「排外主義」の起源は行動免疫システム 週刊プレイボーイ連載(420)

進化の掟はたったひとつ、「できるだけ多くの遺伝子を複製する」です。これが「利己的な遺伝子」説ですが、「現存するすべての生き物は遺伝子の複製に成功した個体の末裔だ」という単純な事実を言い換えたものです。

病原菌(細菌やウイルス)はヒトなどの宿主を利用して繁殖し、宿主集団に感染して遺伝子を複製しようとします。それに対して宿主は、免疫によって病原菌を撃退し、生存や生殖に害が及ぶのを阻止しようとしてきました。これが「進化の軍拡競争」で、その結果、攻撃する側も守る側もきわめて複雑・巧妙な仕組みをつくりだしてきたのです。

医学的には、人体は3つの防御壁によって病原菌を防いでいるとされます。第一の防御壁は皮膚や粘膜による「物理的な防御」、第二の防御壁は白血球(貪食細胞や補体)による「自然免疫(非特異的免疫)」、第三の防御壁は免疫グロブリン(抗体)やT細胞による「獲得免疫(特異的免疫)」です。

しかし近年の進化医学では、この「生理的免疫システム」の手前に重要な防御壁があることを明らかにしました。それが「行動免疫システム」です。

3つの防御壁は、病原菌に接触するか、体内に侵入されたときにはたらくシステムです。これは「最後の砦」ですから、その前に病原菌に触れないようにすれば感染のリスクは大きく下がるでしょう。

進化のメカニズムはきわめて「合理的」なので、このような明らかなメリットを見逃すはずはありません。ヒトは本能的に、感染の危険を避けるように「設計」されているはずなのです。

さまざまな研究で、男も女も性愛の対象として左右対称な相手を好み、なめらかな肌や艶やかな髪に魅力を感じることがわかっています。現代の進化論では、これを「病原菌や寄生虫に侵されていない」サインだと考えます。

「嫌悪」は生存への脅威になるものを避けようとする感情ですから、当然、外見に表われた病気の徴候もその対象になります。それに加えて人類は、一人で放浪する者を警戒するようになったはずです。なぜなら、社会的な動物であるヒトは共同体のなかでしか生きていけないにもかかわらず、そこから排除されたということは、感染症に侵されているリスクが高いからです。

行動免疫システムは共同体の外部の者を差別するように進化した――。これが「排外主義」の起源だとされています。

この考え方は、現代の進化論のなかでもっとも評判の悪いもののひとつです。その理由はナチスによるホロコーストや、いまも大きな社会問題になっている人種差別を正当化するように見えるからでしょう。「進化の結果なんだからしかたないよ」というわけです。

こうした危惧はもっともですが、だからといって近代医学の誕生からわずか200年ほどで人間の本性が変わるはずもありません。私たちがいまも強固な行動免疫システムをもっていることは、はからずも新型肺炎によって証明されました。

日本政府は中国の一部地域からの入国を禁止していますが、今後(不幸にして)国内で感染が広がるようなことになれば、行動免疫システムの標的はたちまち「日本人」に変わり、世界じゅうから排除されることになるかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2020年2月25日発売号 禁・無断転載

「凡庸でやさしい男」か「有能でも冷たい男」かの選択 週刊プレイボーイ連載(419)

「オレの気持ちがわからないのか!」「わたしがどう思ってるか気づいてよ!」今日もこんな言葉が日本のあちこちで飛び交っていることでしょう。でもよく考えると、「相手のことがわかる」には2つの異なる能力が必要です。

ひとつは「共感力」で、泣いたり怒ったり喜んだりしている相手の気持ちを自分に重ね合わせて感じることです。この能力が欠けていると、「冷たい」とか「自分勝手」となじられることになります。

もうひとつは相手がなにを考えているかを理解することで、いわば「読心力」ですが、心理学では「こころの理論」と呼ばれます。この能力が欠けていると、相手がなぜそんなふうに感じるのかがわからなくなります。

「こころの理論」を説明する格好のキャラクターが、『スタートレック』シリーズに登場するヴァルカン人のミスター・スポックです。スポックは徹底して合理的ですが共感力がないわけではなく、だからこそカーク船長ら乗組員と友情をつちかい、困難な宇宙の旅をいっしょにつづけることができます。「船長、それは非論理的です」の科白は、人間がなぜいつも感情的な判断をするのかが理解できないからです。

現実の社会でスポックによく似ているのが自閉症のひとたちです。著名な心理学者であるサイモン・バロン=コーエンは、胎児期の過剰なテストステロンなどの影響で「こころの理論」が機能しなくなることを「マインド・ブラインドネス」と名づけました。アスペルガー症候群もこの一種で、泣いている相手に共感して対処しようとしますが、なぜ泣いているかわからないため、コミュニケーションがうまくとれなくなってしまうのです。

