせったよ。

「なんなの、あなたたち……」

その瞬間、美樹があたしの手をつかんでダッシュした。逃げるしかないもんね。

夜の10時頃かなあ、ふたりで公園のブランコに腰かけて、悲しかった。

「あいつの友だちが近くのアパートに住んでるから、あんたはそこに行きなよ。話ついているからさ」

「美樹はどうするの?」

「あたし、ケンジのところに帰るよ」

「でも見つかっちゃったじゃない」

「もう一度、あいつといっしょにやり直してみたいんだ」

「あたし、ひとりじゃこわいよ」

「ごめんね。そのうち連絡するから。あんたのこと好きだけど、このままあいつを見捨てるわけにはいかないもんね」

「……」

「幸せになろうよ」

それが美樹の最後の言葉だった。

それからのことは、あんまり話したくないな。

ケンジの友だちは6畳一間の汚い木造アパートに暮らしてた。カップラーメンのくずが散らかってて、布団もひきっぱなし。壁にはヌード写真がべたべた貼りつけてあった。

あたしがノックすると、汚れた寝巻きのまま出てきて、「おまえが陽子か。けっこうカワイイじゃんかよ」って言った。大キライなタイプ。でもほかに行くところがないから、仕方ないよね。

そいつ、ケンジよりもっと口だけ男。

「俺、明日から職探してマジメに働くから、ずっといっしょに暮らそうぜ。幸せにするからさ」

いつもそんなこと言ってたけれど一度だって本当だったことがない。毎日朝からパチンコばっかり。

でも、あたしだって努力したんだ。掃除もしたし、料理だってつくったし、夜だって拒まなかった。男のところに押しかけるんだから、カクゴはしてたけれどね。でも、少しも気持ちよくなかったよ。

あたしを抱いたあと、決まって馬鹿なこと話すんだ。「マジメになる」「仕事を探す」「結婚しよう」「おまえの家にいっしょに頭下げに行ってやるから」聞き飽きたよ。

3日目の夜、あいつとセックスしながら自分がすごく退屈してることに気づいたんだ。平凡な暮らしがイヤでツッパったのに、やってることって毎日パチンコとセックスだけじゃない。これじゃ、学校に行ってるほうがマシだよ。

朝の5時頃かなあ、薄汚れた黄色のカーテンを通して、夏の香りがしてた。ゴミのような部屋、腐ったヤサイの臭い、あいつのイビキ。まるで動物園みたい。小さい頃お父さんに連れて行ってもらった動物園の臭いだ。

そう思うとあたし突然悲しくなっちゃって、悔しくて、なにもかも大嫌いで、涙がボロボロ流れてきちゃって、なんてバカなんだろう。

気がつくと、家の前に立っていた。台所のガラス越しにお母さんが見える。食堂ではきっと、お父さんが新聞読んでるんだろう。

「ただいま!」

この言葉を言うのに、こんなに勇気がいるとは思わなかったよ。

あたしはまた、学校に通いはじめた。家出したこと、お父さんもお母さんもなにも言わなかった。見捨てられたんだ、きっと。

美樹は行方不明。ケンジといっしょに家出つづけてるのかもしれない。何度も家に電話したけど、だれもでないの。

「幸せになろうね」

美樹が最後に言ったあの言葉、あたしまだ忘れてないよ。

美樹のためなら、あたし命だって惜しくない。ウソはないよ。だってあんなにステキな友だち、もう一生できないって思うから。

だから美樹、あなたの笑顔がもう一度見たいんだ!

