陰謀論とフェイクニュースにまみれた国

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトでロシアのウクライナ侵攻について書いたものを、全6回で再掲載しています。第2回はジャーナリスト、ピーター・ポマランツェフの『プーチンのユートピア 21世紀ロシアとプロパガンダ』(翻訳:池田年穂/慶応義塾大学出版会)の紹介です。(公開は2022年4月15日。一部改変)

サンクト・ペテルブルクのマクドナルド。ウクライナ侵攻により撤退が決まった(2011年9月@Alt Invest Com)

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ウラジミール・プーチンがロシアのメディアで、スカイダイビングをしたり、深海に潜ったり、鍛えられた筋肉を見せつけるなど、ハリウッド映画のヒーローのように演出されていることはよく知られている。

10年以上前のことなので詳細は覚えていないのだが、たまたま見たBSのドキュメンタリーでロシアのテレビ局を取材していて、日本人ディレクターの「なぜ大統領をこんなふうに演出するのか?」との質問に、編集幹部が「先進国のひとには理解できないでしょうが、ロシア国民は愚かなので、このようにしないと社会が安定しないのです」と答えていて驚いたことがある。

ピーター・ポマランツェフはロシア(ウクライナ)系イギリス人で、2006年から10年までモスクワのテレビ局でリアリティショー(ドキュメンタリー)の制作に携わった。そのときの体験を書いたのが“Nothing is True and Everything is Possible(どこにも真実はなく、すべては可能)”で、14年に出版されると英米で大きな反響を呼んだ。日本では18年に『プーチンのユートピア 21世紀ロシアとプロパガンダ』として翻訳されている。

ピーターは1977年にソ連時代のキエフ(現在のウクライナのキーウ)のユダヤ人家庭に生まれ、反体制派作家だった父親の亡命にともない78年に西独に出国、80年にイギリスに渡った。91年にソ連が崩壊すると、ロシア語を活かして大学卒業後の2001年からモスクワに滞在し、メディアの仕事をするようになる。

ゼロ年代はじめのロシアでは「先進国イギリスの帰国子女」はある種の特権層で、テレビ制作会社の下っ端であるにもかかわらず、ピーターは政治家、企業人、新興財閥(オリガルヒ)からギャング、高級娼婦までさまざまなひとたちと知り合うことができた。本書には、そんな彼ら/彼女たちの生態が軽妙な筆致で描かれている。

ロシアでは「ピートル」と呼ばれていた彼は、現在のロシアを「ポストモダンの独裁政」だと述べている。これは、歴史家ティモシー・スナイダーの主張と同じだ。

[参考記事]●ロシアは巨大なカルト国家なのか?

大金持ちのパトロンを探すゴールドディガー(金鉱掘り)

ロシアの書店には、「億万長者をしとめる方法を若い女性たちに伝授する自己啓発本」がずらりと並んでいる。なぜならロシアでは、女性が成功する唯一の方法は富裕層の男(オリガルヒ)の愛人になり、あわよくば妻の座に収まることだからだ。そんな女たちは「ゴールドディガー(金鉱掘り)」と呼ばれている――という話からピーターは本書を始める。

日本でも同じように考えている女性はいるだろうが、ロシアの特徴は、先進諸国では「言ってはいけない」とされている話題が公然と認められていることだ。

ロシアのテレビ界では、女性から仲介料を受け取り、金持ちの男を紹介する「マッチメーカー(ぽん引きは違法なのでこう自称する)」の男がセレブ扱いされている。10代のゲイの青年たちを使って、モスクワの鉄道駅で、「何でもよいから新しい人生を見つけようとやってきた脚の長いしなやかな身体つきの若い女」に片っ端から声をかけるのだという。

ピーターがテレビのドキュメンタリー番組のために取材した「ゴールドディガー・アカデミー」は、大金持ちのパトロン(シュガーダディー)を見つけるための専門学校のひとつだ。同様の学校はモスクワやサンクト・ペテルブルクに数十校あり、「ゲイシャ・スクール」とか「How to Be a Real Woman(本物の女になる方法)」などの校名がつけられている。

生徒たちは毎週1000ドル(約12万円)の受講料を払い、「高級住宅街に出かけなさい。地図を片手に持って、道に迷っているふりをしなさい。お金持ちの男性が近づいてきて、どうしたのと言ってくれるかもしれませんよ」というような講義を、丁寧な字でノートに取っている。

この高額の学費からわかるように、アカデミーの生徒はすでになんらかの成功を収めた若い女性たちだ。ピーターが取材した東ウクライナのドンバス地方出身のオリオナは、20歳のときにほとんど無一文でモスクワに出てきて、カジノでストリッパーとして働きはじめた。踊りがうまかったためスポンサー(シュガーダディー)に見初められ、アパートの家賃、月4000ドル(約48万円)の生活費、自動車、トルコかエジプトで過ごす年2回それぞれ1週間のバケーションをあてがわれている。

22歳になったオリオナは、ゴールドディガー予備軍の18歳の女の子が列をなしているため、スポンサーが自分と別れるつもりではないかと心配している。そこで監視の目を逃れつつ、アカデミーに通ってスキルを磨き、「若い女性を探すスポンサーと、スポンサーを探す若い女性のためだけに設計された」クラブやレストランで“パパ活”しているのだ。ちなみに、スポンサーはつねに愛人たちの浮気を警戒していて、オリオナの場合、ボディガードが買い物のふりをしてふらっと現われるだけだが、カメラで監視されたり、私立探偵に尾行されたりする女の子もいるという。

