「表現の自由」と「公共の利益」の対立は超監視社会に向かう? 週刊プレイボーイ連載(462)

トランプ支持者が連邦議会議事堂を占拠するという前代未聞の出来事を経て、ジョー・バイデンが、危惧されていた混乱もなく第46代アメリカ大統領に就任しました。今後はオバマ時代の路線に「正常化」させていくのでしょうが、稀代のポピュリストであるトランプが“リベラルによるエリート支配”への反発を追い風に大統領の座を獲得したことを考えると、アメリカ社会の混乱はまだまだ続きそうです。

「われわれは何らかのかたちで戻ってくる。またすぐに会いましょう」と退任の演説をしたトランプですが、共和党を支配しバイデン政権を揺さぶりながら2024年の大統領選を目指すのかと思ったら、暴動を扇動したとしてSNSから「追放」されてしまいました。トランプの最大の権力の源泉はツイッターでの発信力なのですから、これは大きな戦略的失敗に思えますが、本人にはどうしても譲れない事情があったのでしょう。

この「追放事件」で興味深いのは、保守派だけでなくトランプと敵対してきたリベラルのなかからも、フェイスブックやツイッターなど「ビッグテック」への批判が出てきたことです。

人種差別や性差別、フェイクニュースをSNSで垂れ流すトランプは許せないものの、民主的な選挙で選ばれたわけでもない私企業(ビッグテック)が、(誰に発言権があるのかを決める)最高裁をも超越する権力をもつことも許せない。このジレンマによって、トランプ「追放」を容認する者と、(トランプを含む)言論の自由を守ろうとする者でまた裂き状態になってしまったのです。

米自由人権協会の前会長は、暴力を意図的に煽る投稿の削除を「緊急要件」として認めつつも、「表現の自由というのは、発言者のものだけではない。聞く側にも情報や考えを受け取る権利として認められている」と述べています。この論理だとトランプのSNSアカウントは復活されるべきですが、ふたたび暴動を煽るかのような(とはいえ緊急要件とは明確にいえない)投稿があったとしたら、それをどう扱うか判断するのはビッグテックです。これでは問題はなにも解決しません。

ドイツのメルケル首相は、「表現の自由は基本的人権として非常に重要だ。制限は可能だが、立法者が条件を決定すべきで、SNS運営会社の経営陣の決定に従って決めるべきではない」と報道官を通じてコメントしました。私企業に任せておけないのなら国家が決めるべきだとの主張ですが、そもそも政府が大統領(最高権力者)の言論を制限できるかは大いに疑問です。

さらに困惑するのは、ツイッターのジャック・ドーシーCEOが「一個人または一企業が世界の公共の議論を上回る力を持つという危険な前例をつくったと感じる」と投稿したように、ビッグテックは「権力」を振るいたいとまったく思っていないことです。そうなるとやはり「国家が管理するしかない」になるのかもしれませんが、これだと中国がやっていることと区別がつかなくなりそうです。

日本でも有名人の自殺などをきっかけに、「SNSを規制しろ」との声は高まるばかりです。「表現の自由」と「公共の利益」の対立の結末が「超監視社会」だとしても、すこしも意外ではありません。

参考:「「SNS規制は必要最小限に」「陰謀論に流されぬ基礎必要」米自由人権協会前会長は」朝日新聞2021年1月18日

『週刊プレイボーイ』2021年2月1日発売号 禁・無断転載

第94回 人生110年時代 必須な積立投資(橘玲の世界は損得勘定) 

新型コロナの感染拡大にもかかわらず、厚生労働省の人口動態統計(速報)によると、昨年1~10月の死亡数は前年同期より1万4000人も減っている。(新型コロナを除く)肺炎やインフルエンザの死亡減はわかるが、心筋梗塞や脳梗塞も減少。理由はよくわからないものの、どうやら新型コロナの「新常態」は日本人の健康増進に貢献しているらしい。

その一方で、コロナの影響で昨年の出生数は85万人を下まわった。ここまでの日本のコロナ対策をまとめるなら、「高齢者が健康になり、子どもが減り、現役世代が経済的な打撃を受けた」になるだろう。この混乱はいずれ終わるだろうが、わたしたちは、人類史上未曾有の超高齢化がますます加速する世界に生きることになる。

そのときなにが起きるのか。確実なのは、「60代で定年退職して、あとは年金で悠々自適」という人生設計が完全に過去のものになることだ。医療技術の進歩によって、現在30代の4人に1人は110歳まで生きると予想されている。定年から半世紀ちかい老後があるという、SF(サイエンスフィクション)のような世界が現実になりつつある。

だったらどうすればいいのか。老後が長すぎるのが「問題」なのだから、できるだけ長く働いて老後を短くするしかない。

これまでの人生設計の目標(理想)は、定年時に「持家と金融資産5000万円」とされていたが、60歳から半世紀生きるとすると1年あたり100万円、夫婦2人に世帯なら1人1カ月4万円ちょっとだ。これで「安心した老後」が過ごせるだろうか。

