私たちは、いつ刑務所に放り込まれるかわからない国に生きている 週刊プレイボーイ連載(427)

2003年5月、滋賀県の病院で男性患者(当時72)が死亡します。その2カ月後、看護助手をしていた20代の女性のもとに、滋賀県警の若い男性刑事から電話がかかってきました。刑事は「亡くなった患者に責任を感じないのか」と強い口調で出頭を求め、看護助手は取調室で患者の遺影を見せられ、「人工呼吸器が外れてアラーム音が鳴ったのに適切な処置を怠った」とはげしく叱責されました。

怖くなった看護助手が「鳴った」と認めると、話はさらに奇怪な方向に転じていきます。当初は業務上過失致死だったのに、人工呼吸器のチューブを引き抜き、酸素の供給を遮断して殺害したことにされたのです。

裁判で元看護助手は無罪を訴えますが最高裁で実刑が確定、刑務所に12年間収監されました。2017年に満期出所すると、家族や支援者に押されて再審請求を起こし、その過程で、警察が「患者は呼吸器のチューブ内でたんが詰まり、酸素供給低下状態で死亡した可能性が十分にある」と鑑定医が述べた捜査報告書を作成していたことが明らかになりました。驚くべきことに、警察は都合の悪いこの報告書を検察に送っていなかったのです。

元看護助手の弁護を担当した井戸謙一弁護士によると、彼女には「発達障害の一つであるADHD(注意欠陥多動性障害)と軽度の知的障害」があり、若い担当刑事は「(自供のあと)急にやさしくなって、彼女の話を熱心に聞き励ますようになった」といいます。「若い男性と親身に話をした経験がなかった彼女は、その若い刑事に恋愛感情を抱きます。(中略)刑事への関心を引き付けたいという思いと(略)自責の念が入り交じり、パニックになって『チューブを抜いた』と述べてしまったのです」(「無実の罪晴れてなお」朝日新聞2020年4月1日)。

警察ではマスコミで大きく報じられる事件が「手柄」とされており、所轄にとっては、たんなる業務上過失致死(うっかりミス)より「殺人事件」の方がずっと魅力的です。取り調べで「ホシを落とす」ことが“一流のデカ”の証明とされてもいたのでしょう。若い男性刑事は発達障害の被疑者を操って殺人事件をでっちあげ、上司もそのことを知っていて、ウソがばれそうになって組織ぐるみで隠蔽したのです。

再審での無罪判決のあと、滋賀県警は「無罪を真摯に受け止め今後の捜査に生かしたい」とコメントしただけで、無実の市民を冤罪で12年間も刑務所に送り込んだことへの謝罪はいっさいありませんでした。大津地検にいたっては、「自白の任意性を否定した指摘には承服しかねる点も存在する」と判決を批判し、まるで警察にだまされた自分たちが「被害者」のような態度です。

カルロス・ゴーン日産元会長は逃亡先のレバノンから、取り調べに弁護士の立ち合いを認めない日本の司法制度をはげしく批判し、海外メディアも「まるで中世の魔女裁判」と報じました。それに対して検察は、起訴後の有罪率が極端に高いのは「精密司法」だからだと反論しましたが、「精密さ」の実態がこれです。

私たちは、いつ冤罪で刑務所に放り込まれるかわからない国に生きているのです。

参考:「西山さん無罪 15年分の涙」朝日新聞2020年4月1日

『週刊プレイボーイ』2020年4月13日発売号 禁・無断転載

ヒトの本性は利己的か、利他的か 週刊プレイボーイ連載(426)

生き物であるヒトにとって、もっとも根源的な欲望とはなんでしょう? それは「生きたい」です。

「生き死には神がお決めになるもの」と説教する宗教家や、「他人のために生きるべきだ」と語る篤志家もいるかもしれません。しかしひとたび感染症が蔓延すると、社会の表面を覆っていた薄いヴェールがはがされて「ヒトの本性」が露わになってきます。

「人間は“利己的な遺伝子”によって設計されている」という進化論の考え方は、「リベラル」なひとたちからずっと嫌われてきました。進化の頂点に立つ人間は、“動物”とはちがって、利他性という素晴らしい資質をもって生まれたというのです。

この「美しいお話」はとても人気がありますが、いま大きな挑戦を受けています。ヒトの本性が利他性なら、ドラッグストアの長蛇の列や、あっという間に空になってしまうスーパーの食品売り場をどう説明できるのでしょう。「買い占めをするとほんとうに必要なひとが買えなくなる」とどれほど「道徳」に訴えても、利他的な行動などどこからも現われず、ますます行列が長くなるだけです。