オリオナたちが探すスポンサーは、『フォーブス』誌の世界長者番付に名前が載っていそうなことから「フォーブス」と呼ばれている。それに対して女の子たちは、「仔牛(チョーロク)」だ。1人の「フォーブス」に対して何十、何百という「仔牛」がいるから、競争はきわめてきびしい。

ナイトクラブは、中央にダンスフロアがあり、壁に沿って「開廊(ロッジア)」が設けられている。フォーブスたちは暗くしたロッジアに陣取り、数百人の女たちは下のフロアで踊りながら、上に呼ばれることを期待する。

ロッジアに招かれると、女の子たちは数百ドルでフォーブスにフェラチオをする。これはお金のためではなく、自分の顔を覚えてもらうためだ。だがオリオナは、こんな売春婦のようなことをしていては逆効果だという。フォーブスはセックスをタダ同然で提供する女の子たちに囲まれているのだから、その要求をまずはきっぱり断らなければ興味をもってもらえないのだ。

男は最上階まで連れていってくれるエレベーター

ピーターが取材したゴールドディガー・アカデミーの卒業生のなかには、秘書や通訳として働いている女性もいた。ロシアを訪れるドイツ人ビジネスマンの通訳をしているナターシャは、「固定観念にとらわれていない(No Complex)」という条件で応募した。これは「依頼人とセックスすることも厭わない」という暗号で、秘書や個人助手を募集する広告のいたるところで見かける。

「ロシア人の男たちは選択肢が多すぎて増長しすぎよ。西側の男たちの方がよっぽど手玉にとりやすいわ」というナターシャは、ドイツのエネルギー会社幹部の愛人で、彼がミュンヘンに戻るときはいっしょに連れていってほしいと考えている。

ポップスターを目指すレーナは、「どこかのオフィスで休みもなく働き詰めだなんて、まるっきり理解できないわ。(略)男の人は最上階まで連れていってくれるエレベーターだから、わたしはそれに乗るつもりよ」という。モスクワではレーナのような女の子を「歌うパンティ(シンギング・ニッカー)」と呼ぶが、有力なスポンサーさえつけば才能は大した問題ではない。

アカデミーでは、MBAをもつ赤毛のインストラクターが「フェミニズムは間違っています。どうして女性が仕事に命をかけなければいけないのですか? それは男性の役目です」と教えている。そして、「殿方からプレゼントをもらいたければ、理性がなく、感情に動かされやすい左側に立つのです。彼の右側は理性的です」とか、「あなたは膣の筋肉をぎゅっと締めること。そうです、膣の筋肉です。そうすれば、瞳が大きくなるので、もっと魅力的に見えます」というような講義を大真面目でやっている(もちろん生徒たちもみな真剣だ)。

ピーターはこの学校の実態を知り合いの大富豪に話した。「俺があの娘たちのことを何と呼んでいるか知っているかい?」と大富豪は訊いた。「カモメだよ。海岸のカモメのように、ゴミ捨て場の上をぐるぐるまわりながら飛んでいるからね」

サンクト・ペテルブルクは18世紀に、ピョートル大帝によって「東のパリ」として建設された。モスクワは21世紀はじめの原油高で再開発が進み、ソ連時代の建物の多くが壊され高層ビルに置き換わった。

ロシアにはスラブ系だけでなく、スターリン時代にフィンランドやバルト三国などからソ連に連行・強制移住させられた北欧系の子孫も多い。その結果、パリやロンドンのような街並みを金髪碧眼の老若男女が行きかい、自分がどこにいるのかわからなくなることもある。

ところがロシアで働いたり暮らし始め、その内側にすこしでも入ると、西欧の常識とはまったく異なる論理で社会が動いていることに気づくようになる。この「酩酊感」のようなものを、ピーターは「ポストモダン」と呼んだのではないだろうか。それは「モダン=近代」を超克した世界ではなく、近代社会のように見える前近代、すなわち「モダンの偽物」なのだ。

こうした「ポストモダン」はマスメディア、とりわけテレビ制作の現場で顕著で、西側の常識を前提とする者たちを混乱させ、驚愕させ、絶望させることになる。

エミー賞にノミネートされたロシア国営テレビ

国営の放送局ロシア・トゥデイ(RT)は、BBCワールドやアルジャジーラに相当する24時間放送の英語(アラビア語とスペイン語もある)ニュース専門チャンネルだ。1年に3億ドル以上の予算が組まれ、「世界の出来事に対してロシアの価値観を述べる」使命を帯びている。

ロシアのウクライナ侵攻でブロックされるまで、RTはYouTubeでもっとも視聴されているチャンネルのひとつで、視聴者は10億人にのぼった。イギリスでは視聴率3位のニュースチャンネルだったという。

RTの人気の秘密は、「メディアはウソばかり報じている」と考える欧米の特定の政治層を魅了するコンテンツを揃えたことだった。ウィキリークスのジュリアン・アサンジはRTで対談を行なったし、「アメリカの世界秩序と戦うアメリカ人の学者、9.11陰謀説を唱える者、反グローバリスト、ヨーロッパの極右派」など、欧米の主流メディアが無視している人物を次々と出演させた。イギリスのEU離脱の立役者の一人、イギリス独立党の党首ナイジェル・ファラージも頻繁にゲスト出演していた。

RTに登場するのは、欧米の右派・極右・陰謀論者だけではない。「ウォール街を占拠せよ」などの占拠運動(オキュパイ・ムーヴメント)を伝えたことでRTは(なんと)エミー賞にノミネートされ、左翼(レフト)からは「反覇権的(アンチヘゲモニック)と評価されたという。