そこで「人生100年時代」の目標を、80歳で「年金+1億円の金融資産」としてみよう。これなら110歳まで生きても、年金以外に月30万円(1人15万円)の余裕がある。

大学卒業から80歳まで働くとすると60年、夫婦共働きなら計120年だ。単純計算すると、世帯あたり月14万円、年160万円強(夫婦それぞれが月額約7万円)をずっと積み立てれば80歳で1億円になる。

とはいえ、お金を貯金箱(ゼロ金利の銀行口座)に何十年も入れておくひとはいないだろう。株式の収益率は予測が困難だが、ニューヨーク株価は2000年の1万ドルから20年で3万ドルへと年率5%で上昇している。

これからの60年間、平均年5%で資金を運用できるとすると、1億円貯めるのに必要な積立額は年約30万円、月額約2万5000円でいい。保守的に年3%の運用で考えても、積立額は年60万円、月額約5万円だ。

ここからわかるのは、複利での長期の積み立てがものすごく有利だということだ。「80歳で金融資産1億円」というと雲をつかむように感じるかもしれないが、「世帯当たり毎月5万円の積み立て」なら実現可能に思えるのではないだろうか。

高齢化が進む欧米では、日本にさきがけて「生涯現役(生涯共働き)」が当たり前になっている。「人生100年時代」の人生設計は、これに超長期の積立投資を加えたものに変わっていくだろう。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.94『日経ヴェリタス』2021年1月23日号掲載
禁・無断転載

なんでも一律の不公平は「戦後民主主義」の完成形 週刊プレイボーイ連載(461)

新型コロナウイルスの感染拡大にともなう緊急事態宣言の再発令を受けて、営業時間を午後8時までに短縮する飲食店などに1日6万円の協力金が支払われることになりました。そこで、近所のワインバーにどんな様子か訊いてみました。

マスターによると、「うちくらいの規模(満席で20人ほど)だと、1日6万円なら正直、悪くない金額です。常連さんがいるので店を開けてますが、協力金だけでじゅうぶんだと、(緊急事態宣言期間の)2月7日まで店を閉めたところもけっこうあります」とのことでした。それに比べてかわいそうなのは、飲食店に食材を卸している業者です。わずかな一時金だけで支援の対象から外されているので、ワイン卸商などは閉業するところがたくさん出てくるといわれているそうです。

都心一等地の高い家賃の店と郊外の家族経営の店、100人規模の大型店とカウンターだけの店では、営業時間短縮の影響はまったくちがいます。それにもかかわらず「一律1日6万円」というのはあまりにも大雑把です。案の定、「協力金では家賃や人件費などの固定費が賄えない」として「時短要請」を拒否する店も出てきたようですが、その場合は「店名公表」の可能性があるといいます。

ここで思い出すのは、「1人10万円」という特別定額給付金です。なぜこの国は、こんなに「一律」が好きなのでしょうか。

「個別の経済状況を知るためのシステムがないからだ」というかもしれませんが、そんなことはありません。マイナンバーで個人の収入や資産を把握することはできませんが、法人の申告は国税庁が法人番号で管理しており、データはデジタル化されてサーバーに格納されています。それを使えば事業者ごとの前年度の売上や利益、家賃・人件費などはかんたんに抽出できますから、それに合わせて協力金の額を決めればいいのではないでしょうか。

だとしたら、その理由は「できない」ではなく「やりたくない」でしょう。給付の金額に差をつけたとたん、「なんでうちだけ少ないんだ」「不公平だ」と収拾のつかない混乱になることがわかっているから。

イギリスでは企業が従業員の給与を支払日ごとにオンラインで歳入関税庁に報告する「即時情報(RTI)」システムがあり、政府はそれを使って所得が減った個人を把握しています。自ら支援要請しなくても、所得が減ったひとには「支援金の請求ができます」とのメールが送られてくるとのことです。

困っている個人や事業者だけを手厚く支援する方がずっと合理的に思えますが、日本社会の「平等」とは「みんな一緒」のことなので、それぞれの事情を考慮して扱いを変えるのは「差別」と見なされます。小規模な事業者は「善」、大企業は「悪」との思い込みもありそうです。

こうして、富裕層や公務員、年金受給者などコロナ禍でも収入が変わらないひとにも「一律10万円」を給付し、夫婦で自宅で営業している店にも、高い家賃を払い何十人もの従業員を抱えている店と同じ「一律1日6万円」を支払うことになります。

これこそが、「戦後民主主義」が目指した「平等な社会」の完成形なのでしょう。

参考:「英、コロナ支援6日で 所得補填、要請待たず「プッシュ型」 個人情報の「一元管理」カギ」日本経済新聞2020年12月4日

『週刊プレイボーイ』2021年1月25日発売号 禁・無断転載