「理解できない殺人」で子育てを批判しなくなったのはなぜ? 週刊プレイボーイ連載(480)

2019年9月、茨城県の住宅で夫婦が殺害され、子ども2人が重傷を負う事件が起き、1年半後に埼玉県に住む26歳の男性が殺人容疑で逮捕されました。男性は被害者となんの関係もなく、夫婦殺害の容疑を否認しており、いまだ謎は解けないものの、過去の経歴から「ひとを殺したい」のが動機だとされています。

この男性は16歳のとき、少女2人への切りつけ事件を起こし、殺人未遂容疑で起訴され、医療少年院に送致されています。この事件の前には、猫の生首を学校にもってきて、教師は母親に「次はひとに危害を加えるのではないか」と伝えたといいます。

その後、高校を自主退学した男性は、路上で中学3年の女子生徒の右顎を包丁で切りつける事件を起こし、その2週間後には小学2年生の女児を尾行、逃げようとして転倒したところに小刀を振り下ろし、重傷を負わせています。警察の取り調べでは、「女子中学生の首を狙って刺したが、殺せなかった」「次は確実に殺そうと思い、小さな子を狙って何度も刺した」と供述したといいます。

18年に医療少年院を出たあと、男性は実家に戻って両親と暮らしていたとされ、家宅捜査では、サバイバルナイフなどの刃物十数本のほか、硫黄やアルコール類、フラスコなどが押収され、「理科室のようだった」と報じられました。

ここで思い出されるのは、2014年7月に長崎県で起きた事件です。佐世保市内の公立高校に通う女子生徒が、同級生の女子を自宅マンションに誘い、首を絞めるなどして殺害したのち、遺体の頭と左手首を切断しました。取り調べに対して女子生徒は、「身体のなかを見たかった」「ひとを殺して解体してみたかった」などと供述し、犯行を認めたものの、受け答えは淡々として反省の様子は見られなかったといいます。

ふたつの事件はよく似ていますが、大きく異なるのは報道の仕方です。茨城の事件では、猟奇殺人を起こすような特異な性癖は、現在の精神医学では治療できないことが前提とされています。医療が無力なのに親の説教で矯正できるはずもなく、報道陣は男性の実家を取材したものの、子育てを批判する論調は皆無でした。

長崎の事件では、父親が地元では高名な弁護士で、東大出身の妻が事件の前年にがんで死亡したあと、若い女性と交際し再婚話を進めていたことなどが詳細に報じられました。精神科医を含む識者は、母親の死後、父親がすぐに再婚したのは“心理的虐待”だとか、実母の“喪の期間”は家族で悲しみを受け止めなくてはならないなどと、口々に父親を批判しました。

加害者の女子生徒は成績優秀でしたが、小中学校のときからネコを解剖したり、給食に異物を混入させるなどの異常行動が見られ、事件の5カ月前には就寝中の父親を金属バッドで殴打し、頭蓋骨陥没の重傷を負わせています。事件の2カ月後、この父親は自宅で首を吊って死んでいるのが発見されました。

メディアの抑制的な報道は、このとき「子どもに不利な遺伝子をたまたま受け渡してしまった」というだけの1人の人間を死に追いやったことを反省したのか、それとも、たんに今回の容疑者の両親に話題性が欠けていたのか、どちらでしょうか?

参考:「茨城一家殺傷再逮捕」朝日新聞2021年5月30日
「茨城一家殺傷事件 ヤバすぎる「動機なき殺人」が起こった背景」FRIDAY DEGITAL2021年5月21日
橘玲『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)

『週刊プレイボーイ』2021年6月14日発売号 禁・無断転載

『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』発売のお知らせ

幻冬舎より『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』が発売されます。発売日は6月23日(水)ですが、大手書店には、早ければこの週末に並びはじめると思います。