『ラリー・キング・ライブ』で知られるラリー・キングは、CNNを去ったあと、2012年7月から新番組『ラリー・キング・ナウ』を始めたが、それはRTアメリカで放映された。キングが個人で設立したOra TVで制作した番組をライセンスしただけだというが、ロシアとの関係を批判され、ウクライナ侵攻後の22年3月、Ora TV はRTアメリカのために制作していた番組の制作をすべて中止し、事業を停止すると発表した。なお、キング自身は19年に脳卒中の発作を起こし、21年1月にコロナにより死亡している。

ロシアの英語放送局RTは、アメリカやイギリス、あるいはEUの「権力」を批判し、エリートたちの「陰謀」を暴露することで、EU懐疑派やトランプ支持者の人気を博した。だが国営メディアである以上、ジャーナリズムとしてのこの「批判精神」は、ロシア国内の権力に向けられることはなかった。

ピーターがRTの理念について訊ねたとき、編集局長は「客観的な報道などというものは存在しないな」と、ほぼ完璧な英語でいった。

「それではロシアの見解とは何ですか?」と訊くと、「おやおや、どんなときでもロシアの見解は存在しているんだよ」と編集局長はこたえた。「たとえば、バナナを例に挙げてみよう。ある人にとっては食糧になり、別の人にとっては武器になり、人種差別主義者にとっては黒人をからかう道具にもなる」

1980年代の日本で流行したポストモダン思想では、「真実」などというものはなく、すべてはコンテキスト(文脈)によって決まる相対的ものだとされたが、どのような見解も文脈次第で自由につくれるというのはたしかに「ポストモダン的」ではある。

RTに入社したイギリス育ちの英語ネイティブは、すぐに「クレムリンが真実なるものを完全にコントロールしている」ことを思い知らされる。

オックスフォード大学を卒業したばかりのKは、「エストニアが1940年にソ連に占領された」というニュース記事を書き、ニュース局長から「我々はエストニアを救ったのだ」と原稿の書き直しを命じられた。ブリストル大学を出てすぐに就職したTは、ロシアの森林火災を取材して、大統領がうまく対処できていないと書いたところ、「大統領は最前線で消火作業にあたっていると書かなきゃだめだよ」といわれた。

ロシアとジョージア共和国との戦争中には、RTはテレビ画面に「ジョージア人はオセチアでジェノサイドを行なっている」というどぎつく目につくテロップを四六時中流しつづけた(いまはウクライナへの侵略で同じことが行なわれている)。

ピーターはこの「相対主義」に絡めとられないようにドキュメンタリーの道を選んだが、「そうさ、ニュースなんて全部フェイクさ。しょせんゲームみたいなもんだよ、違うかい」と、給料のためにRTにとどまる者も多かったという。

マレーシア航空17便撃墜事件のフェイクニュース

2014年7月17日、ウクライナ東部上空を飛行していたマレーシア航空17便(MH17)が親ロシア派の地対空ミサイルによって撃墜され、乗客・乗員298名全員が死亡した。歴史家のティモシー・スナイダーは『自由なき世界 フェイクデモクラシーと新たなファシズム』(翻訳:池田年穂/慶応義塾大学出版会)で、ロシアのテレビメディアが事件の真相を隠蔽するためにどのように大衆を洗脳し、ロシアの責任を否定したのかを書いている。

MH17が撃墜されたその日のうちに、ロシアの主要テレビ局はそろって、「ウクライナのミサイル」、あるいは「ウクライナの航空機」がMH17便を撃墜したのだと非難し、「真の標的」は「ロシアの大統領」だったと主張した。ウクライナ政府はプーチンの暗殺を計画していたのだが、違う航空機を撃ち落としてしまったというのだ。MH17とプーチンの専用機はまったく別の場所におり、この話にはもっともらしさのかけらもなかった。

翌18日、ロシアのテレビ局は複数の作り話に無数のアイデアを加え、この出来事の新しいヴァージョンをさまざまに撒き散らした。あるテレビネットワークは、ウクライナの航空交通管制官がMH17便のパイロットに高度を下げるよう命じたのだと断言した(まったくの嘘だった)。別のネットワークは、航空交通管制官に命令を下したのは、ウクライナのユダヤ人オリガルヒで州知事でもあるイーホリ・コロモイスキーだったと主張した。するとまた別のネットワークが、コロモイスキーの顔には有罪の相が出ていると語る「人相学」の「専門家」を引っ張り出した。

航空交通管制官の話を広めたロシアのテレビネットワークは、それと同時に、ウクライナの戦闘機が現場にいたと主張しはじめた。さまざまなジェット機の写真(さまざまな場所でさまざまな時間に撮影された)が提供され、旅客機が飛ぶのはありえない高度が持ちだされた。

この惨事から1週間後、ロシアのテレビはMH17便の撃墜について第三の筋書きをでっちあげた。ウクライナ軍が演習中に旅客機を撃ち落としたというのだ。これにもまた、なんの根拠もなかった。

さらには第四の筋書きが登場し、それによるとロシアがMH17便を撃墜したのは事実だが、犯罪行為はいっさいなかった。なぜなら、CIAが飛行機に死体をいっぱい詰めこんで、ロシアを挑発しようとウクライナ上空を飛ばせていたのだという……。

ロシアのテレビ局にとって、辻褄の合う筋書きをつくることはどうでもいいことだった。重要なのは、一つの筋書き(ロシア占領地区の民兵もしくはロシア軍が民間機を撃墜した)を「相対化」することだった。

