小説『HACK(ハック)』発売に合わせて、ビットコインとダークウェブを組み合わせた闇サイト「シルクロード」をつくった20代のリバタリアン、ロス・ウルブリヒトの物語をアップします(全3回の2回)。
ほんとうは小説のなかに入れたかったのですが、うまくいかずに断念しました。とても興味深い話なので、『HACK』の背景としてお読みください。
小説『HACK』:究極の自由を求めて「ドラッグのAmazon」と呼ばれた闇サイトをつくったリバタリアンの若者(1)
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賢く、親切で、友人たちにも人気のある「アメリカの理想の青年」ロス・ウルブリヒトは、自由を至上のものとするリバタリアンで、国家のよるドラッグ規制に反対していた。
マリファナやコカイン、ヘロインの取引を違法にすることは、国民の安全と健康を守っているのではなく、逆に危険にさらしている。禁酒法と同じで、ドラッグビジネスをアンダーグラウンドの世界に押しやり、中南米ではギャング同士の抗争で死体の山が築かれ、アメリカではヤクの売人以外に仕事がない黒人の若者が大量に刑務所に収監されている。そのうえ、ドラッグの価格を高騰させることで犯罪を招き、粗製品が流通して死亡事故が相次いでいる。これらはすべて、ドラッグを合法化すれば避けられる悲劇なのだ。
そこでこの理想主義の若者は、わずかひと夏で「完全に匿名でどんなものでも取引できるネット・ショッピングサイト」をつくりあげ、それをシルクロードと名づけた。
ドレッド・パイレート・ロバーツ
接続経路を匿名化したブラウザTorと、支払履歴を匿名化できるビットコインを組み合わせたシルクロードでは、ありとあらゆるドラッグを安全に取引することができた。シルクロードはたちまちダークウェブの世界で有名になり、上院議員が「ドラッグのAmazon」と呼んだことでマスメディアに大きく取り上げられた。当然のことながら、捜査当局は「ドレッド・パイレート・ロバーツ」と名乗るシルクロードの首謀者を血眼になって逮捕しようとした。
Dread Pirate Roberts(恐ろしい海賊ロバーツ)はウィリアム・ゴールドマンの小説『プリンセス・ブライド』(1973)の登場人物で、1987年にロブ・ライナー監督で映画化された(邦題は『プリンセス・ブライド・ストーリー』)。病気の孫のために祖父が語る物語で、映画はこんなふうに始まる。
「バターカップはフローリンの農場で育った。彼女の楽しみは乗馬と農夫をいじめること。ウェスリーと名前で呼んでやらなかった。彼女の喜びはウェスリーに命令することだった」
農場の娘バターカップと農夫のウェスリーはやがて恋に落ち、ウェスリーは結婚資金をつくるため旅に出る。ところが乗っていた船が海賊に襲われ、ウェスリーは消息不明になってしまう。その5年後、バターカップは王の世継ぎとの結婚をしぶしぶ承諾するが、そのとき、謎の男ドレッド・パイレート・ロバーツが現われる……という話だ。
この映画はファンタジーもののラブロマンスのパロディーで、日本ではほとんど話題にならなかったが、アメリカ人の笑いにツボにはまるらしく、年齢を問わず誰もが知っている大衆作品となった。Dread Pirate Roberts(DPR)というハンドル名は、ネットのサブカルチャーでは、ドラッグ帝国に君臨する王の名称にぴったりだったのだ。
ロス・ウルブリヒトはシルクロードをオープンしてからわずか2年8カ月のあいだに、FBIが押収したビットコインで約30億円、一説には数百億円もの莫大な富をつくった。今回はウルブリヒトの逮捕からさかのぼって、この「若き天才リバタリアン」の栄光と蹉跌を追っていこう(Nick Bilton “American Kingpin: The Epic Hunt for the Criminal Mastermind Behind the Silk Road”)。
何度かの危機
2013年10月1日午後、ロス・ウルブリヒトはサンフランシスコ市内にルームメイトと借りていた借家を出ると、ラップトップを抱えてWi-Fiのある近所のカフェに向かったが、店内に都合のいい席がなかったので(彼には、背後からパソコンの画面を覗かれない席が必要だった)近くにある小さな公共図書館に目的地を変えた。