ところで世の中には、自閉症とは逆に、「こころの理論」はあっても「共感力」が欠落しているひとたちがいます。これに病名がついていないのは、相手の「こころ」がわかりさえすれば、共感するふりができるからでしょう。

これはいわば「ハート・ブラインドネス」ですが、じつはこのひとたちは、社会的・経済的に大きく成功する比率が高いことが知られています。その理由はとてもシンプルで、ライバルを蹴落として組織のなかで出世するのは、相手のことを完璧に理解したうえで、その気持ちを平然と踏みにじるようなタイプなのです。

これが極端になると「サイコパス」ですが、じつは社会にとって有用なひとたちでもあります。一人ひとりの兵士の事情(子どもが生まれたばかり、とか)を考えていては、軍隊を死地に赴かせる冷徹な判断はできません。会社を窮地から救うのに、社員の家族(子育てしながら老親の介護もやっている、とか)を気にしていたら大胆なリストラなど不可能でしょう。レバノンに逃亡したあの人が典型ですが、グローバル企業の経営者の多くはこのタイプです。

当然のことながら、共感力と冷酷さは両立しません。これは、「仕事のできるイクメン」を求める多くの女性に困難をもたらします。現実には、「凡庸でやさしい男」か、「有能でも冷たい男」かの選択を突きつけられることになるのですから。

参考:サイモン・バロン=コーエン『自閉症とマインド・ブラインドネス』(青土社)

『週刊プレイボーイ』2020年2月17日発売号 禁・無断転載

「わたしは幸福」というひとは「幸福」なのか? 週刊プレイボーイ連載(418)

大統領選に向けてアメリカでは保守派(共和党支持)とリベラル(民主党支持)が憎み合っていますが、反トランプのリベラルにとって「不都合な事実」は、さまざまな調査で保守派の方がリベラルより一貫して幸福度が高いことです。

これについてはさまざまな理由が考えられますが、巷間に広まっているのが、「保守派の方が家族を大切にし、コミュニティ(教会など地域共同体)とのつながりが強いからだ」との説明です。それに対してニューヨークやサンフランシスコのような都会に住むリベラルは孤独で、高給かもしれないけれど長時間のストレスフルな仕事で疲弊し、うつが疫病のように蔓延しているとされます。

徹底的に社会的な動物であるヒトにとって、幸福感は愛情や友情のような人間関係からしか得られません。そう考えれば、「古きよきアメリカ」を体現する古風な生き方にこそ幸福な人生があるとの主張はものすごく説得力があります。だとすれば、幸せになるにはトランプ支持の保守派に鞍替えするしかないのでしょうか。

ところがここで、「コロンブスの卵」のような疑問を抱いた研究者がいました。たしかに保守派はリベラルよりも幸福だと「報告」していますが、実際に幸福なのかどうかは誰も確かめていなかったのです。

アメリカの保守派は「自由と自己責任」の論理を信奉し、リベラルは「平等」な社会を目指し、成功への機会を奪われたマイノリティを支援すべきだと考えます。これはどちらが正しいというわけではありませんが、研究者は、保守派は「幸福かどうかは自分の責任だ」と(無意識に)思っているのではないかと考えました。

保守派にとって「私は不幸だ」と答えることは、「自分には能力が欠けていて、努力が足りず、人生すべてが間違っていた」と認めることになります。誰だってこんな残酷な現実を受け入れたくありませんから、社会調査で一貫して高い幸福度を報告することに不思議はありません。

この仮説を検証するために研究者は、保守派とリベラル派の写真や発言、TwitterなどSNSのビッグデータを調べてみました。すると両者に差がないばかりか、リベラルの方が保守派よりポジティブな言葉を使い、写真でもより大きな笑顔を浮かべていました。実際の行動を見るかぎり、保守派よりもリベラルの方が幸福そうだったのです。

日本では一貫して、子どものいる共働きの女性より専業主婦の幸福度が高いことが知られています。とりわけ衝撃的なのは、(世帯所得が全世帯の所得の中央値の半分に達していない)貧困世帯の専業主婦ですら、3人に1人がいまの生活を「とても幸せ」と答え、「それなりに幸せ」を合わせるとほぼ9割に達することです。

この奇妙な現象については「子どもと一緒の時間が長いから」とか、「夫や家族の愛情に包まれているから」などの説明がなされてきましたが、「貧困専業主婦」が実際に幸福なのかどうかはやはり誰も確かめていません。

これは今後の調査を待つしかありませんが、仕事を辞めて貧乏になった彼女たちが、その選択を(無意識に)擁護するために「わたしは幸せでなければならない」と考えるようになる、というのはじゅうぶんあり得ることではないでしょうか。

参考:ウィリアム フォン・ヒッペル『 われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか 進化心理学で読み解く、人類の驚くべき戦略 』(ハーパーコリンズ・ノンフィクション)
周燕飛『貧困専業主婦』(新潮選書)

『週刊プレイボーイ』2020年2月10日発売号 禁・無断転載