2カ月くらい前、覚醒剤中毒になった美樹が歌舞伎町に立ってるってウワサを聞いたよ。でも、そんなはずないよね。あたしなんかより、ずっと幸せにならなくちゃいけない子なんだもん。

『80’s(エイティーズ)』関連年表

新刊『80’s(エイティーズ)』を編集してくれた太田出版の穂原俊二さんが関連年表をつくってくれたのでアップします。こんな時代の話です。

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1972年 萩尾望都『ポーの一族』連載開始。
1973年 『アメリカン・グラフィティ』公開。
1974年 『傷だらけの天使』公開。萩原健一が人気に。
1976年 大島弓子『F式蘭丸』発売。
1976年 竹宮惠子『風と木の詩』連載開始。
1976年 イーグルス「ホテル・カリフォルニア」発売。
1976年 村上龍『限りなく透明に近いブルー』発売。
1977年 『宇宙戦艦ヤマト』『スター・ウォーズ エピソード4』『未知との遭遇』公開。
1977年 鴨川つばめ「マカロニほうれん荘」連載開始。
1978年4月 ミシェル・フーコー二度目の来日。東京大学で講演。
1978年8月 日産フェアレディZ(2代目S130型系)発売。
1979年 『探偵物語』公開。松田優作が人気に。
1979年 『エイリアン』公開。
1979年 エズラ・ヴォーゲル『ジャパン・アズ・ナンバーワン』発売。ベストセラーに。
1979年4月 ボブ・マーリー来日。東京と大阪で「奇跡の公演」を果たす。
1979年12月 ソ連がアフガニスタンに侵攻。
1980年7月 モスクワオリンピック開催。アメリカや日本、ヨーロッパ諸国がボイコッ ト。
1980年代「アイドルブーム」「女子大生ブーム」「サブカルブーム」「ポストモダン哲学」 が一世を風靡。ポケベルが普及し始める。
1980年 田中康夫『なんとなく、クリスタル』発売。「ブランド小説」と呼ばれる。
1980年 RCサクセション「雨あがりの夜空に」、沢田研二「TOKIO」発売。
1981年 写真週刊誌『フォーカス』(新潮社)創刊。
1981年 『スローなブギにしてくれ』『セーラー服と機関銃』『マッドマックス2』公開。
1981年 「ノーパン喫茶」ブームが起こる。
1981年 ロス疑惑が起こる。
1981年9月 渋谷パルコPART3開業。堤清二率いるセゾングループが全盛期。
1982年 マイケル・ジャクソン「スリラー」発売。世界を席巻する。「MTV」でPVが はじめて日本のテレビで紹介される。
1982年 糸井重里「おいしい生活」CMが話題に。ウディ・アレンを起用。
1982年 『ブレードランナー』公開。
1982年 大友克洋『AKIRA』連載開始( 1988年アニメ映画化)。
1982年 松本智津夫が「オウム神仙の会」を設立( 1987年 「オウム真理教」に改称)。
1983年 浅田彰『構造と力』発売。思想書として異例のベストセラーに。
1983年 中沢新一『チベットのモーツァルト』発売。
1983年 ポリス「見つめていたい」、シンディ・ローパー「ガールズ・ジャスト・ワナ ・ハヴ・ファン」発売。
1983年 4月東京ディズニーランド開業。
1984年 マドンナ「ライク・ア・ヴァージン」、ワム!「ラスト・クリスマス」発売。
1984年1月 日経平均株価がはじめて一万円の大台を突破。
1984年2月 登山家・植村直己がアラスカ・マッキンリー山の単独登頂に成功。世界初 の快挙。
1984年3月 グリコ・森永事件発生。
1984年4月 小林麻美 with C-POINT「雨音はショパンの調べ」発売。
1985年 山田詠美『ベッドタイムアイズ』発売。
1985年4月 『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)開始。おニャン子クラブがデビュ ー。
1985年9月 「スーパーマリオブラザーズ」(任天堂)発売。爆発的にヒットし、社会 現象となる。
1989年1月 昭和天皇崩御。
1989年6月 天安門事件発生。
1989年11月 ベルリンの壁崩壊。
1989年12月 東京証券取引所大納会で日経平均株価が3万8915円の最高値をつける。
1990年 カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎』発売。
1990年8月 サダム・フセインがクウェートに侵攻。
1990年10月「株バブル」崩壊。
1991年12月 ソビエト連邦が解体し、冷戦が終焉。
1991年1月 アメリカを中心とする多国籍軍による攻撃開始。
1992年 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争勃発。
1993年 鶴見済『完全自殺マニュアル』発売。
1995年1月 阪神・淡路大震災発生。犠牲者約6500名、被災者は30万人を超えた。
1995年3月 オウム真理教による地下鉄サリン事件発生。13名が死亡。
1995年11月 「ウィンドウズ95」日本語版発売。
1996年1月 globe「DEPARTURES」発売。
1996年 書籍の売上が1兆円を超えてピークに達する。
1997年 『タイタニック』公開。主題歌であるセリーヌ・ディオン「マイ・ハート・ウ ィル・ゴー・オン」がヒット。
1998年 コソボ紛争勃発。
2000年 辰巳渚『「捨てる!」技術』発売。
2001年 アメリカ同時多発テロ事件発生。
2006年 9・11同時多発テロ後のブッシュ政権下で全フェンス法が成立。