ロスが席についてラップトップを起ち上げたとき、丸テーブルの反対側に座っていたアジア系の若い女性が突然、「ファック・ユー!」と叫んだ。彼女の隣に立っている男が拳を握りしめ、殴りかかろうとしたのだ。男のパンチが空を切り、ロスが目の前の騒ぎに驚いている隙に、男に襲われそうになっていた女性がいきなり手を伸ばして彼のラップトップを引き寄せた。取り返そうとした瞬間、背後から2人の男にロスは取り押さえられた。男たちは「FBI! FBI!」と叫んだ。午後3時15分、ドレッド・パーレート・ロバーツことロス・ウルブリヒトは逮捕された。
ここに至るまで、ロスは何度かの危機をかわしてきた。最初はサイトがオープンする前で、ロスは生まれ故郷のテキサス州オースティン郊外に古い倉庫を借り、シルクロードで販売するための大量のマジック・マッシュルームを育てていた。ところが熱波で建物に水漏れが起き、調べに来た大家に違法栽培を発見されてしまう。テキサス州では幻覚キノコの所持は重罪で、警察に通報されれば、ロスは最長で99年の刑に処せられる可能性があったが、大家は「さっさとこれをどこかに持っていけ」とロスに命じただけだった。
その頃ロスは、オースティンのアパートで、ペンシルバニア州立大学の大学院時代に知り合ったジュリアと暮らしていた。ジュリアはロスから、ドラッグのネット販売の計画を逐一聞いていて、最初は面白がっていたものの、それはマリファナやマジック・マッシュルームのようなソフトドラッグ(アメリカの大学生なら誰もが気軽に楽しんでいる)を個人間で取引するのだと思っていたからだ。
ところがシルクロードが有名になり、コカインやクラック、ヘロインのようなハードドラッグが売られるようになると、ジュリアは不安になってきた。彼女は当時20歳前で、法律のことは知らなかったが、それがロスだけでなく自分にとっても深刻な事態を招きかねないことは理解できた。チャック・シューマー上院議員が記者会見でシルクロードを非難するとジュリアは不安を抑えられなくなり、ロスとのあいだで毎日のように口論が起きた。
シルクロードでドラッグだけでなく銃まで売られるようになったとき、2人の衝突は限界を超えた。「こんなの異常よ。いったい誰が匿名で銃を買おうとするの?」と訊くジュリアに対し、リバタバリアンのロスは、「その質問はぼくの責任じゃない。誰がなにを買うかを決めるのはぼくじゃない。それは“人民の選択”だよ」とこたえた。「政府は銃を持つことができて、なぜ人民には同じことができないんだい?」
オースティンには一人も知り合いがいないジュリアは、この問題をじっくり考えたいと、ニューヨークにいる友人のエリカを訪ねることにした。それまでジュリアは、シルクロードのことを誰にも話したことはなかったが、世間知らずの彼女にとって、それは一人で抱え込むには重すぎる秘密だった。ジュリアは、「ぜったいに誰にも話さないで」と念押ししたあと、すべてをエリカに告白した。
秘密を知る友人
ニューヨークからオースティンに戻ったジュリアは、これ以上、ドラッグや銃の取引に巻き込まれたくないと思い、ロスと別々に暮らすことにした。ある日、ロスが泣きじゃくりながらジュリアのアパートの駆け込んでくると、「なんてことをしてくれたんだ」と叫んだ。
その日の朝、ロスはFacebookの個人アカウントに、「ロス・ウルブリヒトのドラッグ・ウエブサイトについて、司法当局は知りたいにちがいない」という投稿を見つけて仰天した。それはエリカが書き込んだもので、誰もが見られるようになっていた。
ロスは慌ててその投稿を消すと、エリカに電話をかけ、「お願いだから、二度とサイトのことを誰にもいわないと約束して」と泣きながら頼んだ。エリカが同意すると、ほかに誰がこのことを知っているのか確認するために、ジュリアのアパートに向かったのだ。
ロスと別居することにしたジュリアは、新たな同居人としてエリカをニューヨークから呼び寄せた。ところが、エリカがシルクロードで買った幻覚剤でバッドトリップし、病院に運ばれたことをきっかけにジュリアとのあいだで激しい口論が始まった。そのときたまたまロスが居合わせて、最初はなんとかなだめようとしたものの、警察沙汰になりそうになったことで、エリカをアパートから追い出した。そのままニューヨークに帰ったエリカは、腹いせにシルクロードのことをロスのFacebookに書き込んだのだ。
