第100回 続・お宝を教えぬ生保(橘玲の世界は損得勘定)

生保の個人年金の受給開始を60歳から65歳まで5年間延ばしただけで、「責任準備金差額金の清算金」が発生して、約190万円(総受給額の16%)が銀行口座に振り込まれた知人の話を前回書いた。その彼女から、「こんなものを見つけた」と、「年金開始のしおり」という加入者向けの資料が送られてきた。

「ご契約内容を変更する」の項目には、「年金開始日を変更する(年金繰下げ等)」があるが、そこには、受給前に契約者が死亡した場合は死亡給付金の受け取りになり、年金の総受給額より少なくなる場合があるというリスク説明があるだけで、詳しいことは担当者に相談せよとなっている。

これだけでは、繰り下げによってまとまった額の清算金が受け取れるとはまったくわからないので、ほとんどの契約者は真剣に検討することなくスルーしてしまうはずだ。もちろんこれは保険会社の策略で、予定利率の高い「お宝保険」を繰下げ受給されてしまうと、保険会社の持ち出し(赤字)になってしまうからだろう。

この保険会社はSDGsにちからを入れていて、「地球環境や地域社会への貢献」をうたっているが、もっとも大切な「顧客への貢献」を忘れているのではないか――と皮肉のひとつもいいたくなるのは、「年金を毎年すえ置く(当社で預かる)」という選択肢を見つけたからだ。

据え置きを選択すると、「所定の利率」で顧客の年金を一定期間預かり、運用してくれるのだという。この「所定の利率」が保険加入時の利率(彼女の場合は年率4.5%)なら、これもじゅうぶん検討する価値があるが、担当者からはやはり一切説明がなかったという。

本来であれば、年金を据え置いた場合と、受給を繰り下げた場合の総受給額を試算して、保険加入者が有利な方を選択できるようにすべきだ。しかし実際には、保険会社にとって有利な(顧客にとっては不利な)「60歳受給開始」に顧客を誘導しているのではないか。

もうひとつ気づいたのは、年金の受け取り方に「定額型」「逓増型」「前厚型」の3種類があることだ。逓増型では、1年目の年金額の5%が(単利で)毎年増えていく。前厚型では、当初の5年間は増額された年金を受け取り、6年目以降は半額になる。

詳細は書かれていないが、受け取りを後ろ倒しにすればプレミアムが、前倒しにすればペナルティが発生するはずだ。それは総受給額に反映されるので、定額で受け取る標準的な方法に比べて、逓増型や前厚型を選ぶとどの程度の増減になるかもシミュレーションしてもらう必要がある(プレミアムが大きければ逓増型が、ペナルティがなければ前厚型が有利になる)。

こうしたことは、金融商品の仕組みを理解するうえでの常識だが、どうやら保険会社は、顧客が金融リテラシーを身につける手伝いをする気はないようだ。個人年金保険に加入しているひとは、保険の見直しだけでなく、受け取り方もちゃんと考えた方がいいだろう。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.100『日経ヴェリタス』2021年12月25日号掲載
禁・無断転

米中対立は「言うだけ番長」 週刊プレイボーイ連載(504)

「今年はどうなる?」の予想が当たる確率はせいぜいコイン投げと同じというのが相場ですが、数少ない例外のひとつに米中対立があげられるでしょう。

バイデン政権は、国内が共和党支持(保守派)と民主党支持(リベラル)に二極化しているだけでなく、「過激化したリベラル」である左翼(レフト)からもはげしく批判されています。社会が不安定化したときに、特定の国(第二次世界大戦前の日本の鬼畜米英)や特定の集団(ナチスのユダヤ人に対するホロコースト)を悪魔化するというのは、歴史上、繰り返し行なわれてきました。

誤解のないようにいっておくと、もちろん中国にも批判される理由があります。とりわけ新疆で行なわれている監視テクノロジーを駆使したウイグル族への弾圧は、現代のリベラルな社会ではけっして容認できないものです。

とはいえこれは「米中冷戦」というコインの表側で、その裏側には欧米諸国の「コロナ敗戦」があります。コロナの死者・感染者数でみても、経済への影響や財政負担でみても、欧米の民主国家が感染症への対応で失敗したことはもはや否定しようがなくなっています。しかしこれは、「自分たちがもっとも優れている」と信じている(リベラルを含む)欧米の白人たちには受け入れがたい「ファクト」でしょう。――さらにアメリカにとっては、2030年代にGDPで中国に逆転される予想が現実味を帯びてきたという背景もあります。

そんなバイデン政権が昨年末に鳴り物入りで開催した「民主主義サミット」は、オンラインで行なわれたこともあって、まったく盛り上がらないまま、共同声明もなしに閉会しました。中国とロシアを「非民主国家」として排除する一方で、人権団体から「独裁」と批判されているフィリピンのドゥテルテ大統領やブラジルのボルソナロ大統領を招待したことで、すっかり足元を見透かされたようです。北京冬季オリンピックの「外交ボイコット」も、「嫌がらせ」以上の影響力はないでしょう。

米中対立が冷戦から熱戦に発展する可能性はあるでしょうか。これについて興味深いのは、トランプ支持者による連邦議会占拠事件(21年1月6日)の2日後、米軍トップの統合参謀本部議長が、中国人民解放軍のトップに電話で、中国を攻撃する意図はないと説明していた事実が暴露されたことです。

しかしこれは、軍幹部の損得勘定を考えれば不思議でもなんでもありません。米中両軍が衝突すれば兵士に大きな犠牲が出るでしょうし、万が一負ければ(あるいは予想以上の損害を被っただけで)責任をとらされて幹部のクビが飛ぶかもしれません(人民解放軍幹部にとっては生命の保証もないでしょう)。

だとすれば、米中どちらの軍幹部にとっても、危機を煽って多額の軍事予算を確保しつつ、ほんとうに危機が近づいたら、お互いに裏で話し合って丸く収める「言うだけ番長」が唯一の合理的な解なのです。

ゲーム理論によるこうした説明は「机上の空論」とされますが、軍人たちは実際に理論どおりの行動をしていました。今年も米中はお互いに罵り合うでしょうが、事態がエスカレートすることはなく、わたしたちは「ぎすぎすした平和」を享受できると予想しておきましょう。

『週刊プレイボーイ』2021年12月27日発売号 禁・無断転載

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

今年がみなさまにとってよい1年でありますように。

2022年元旦 橘 玲

*一昨年につづいて昨年もどこにも行けなかったので、2013年に訪れたヨルダン・ペトラ遺跡の写真を載せます。狭い岩の間を抜けると、突然、巨大な石の神殿が現われます。