安倍政権はますます「リベラル化」していく 週刊プレイボーイ連載(320)

「女性が活躍する社会」や「一億総活躍」を掲げる安倍政権は「リベラル」だとこれまで何度か指摘しましたが、いまや首相自らが「私がやっていることは、かなりリベラルなんだよ。国際標準でいえば」と周囲に解説しているそうです(朝日新聞2017年12月26日朝刊)。

しかしこれは、驚くようなことでありません。安倍政権がリベラル化する理由は、次の2つで説明できます。

ひとつは「右」にライバルがいないこと。一時は小池都知事が「日本ファースト」を掲げて右派=ネオリベ層を奪取するかに思われましたが、昨年の総選挙で見事に失速したことで、「右」のひとたちは多少の不満はあっても安倍政権を支持するほかなくなりました。その一方で、民進党の分裂で「左」に広大なフロンティアが開けたのですから、憲法改正の悲願を達成するためにも、リベラルな政策で支持層を拡大していくのは当然の戦略です。

もうひとつは、「リベラル」以外に政策の選択肢がないこと。「保守」の安倍首相は本音では「女は家で子育てしてればいい」と思っているでしょうが、それでも「3年間だっこし放題」まで譲歩しました。ところがこれが「3年も育休してたら職場に復帰できない」と総すかんを食ったことで、「子どもを産んでも女性がハンディキャップを感じない社会」を目指さざるを得なくなりました。これはたしかに「国際標準」ですが、首相がリベラルに目覚めたのではなく、それ以外では女性の有権者が納得しないのです。

保守派のひとたちはいまだに「終身雇用・年功序列の日本的雇用が日本人を幸福にした」と思っているようですが、「働き方改革」では同一労働・同一賃金の実現や金銭的な補償で従業員を解雇できる制度の導入を目指しており、これは日本的雇用の「破壊」そのものです。

しかしだからといって、首相が「保守」を裏切ったわけではありません。日本の年金制度は55歳で定年退職し、65歳くらいで寿命を迎えた時代に設計されたものですから、「人生100年」時代に行き詰まるのは当然です。団塊の世代が後期高齢者になる2025年以降、健康保険や介護保険が現在の仕組みのまま持続できると考える専門家はいません。

夫が20歳から60歳まで40年間働いたお金で、家を建て、子どもを大学に入れ、専業主婦の妻と年金で悠々自適の老後を過ごすという高度成長期のモデルは完全に破綻しました。100歳まで生きるとすれば「老後」は40年、夫婦2人で80年です。すでに1000兆円もの借金を積み上げた日本国に、ますます増えつづける高齢者の面倒が見られるのか、冷静に考えればこたえは明らかでしょう。

このようにして、安倍首相の政治信念に関係なく、女性や高齢者に働いてもらわなければ日本社会は回っていかなくなりました。これが「一億総活躍」で、たしかに国際標準のリベラルな政策ではありますが、それは「ほかにどうしようもない」という日本が置かれたきびしい状況を表わしているのです。

このようにして、今年も安倍政権はますます「リベラル化」していくでしょう。そして、保守とリベラルの区別は誰にもわからなくなるのです。

『週刊プレイボーイ』2018年1月15日発売号 禁・無断転