ロスからはげしく責め立てられたジュリアは、エリカのほかに誰にも話していないと泣きながら訴えた。そして、これを機会にサイトを閉じるよう頼んだ。それに対してロスは、「お前のせいでオースティンから出なきゃいけなくなった。すべて終わりだ」と言い捨てて、ドアを叩きつけてアパートを出た。
じつはそのとき、ジュリアのほかにもう一人秘密を知っている者がいた。サイトがオープンしたあと、コードのデバッグなどの作業をとうてい一人ではできなくなって、テキサス州立大学時代に知り合ったプログラマーの友人に手伝ってもらっていたのだ。その友人には「極秘のスタートアップ」の仕事だと説明したが、彼はすぐに、シルクロードのためにコードを書いていることに気づいた。
そこでロスは、妹が留学しているシドニーに避難する前に、この問題を片づけることにした。友人もまた、シルクロードが大きな注目を集めたことで、自分にも火の粉が降りかかってくるのではないかと怯えていた。ロスは、彼が誰にも秘密を話していないことを確認したうえで、「あのサイトは譲渡することにした」と告げて安心させた。ジュリアにも、オースティンを離れる前に同じ説明をした。
2人とも、このつくり話を信用した。シルクロードを手放してロスが一時的に身を隠すのなら、自分たちが面倒なことに巻き込まれる恐れもなくなると思ったのだ。その後、ジュリアもプログラマーの友人も、さらにはエリカも、ロスとシルクロードの関係を誰にも話さなかった。
しかしこのことは、ロスに大きな教訓を与えた。一生、刑務所で過ごすことを避けるには、誰にも秘密を知られてはならない。しかしその一方で、サイトが大きくなるにつれて、とうてい一人では管理できなくなってきた。「ドラッグのAmazon」を運営するには、有能なプログラマーのチームがどうしても必要なのだ。
メンターはハッカーの犯罪者
シルクロードがビジネスを拡大するにつれて、さまざまな人間がロスに接触してきた。ドラッグディーラーやその顧客のほかに、ロスの理想に共鳴し、手弁当でサイトの運営を手伝いたいハッカーたちもいた。
そのなかでも、ハンドル名「ヴァラエティ・ジョーンズ」は別格だった。シルクロードでマリファナを売りはじめたジョーンズは45歳のカナダ人で、いまはイングランドに住んでいると自己紹介し、「セキュリティのことについて、君とちょっと話したいんだが」と連絡してきた。
ジョーンズはじつは、シルクロードのサーバーをハックしてすべてのファイルを閲覧し、それが司法当局の囮サイトでないことを確認していた。彼は前科のあるドラッグディーラーだったが、きわめて高い知能とプログラミングのスキルをもち、ドラッグ合法化の大義を支持していた。そして、シルクロードを素人の若者が運営していることに驚き、協力を申し出たのだ。
ジョーンズが最初にやったのは、それまでたんなる「admin(管理者)」だったロスにハンドルネームをつけることだった。そして、映画『プリンセス・ブライド・ストーリー』に出てくる海賊の名前を提案した。
農場の娘バターカップと婚約し、結婚資金をつくるために旅に出た農夫のウェスリーは、「ドレッド・パイレート・ロバーツ」と呼ばれる海賊に襲われ、死んだとされていた。ところがそのウェスリーが、当の海賊として戻ってくる。じつはこの名前は、歌舞伎役者の名跡と同じで、海賊の頭目が代々引き継ぐことになっていた。海賊船に連れ去られたウェスリーは、そこで頭角を現わし、5年のあいだに頭目に出世していたのだ。
「ドレッド・パイレート・ロバーツ(DPR)」というハンドル名の最大の利点は、それが個人と結びつかないことだ。現在の主催者はサイトをつくった者とは別で、それを引き継いだのかもしれない。あるいは、どこかの時点で第三者にサイトを譲渡しても、そのまま同じハンドル名を使いつづけることができる。ロスはこのアイデアを気に入り、それ以降、あらゆることでジョーンズに相談するようになった。
もちろんジョーンズは、善意だけでロスに協力したわけではない。シルクロードは彼のマリファナ販売の拠点だったし、サイトの保守費用として、ロスからビットコインで定期的に少なからぬ報酬を受け取ってもいた。一時期、シルクロードをロスから引き継ぐか、共同経営者になることを提案して、2人の関係が緊張したこともあったようだ。
