定年制廃止のために金銭解雇の合法化を 週刊プレイボーイ連載(344)

難産の末に「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」が成立しました。野党は「働かせ法案」「過労死法案」と批判していますが、「年収1075万円以上の専門職が対象」とされたためか、大半のひとが「自分には関係ない」と思い、反対運動はいまひとつ盛り上がりに欠けたようです。

しかし働き方改革はこれで終わりではなく、国民的な議論(大騒ぎ)を引き起こすことが確実な、さらに大きなイベントが待ちかまえています。それが「金銭解雇の合法化」です。

議論の前提として、日本は世界にさきがけて超高齢社会に突入し、少子化による人口減で人手不足がますます深刻化している現状を確認しておきましょう。この大問題に対処しようとすると、「右」でも「左」でもどんな政権でも、「高齢者にいつまでも働いてもらえる社会」にする以外ありません。こうして安倍政権は「一億総活躍」を掲げ、公務員の定年の65歳への引き上げや、「70歳定年制」の導入が検討されるようになりました。その先にあるのは「定年制廃止」で、アメリカやイギリスがすでに導入し、スペインなどヨーロッパの国がつづいていますから、早晩、これが世界の主流になるのはまちがいないでしょう。

リベラリズムの根本原理は自己決定権です。どこで(誰の子どもとして)生まれるかで人生が左右されてはならず、結婚や職業選択だけでなく、いまでは死ぬ時期や死に方まで個人の自由な選択に任せるべきだとされるようになりました。そんな社会で、本人の意思にかかわらず強制的に雇用契約を解除する定年制が受け入れられなくなるのは当然です。

ところが日本的雇用は年功序列なので、定年制廃止でなく70歳定年制でも人事制度が大混乱に陥ります。しかしそれより問題なのは終身雇用で、現在のように「いちど正社員を雇ったら解雇できない」のでは、会社は高齢者の巣窟となって壊死してしまうでしょう。「定年制のないリベラルな社会」を実現しようと思ったら、会社が合理的な経営判断と公正な手続きで従業員を解雇できる制度がどうしても必要なのです。これが「金銭解雇の合法化」です。

日本人は会社を「イエ」とし、生活の面倒をみてもらうかわりに滅私奉公するのを当然としてきましたが、こんな前近代的な働き方をしている国は日本しかなく、欧米諸国はどこも解雇のルールを法で定めています。

「日本にも労働審判がある」というかもしれませんが、明確なルールがないまま会社と対立すれば、弱い立場の労働者が不利になるのは否めません。「終身雇用で守られているのは大企業の正社員だけで、非正規はもちろん、中小企業も実質的に解雇自由でなんの補償もない」との指摘もあります。解雇の際の金銭補償が法で定められれば、多くの「雇用弱者」が救われるでしょう。

「合理的理由のない待遇格差は差別」というのが世界の常識で、日本の裁判所もようやく違法判決を出すようになりました。「働き方」は労働者の人生に大きく影響しますから、正社員だけを過剰に優遇するのではなく、すべての働くひとに公正な解雇のルールをつくらなければならないのです。

参考:大内伸哉、川口大司編著『解雇規制を問い直す― 金銭解決の制度設計』(有斐閣)

『週刊プレイボーイ』2018年7月9日発売号 禁・無断転載

女児虐待死事件でメディアがぜったいいわないこと 週刊プレイボーイ連載(343)

目黒区で5歳の女児が虐待死した事件では、「きょうよりか もっともっと あしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして」などと書かれたノートが発見され、日本じゅうが大きな衝撃に包まれました。このような残酷な事件が起きないようにするために、いったいなにができるでしょうか。

この事件について大量の報道があふれていますが、じつは意図的に触れていないことが2つあります。

女児を虐待したのは義父で、母親とのあいだには1歳の実子がいました。じつはこれは、虐待が起こりやすいハイリスクな家族構成です。

父親は自分の子どもをかわいがり、血のつながらない連れ子を疎ましく思います。母親は自分の子どもを守ろうとしますが、それ以上に新しい夫に見捨てられることを恐れ、夫に同調して子どもを責めるようになるのです。なぜなら進化論的には、ヒトは自分の遺伝子をもっとも効率的に残すよう“プログラム”されているから……。

これが進化心理学の標準的な説明で、こうした主張を不愉快に思うひとは多いでしょうが、アメリカやカナダの研究では、両親ともに実親だった場合に比べ、一方が義理の親だったケースでは虐待数で10倍程度、幼い子どもが殺される危険性は数百倍であることがわかっています。

もちろん連れ子のいるほとんどの家庭は虐待とは無縁で、偏見につながらないような配慮は大事ですが、残念なことに、「進化の圧力」に抗する理性をもたない親が一定数いることはまちがいありません。児童相談所がこのリスク要因を正しく把握していれば、もっと強い対応もできたのではないでしょうか。

