「反社のみなさま」発言から身分制社会日本を考える 週刊プレイボーイ連載(411)

安倍首相が主催する「桜を見る会」をめぐってバトルが繰り広げられていますが、ここでは「紛争」からちょっと距離を置いて、「反社のみなさま」発言について考えてみましょう。記者から見解を求められた官房副長官(衆議院議員)が、「反社会的勢力のみなさまが出席されたかどうかは、個人に関する情報であるため、回答を差し控えたい」と述べた“事故”です。

以前書いたように、サッカーJリーグの審判は「日本語」の使い方に苦慮しています。フリーキックの壁を下げさせる時、”Step back.”といえばメッシやクリスティアーノ・ロナウドでも素直に従います。ところが日本語で「下がれ」「下がりなさい」というと、興奮状態にある選手は侮辱されたと感じて食ってかかってきそうです。だからといって「下がってください」では、審判が選手にお願いしているようで権威がなくなってしまいます。

ここからわかるのは、英語の表現は自分と相手が「対等」であることが前提になっているのに対し、日本語はどちらが目上(目下)かを決めるようにできているということです。誰もが(うすうす)気づいているように、初対面のひとと会ったとき、尊敬語や謙譲語を組み合わせてお互いの上下関係を確定しないと円滑なコミュニケーションが成立しないのです。

ラジオのディレクターから聞いた話ですが、出演した政治家がすこしでも横柄な言葉づかいをすると、「上から目線でけしからん」という抗議の電話が殺到するそうです。日本人は「身分」に敏感なので、自分が「下」であるかのように感じさせる言葉がラジオから流れてくると、ものすごく不快に感じるのです。

こうした「不適切」な言葉づかいがSNSなどで炎上するようになったことで、政治家や芸能人などは「下から目線」に神経質にならざるを得なくなりました。それを日頃から徹底していると、「反社会的勢力」という(尊敬してはならない)グループに言及するときに、とっさに「みなさま」を付けてしまうという珍事が起こるのです。

ではこのとき、どのようにいえばよかったのでしょうか。

「反社会的勢力が出席したかどうかは……」とすればどこからも文句はこないでしょうが、日常の言葉づかいとしてはかなり冷たい感じがするので、政治家が(記者会見を通じて)有権者に語りかける場面では使いにくいでしょう。

「反社会的勢力のひとたち」は「みなさま」よりマシでしょうがやはりへりくだったようなニュアンスがあり、「反社会的勢力の者ども」は明らかに上から目線です。そうなると、「一般に反社会的勢力と指摘されるような人物」くらいが無難でしょうが、とっさにこのような言い換えができるにはかなり高度な言語的能力が要求されるでしょう。

「よろしかったでしょうか」のように、若者たちが尊敬語や謙譲語を誤用することが批判されますが、これは「四民平等」の近代社会と日本語がミスマッチを起こしているからです。政治家が日本語の使い方に戸惑っているのだから、若者がもっと戸惑うのは当たり前です。

そうなると、日本人が相手と対等に話をするには、公用語を英語にするしかないのかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2019年12月9日発売号 禁・無断転載

たかがMDMA(ドラッグ)で目くじら立てて… 週刊プレイボーイ連載(410)

「合成麻薬MDMAで挙げられた沢尻エリカは警察にとって金星か、マスコミにとって堕ちた天使か、ファンにとって殉教者か。彼女がそれらのいずれにもならぬことを願いたい。いまどき有名スターが合成麻薬で捕まって全国的なスキャンダルになるのは世界広しといえども日本くらいのものだ。たかが合成麻薬ぐらいで目くじら立てて、その犯人を刑務所にやるような法律は早く改めた方がいい」

いまの日本でこんなことをいったらたちまち袋叩きにあうでしょうが、じつはこれは、大物フォーク歌手がマリファナ所持で逮捕されたことを受けて、1977年の毎日新聞に掲載された編集委員(関元氏)の「たかが大麻で目くじら立てて…」という文章の一部を変えたものです。

関氏はここで、マリファナおよび薬物乱用に関する全米委員会の報告書を引きながら、日本のマリファナ取締りは科学的というよりタブーめいた先入観に立脚していると批判しています(佐久間裕美子『真面目にマリファナの話をしよう』文藝春秋)。驚くべきことに、40年前はこうした論説が全国紙に堂々と掲載されていたのです。

その後、欧米社会のドラッグ使用者への扱いは、「犯罪者」から(アルコールやギャンブルの依存症者と同様に)精神疾患に苦しむひとたちへと変わっていきます。もちろんだからといって、ドラッグ依存症者への差別がなくなったわけではありません。しかし、メディアが芸能人のドラッグ使用を暴いたり、それを理由に映画やテレビに出演させないなどということは考えられません。――そんなことをしたら出演者が誰もいなくなってしまうからかもしれませんが。