「何が起きたかを理解し謝罪した個々のロシア人はたしかにいたが、全体としてのロシア国民は、自国の戦争責任や自国のおかした犯罪について深く考える機会を奪われていた」とスナイダーはいう。「ロシアの信頼できる社会学研究所の調査によれば、2014年9月にロシア人の86%がMH17便の撃墜はウクライナのせいだと考え、2015年7月にも85%が相変わらずそう考えていた」のだ。

撃墜事件前の7月12日、ロシアのテレビ局チャンネル1は、ウクライナ内のスラヴェンスクで3歳のロシア人の少年がウクライナの兵士たちに磔にされたという衝撃的な――そしてまったくの作り話――のニュースを報じた。これは証拠がいっさいなく、話に出てくる人物は誰一人存在しないし、残虐行為が行なわれたとされる「レーニン広場」も実在しない。

このことを追及されたロシアの通信副大臣は、「肝心なのはとにかく視聴率なのだ」と説明した。

合理的な人間も陰謀論者になっていく

ピーター・ポマランツェフは10年ちかくをロシアで過ごしているあいだにモスクワっ子の女性と結婚し、娘が生まれた。その後、家族を連れてロンドンに戻ったが、夏休みなどに娘と祖父母を訪ねるのが習慣になっている。そんなピーターは、モスクワの空港に着いたとたん、並行現実(パラレルリアリティ)のなかで生きているような気分になるという。

テレビをつけると、その週のニュースの総集編が放送されている。そのときの様子を、ピーターは次のように書く(適宜改行を加えた)。

身なりのよいプレゼンターが造りの上等なセットを横切り、カメラのフレームに入って、その週の出来事をてきぱきとまとめていく。一見すると、どれもがしごく普通に思える。

ところが、やがてプレゼンターは不意に二カメの方を向き、気づいたときは話が変わっている。西側は同性愛の泥沼に沈んでいて、聖なるロシアだけがゲイのヨーロッパから世界を救えるとか、いわゆる「第五列」、つまり西側のスパイで汚職反対運動家に扮しているが実際は全員がCIAなのがロシアにはごろごろしているとかね――それ以外の誰があえて大統領を批判するだろうか、というわけだ。

西側はウクライナの反ロシア「ファシスト」を支援しており、ロシアを手に入れ、そのオイルを奪おうと躍起になっているとか。アメリカの支援を受けたファシストがウクライナの町の広場でロシア人の子どもを磔にしているのは、西側がロシア人の「ジェノサイド」をもくろんでいるからということになるし、そこらをうろつくロシア憎しのギャングどもにどんな風に脅されているかと訴える女たちが、カメラの前で泣きわめく。

もちろん、こうしたことを正せるのは大統領だけ。だからこそロシアがクリミアを併合したのは正しいことだし、ウクライナに武装した傭兵を送ったのも正しいことで、これはロシアと西側との新たな大戦争のほんの始まりにすぎない。

こうしたフェイクニュースに日常的に触れていると、「事実」と「虚構」のあいだに線を引くこと自体に意味がなくなっていくとピーターはいう。“Nothing is True and Everything is Possible”(真実などどこにもなく、すべてがでっちあげ)とわかっていても、あまりにしょっちゅう嘘を聞かされていると、しばらく経つと、ただ頷くだけになってしまう。そして心のどこかでこう感じるようになる。

「そんなに嘘をついて、何の罰も受けないのなら、それはすなわち、オスタンキノ(テレビメディア)が本物の力を、何が本当で、何が本当でないかを規定する力を持っているということではないのか? だったら、どちらにしても、ただ頷いているほうがいいのではないか?」

このようにしてロシアでは、合理的な人間も陰謀論者になっていく。「みんな嘘だし、動機はどれも腐敗したものであり、信じられる人間は一人もいない」という現実からは、必然的に「すべての背後に闇の手が存在する」という結論が導き出されるのだ。だとしたらやはりロシアは「ポストモダン」の世界で、わたしたちもそこに向かっているのかもしれない。

第1回 ロシアは巨大なカルト国家なのか?
第3回 「プーチンの演出家」が書いた奇妙な小説を読んでみた
第4回 「共産主義の犯罪」をめぐる歴史戦の末路
第5回 ロシアはファシズムではなく「反リベラリズム」
第6回 30年前に予告されていた戦争

禁・無断転載

「批判」と「中傷」はちがうのか? 週刊プレイボーイ連載(530) 

7月15日執筆のコラムです。その後、元首相襲撃犯についてより詳しいことが明らかになりましたが、記録のためそのまま掲載します。

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安倍元首相が奈良市内で選挙演説中に銃撃され、死亡するという衝撃的な事件が起きました。実行犯は41歳の男で、母親が新興宗教の信者になり、多額の献金で家庭が崩壊したことを恨んでいたとされ、この団体が主催した集会に元首相が寄せたビデオメッセージを見たことで、「日本で(この宗教を)広めたと思っていた」「絶対に殺さなければいけないと確信した」などと供述しているようです。

元首相はこの宗教団体の幹部どころか信者ですらないのですから、これは理不尽以外のなにものでもありません。しかし男には、自分が「被害者/善」であり、元首相が「加害者/悪」だという絶対的な確信があったはずです。そうでなければ、犯行を周到に計画し、迷いなく背後から銃弾を浴びせるようなことができるわけがありません。

事件の直後からネット上では、「元首相をSNSなどで“悪者扱い”し、誹謗中傷を繰り返していた者にも責任がある」との意見と、「批判と中傷はちがう」との反論がはげしく対立しました。これは、SNSが大きな影響をもつようになった時代の重要な論点です。

カルト宗教への個人的な恨みと、元首相の暗殺のあいだには巨大な飛躍があります。実行犯が元首相を「悪魔化」していった経緯の解明は今後の捜査・裁判を待たなければならないでしょうが、男が日常的にネットを使っていたらしいことから、「SNSに影響された」との見立てには一定の説得力があります。