新型肺炎でわかったのは、「このままでは死んでしまう(かもしれない)」という圧力をほんのちょっとかけただけで、ひとの行動は激変するということです。それに対して、利他的な方向に行動を変えるのはきわめてむずかしい。なぜなら、ヒトの本性は利己性(自分さえよければ他人はどうでもいい)だから、という話になります。

利他性というのはおそらく、「平和でゆたかで安全」な世の中ではじめて可能になるものなのでしょう。幸福で、守られていて、経済的な不安がないときに、わたしたちはようやく「そういえばほかのひとはどうなんだろう?」と考えるようになるのです。逆にいえば、この条件がひとつでも欠けるとヴェールが裂けて、利己的な本性が前面に出てきます。

疫学的には、人口の7割程度が感染し抗体をもつことで自然に免疫を獲得する(集団免疫)か、ワクチンが開発されれば感染症は克服できます。とはいえ、集団免疫のレベルに達するまでには膨大な死者が予想され、ワクチン開発までには最短でも1年半かかるといわれています。

その間、生命を守りながら経済活動を再開するための方策として抗体検査が議論されています。血清検査で新型肺炎の免疫をもっていることがわかれば、感染のおそれはないのですから、免疫のないひとの代わりにハイリスクな仕事(医療や介護)をすることができます。こうして社会全体の感染リスクを下げれば、マスクなどの保護具を供給することで、抗体をもたないひとも仕事に復帰できるというのです。

よいアイデアのようですが、これがうまくいくには、ヒトの本性が利他的であることが前提になります。「抗体証明」をもつひとは稀少なので、あらゆる業種から高給で勧誘されるでしょう。そのときこのひとたちは、さして条件のよくない(社会的にも評価の低い)「汚れ仕事」をよろこんで引き受けるでしょうか。

抗体検査が実現したとき、わたしたちはヒトの本性がどのようなものか、あらためて見せつけられることになるかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2020年4月6日発売号 禁・無断転載

ひとは自分の行動を合理的に説明できるか? 週刊プレイボーイ連載(425)

神奈川県の知的障がい者施設で入所者ら45人が襲われ、19人が刺殺されるという衝撃的な事件の裁判(横浜地裁)で、元職員(30歳)の被告に求刑どおり死刑が言い渡されました。

新型肺炎のニュースに隠れてしまったものの、この裁判はマスコミ各社によって大きく扱われました。その報道には、はっきりとした共通性があります。それは、「犯行の理由が解明されていない」です。

このような結論に至るには、当然のことながら、「正しく裁判すれば被告の動機がわかるはずだ」との前提があります。しかし、これはほんとうなのでしょうか。すなわち、「ひとは自分の行動を合理的に説明できるのか?」という問題でもあります。

ルール違反をした子どもに対して、親や教師は「なんでそんなことをしたの!?」と問い詰めます。ちゃんと説明できる子もいれば、できない子もいるでしょう。なんと答えていいかわからず黙り込んでしまう子どもは、いつまでも許されずに、居残りとか外出禁止の罰を受けるかもしれません。

誰もが経験したことで当たり前と思うかもしれませんが、これは「自分の行動を合理的に説明できる子ども」と「合理的に説明できない子ども」がいるということです。しかし、ある子どもは意図的にルール違反をし、別の子どもはよくわからずにルールを破っているとしたら、罰せられるのは「合理的な理由でルール違反した」子どもであるべきです。

こんな奇妙なことになるのは、「行動には意図があるはずだ」という最初の前提がまちがっているからです。子どもたちはたいした理由もなくルールを破り、それが見つかって怒られたときに、自分の行動を言語化(説明)できる子どもとできない子どもがいるだけなのです。

ひとは本能的に、理解できないものを恐れます。「なんでそんなことをしたの!?」は教育やしつけのためではなく、「あなたの行動を理解できるように説明して私を安心させなさい」という命令です。だからこそ、言外の意味を的確に把握し、大人が納得する説明ができる言語的知能の高い子どもが許されるのです。

大量殺人事件の犯人に対しても、世間は同じように「合理的な説明」を求めます。なぜなら、そのような異常な行動を理由もなくする人間がいるという不安に、ほとんどのひとは耐えられないから。

そのような強い圧力にさらされれば、加害者はなんとかして「説明」を考え出そうするでしょう。それと同時に、すべての人間は自分の行動を正当化したいという強固なバイアスをもっています。とりわけ今回のような取り返しのつかない事件を起こしたなら、それが間違っていたことを認めるのは自分の「生きている意味」を全否定することになってしまうので、正当化の誘因はさらに強いものになるでしょう。

そのように考えれば、裁判での被告の態度はきわめて「合理的」です。どれほど問い詰めたところで、ひとびとが納得するような合理的な理由などそもそもないのですから。

『週刊プレイボーイ』2020年3月30日発売号 禁・無断転載