「一律10万円給付」の背景にある現実空間の歪曲 週刊プレイボーイ連載(429)


治療法のない感染症の本質は、「疫学的な損害」と「経済的な損害」のトレードオフです。感染拡大を防ぐためにロックダウン(都市封鎖)すると、仕事を失って生活できないひとたちが街に溢れてしまいます。それをなんとかするために経済活動を再開すると、人間の移動や接触が増えて感染が拡大します。

世界じゅうで起きている新型肺炎をめぐるさまざまな混乱は、ほぼこのトレードオフで説明できるでしょう。問題は、現在のところ、このふたつの選択のあいだの「狭い道」を抜ける方法を誰も見つけていないことです。

ワクチンができれば感染症は克服できますが、専門家の多くは「開発まで早くても1年半」といっています。そこからワクチンを量産して世界じゅうで接種するには、さらに2~3年はかかるでしょう。「集団免疫ができればいい」という意見もありますが、そのためには人口の6~7割が感染して抗体を獲得する必要があるとされます。感染した場合の死亡率を1%とすると、日本人の7000万人が感染し、高齢者や疾患のあるひとを中心に70万人が生命を落とすことになります。

「解決できない脅威」は、私たちをものすごく不安にします。トレードオフは心理学でいう「認知的不協和」を引き起こし、そのとてつもない不快感から逃れるために、ひとはおうおうにして事実を直視するのをやめて目の前の現実を歪曲します。

その典型がトランプで、最初は「新型肺炎はインフルエンザみたいなもの」といい、感染が拡大すると「特効薬がすぐにできる」と豪語し、死者の山が積みあがるとWHO(世界保健機関)を非難して資金を引き揚げ、いまでは「中国の生物兵器」説を流しています。

しかし私たちも、海の向こうのドタバタ劇を笑っているわけにはいきません。「一律10万円給付」は公明党が連立離脱まで持ち出してしぶる安倍首相を押し切ったとされますが、この経済政策は5月の連休明け、あるいは6月中には感染が収束することを前提にしています。だからこそ、それまでなんとか耐え忍ぶだけの現金を「スピード感」をもってすべての国民に給付すべきだ、という理屈になるわけです。

しかし、そもそもこの前提が間違っていたとしたらどうなるのでしょうか? これから長い「感染症とのたたかい」がつづくとすれば、10万円配ったところでなんの意味もありません。だったらなぜ、こんなことに「連立離脱」を賭けるのか。

この奇妙な政治劇は、「1カ月で感染症は収束しているはずだ」あるいは「収束していなければならない」と現実空間が歪曲していると考える理解できます。

「一律10万円給付」のポイントは、満額の年金を受け取っているひとも給付を受けられることです。当然、高齢者は大喜びでこの政策を支持するでしょう。これは団塊の世代の票で当選している政治家や政党にとって、ものすごく魅力的な提案です。

新型肺炎がすぐに解決するのなら、この機に乗じて支持者に便宜をはかり選挙対策をやっておくのがもっとも合理的なのです、邪推かもしれませんが。

『週刊プレイボーイ』2020年4月27日発売号 禁・無断転載

第89回 お肉券とアベノマスク(橘玲の世界は損得勘定)

新型コロナウイルス感染症対策本部の会合で、安倍首相が全国5000万超の全世帯に布マスクを2枚ずつ配布する方針を明らかにした。それ以前には、自民党農林部会で、需要が急減して苦境にある和牛生産者を支援するとして「お肉券」が提案され、インターネット上で「族議員の利権」などとの批判が沸騰、頓挫する騒ぎが起きた。

いずれの政策も国民から芳しい評価を得たとはいえないが、両者はじつは異なる問題だ。

国民国家の大原則は「無差別性」だ。これは「すべての国民を平等に扱う」ということでもある。当たり前だと思うかもしれないが、近代以前は貴族や武士の家に生まれただけで特別扱いされたのだから、これはとてつもなく大きな社会の変革だった。

「お肉券」はこの無差別性に反するからこそ、はげしい批判を浴びることになった。新型肺炎で売上が落ちた業種はほかにもたくさんあるのに、和牛の生産者だけを救済する正当な理由はどこにもない。

もっとも、本音をいえば農林族の議員たちも、これが無理筋だとわかっていたのではないか。それでも支持者へのアピールとして、「お肉券」を提案して火だるまになる姿を見せる必要があったのだろう(たぶん)。

それに対して「マスク2枚配布」は、全世帯が対象なのだから無差別性の原則をクリアしている。国民の多くが、マスクが手に入らないことに不満や不安を抱いていることも間違いない。

