日本で安楽死が認められないのは、日本人が「愚か」だから 週刊プレイボーイ連載(441)

難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性が、ネットで知り合った医師2人から鎮静薬を投与され死亡した事件が波紋を広げています。主犯とされる医師はツイッターに「安楽死外来(仮)やりたいなあ」などと投稿する一方で、妻によると頻繁に「死にたい」と訴え自殺未遂もあったとされ、犯行の動機については不明な点が多いままです。

その一方ではっきりしているのは、ALSを患う女性が自らの意思で安楽死を望んだことです。彼女は(パソコンのスクリーン上のキーボードを視線の動きで感知する)視線入力でブログやSNSに自らの思いを投稿していましたが、そこには「惨めだ。こんな姿で生きたくないよ」「すごく辛い。早く楽になりたい」などの言葉が並んでいます。

報道によれば、女性はスイスの自殺ほう助団体の利用を考えたものの、付添人が刑事罰を科せられる可能性を知って断念し、SNSでやりとりするようになった医師に依頼し、報酬として130万円を支払ったとされます。

それにもかかわらず一部の論者は、「やまゆり園事件」を引き合いに出して、これを「優生学」と批判しています。知的障がい者施設で大量殺人を実行した男は、たしかに「重度・重複障がい者を育てることは莫大なお金・時間を失うことにつながる」などと主張し「生命の選別」を正当化しました。しかし今回の事件では、女性は報酬まで支払っているのですから同列に扱えないのは明らかです。

ヒトラーは「戦争は不治の病人を抹殺する絶好の機会である」と述べ、ナチスは知的・身体的・精神的な障がいのある国民を「安楽死施設」で組織的に殺害しました。1979年に元衆議院議員を中心に発足した日本安楽死協会が「末期医療の特別措置法案」の国会提出を目指したとき、「人権派」や身体障がい者団体は「ナチスの優生思想と同じ」と猛烈と批判しました。その結果、団体は法案提出を断念し「日本尊厳死協会」と改名して、「安らかな死」を求めるリビング・ウィルの普及を目指すようになります。

これ以降、日本では安楽死を議論することはタブーになり、それは40年以上経ったいまも変わりません。死の自己決定権について語ろうとすれば、即座に「優生学」のレッテルを貼られ公的空間から排斥されてしまうのです。

オランダやベルギーなどでは安楽死が条件付きで合法化されており、(ALSの女性が望んだように)栄養補給を止めて死に至らしめることを実質的に認めている国はもっと多いでしょう。ではなぜ、日本では議論すら許されないのか。

その理由はきわめて明快で、「日本人の民度が低いから」です。そのときに使われる定番の理屈は、「欧米と比べて同調圧力の強い日本で安楽死を認めれば、社会や家族の都合で生死が決められるようになる」です。これは、「日本人は愚かだから欧米と同じことをするのは無理だ」というのと同じです。

この論理がグロテスクなのは、愚かな日本人を「説教」する自分が特権的に優れていることを当然の前提にしているからです。よりよく死ぬことを求めたALSの女性は、リベラルの“知的優生学”と“自虐史観”の犠牲者でもあるのです。

『週刊プレイボーイ』2020年8月17日発売号 禁・無断転載

第91回 役所で体験した電子政府の実態(橘玲の世界は損得勘定)

1人10万円の特別定額給付金で注目が集まったマイナンバーカードだが、電子証明書の有効期限が切れていたので更新のため区民センターに行ってきた。感染抑制で「不要不急の外出を控えよ」と政府がいっているのに、本人が窓口に行かないと手続きできないのだ。

幸いなことにさほど混んでおらず、番号札を引くとすぐに窓口に案内された。担当者はひとのよさそうなおじいさんで、要件を告げると、申請用紙と「個人番号・電子証明書 暗証番号の控え」という紙を渡された。これは暗証番号を忘れないためのものだという。

それはいいのだが、いざ書こうとすると、担当者がじっと手元を覗き込んでいる。他人に知られてはならない番号なのだから、これはさすがにおかしいが、だからといってにこにこしているおじいさんに面と向かって「見ないでください」と文句をいうのも角が立ちそうで、しかたなくそのまま書いた(このおじいさんに暗唱番号の悪用などできるはずがないと思ったのもあるが)。

その後、専用端末に自分で暗証番号を入力するのだが、この画面は担当者には見えないようになっていた。それから5分ほど、おじいさんがパソコンに向かってうんうんうなって、ようやく更新が終わった。

マイナンバーカードはこれまで、電子申告やコンビニでの住民票・印鑑証明の取得くらいしか使い道がなく、暗証番号を忘れてしまうひとも多かったのだろう。そこで控えを書かせることになったのは理解できるとして、なぜ利用者の個人情報を堂々と担当者が見ているのか。