メディアが触れないもうひとつの事実は、この女児にはどこかに実の父親がいることです。ここでも誤解のないようにいっておくと、「父親を探し出して責任を追及しろ」といいたいわけではありません。

日本では、夫婦が離婚するとどちらかが親権をもつことになります。これが「単独親権」ですが、考えてみれば、離婚によって親子関係までなくなるわけではありませんから、これには合理的な理由がありません。そのため欧米では、夫婦関係の有無にかかわらず両親が親権をもつ「共同親権」が主流になっています。

共同親権では、子どもが母親と暮らしていても、別れた父親に子どもと面会する権利が保障されると同時に、養育費を支払う義務が課せられます。ところが単独親権の日本では、ほとんどのケースで父親が親権を失うので、義務感までなくなって、2割弱しか養育費を払わないという異常なことになっています。

虐待への対処でむずかしいのは、公権力はプライベートな空間にむやみに介入できないことです。子どもが家で泣いていたら近所のひとに通報され、いきなり警察や児相がやってくるような社会では、誰も子育てしたいとは思わないでしょう。

しかし実の父親なら、面会を通じて子どもの状態を確認できるし、子育てにも介入できます。子どもが危険にさらされていると判断すれば、保護したうえで公的機関に訴えることも可能でしょう。

今回のような悲劇をなくそうとするのなら、いたずらに行政をバッシングするのではなく、「子どものことを真剣に考えるのは親である」という原点に立ち返る必要があるのです。

参考:マーティン・デイリー、マーゴ ウィルソン『人が人を殺すとき―進化でその謎をとく』

『週刊プレイボーイ』2018年7月2日発売号 禁・無断転載

第77回 日本的雇用 年齢差別の不合理(橘玲の世界は損得勘定)

日本ではあまり理解されていないが、グローバルスタンダードでは「差別とは合理的に説明できないこと」と定義されている。

欧米ではジェンダーギャップ(社会的性差)を論じるとき、たんに男性社員と女性社員の収入の差を比べるのではなく、そのなかに「合理的に説明できない」ものがどれだけ残っているかが問題になる。北欧でも女性が子育てを優先して公務員などを希望することはあるが、これは彼女の自由な選択であって、それによって男女の平均給与に差がついても社会的な差別とはいえない。

そしてじつは、この原則はすでに日本でも導入されている。

2013年4月、民主党政権が労働契約法20条を成立させ、パートや契約社員など有期契約で働く労働者と正社員のあいだで、賃金や手当、福利厚生などの労働条件に不合理な差をつけることを禁じた。それにともなって司法も、「正社員」と「非正規」の合理的な根拠のない待遇のちがいを「差別」と認定するようになった。

2017年9月、日本郵政の契約社員が正社員との格差解消を求めた訴訟で、東京地裁は年末年始手当、住居手当、休暇制度などの格差を不合理と判断し、日本郵政は労働組合との合意のもとに正社員2万人のうち約5000人に支給していた住宅手当を10年かけて廃止することにした。

また2018年6月、浜松市の物流会社の契約社員が6種類の手当の格差是正を求めた裁判で、最高裁は4種類の手当を不合理とした高裁判決を支持するとともに、正社員に支給される皆勤手当も「出勤者を確保する必要性は非正規社員も変わらない」として不合理と認定した。

しかしその一方で、横浜市の運送会社に定年後再雇用された嘱託社員が賃金の減額を不当と訴えた訴訟では、すでに退職金を受け取り、近く年金が支給されることなどを理由に、基本給や大半の手当の格差が「合理的」とされた。これはどう考えればいいのだろうか。

じつはアメリカでは定年制は年齢差別として違法で、2010年にイギリスがそれにつづいた。高齢化が進むなか世界の趨勢は「生涯現役」で、これからは年齢にかかわらずいつまでも働ける権利が重視されるようになるだろう。

ところが日本の会社は、いまだに年功序列・終身雇用が当たり前で、60歳(ないしは65歳)になれば「強制解雇」され、その代償として退職金が支払われる。勤続年数が長くなるほど給与に年齢相応の上乗せがあるのは、逆にいえば若いときは安く働かせるためだ。

これはすなわち、日本的雇用そのものが「年齢差別」だということだ。それを放置したまま定年後再雇用に同一労働同一賃金を適用すると、逆に「差別」を助長することになると最高裁は危惧したのだろう。

定年退職したというだけで、同じ仕事をしている同僚より安い報酬に甘んじなくてはならないのはたしかに理不尽だ。この不合理を是正しようとすれば、日本の経営者と労働組合はまず、年功序列・終身雇用と決別しなくてはならない。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.77『日経ヴェリタス』2018年6月24日号掲載
禁・無断転載