だったらなぜ評判が悪いかというと、「マスク2枚ではどうしようもない」からだろう。20枚配るなら、反応はまったくちがったのではないだろうか。

マスクの感染防止効果には諸説あるものの、この問題の本質は、膨大な需要に対して供給がわずかしかないことだ。需要と供給の法則によれば、このような場合は価格が上がって需要を抑制するが、ドラッグストアなどでは定価販売を続けているために、早朝から長蛇の列ができることになる。

マスクはきわめて稀少で、本来なら値段が高騰するはずだが、行列すれば格安で入手できる。そう考えれば買い占めは合理的な行動で、道徳に訴えてもなんの効果もない。一時は高額転売が元凶とされたが、それを違法にしても状況がまったく改善しないことで、買い占めているのが転売業者だけでなく「ヒマなひとたち」だということが明らかになった。

働いている、子育てや親の介護をしている、怪我や病気で家から出られないなど、早朝から何時間もドラッグストアに並べないひとはたくさんいる。マスクの定価販売は、そのような「ヒマのないひとたち」を最初から排除している。

だとすれば、重要なのはマスク2枚を配ることではなく、「ヒマなひと」だけが一方的に優遇される現状を変えることだとわかるだろう。メディアも政府を高みから批判するだけではなく、この「差別」と向き合い、市場原理の導入(マスクの値上げ)も含めてさまざまな方策を議論することが、いま求められているのだと思う。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.89『日経ヴェリタス』2020年4月18日号掲載
禁・無断転載

企業の最大の社会貢献は「社員を出勤させないこと」 週刊プレイボーイ連載(428)

新型コロナウイルスで東京、大阪などの自治体に次々と緊急事態宣言が出され、緊張感が高まっています。とはいえロックダウン(都市封鎖)のような強硬規制はすでに欧米諸国で当たり前のように行なわれており、同じことが日本でも起きる可能性があることはじゅうぶん予想できました。

感染率は人間の移動と対人接触頻度の函数ですから、それを抑制しようとすれば「移動しない」「他人と接触しない」の原則を徹底するしかありません。これが「ステイホーム(家にいよう)」です。

ところが日本では、緊急事態宣言の直前まで、ほとんどの会社が社員全員を当たり前のように満員電車で出社させていました。安倍首相から「出勤者を最低7割削減」するよう求められてはじめて、「これではマズい」と気づいたようなのです。

日本を代表する生命保険会社は、緊急事態宣言を受けて、それまでの全員出社から「隔日出社」に変えたそうです。これでは5割削減にしかなりませんが、なぜそれ以上減らせないかというと、「自宅ではメールが見られないから」だそうです。

日本でコロナウイルスの感染が見つかったのは1月16日、2月には韓国や台湾など東アジアだけでなくイタリアにまで感染が広がったのだから、準備する時間はじゅうぶんあったはずです。その間、経営陣はいったいなにをやっていたのでしょう。

がっかりするのは、この会社が日ごろからSDGs(持続可能な開発目標)を掲げ、「企業の社会貢献」を高らかに宣言していたことです。

満員電車で出勤する会社員が多ければ、そのぶん、医療関係者や物流、社会インフラなど、どうしても外出しなければならないひとたちが感染リスクにさらされます。感染が拡大して医療崩壊が起これば、多くの生命が失われます。そう考えれば、企業の最大の社会貢献が「社員を出勤させないこと」なのは明らかです。

しかし現実には、一部の先進的な企業を除いて、日本の大企業はマスクと手洗いでじゅうぶんだと考え、社員を会社に集めて閉鎖空間での会議を繰り返していました。なぜなら、ほかの会社もそうしているから。これは「赤信号、みんなで渡ればこわくない」効果です。

さらにがっかりするのは、経団連や連合までが満員電車での通勤を放置し、傘下企業にテレワークの数値目標を示すことすらしていないことです。これまでずっといってきた「企業の社会的責任」や「労働組合の責務」はいったいなんだったのでしょう?

とはいえ、民間企業ばかりを責めることはできません。首相が「出勤者7割削減」を求めた以上、霞が関の官庁は率先して範を示さなくてはなりません。感染症対策に直接の関係がない役所・部門ならテレワーク率8割や9割でもおかしくありませんが、そんな話はどこからも聞こえてきません。

「国会対応があるから」とか「重要な業務だから」というかもしれませんが、かけがえのない仕事をしているのは民間企業も同じです。官庁や自治体は、早急に自分たちのテレワーク率を公表すべきです。

『週刊プレイボーイ』2020年4月20日発売号 禁・無断転載

【追記】この記事について、「日本を代表する生命保険は、私の勤務している会社の事かと存じます」という方からメールをいただきました。それによると「隔日出社」は表向きで、営業部門を自宅待機させることで出社率を下げる一方で、事務部門は毎日出勤するよう命じられているとのことです。「SDGsを掲げ、社会貢献ばかり言っていたのに、嘘のようです」とのことでした。