田舎から上京し、東京の私立大学に入学した1978年は、いまから振り返ればフランスのポストモダン哲学が「知的若者」を魅了する時代のさきがけでした。そこから1995年のオウム真理教事件までの「長い80年代」を回想した『80’s(エイティーズ) ある80年代の物語』が幻冬舎文庫になりました。
解説は、同世代で同じ大学で同じ(知的)空気を体験した浅羽通明さんにお願いしました。
多くのひとに手にとってもらいたい、思い入れの深い作品です。
田舎から上京し、東京の私立大学に入学した1978年は、いまから振り返ればフランスのポストモダン哲学が「知的若者」を魅了する時代のさきがけでした。そこから1995年のオウム真理教事件までの「長い80年代」を回想した『80’s(エイティーズ) ある80年代の物語』が幻冬舎文庫になりました。
解説は、同世代で同じ大学で同じ(知的)空気を体験した浅羽通明さんにお願いしました。
多くのひとに手にとってもらいたい、思い入れの深い作品です。
東京高検検事長が新聞記者宅で賭け麻雀に興じていたことが発覚して辞職した事件で、産経新聞と朝日新聞がそれぞれ参加した社員に停職1カ月の処分を発表しました。これに対して、「賭け麻雀で逮捕・書類送検された有名人もいるのになぜ違法行為で処罰されないのか」「一方の当事者が辞職しているのに社内処分が軽すぎるのではないか」などの批判がありますが、これはとりあえず脇に置いておきましょう。
メディアの対応としてきわめて疑問なのは、両新聞社とも、事件発覚後にいちども記者会見を開かず、取材を拒否していることです。自分たちは常日頃、政府や行政、大企業に対して「説明責任」を声高に求めているにもかかわらず、自らの説明責任を平然と放棄するのはダブルスタンダードの極みでしょう。
ここで、「記者会見はやっていないとして、なぜ取材拒否しているとわかるのか?」との質問があるかもしれません。それは、週刊プレイボーイ編集部を通じて私が両新聞社に取材を申し込んだからです。
それに対して朝日新聞からは、以下の2つの理由でインタビューを受けられない旨の回答がありました。
(1) 賭け麻雀をした社員を厳正に処分しており、社としての経緯や見解も公表している。
(2) 取材先との向き合い方など報道倫理に関して見直しを進めており、ホームページでの公表を予定している。
そのうえで「今後も報道機関として説明責任を尽くしてまいります」とのことですが、これで納得するひとはどれほどいるでしょうか。これまで朝日新聞がやったことは、「社内で調査した」「社内で処分を決めた」「社内で改善策を検討している」だけで、外部からのチェックはまったくありません。
不祥事を内輪で適当に処分し、「改善しました」と発表するだけで済ませることを、これまでメディアはさんざん批判してきたはずです。これが許されるなら、モリカケ問題や「桜を見る会」の疑惑も、政府が内部で調査したのだからそれで十分ということになるはずです。
しかしそれでも、朝日新聞は「見直し」公表後、フリーのジャーナリストや海外メディアも加えた記者会見で自らの「説明責任」を果たすつもりがあるのかもしれません(すくなくともそれを否定はしていません)。それに対して産経新聞からは、次の一行がFAXで送られてきました。
「インタービュー取材はお断りさせていただきます」以上です*。
これは自らの説明責任自体をはなから放棄しているという意味で、逆に一貫しています。そしてこれは強調しておかなくてはなりませんが、このような傲慢な態度がとれるのは、他のメディアも同じ穴の狢で、自分たちを批判できるわけがないと高をくくっているからです。その意味で、日本のすべてのメディアが同罪です。
唯一の収穫は、今後、不都合な取材を受けたときにどのような対応をすればいいか教えてもらえたことです。個人的には、産経新聞のシンプルな回答をテンプレにすることをお勧めします。
*回答の全文はこちらで読めます。「インタービュー」は原文ママ。
『週刊プレイボーイ』2020年7月20日発売号 禁・無断転載
経済活動再開を急いだアメリカで新型コロナウイルスの感染者数が記録を更新し、日本も緊急事態は解除されたとはいえ予断を許さない状況がつづいています。とはいえ、欧米で感染爆発が起きたときのような世界的な大混乱が収まってきたことも確かです。そこで、これまでのコロナ禍をいったん「数字」で振り返ってみたいと思います。
「感染のグラウンド・ゼロ」となったニューヨーク州では、3月半ばに200人程度だった1日の感染者は、3月22日のロックダウン開始日に2500人、4月10日は9600人と1万人に迫りました。累積感染者数は7月1日時点で約42万人、累積死者は約3万2000人という驚くべき数字になっています。
ところで、これを100万人あたりに換算すると、感染者は約2万1500人、死亡者は約1700人で、比率はそれぞれ2.15%と0.17%です。さらにこれを逆にするなら、ニューヨーク州民のうち「97.85%は無症状で、99.83%はコロナ禍を生き延びた」ということになります(抗体検査の州全体の感染率は約12%なので、こちらの数字では「88%は感染していない」になります)。
このように、感染者・死者を実数で見るか、比率で見るかで印象はずいぶん変わります。これを行動経済学では「フレームを変える」といいます。
もちろん、500人に1人しか感染症で死なないとしても安心はできません。その1人が自分になるかもしれないからです。知りたいのは全体の平均ではなく、男女、年齢、既往症、居住地などで区分したより詳しいデータでしょう。そのなかから自分にあてはまるカテゴリーを探した方がずっと正確です。
これはたしかにそのとおりですが、実際にやってみるとうまくいきません。ある程度の傾向はわかっても、細分化しすぎると母数が減って統計として意味がなくなってしまうからです。「あなた一人のコロナのリスク」は、ビッグデータは教えてくれないのです。
さらなる問題は検査の精度です。新型コロナの感染を調べるPCR検査は精度が50~70%、(感染していないひとを陽性としてしまう)偽陽性のリスクが1%とされています。6月に厚労省が発表した抗体検査で東京の陽性率は0.1%、1000万人の都民のうち1万人が感染したことになります。
ここで全都民にPCR検査したとすると、精度70%として、1万人の感染者のうち3000人を偽陰性として見逃してしまうことになります。しかしやっかいなのは偽陽性の方で、999万人の非感染者の1%、9万9900人を「感染者」にしてしまいます。検査で「陽性」とされた10万6900人のうち、実際の感染者は6.5%しかいないのです。
感染者と非感染者の数に大きな差があるときに全数検査をすると、偽陽性によって深刻な混乱が起きます。しかし「希望者全員に検査を受けさせろ」と大騒ぎをしていたときに、このことをちゃんと説明したメディアはほとんどありませんでした。――日本は検査体制が整わず結果オーライになったわけですが。
目の前に数字(エビデンス)があっても、示し方次第で判断は大きく変わります。こうして誰もが、「見たいエビデンスだけを見る」ことになるのです。
参考:マイケル・ブラストランド、デイヴィッド・シュピーゲルハルター『もうダメかも 死ぬ確率の統計学』(みすず書房)
『週刊プレイボーイ』2020年7月13日発売号 禁・無断転載