「凡庸でやさしい男」か「有能でも冷たい男」かの選択 週刊プレイボーイ連載(419)

「オレの気持ちがわからないのか!」「わたしがどう思ってるか気づいてよ!」今日もこんな言葉が日本のあちこちで飛び交っていることでしょう。でもよく考えると、「相手のことがわかる」には2つの異なる能力が必要です。

ひとつは「共感力」で、泣いたり怒ったり喜んだりしている相手の気持ちを自分に重ね合わせて感じることです。この能力が欠けていると、「冷たい」とか「自分勝手」となじられることになります。

もうひとつは相手がなにを考えているかを理解することで、いわば「読心力」ですが、心理学では「こころの理論」と呼ばれます。この能力が欠けていると、相手がなぜそんなふうに感じるのかがわからなくなります。

「こころの理論」を説明する格好のキャラクターが、『スタートレック』シリーズに登場するヴァルカン人のミスター・スポックです。スポックは徹底して合理的ですが共感力がないわけではなく、だからこそカーク船長ら乗組員と友情をつちかい、困難な宇宙の旅をいっしょにつづけることができます。「船長、それは非論理的です」の科白は、人間がなぜいつも感情的な判断をするのかが理解できないからです。

現実の社会でスポックによく似ているのが自閉症のひとたちです。著名な心理学者であるサイモン・バロン=コーエンは、胎児期の過剰なテストステロンなどの影響で「こころの理論」が機能しなくなることを「マインド・ブラインドネス」と名づけました。アスペルガー症候群もこの一種で、泣いている相手に共感して対処しようとしますが、なぜ泣いているかわからないため、コミュニケーションがうまくとれなくなってしまうのです。

ところで世の中には、自閉症とは逆に、「こころの理論」はあっても「共感力」が欠落しているひとたちがいます。これに病名がついていないのは、相手の「こころ」がわかりさえすれば、共感するふりができるからでしょう。

これはいわば「ハート・ブラインドネス」ですが、じつはこのひとたちは、社会的・経済的に大きく成功する比率が高いことが知られています。その理由はとてもシンプルで、ライバルを蹴落として組織のなかで出世するのは、相手のことを完璧に理解したうえで、その気持ちを平然と踏みにじるようなタイプなのです。

これが極端になると「サイコパス」ですが、じつは社会にとって有用なひとたちでもあります。一人ひとりの兵士の事情(子どもが生まれたばかり、とか)を考えていては、軍隊を死地に赴かせる冷徹な判断はできません。会社を窮地から救うのに、社員の家族(子育てしながら老親の介護もやっている、とか)を気にしていたら大胆なリストラなど不可能でしょう。レバノンに逃亡したあの人が典型ですが、グローバル企業の経営者の多くはこのタイプです。

当然のことながら、共感力と冷酷さは両立しません。これは、「仕事のできるイクメン」を求める多くの女性に困難をもたらします。現実には、「凡庸でやさしい男」か、「有能でも冷たい男」かの選択を突きつけられることになるのですから。

参考:サイモン・バロン=コーエン『自閉症とマインド・ブラインドネス』(青土社)

『週刊プレイボーイ』2020年2月17日発売号 禁・無断転載

「わたしは幸福」というひとは「幸福」なのか? 週刊プレイボーイ連載(418)

大統領選に向けてアメリカでは保守派(共和党支持)とリベラル(民主党支持)が憎み合っていますが、反トランプのリベラルにとって「不都合な事実」は、さまざまな調査で保守派の方がリベラルより一貫して幸福度が高いことです。

これについてはさまざまな理由が考えられますが、巷間に広まっているのが、「保守派の方が家族を大切にし、コミュニティ(教会など地域共同体)とのつながりが強いからだ」との説明です。それに対してニューヨークやサンフランシスコのような都会に住むリベラルは孤独で、高給かもしれないけれど長時間のストレスフルな仕事で疲弊し、うつが疫病のように蔓延しているとされます。

徹底的に社会的な動物であるヒトにとって、幸福感は愛情や友情のような人間関係からしか得られません。そう考えれば、「古きよきアメリカ」を体現する古風な生き方にこそ幸福な人生があるとの主張はものすごく説得力があります。だとすれば、幸せになるにはトランプ支持の保守派に鞍替えするしかないのでしょうか。

ところがここで、「コロンブスの卵」のような疑問を抱いた研究者がいました。たしかに保守派はリベラルよりも幸福だと「報告」していますが、実際に幸福なのかどうかは誰も確かめていなかったのです。

アメリカの保守派は「自由と自己責任」の論理を信奉し、リベラルは「平等」な社会を目指し、成功への機会を奪われたマイノリティを支援すべきだと考えます。これはどちらが正しいというわけではありませんが、研究者は、保守派は「幸福かどうかは自分の責任だ」と(無意識に)思っているのではないかと考えました。

保守派にとって「私は不幸だ」と答えることは、「自分には能力が欠けていて、努力が足りず、人生すべてが間違っていた」と認めることになります。誰だってこんな残酷な現実を受け入れたくありませんから、社会調査で一貫して高い幸福度を報告することに不思議はありません。