それに対して「批判と中傷はちがう」ですが、両者を明確に分ける基準は存在しません。多くの批判には中傷の要素が含まれているだろうし、中傷のなかには事実に基づいたものも多いはずです。

皇族の結婚をめぐる騒動では、ネットニュースに膨大なコメントを投稿したひとたちは、「皇室のため」「日本のため」「本人のため」の正当な批判だと思っていたでしょう。しかし当事者は、そこに底知れない悪意を感じ「複雑性PTSD」に苦しむことになりました。

リベラルな社会では、パワハラやセクハラなどで「本人が傷ついたと感じれば“加害行為”」との基準が定着しつつあります。いまや「そんなつもりではなかった(中傷ではなく批判だ)」という反論は許されなくなりつつあります。

とはいえここには、元首相自身が「愛国者/善」「反日/悪」という二元論を巧みに使って、ポピュリズム的な手法で高い支持を得ていたという背景があります。それがネット世論を分断し、自らの「悪魔化」を招き寄せた側面はあったでしょう。もっとも元首相が、自身の「愛国心」を不当に中傷されていると感じていたこともじゅうぶん考えられますが。

さらにいえば、「元首相を“悪者扱い”していた者にも責任がある」という批判自体が、元首相を批判していたひとたちにとっては中傷以外のなにものでもないでしょう。

このように、善悪二元論にもとづく論争は必然的に「無間地獄」に堕ちていきます。まともなひとはこんな面倒なことには近づかないでしょうから、タコツボのなかで対立が過激化し、収拾がつかなくなっていくというのもSNSでよく見られる光景です。

『週刊プレイボーイ』2022年7月25日発売号 禁・無断転載

ロシアは巨大なカルト国家なのか?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載しています。

今回から全6回で、ロシアによるウクライナ侵攻について書いたものを掲載します。第1回は歴史家ティモシー・スナイダーの『自由なき世界 フェイクデモクラシーと新たなファシズム』(翻訳:池田年穂/慶応義塾大学出版会)の紹介です。(公開は2022年4月7日。一部改変)

モスクワの赤の広場に建つ聖ワシリー大聖堂 (@Alt Invest Com)

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プーチンによるウクライナへの全面侵攻を予測できた専門家はほとんどいなかったというが、歴史家のティモシー・スナイダーは間違いなく、その数少ない例外の一人に入るだろう。

2014年、ロシアはクリミアを占拠し、ウクライナ東部のドンバス地方に侵攻したが、欧米諸国は限定的な経済制裁に止め、その4年後、ロシアはサッカー・ワールドカップを華々しく開催した。

ヨーロッパ(とりわけドイツ)はロシアにエネルギー供給を依存し、中国の台頭に危機感を募らせたオバマ政権もロシアとの対立を望まなかった。「クリミアはソ連時代の地方行政区の都合でウクライナに所属することになっただけ」「ドンバス地方を占拠したのは民兵でロシア軍は関与していない」などの主張を受け入れ、「ロシアはそんなに悪くない」とすることは、誰にとっても都合がよかったのだ。

だがスナイダーは、2018年の『自由なき世界 フェイクデモクラシーと新たなファシズム』でこうした容認論を強く批判した。プーチンのロシアは「ポストモダンのファシズム(スキゾファシズム)」に変容しつつあるというのだ。

スナイダーは中東欧の11か国語を操る気鋭の歴史家で、語り尽くされたと思われていたホロコーストについて、その本質はアウシュヴィッツのガス室ではなく、ナチス(ヒトラー)とソ連(スターリン)による二重のジェノサイドだという新しい視点を提示して大きな反響を呼んだ。

じつは私は、2020年に本書の翻訳を手に取ったとき、プロローグと第1章までで読むのをやめてしまった。「歴史家としては超一流でも、それで現代の国際政治が語れるのか」と疑問を感じたからだ。

今回のウクライナ侵攻で自らの不明を思い知らされ、あらためて本書を読み直してみた。原題は“The Road to Unfreedom; Russia, Europe, America”(アンフリーダムへの道 ロシア、ヨーロッパ、アメリカ)で、フリードリッヒ・ハイエクの“The Road to Serfdom”(隷属への道)を意識しているのだろう。

ハイエクはこの名高い著作で、ソ連の計画経済は必然的に破綻し「現代の農奴制(Serfdom)」に至ると説いた。それに対してスナイダーは、プーチンが行なっているのは歴史の改竄と国民の洗脳で、そこから必然的に「自由なき世界(Unfreedom)」が到来するのだと予見する。

「ロシア正教ファシズム」の教祖

スナイダーによれば、現代のロシアを理解するうえでもっとも重要な思想家はイヴァン・イリインだという。ロシア以外ではほとんど知られていないこの人物は、1883年に貴族の家に生まれ、当時の知識層(インテリゲンチャ)の若者と同様にロシアの民主化と法の統治を願っていたが、1917年のロシア=ボルシェビキ革命ですべてを失い、国外追放の身となる。その結果、理想主義の若者は筋金入りの反革命主義者になり、ボルシェビキに対抗するには暴力的手段も辞さないという「ロシア正教ファシズム」を提唱するようになった。

イリインは忘れられたまま1954年にスイスで死んだが、その著作は、ソ連崩壊後のロシアで広く読まれるようになり、2005年にはプーチンによってその亡骸がモスクワに改葬された。プーチンは、「過去についての自分にとっての権威はイリインだ」と述べている。

