いまや「結婚後に夫婦のいずれかの氏を選択しなければならないとする制度を採用している国は、日本だけ」(法務省)になったが、高市政権は「イエには氏はひとつ」という戸籍制度にこだわり、「旧姓の通称使用の法制化」を推進している。世論調査でも、「通称で不便がなくなるのなら、それでいいではないか」との回答が一定数ある。だが、旧姓を通称として使えるようにすれば、すべての問題が解決するのだろうか。
国連の女性差別撤廃委員会から、選択的夫婦別姓制度の導入を4回も勧告されたことで、政府は国家資格などを結婚後も旧姓のまま維持できるよう、法制度の整備に必死になっている。これによってたしかに便利にはなっただろうが、それでも2021年に男女共同参画局が行なったアンケートでは、旧姓で仕事をしている女性研究者などから多くの不満が寄せられている。
たとえば、所得税などの税の納付は、国税通則法によって戸籍上のものを記載するよう規定されており、今後も改正される予定はない。免許証やマイナンバーカードに旧姓併記されると、「既婚者」というプライバシーが第三者に知られるという問題もある。結婚しても姓が変わらない(主に)男性にはこういう問題は起きないのだから、これに違和感をもつ女性がいるのは理解できる。
より深刻なのは、銀行など金融機関の対応だ。旧姓でも(婚姻後の)現姓と同じことが支障なくできるのなら、2つの姓で銀行口座や証券口座を開設し、使い分けることが可能になる。金融機関によっては、現姓と旧姓を紐づけるシステムをつくっているところもあるようだが、異なる銀行や証券会社では役に立たない。そのため、マネーロンダリングなどの犯罪に悪用されるのを恐れて、旧姓での口座開設を認めていない金融機関も多い。
クレジットカードも同じで、未払いなどで利用を止められても、もう一つの姓でカードをつくることができてしまう。こうしたトラブルを避けるには、すべての金融取引を、口座名義ではなくマイナンバーで行なうようにしなければならないが、そんなことが可能だろうか。
「旧姓併記」という制度は日本にしかないので、海外で働いたり、出張などで利用しようとすると、さらなる困難に遭遇する。外務省は、パスポートの旧姓併記については英文の説明書を配布しており、出入国でのトラブルは報告されていないとしている。
だがインターネットには、旧姓併記によるビザの取得が困難で、航空券やホテル予約にいちいち説明が必要になるなどの体験談が多く寄せられている。
海外の金融機関に口座を保有している場合は、口座名義は身分証明書(パスポート)と同一であることが条件なので、旧姓のままでは口座を維持できず、「HANAKO YAMADA(SATO)」のようになる。金融機関のステイトメントは住所確認などに広く使われているので、現姓、旧姓、旧姓併記が混乱してトラブルになることもあるだろう。それでも「通称使用」が大きな問題にならないのは、国民の大半が、海外でこのような体験をすることがないからだ。
保守派は過去に在日韓国・朝鮮人の通名使用を「在日特権」などとさんざん批判しておきながら、同様の問題を引き起こす通称使用を熱心に支持している。「ご都合主義」というのは、こういう態度を指すのだろう。
橘玲の世界は損得勘定 Vol.125『日経ヴェリタス』2025年12月27日号掲載
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