最貧困女子と驚きの風俗事情

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2014年12月公開の記事です(一部改変)。10年前の記事なので、いまは多少、状況が変わっているかもしれません。

StreetVJ/Shutterstock

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「プア充」の若者たち

「貧困」を私なりに定義すると、次のようになる。

ひとは人的資本、金融資本、社会資本から“富”を得ている。人的資本は働いてお金を稼ぐ能力、金融資本は(不動産を含めた)財産、社会資本は家族や友だちのネットワークだ。この3つの資本の合計が一定値を超えていれば、ひとは自分を「貧困」とは意識しない。

その典型ルポライター鈴木大介氏が『最貧困女子』のなかで「プア充」と紹介する地方の若者たちだ。彼らの年収は100万~150万円で貧困ラインを大きく下回るが、日々の生活は充実しているのだという。

この本に出てくる28歳の女性は、故障寸前の軽自動車でロードサイドの大型店を回り、新品同様の中古ブランド服を買い、モールやホムセン(ホームセンター)のフードコートで友だちとお茶し、100円ショップの惣菜で「ワンコイン(100円)飯」をつくる。肉が食べたくなれば公園でBBQ(バーベキュー)セットを借り、肉屋で働いている高校の友人にカルビ2キロを用意してもらい、イツメン(いつものメンバー)で1人頭1000円のBBQパーティをする。

家賃は月額3万円のワンルーム(トイレはウォシュレットでキッチンはIH)、食費は月1万5000円程度だから、月収10万円程度のアルバイト生活でもなんとか暮らしていける。負担が重いのはガソリン代だが、休みの日はみんなでショッピングモールの駐車場に集まり、1台に乗ってガソリン代割り勘で行きたいところを回る。宮藤官九郎の「木更津キャッツアイ」で描かれた世界そのままで、彼ら彼女たちの生活は友だち同士の支えあいによって成立している。

誰もが同じような経済状況で貧富の格差がほとんどないから、「生活がキツい」と感じることはあっても自分が「貧しい」とは思わない。不幸や貧困は相対的なものなので、客観的な基準ではプアでも主観的には充実しているひとたちがいることは不思議でもなんでもない。

ちなみに彼女たちは将来についても現実的で、「さっさと彼氏と共稼ぎになったほうが生活も人生も充実」するから早婚が当然で、「(この辺では)女は30代になっても賃金上がらないし、むしろ年食うほどマトモな仕事がなくなる」から、金はなくても体力がある20代で第一子を産んで、30歳になるまでには「気合で」子どもを小学校に上げるのだという。

乏しい資本を社会資本(人的ネットワーク)で補うのは、東南アジアなど貧しい国ではごく当たり前のことだ。そこに日本的な特徴があるとすれば、フィリピンなどでは家族のつながり(血縁)が大切にされるのに対し、地方のマイルドヤンキーたちは「友だち」を社会資本にしていることだろう。

日本における「友だち」とは、たまたま同じクラスになったという偶然から生まれる人間関係のことだ。そこには厳密なルールがあり、同じ学校でも学年がちがえば「友だち」にはならないし(先輩、後輩と呼ばれる)、中学の「友だち」と高校の「友だち」は混じりあわない。同級生からなる5~6人の「イツメン」を強固な核とし、同い年の仲間が30人くらいいて、先輩や後輩を合わせれば100人程度の集団を形成するのが地方の若者たちの友だちネットワークだ。

プア充は地元愛にあふれ友だちを大切にするが、彼ら/彼女たちが人的資本や金融資本をほとんど持たず、「資本」が人的ネットワーク(社会資本)に大きく偏っていることを考えればこれは当然のことだ。 続きを読む →

ファクトチェック廃止の目的は「解釈」の多様性 週刊プレイボーイ連載(630)

メディアの役割は、社会にとって重要な事実(ファクト)を報じるとともに、そのニュースをどう解釈すべきかを示すことです。

フェイクニュースは、事実でないことを「真実」にしてしまいます。ジャーナリズムは隠蔽された事実を掘り起こしたり、冤罪のような誤った事実認定を検証することで「真実」を暴き、政府や法制度に対するひとびとの信頼を維持するという大切な仕事をしています。

事実についての争いは、すべてとはいわないものの、証拠(エビデンス)によってなにが正しいかを決められます。しかし解釈は主観的なものなので、「唯一の正しさ」はありません。

SNSのFacebookやInstagramを運営するMetaは、投稿の信頼性を第三者が評価するファクトチェック機能を廃止し、問題のある投稿にユーザーがコメントをつけられる「コミュニティノート」形式に移行すると発表しました。CEOのマーク・ザッカーバーグは、「ファクトチェックは政治的に偏りすぎていた」と説明しています。

