『ダブルマリッジ』が文庫になりました

知らないうちに、戸籍に妻とは別の女の名前が記載され、重婚状態になっていたら……。

フィリピンを舞台に実際に行なわれている「合法的戸籍操作」(日本政府も認めている)に取材した“国際司法サスペンス”『ダブルマリッジ』が文庫になりました。文庫版のカバーは女性の後ろ姿で、ミステリアスな雰囲気を出しています。

解説は『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」 』の水谷竹秀さんに書いていただきました。

電子版とともに明日発売で、Amazonで予約できます。

書店で見かけたら、手に取ってみてください。

イランはもう戦争しないのではないだろうか? 週刊プレイボーイ連載(416)

昨年11月はじめに1週間ほどの日程でイランを旅しました。ドバイからのテヘラン便には女性客も多かったのですが、ヒジャブ(ベール)姿はほとんど見かけませんでした。飛行機がテヘラン空港に着くと、女性たちはカバンからスカーフを取り出して髪の毛を隠しました。

その様子を見て、最初はイランを訪れる外国人旅行者だと思いました。トルコなどイスラーム圏でも、女性がヒジャブをつけない国があるからです。ところがすぐに、私の予想が間違っていたことがわかりました。

トランプ政権のイラン敵視政策によって、アメリカとの関係はすでに悪化していました。そのためイランを訪れる外国人旅行者は減り、入国管理で外国人用カウンターに並んだのは私以外には一組だけでした。ドバイまでヒジャブなしで過ごしていた女性たちは全員、イラン人だったのです。

イランではシーラーズ、ペルセポリス、エスファハーンなどの世界遺産を回りました。どこも観光客でいっぱいで、ヨーロッパや中国からの旅行者を除けば、そのほとんどは地元のひとたちでした。経済制裁下でもイランの経済は少しずつ成長し、国内旅行できる中間層を生み出していたのです。

どの観光地でもイランの若者たちが夢中になってやっていることがありました。それがセルフィー(スマホの自撮り)です。反政府デモを警戒してイランではFacebookやTwitterなどのSNSは禁止されていますが、“インスタ映え”した自分の写真や動画をアップするサイトがあるのでしょう。

「イスラームは子だくさん」のイメージがありますが、イランでも最近は少子化が進んでいて、都市部では子どもは1人か2人がふつうになったそうです。そんな彼ら/彼女たちが青春を謳歌し“リア充アピール”しているのを見ると、宗教のちがいにかかわらず若者の価値観が急速に一体化していることがわかります。

トランプがイラン革命防衛隊の司令官を殺害したことで、戦争が始まるのではないかと世界が緊張しました。しかし私は、イランのひとたちはもはや戦争を望んでいないのではないかと感じました。

イラン革命に端を発した1980年代のイラン・イラク戦争でイランは数十万人の犠牲者を出し、地方都市には戦場で生命を失った若者たちの肖像がいまも飾られています。その当時の20代はいまでは60代で、ささやかなゆたかさを手にするとともに、海外ではヒジャブを外すくらいには世俗化しています。残酷な戦争の記憶が残るそんな親世代が、(勝てるはずのない)アメリカとの戦争に大切に育てた子どもたちを送り出すでしょうか。

アメリカとイランの緊張状態は、革命防衛隊がテヘラン上空の民間機を誤ってミサイルで撃墜するという思いがけない事態によって鎮静化しました。しかしこの不幸な事故がなくても、結果は同じだったのではないでしょうか。

現時点では、民主化を求めるイラン民衆の反政府デモに「支援」を約束したトランプの一人勝ちで、年末の大統領再選に向けて一歩前進ということになりそうです。

『週刊プレイボーイ』2020年1月20日発売号 禁・無断転載

セルフィーする女子大生たち。鼻が白いのはプチ整形(エスファハーンのマスジェデ・ジャーメ)

『不道徳な経済学: 転売屋は社会に役立つ』[ハヤカワ文庫版]訳者あとがき

1月23日に発売されたウォルター・ブロックの『不道徳な経済学』の「[ハヤカワ文庫版]訳者あとがき」を、出版社の許可を得て掲載します。****************************************************************************************

本書は私がはじめて翻訳した本で、もしかしたら最後になるかもしれない(「監訳」させてもらったものはある)。原書を読んでいるときは、「これを(現代風に)超訳したら面白そうだ」と思ったのだが、実際にやってみると予想外に大変だったからだ。その意味でも、長く読み継がれる本になったことは望外のよろこびだ。

冒頭の「これからのリバタリアニズム」は、旧版の解説「はじめてのリバタリアニズム」を全面的に書き直した。親本が刊行された当時(2006年)、リバタリアンやリバタリアニズムという言葉は一部の専門家にしか知られておらず、それがいったいどのような思想なのかを説明する必要があると考えたが、いまや状況は大きく変わりつつある。リバタリアニズムとテクノロジーが融合した「サイバーリバタリアン」の新たな展開について詳しく述べたのは、共産主義(マルキシズム)の理想がついえたあと、(良くも悪くも)これが唯一の「希望」になると考えているからだ。

まえがきで「本書はそんなサイバーリバタリアンたちに再発見され、熱心に読まれている」と書いたが、ブロックの40年前の本がダークウェブ上の読書会のテキストになっていることは木澤佐登志氏の『ニック・ランドと新反動主義──現代世界を覆う〈ダーク〉な思想』(星海社新書)の指摘で知った。同じ木澤氏の『ダークウェブ・アンダーグラウンド──社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』(イーストプレス)も、サイバーリバタリアン(インテレクチュアル・ダークウェブ)の現在を知るための必読文献だ。

リバタリアニズムはアメリカの政治思想を理解するうえできわめて重要だが、日本ではその紹介が大幅に遅れていた。渡辺靖氏の『リバタリアニズム──アメリカを揺るがす自由至上主義』(中公新書)が出て、ようやくそのギャップもすこし縮まったようだ。リバタリアニズムの入門書としては、20年近く前の本になるが、森村進氏の『自由はどこまで可能か──リバタリアニズム入門』(講談社現代新書)を超えるものはいまだない。

本書をきっかけにリバタリアニズムについてより詳しく知りたいと思ったら、ロバート・ノージックの『アナーキー・国家・ユートピア──国家の正当性とその限界』(木鐸社)に挑戦してみてほしい。1974年に書かれた古典だが、(ブロックの本と同様に)そのロジックがいまでもじゅうぶんに通用するのは、リバタリアニズムが「原理主義」だからだ。

その論理(自由の可能性)をどこまで拡張していけるかは、読者一人ひとりにかかっている。

2019年12月