イリインの思想とはなんだろう。それをひと言でいうなら、「無垢なロシア(聖なるロシア)の復活」になる。

イリインの世界観では、宇宙におけるただ一つの善とは「天地創造以前の神の完全性」だ。ところがこの「ただ一つの完全な真理」は、神がこの世界を創造したとき(すなわち神自身の手によって)打ち砕かれてしまった。こうして「歴史的な世界(経験世界)」が始まるのだが、それは最初から欠陥品だったのだ。

イリインによれば、神は天地創造のさいに「官能の邪悪な本性」を解放するという過ちを犯し、その結果、人間は「性に突き動かされる存在」になった。性愛を知りエデンの園を追放されたことで、人間は存在そのものが「悪(イーブル)」になった。だとしたらわたしたちは、個々の人間として存在するのをやめなければならない。

興味深いのは、イリインが1922年から38年までベルリンで精神分析を行なっていたことだ。この奇妙な神学には、明らかにフロイトの影響が見て取れる。

人間が存在として悪だとしても、いかなる思想も自分自身を「絶対悪」として否定することはできない。イリインがこの矛盾から逃れるために夢想したのが、「無垢なロシア」だった。邪悪な革命政権(ソ連)を打倒しロシアが「聖性」と取り戻したとき、世界は(そして自分自身も)神聖なものとして救済されるのだ。

ロシアが悪事をなすわけはなく、ロシアに対してだけ悪事がなされる

イリインは、祖国(ロシア)とは生き物であり、「自然と精神の有機体」であり、「エデンの園にいる現在を持たない動物」だと考えた。細胞が肉体に属するかどうかを決めるのは細胞ではないのだから、ロシアという有機体に誰が属するかは個人が決めることではなかった。こうしてウクライナは、「ウクライナ人」がなにをいおうとも、ロシアという有機体の一部とされた。

極左の無法は、極右のさらに大いなる無法によって凌駕するほかないとするイリインにとって、ファシストのクーデター、すなわち愛国的な独裁政こそが「救済行為」であり、この宇宙に完全性が戻ってくることへの第一歩だった。そして、ロシアが聖性を取り戻すには「騎士道的な犠牲」を果たす救世主が必要で、いずれ一人の男がどこからともなく現われ、ロシア人たちはその男が自分たちの救世主だと気づくだろうと予言した。

イリインが理想とする社会は「コーポレートの構造(cooperate structure)」で、国家と国民とのあいだに区別はなく、「国民と有機的かつ精神的に結合する政府と、政府と有機的かつ精神的に結合する国民」があるだけだ。

キリスト教(ロシア正教)ファシズムの社会では、国民は個人の理性を捨てて国家(有機体)への服従を選ばなくてはならない。有権者がすべきことは政権の選択ではなく、「神に対し、この人間界に戻ってきてロシアがあらゆる地で歴史を終わらせるのを助けてくれるよう乞うこと」だけだ。

こうしてイリインは、「ロシア人に自由選挙で投票させるのは、胎児に自らの人種を選ばせるようなものだ」として民主政を否定する。選挙は独裁者に従属の意思表示をし、国民を団結させる儀式でしかなく、投票は公開かつ記名で行なわれるべきだというのだ。

イリインが唱えたのは「永遠に無垢なるロシア」という夢物語であり、「永遠に無垢なる救世主」という夢物語だ。こうして(仮想の)ロシアを神聖視してしまえば、現実世界で起きることはすべて「無垢なロシアに対する外の世界からの攻撃」か、もしくは「外からの脅威に対するロシアの正当な反応」でしかなくなる。

イリイン的な世界では、「ロシアが悪事をなすわけはなく、ロシアに対してだけ悪事がなされるのだ。事実は重要ではないのだし、責任も消えてなくなってしまう」とスナーダーはいう。

ロシアはファシズムによって世界を救う

イリインの神学がソ連崩壊後のロシアで広く受け入れられたのは、それが(ソ連国民が徹底的に教育された)マルクス主義、レーニン主義、スターリン主義と「気味の悪いほど似通っていた」からだ。両者が哲学的起源として共有するのがヘーゲル哲学だった。

ヘーゲルは、「「精神(スピリット)」と呼ばれる何か、すなわちあらゆる思考と心を統一したものが、時代を特徴づける種々の衝突を通して発現する」と論じた。その哲学によれば、カタストロフは進歩の兆しであり、「もし「精神」が唯一の善であるならば、その実現のために歴史が選ぶいかなる手段もまた善である」。

マルクスをはじめとするヘーゲル左派は、ヘーゲルが神を「精神」という見出しを付けてその思想体系にこっそり持ちこんだのだと批判した。マルクスにとって絶対善は「神」ではなく「人間の失われた本質」であり、歴史は闘いではあるが、その目的は人間がその本質を取り戻すことだった。

それに対してイリインなどのヘーゲル右派は、ヘーゲルがいったんは自身の哲学から隠蔽した神を堂々と復活させた。ひとびとが苦しむのは、「資本家」が「労働者」を抑圧するからではなく、神が創造した世界が手に負えないほど矛盾に満ちたものだからだ。だからこそ、選ばれた国家が救世主の起こす奇跡によって「神の完全性」を復活させなければならないし、その高尚な目的のためにはどのような手段も正当化される。

レーニンは、「前衛党(教育を受けたエリート)」には歴史を前に進める権利があると信じていた。「この世界で唯一の善が人間の本質を取り戻すことなのだとしたら、その手順を理解している者がその達成を早めるのは当然のこと」なのだ。

それに対してイリインは、「神の完全性」という究極の目的を実現するためには、暴力的な革命(より正確には暴力的な「反革命」)を受け入れるのは当然だとした。ロシアはファシズムから世界を救うのではなく、ファシズムによって世界を救うのだ。