ギタリストのエリック・クラプトンは映画『12小節の人生』で、アルコールとドラッグに溺れた日々を赤裸々に語っています。ドキュメンタリー映画『オールウェイズ・ラヴ・ユー』では、不世出の歌姫ホイットニー・ヒューストンが、成功の絶頂からドラッグで無残に変わり果てていくさまが描かれました。

さまざまな困難を乗り越え、依存症を克服して人生の後半になってようやく愛を手に入れた男の物語でも、とてつもない才能に恵まれながらも依存症との戦いに敗れ、なにもかも失って死んでいった女性の悲劇でも、ドラッグ使用を批判するような描写はいっさいありませんでした。

欧米では、ドラッグの密売で利益を得ることは犯罪ですが、自分の稼いだお金でドラッグを使うことは「本人の勝手」、ドラッグで人生が破綻したりホームレスになることは「自己責任」、過ちに気づいて依存症を克服しようと決意すれば「支援」の対象です。なぜなら、ドラッグの使用そのものは誰の迷惑にもなっていないからです。

このようにいうと、「大河の撮り直しで関係者がものすごく苦労しているじゃないか」というひとが出てきますが、そもそも逮捕などしなければいいだけの話です。

かつての日本は、このような議論がごくふつうにできました。マリファナ合法化に見られるように欧米がどんどんドラッグに寛容になっていくのに対し、日本だけがなぜ逆行し、ますます不寛容になっていくのか。

これは日本社会と日本人を考える興味深いテーマかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2019年12月2日発売号 禁・無断転載

日本の「歴史問題」はずっとマシ 週刊プレイボーイ連載(409)

黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス山脈の南に、アゼルバイジャン、アルメニア、ジョージアの三国があります。

この地域は古来、東西の交易の要衝で、南からはペルシア、西からはギリシア・ローマ(ビザンティン)の影響を受け、独特の歴史と文化をつくってきました。アゼルバイジャンにはペルシアのゾロアスター教の遺跡が残り、アルメニアは301年、ジョージアは330年にローマ帝国に先立ってキリスト教を国教化しています。

イスラームの勢力が中近東から南コーカサス一帯まで伸張すると、16世紀にはペルシアにシーア派のサファヴィー朝が勃興します。その頃、西ではビザンティン帝国がオスマン帝国に取って代わられ、北からは「タタールのくびき」と呼ばれたモンゴルの支配を脱したロシア帝国が進出を始めました。地政学的にこの3つの帝国が衝突するコーカサスの国々は、大国の思惑に翻弄されるほかありませんでした。

アゼルバイジャンはロシア(ソ連)とペルシア(イラン)に南北に分割されたことで、本国の1000万人よりも多い1500万とも2000万ともいわれるアゼルバイジャン人がイラン北部に暮らしています。アルメニアはロシア(ソ連)とオスマン(トルコ)に東西に分割され、19世紀末のオスマン帝国末期にトルコ人ナショナリズムが高揚すると国内のアルメニア人は強制移住させられ、この混乱で100万から150万人の生命が失われました。

ソ連崩壊にともなって両国は独立しましたが、アルメニア人が多く住むアゼルバイジャン内のナゴルノ・カラバフをめぐる紛争が起き、いまは事実上独立した「未承認国家」となっています。こうした経緯でアゼルバイジャンとアルメニアは国交が断絶しており、アルメニアとトルコも隣国でありながら長く国交がありませんでした。

一方、ジョージアではソ連からの独立時にコーカサス山地や黒海沿岸の少数民族が反乱を起こし、それをロシアが支援したことで、国内に南オセチアとアブハジアという2つの「未承認国家」を抱えることになりました。かつて「グルジア」と呼ばれたこの国が国名を英語読みに変えたのは、ロシアと断絶してEUに加盟し、欧米の一員になるという決意のあらわれです。

すべての紛争がそうであるように、当事者には自分たちを「善」、相手を「悪」とする(それなりに)説得力のある理屈があります。しかし、相手側がこの善悪二元論を受け容れることはぜったいにないため、自らの正義を振りかざせばかざすほど事態は泥沼化していくのです。

これは昨今の「歴史問題」でもよく見られる光景ですが、じつは、海によって国境が明示されている日本はものすごく恵まれています。日本民族が分断されているわけでもなければ、国内に「未承認国家」があるわけでもありません。

もちろん、だからといって小さな島の帰属をめぐる隣国との争いがどうでもいいというわけではありません。しかし世界には、はるかに困難で複雑な領土問題を抱えながらなんとか平和にやっている国があることを、たまには冷静になって考えてみてもいいのではないかと、コーカサス三国を旅しながら考えました。

『週刊プレイボーイ』2019年11月25日発売号 禁・無断転載

コーカサス山脈(Alt-Invest.Com)