この方針転換に対してリベラルなメディアは、「トランプ次期政権にすり寄ろうとしている」「過激な言論や偽・誤情報が野放しになる」と批判しています。この場合は、「ファクトチェックの廃止」は事実(ファクト)ですが、「トランプへのすり寄り」というのは解釈で、それがファクトである証拠は提示されていません。

Metaのファクトチェックを担当していた通信社や専門機関が、「リベラルに甘く、保守派にきびしい」とトランプに近い政治家やインフルエンサーから強く批判されていたのは間違いありません。

しかしだからといって、ザッカーバーグが保守派の脅しに屈したということにはなりません。保守派の主張が正しく、実際にファクトチェックが偏向していたかもしれないからです。ところがこれを報ずるメディアは、個々の投稿削除の是非を検証するのではなく、一方的に自分たちに都合のいい解釈(SNSが社会を右傾化させている)を押しつけているようにも見えます。

定義上、事実そのものが偏向することはありません。それに対して解釈は、主張する者のイデオロギーによってどのようにも変わるでしょう。そう考えると、この問題を「事実と解釈の関係」として整理することができます。

メディアはこれまで、事実と解釈を一体のものとして独占してきました。事実(ウクライナとガザで多くのひとが死んでいる)を報じるだけでなく、それをどのように解釈するか(ロシアのウクライナ侵攻は許されざる蛮行だが、イスラエルのガザへの攻撃は自衛であり、死傷者が出るのはしかたない)も決めていたのです。

それに対してMetaの新しい方針は、「事実の検証は必要だが、事実に対する解釈は多様であるべきだ」ということになるでしょう。これまで一定の基準(ポリコレ)に適合した解釈しか認めなかったことが、「偏向」と見なされたのです。

保守派は人種や性自認の多様性(ダイバーシティ)に反発していますが、じつは「リベラル」に対して解釈の多様性を求めていたのです。

『週刊プレイボーイ』2025年1月27日発売号 禁・無断転載

「ヤフコメ民」とは誰なのか?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2019年3月22日公開の「ヤフコメの調査から見えてきた 「嫌韓嫌中」など過度な投稿者たちの正体」です(一部改変)。

前回の「SNSは社会を分断させているのではなく、分極化した中高年が好んでネットを使っている」と合わせてお読みください。なお、執筆から5年ちかくたった現在では、多少状況が変わっている可能性があります。

metamorworks/Shutterstock

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エスノグラフィーは「参与観察」とも訳される文化人類学の手法で、「フィールドワーク」の方が馴染みのあるひとも多いだろう。典型的な研究は、アフリカや中南米、南太平洋などの伝統的社会に長期間滞在して、学問的に定型化された手法によって文化や慣習、ひとびとの日常などを記述するというものだ。

その後、エスノグラフィーの手法は先進国の社会に拡張され、黒人や移民などのマイノリティ、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)のような性的少数者のコミュニティが参与観察されるようになった。日本では、1980年代の暴走族を参与観察した佐藤郁哉氏の『暴走族のエスノグラフィー モードの叛乱と文化の呪縛』(新曜社)がよく知られている。

文化人類学者の木村忠正氏は、「偶然の巡りあわせに導かれ」1995年頃からインターネット研究に取り組むようになった。その過程で、ネット上のコミュニティを分析する際にも、エスノグラフィーの手法が使えるのではないかと気づいたという。

アンケートなどを使って量的な社会調査をしたり、インタビューや参与観察でコミュニティを質的に調査する従来の研究に比べて、ネットコミュニティはその性質が大きく異なる。そこでは「定性的データ(インタビューや参与観察)」と「定量的データ(アンケート調査)」の垣根が取り払われ、ひとつの事象をどちらの観点からも分析する必要があるのだ。木村氏はこれを「ハイブリッド・エスノグラフィー」と名づけた。

『ハイブリッド・エスノグラフィー N.C(ネットワークコミュニケーション)の質的方法と実践』(新曜社)では、第1部で「デジタル人類学」のコンセプト・方法論と課題を、第2部でハイブリッド・エスノグラフィーの実践を扱っている。詳しくは本を読んでいただくとして、そのなかでとくに興味深いのは第10章の「ネット世論の構造」だろう。

そこではYahoo!ニュースの協力により、「国内」「国際」などのハードニュースに投稿される膨大なコメント(ヤフコメ)が分析されている。 続きを読む →