革命直後のレーニンらは、「自然が科学技術の発展を可能にし、科学技術が社会変革をもたらし、社会変革が革命を引き起こし、革命がユートピアを実現する」という科学的救済思想を唱えた。だがブレジネフの時代(1970年代)なると、欧米の自由主義経済に大きな差をつけられたソ連は、こうした救済の物語を維持するのが困難になってきた。

ユートピアが消えたとしたら、そのあとの空白は郷愁の念で埋めるしかない。その結果ソ連の教育は、「よりよい未来」について語るのではなく、第二次世界大戦(大祖国戦争)を歴史の最高到達点として、両親や祖父母たちの偉業を振り返るように指導するものに変わった。革命の物語が未来の必然性についてのものだとすれば、戦争の記憶は永遠の過去についてのものだ。この過去は、汚れなき犠牲でなければならなかった。

この新しい世界観では、ソ連にとっての永遠の敵は退廃的な西側文化になった。1960年代と70年代に生まれたソ連市民は、「西側を「終わりなき脅威」とする過去への崇拝(カルト)のなかで育っていた」のだ。

マルクス・レーニン主義とイリインの思想は合わせ鏡のような関係で、だからこそロシアのひとびとは、ソ連解体後の混乱のなかで、救世思想のこの新たなバージョンを抵抗なく受け入れることができたのだ。

モンゴルの支配が「聖なるロシア」を生んだ

イリインのキリスト教(ロシア正教)ファシズムと並んでプーチンのロシアで大きな影響力をもつようになったのが、神秘思想家レフ・グミリョフ(1912-1992)の「ユーラシア主義」だ。

ナポレオンのロシア遠征によって近代の衝撃を受けたロシアでは、「スラブ主義(ロシア的共同体)」と「ヨーロッパ化主義(自由とデモクラシー)」の論争が飽きることなく繰り返された。だが初期のユーラシア主義はこのいずれの立場も拒絶し、西欧文化に対するロシアの優越を「モンゴルによる統治」に求めた。

1240年代初め、モンゴル人はルーシの残党をいとも簡単に打ち負かした。一般には「タタールのくびき(モンゴル支配)」はロシアの歴史における屈辱と見なされているが、ユーラシア主義者はこれを逆転させて、「モンゴルによる統治という幸運な慣習」のおかげで、ルネサンス、宗教改革、啓蒙思想などといったヨーロッパの腐敗とは無縁の環境で、新たな都市モスクワを創ることができたのだと主張した。ロシアがキリスト教世界のなかで特別な存在なのは、「タタールのくびき」によって、西欧文明に毒されることなく「無垢な精神=聖なるロシア」を保ってきたからなのだ。

詩人の両親のもとに生まれたグミリョフは、9歳のときに父親がチェカー(秘密警察)に処刑され、自らもスターリン治下の大粛清で、1938年から5年間、1949年から10年間を強制収容所で過ごすことになった。

グミリョフはこの過酷な監禁生活のなかで、「抑圧のなかに閃きの兆を見出し、極限状況においてこそ人が生きるうえでの本質的な真実が明らかにされる」と信じた。ユーラシア主義に傾倒したグミリョフは、「モンゴル人こそロシア人がロシア人たる所以であり、西側の退廃からの避難所である」とし、ユーラシアとは、「太平洋岸から、西端の無意味で病んだヨーロッパ「半島」にまで伸びてゆく、誇るべきハートランド」だと考えるようになった。

グミリョフの神秘思想では、人間の社会性は「宇宙線」によって生まれ、それぞれの民族の起源を遡れば、宇宙エネルギーの大放出にまで辿り着く。西側諸国を活性化させた宇宙線ははるか昔に放たれたため、いまや西欧は没落の途上にあるが、ロシア民族はキプチャク・ハン国軍を破った「クリコヴォの戦い」(1380年9月8日)に放出された宇宙線によって生まれたので、いまだ若く生命力に満ちあふれている。

グミリョフによれば、すべての「健康な」民族は宇宙線から誕生したが、なかには他の民族から生命を吸いとる「キメラ(ライオンの頭,ヤギの胴,ヘビの尾をもつギリシア神話の怪物)のような集団」もいる。この集団とはユダヤ人のことで、「ルーシの歴史とは、ユダヤ人が永遠の脅威であることを示すものだ」という強固な反ユダヤ主義を唱えた。

わたしたちはみな、生命体として宇宙エネルギーの影響を受けているが、まれにこの宇宙エネルギーを大量に吸収し、それを他者に分け与えることができる者がいる。これが「パッシオナールノスチ」で、この特別な能力をもつ指導者こそが民族集団を創る。

イリインのいう「無垢なるロシアを復活させる独裁者」と、グミリョフの「パッシオナールノスチを有する指導者」は、その後、アレクサンドル・ドゥーギンによってウラジミール・プーチンという一人の政治家に重ね合わされることになる。

ロシアは「運命の男」に統治されねばならない

1962年生まれのアレクサンドル・ドゥーギンは、1970年代と80年代にはソヴィエトの反体制派の若者として、ギターを弾き、「何百万人もの人間を「オーブン」で焼き殺す歌を歌っていた」とされる。

ソ連崩壊後の1990年代初め、ドゥーギンはフランスの陰謀理論家ジャン・パルヴュレスコと親しくなった。パルヴュレスコにとって歴史とは「海の民(大西洋主義者)」と「陸の民(ユーラシア主義者)」との闘いで、「アメリカ人やイギリス人は海洋経済に従事することで、地に足の着いた人間の経験から切り離されたがために、ユダヤ人の抽象的な発想に屈してしまう」のだと論じた。フランスのネオ・ファシスト運動の提唱者アラン・ド・ブノワも、「アメリカが抽象的な(ユダヤ的な)文化の代表としてこうした陰謀の中心的な役割を果たしている」とドゥーギンに説いた。