この仮説を検証するために研究者は、保守派とリベラル派の写真や発言、TwitterなどSNSのビッグデータを調べてみました。すると両者に差がないばかりか、リベラルの方が保守派よりポジティブな言葉を使い、写真でもより大きな笑顔を浮かべていました。実際の行動を見るかぎり、保守派よりもリベラルの方が幸福そうだったのです。

日本では一貫して、子どものいる共働きの女性より専業主婦の幸福度が高いことが知られています。とりわけ衝撃的なのは、(世帯所得が全世帯の所得の中央値の半分に達していない)貧困世帯の専業主婦ですら、3人に1人がいまの生活を「とても幸せ」と答え、「それなりに幸せ」を合わせるとほぼ9割に達することです。

この奇妙な現象については「子どもと一緒の時間が長いから」とか、「夫や家族の愛情に包まれているから」などの説明がなされてきましたが、「貧困専業主婦」が実際に幸福なのかどうかはやはり誰も確かめていません。

これは今後の調査を待つしかありませんが、仕事を辞めて貧乏になった彼女たちが、その選択を(無意識に)擁護するために「わたしは幸せでなければならない」と考えるようになる、というのはじゅうぶんあり得ることではないでしょうか。

参考:ウィリアム フォン・ヒッペル『 われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか 進化心理学で読み解く、人類の驚くべき戦略 』(ハーパーコリンズ・ノンフィクション)
周燕飛『貧困専業主婦』(新潮選書)

『週刊プレイボーイ』2020年2月10日発売号 禁・無断転載

『スター・ウォーズ』はなぜあのような終わり方だったのか? 週刊プレイボーイ連載(417)

1977年にスタートした『スター・ウォーズ』シリーズが、42年の時を経て「スカイウォーカーの夜明け」で完結しました。

1970年代のハリウッドは危機の時代を迎えていました。それまでドル箱として、インディアンが開拓者を襲い、騎兵隊が討伐する勧善懲悪の西部劇を大量につくってきたのに、開拓者(ヨーロッパ白人)こそがアメリカ原住民の土地を奪い、虐殺し、差別してきたではないかと批判されるようになったのです。

その象徴が1970年公開の映画『ソルジャー・ブルー』で、コロラドで米軍が無抵抗のシャイアン族などを女子どももろとも無差別殺戮した「サンドクリークの虐殺」を描いて衝撃を与えました。これ以降、ハリウッドは西部劇をつくることができなくなります。

それでもひとびとは、「善が悪を滅ぼす」楽観的で夢のある物語を求めていました。スター・ウォーズ(ジョージ・ルーカス)の大ヒットの秘密は、PC(ポリティカル・コレクトネス/政治的正しさ)によって封じられた勧善懲悪の大活劇を、舞台を宇宙に移すことによって復活させたことにあるのでしょう。

その後、物語はダースベイダーとルーク・スカイウォーカーの親子の確執へと移っていきますが、強大な銀河帝国に対して同盟軍(共和国)がレジスタンスの戦いを挑むという構図は不変です。

『スター・ウォーズ』第一作が公開されたのは、第二次世界大戦が終わって30年ほどしか経っておらず、「悪の帝国」であるソ連が大量の原水爆を保有していた冷戦時代でした。だからこそ、「全体主義(ファシズム)vs自由民主政(リベラルデモクラシー)」という物語の枠組みを誰もが共有し、楽しむことができました。

しかし、ベトナム戦争、湾岸戦争、とりわけ9.11同時多発テロによって始まったイラクとアフガニスタンへの侵攻によって、アメリカの「正義」は大きく失墜しました。それと同時に、あらゆる紛争において、すべての当事者が「正義」を主張するようになり、どちらかを「絶対的な善」、もう一方を「絶対的な悪」とする問題の解決が不可能になりました。

スター・ウォーズも、物語が進むにつれて、帝国を支配するダース・シディアスがなぜ「悪」なのかわからなくなっていきます。レジスタンスが勝利する大団円を迎えても快哉を叫べないのは、作品の出来不出来の問題ではなく、私たちがもはや勧善懲悪の世界を素直に信じられなくなったからでしょう。

それよりずっと興味深いのは、壮大なスペースオペラの幕引きを、ダース・シディアスの孫であるレイが「私はスカイウォーカーだ」と名乗る場面にしたことです。ここには、「真に重要なのは血統(生物学的に誰の子どもなのか)ではなく、個人の価値観だ」とのメッセージが込められています。

ダイバーシティ(多様性)の時代には、同性愛やトランスジェンダーが広く受け入れられてきたように、「(自分の人生を自分で決定する)自己実現」が至高の価値をもつようになります。その意味で、(PCに合わせて女性になった)主人公のレイが、自分のアイデンティティを自ら選択するラストシーンは、「私がどのような人間かは私だけが決める」現代を見事に象徴しているのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2020年1月27日発売号 禁・無断転載