これはあくまで私の推測だが、最初は利用者の秘密を守るようになっていたはずだ(当たり前だ)。それが平然と暗証番号の紙を覗き込むようになったのは、そうしないと利用者からの質問に対応できないからだろう。

マイナンバーの暗証番号は「署名用電子証明書」「利用者証明用電子証明書」「住民基本台帳用」「券面事項入力補助用」と4種類もある(署名用以外は共通で可)。オンラインの手続きにうとい高齢者などにこれを説明し、さらに自分で端末に入力してもらうには、手取り足取り指導するしかない。なにを書いたか見ずにこれをやろうとすると話がかみ合わなくてトラブルになるので、いつの間にか内容を確認するようになったのではないだろうか。

現場レベルでルールが歪められるのは、「公務員ならなんでもやってくれて当たり前」という利用者側の甘えと、「公務員なのだから信用されて当たり前」という担当者の思い込みがあり、それが過剰な「お世話体質」になっているのではないか。

しかしそれ以前に問題なのは、まったくユーザーフレンドリーではないシステムを、オンラインリテラシーの低い利用者に使わせようとしていることだ。おまけに手続きする担当者のリテラシーも低いと、必然的にこういうことになる。

日本は世界有数の「電子政府」を目指すそうだが、その実態がよくわかった体験だった。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.91『日経ヴェリタス』2020年8月8日号掲載
禁・無断転載

「GO TOトラベル」が失敗するほんとうの理由 週刊プレイボーイ連載(440)

コロナ禍で苦境にある旅行業界を活性化するための「GO TOトラベル」キャンペーンがさんざんなことになっています。これについてはすでに多くの批判がありますが、それをひと言でまとめるなら「場当たり的」になるでしょう。

なぜこんなことになるかというと、新型コロナ対策を「感染抑制」と「経済活動再開」のジレンマ(トレードオフ)にしてしまったからです。感染を防ごうと緊急事態宣言を出せば飲食業や観光業、イベント関連などの事業者が苦境に陥り、かといって経済活動の再開を急ぐとクラスターが発生し感染が拡大してしまいます。「あちらを立てればこちらが立たず」のこの関係がジレンマです。

それに対してトリレンマは、「3つの条件を同時に満たすことができない」ことで、「国際金融のトリレンマ」がよく知られています。「自由な資本移動」「為替相場の安定」「独立した金融政策」の3つを同時に実現することはできないという定理で、先進諸国が為替相場の安定=固定相場制を放棄して自由な資本移動と独立した金融政策を実現する一方、人民元相場を管理する中国は海外送金にきびしい規制を敷いて自由な資本移動を放棄しています。

このようにトリレンマでは、3つの条件のうちひとつをあきらめれば、残りの2つを満たすことができます。そこで新型コロナの問題を、「感染抑制」「経済活動再開」「プライバシー保護」のトリレンマとして考えてみましょう。

日本や欧米諸国が直面しているのは、プライバシー(自由な社会)を維持しようとするために、感染抑制と経済活動再開の両立が困難になる事態です。しかし中国のようにプライバシーを(一定程度)放棄して、感染者と濃厚接触者を特定し強制的に隔離すれば、経済活動を犠牲にせずに感染を抑制することが可能になります。

ところが日本では、本来はトリレンマである問題をジレンマとして扱い、「経済活動を委縮させると不況で自殺者が増える」「経済活動再開によって感染者が増え、大切な生命が失われていく」という不毛な対立をえんえんとつづけています。中国のようにプライバシーを放棄すれば、感染抑制と経済活動再開を両立できるのですから、現在起きている問題の大半は解消するのに……。

誤解のないようにいっておくと、私はべつに「中国のような超監視社会になるべきだ」といっているわけではありません。――日本は「民主国家」なので、国民の多くがそれを望むならべつになってもかまわないと思いますが。

「GO TOトラベル」が迷走する理由は、政権が問題の本質(トリレンマ)を無視してジレンマに対処しようとするからであり、もうひとつの選択肢(プライバシーの放棄)に触れることをぜったいに許さない日本社会の「空気」でしょう。ここを理解しないと、誰が政権を担っても同じことの繰り返しになります。

東日本大震災と福島原発事故での旧民主党政権の場当たり的な対応を批判して、「このようなことは二度と起こしてはならない」と第二次安倍政権が登場しました。それにもかかわらず、今回の「国家的危機」に際して、同じような場当たり的対応をするしかなくなっていることに、この問題の根深さが象徴されています。

『週刊プレイボーイ』2020年8月3日発売号 禁・無断転載