1993年、ナチスの思想を母国ロシアに持ち帰ったドゥーギンは、エドワルド・リモノフと共同で「国家ボルシェビキ党」を設立、97年には「国境のない赤いファシズム」を呼びかけた。ドゥーギンはここで、「民主主義は空疎である。中流階級は悪である。ロシアは「運命の男」に統治されねばならない。アメリカは邪悪である。そしてロシアは無垢なのだ……」という「月並みなファシストの見方」を披露した。

ドゥーギンにとって西欧は「ルシファーが堕天した場所」「世界的な資本主義の「オクトパス」の中心」「腐った文化的堕落と邪悪、詐欺と冷笑、暴力と偽善の温床(マトリックス)」だった。さらには、独立したウクライナ国家は「ロシアがユーラシアになる運命を阻む障壁」だとされた。

プーチン政権誕生後の2005年、ドゥーギンは国の支援を受けて、ウクライナ解体とロシア化を訴える青年運動組織「ユーラシア青年連合」を設立し、09年には「クリミアとウクライナ東部を求める戦い」を予見した。ドゥーギンから見れば、ウクライナの存在は「ユーラシア全体にとって大いなる脅威」だった。

さらには、ロシア正教の修道士で、イリインを改葬したティホン・シュフクノフが、ウラジミール・プーチンこそが、ロシア人が「ウラジミール」と呼ぶ古代キエフの王の生まれ変わりだと唱えた。ウクライナではヴォロディーミルまたはヴァルデマーと呼ばれるこのルーシの王こそが、今日のロシア、ベラルーシ、ウクライナの地を永遠に結びつけることになったというのだ。

このようにして、イリインのキリスト教(ロシア正教)全体主義、グミリョフのユーラシア主義、ドゥーギンの「ユーラシア的」ナチズムという3つの思潮が合流し、「ロシア・ファシズム」が誕生したのだ。

世界を救済し、神の完全性を復活させる壮大なプロジェクト

プーチンは、2004年にウクライナのEU加盟を支持し、それが実現すればロシアの経済的利益につながるだろうと述べたと、スナイダーは指摘する。EUの拡大は平和と繁栄の地域をロシア国境にまで広げるものだと語り、08年にはプーチンはNATOの首脳会談に出席している。

ところが同年のジョージア(グルジア)侵攻が欧米から強く批判されると、一転して2010年には「ユーラシア関税同盟」を設立する。これは「リスボンからウラジオストクまで(大西洋岸から太平洋岸まで)広がる調和的な経済共同体」とされたが、その実態は、「EUの加盟国候補になれそうもないとわかった国々を団結させようとした」ものでしかなかった。

12年1月の大統領選挙直前の論説では、プーチンは「ロシアは元々が無垢な「文明」だった」として、ロシアを国家ではなく霊的な状態として説明した。さらにはイリインを引用して、「偉大なロシアの任務は、文明を統一し結びつけることである。このような「国家=文明」には民族的少数者など存在しないし、「友・敵」を区別する原理は、文化を共有しているかどうかに基づいて定義される」と述べた。

ロシアには民族間の紛争などないし、かつてあったはずもない。ロシアはその本質からして、調和を生みだし他国に広める国であり、よって近隣諸国にロシア独自の平和をもたらすのは許されるべきことなのだ。

このユーラシア主義によれば、ウクライナ人とは、「カルパチア山脈からカムチャッカ半島までの」広大な土地に散らばるひとびとであり、よってロシア文明の一つの要素にしかすぎない。ウクライナ人が(タタール人、ユダヤ人、ベラルーシ人のように)もう一つのロシア人集団にほかならないとすれば、ウクライナの国家としての地位(ステートフッド)などどうでもよく、ロシアの指導者としてプーチンはウクライナのひとびとを代弁する権利を有することになる。だからこそ、プーチンはこう述べた。

「我々は何世紀にもわたりともに暮らしてきた。最も恐るべき戦争にともに勝利を収めた。そしてこれからもともに暮らしていく。我々を分断しようとする者に告げる言葉は一つしかないのだ――そんな日は決して来ない」

プーチンによれば、ヨーロッパとアメリカがウクライナを承認することで、ロシア文明に挑戦状を叩きつけたことになる。「ロシアは無垢なだけでなく寛容でもある」とプーチンは論じた。「ロシア文明を介してのみ、ウクライナ人は自分たちがほんとうは何者なのかを理解できる」のだから。

こうした世界観・歴史観からは、クリミアやウクライナ東部の占拠だけでなく、今回の全面侵攻も「無垢なロシア」を取り戻し、世界を救済し、神の完全性を復活させる壮大なプロジェクトの一部になる。そして今起きていることを見れば、スナイダーがこのすべてを予見していたことは間違いない。

だがここまで読めば、なぜ私がこの主張を受け入れるのを躊躇したのかわかってもらえるのではないだろうか。スナイダーが正しいとすれば、ロシアは巨大な「カルト国家」ということになってしまうのだ。

第2回 陰謀論とフェイクニュースにまみれた国
第3回 「プーチンの演出家」が書いた奇妙な小説を読んでみた
第4回 「共産主義の犯罪」をめぐる歴史戦の末路
第5回 ロシアはファシズムではなく「反リベラリズム」
第6回 30年前に予告されていた戦争

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