Amazonでは予約が始まりました(電子書籍も同日発売です)。

この数年、興味をもってきた「心理学のパラダイム転換」「パーソナリティ研究のルネサンス」について私なりにまとめたものです。

この「新しい科学」によると、人間の性格はいくつかの基本的な要素から構成されています。これはふつう「ビッグファイブ」と呼ばれていますが、本書では8つに拡張しています。

この理論の驚くべきところは、きわめて単純な原則の組み合わせだけで、「わたしは何者なのか?」「あのひととはうまくいくのに、別のひととはなぜうまくいかないのか?」という“人類史上最大の謎”に科学が明快な答えを示せることです。

これは人間科学におけるとてつもないブレークスルーで、今後、心理学だけでなく、社会学、政治学、経済学など人間についてのあらゆる議論の基礎になり、社会を大きく変えていくでしょう。

ぜひ私の驚きを共有してください。

 

ファクトチェックは役に立たないばかりか逆効果? 週刊プレイボーイ連載(479)

ネット上には膨大なフェイクニュースが飛び交い、それが社会に大きな影響を与えることが無視できなくなってきました。

アメリカではQアノンが、「コロナのワクチンにはマイクロチップが入っていて、5G電波で操られる」などの陰謀論を唱え、ワクチン接種が進まない理由になっています。このワクチン陰謀説は世界的に広まっており、日本でも県議会議長を務めた自民党県連の重鎮が「(ワクチンを打てば)5年で死ぬ」などと主張していることが報じられました。

こうした誤情報に対抗する武器とされるのがファクトチェックです。「間違った信念は科学的に正しい情報を与えることによって訂正されるはずだ」というのは、至極もっともに思えますが、はたしてこの常識はどこまで通用するのでしょうか?

アメリカの研究者が、「誤情報の訂正にひとはどのように反応するのか」を調べた研究があります。

2001年の同時多発テロで、ブッシュ政権はイラク(サダム・フセイン)が大量破壊兵器を保有していることを理由に開戦に踏み切りました。ところがのちに、イラクには大量破壊兵器は存在しないことが明らかになりました。

研究者はこれを利用して、リベラルと保守で政治的立場が異なる被験者に、ブッシュ大統領がイラク戦争を熱烈に擁護している記事と、その後の訂正記事(大量破壊兵器はなかった)を読んでもらいました。

リベラルな被験者は、もともとブッシュの演説に同意する割合が高くなかったのですが、その根拠が間違っていたことを知ったあとは、イラク戦争の正当性への疑念がさらに高まりました。ファクトチェックによって正しい認識をするようになったのですから、これはよいことです。

ところが保守的な被験者では、まったく予想外のことが起こりました。このひとたちもファクトを呈示されたことで認識を変えたのですが、それは逆の方向だったのです。「大量破壊兵器はなかった」という記事を読んだ保守派は、ブッシュのイラク戦争への支持を大きく高めたのです。

なぜこんなことになるのか。ひとつの説明は、「リベラルは賢く、保守派はバカだ」でしょう。

そこで研究者は、リベラルが誤解している記事(幹細胞研究の禁止)を使って同じ実験をしてみました。するとこんどは、保守派がファクトチェックによって正しい方向に認識を変えたのに対し、リベラルはファクトにほとんど反応しなかったのです。

このことは、「ひとは見たいものしか見ない」だけでなく、「見たくないものを突きつけられると、自分の誤った信念にさらにしがみつく」ことを示しています。ファクトチェックに効果があるのは、自分にとって都合のいい「ファクト」だけなのです。

もちろんこれは、「ファクトチェックなどやめてしまえ」ということではありません。多数を占める政治的に中立(穏健)なひとたちは、ファクトによって正しい認識をもつことが期待できます。しかしその一方で、「ファクト」には社会の分断をさらに拡大する「不都合な効果」があるようです。

参考:Brendan Nyhan and Jason Reifler (2010) When Corrections Fail: The persistence of political misperceptions, Political Behavior

『週刊プレイボーイ』2021年6月7日発売号 禁・無断転載