しかしそれでも、ジョーンズは最後まで裏切ることなくロスを支えつづけた。人生経験も犯罪の経験(刑務所に入ったこともある)もはるかに豊富なジョーンズは、ロスにとってメンターのような存在だった。
時価総額10億ドル以上の「ユニコーン」
ビジネスがさらに大きくなるにつれ、ロスはさまざまな問題に対処しなくてはならなくなった。
シルクロードは当初、すべての取引に6.23%の手数料を徴収していた。しかしこれでは、大口のドラッグディーラーの手数料が割高になってしまう。それに不満をもった彼らは、シルクロードを通さずに相対で取引するようになった。
そこでロスは、ジョーンズと相談のうえ、「50ドル以下の取引は手数料10%」「1000ドル以上は1.5%」などの段階性を導入することにした。しかしこれでは逆に、シルクロードを創設時から利用していた小口ユーザーが不利になってしまう。当然、強い反発が起き、別のサイトをつくろうとする運動に発展したが、ロスはキャプテン(ドレッド・パイレート・ロバーツ)としてこの改定を強行し、シルクロードは大物ドラッグディーラーのプラットフォームとしても利用されるようになった。それにともなってサイトの利益は飛躍的に増え、取引通貨であるビットコインの値上がりも加わって、ロスの資産はたちまち1000万ドルを超えた。
いまやシルクロードでは、違法薬物や処方箋薬、銃器だけでなく、ハッキング用のツールやスパイウェア、偽パスポート、フェイクID、さらには本物と見分けがつかない精巧な偽札までが売られていた。ロスはリバタリアンの原則に忠実に、販売する商品にいっさいの制約を設けなかった。その結果「weapons(武器)」のコーナーには、拳銃から自動小銃、手りゅう弾、ロケットランチャーまでが並ぶことになった。
だがこうした事態は、カジュアルドラッグを気軽に入手したいだけの大多数のユーザーに不安を感じさせることになった。ロスは、銃器だけのサイトを別につくらざるを得なくなった。
あるとき、スタッフの一人から「移植用の腎臓を売りたいという顧客がいるけど、許可していいか」と問い合わせてきた。ブラックマーケットでは、腎臓は26万ドル(提供者が中国人の場合は6万ドル)、肝臓が15万ドル、骨髄は2万3000ドルで売られていた。こうした臓器は、子どもが難病になった富裕層の親などが喜んで購入していた。
ロスは、イギリスの思想家ジョン・スチュアート・ミルが『自由論』で唱えた「危害原理non-aggression principle」に基づいてこれを許可した。誰にも危害を加えないのなら、その取引は自由であるべきなのだ。
同様の理由で、ロスは青酸カリの販売も許可した。販売者が「The Final Exit(最後の出口)」という無料パンフレットを同梱していたからで、自分に危害を加えること(苦痛のない死を選択すること)は本人の自由なのだ。
シルクロードは事業開始から2年もたたないうちに、売上や成長率をシリコンバレーの基準で評価したならば、時価総額10億ドル以上の「ユニコーン」に匹敵する存在になった。ロスはこの事業を、ジョーンズをはじめとするわずか数名の(ほぼ)ボランティアのスタッフだけで運営していたのだ。
一時期、シドニーにいる妹のところに身を寄せていたロスは、東南アジアをバックパック旅行したあとオースティンに戻った。生身のロス・ウルブリヒトにとっては、高校や大学時代の友人たちとの関係がなにものにも代えがたかったのだ。
だがシルクロードで扱う商品の違法性が高まるにつれて、オースティンにとどまることは危険になっていった。2012年夏、ロスはサンフランシスコに拠点を移し、友人とそのガールフレンドの住んでいるベイエリアのアパートの一部屋を間借りすることにした。
覆面捜査官
ジョーンズと並んで、ロスにとって特別な存在は「Nob(ノブ)」というハンドル名のドラッグディーラーだった。Nobはドミニカ人で、ドラッグビジネスに20年以上の経験があり、シルクロードこそがドラッグ・トラフィッキングの未来だとしてサイトの買収を持ちかけた。
ロスはこの提案に興味をもち、「自分が思うに、すべてのオペレーションで9桁だね」と返事をした。シルクロードの価値は最低でも1億ドルだというのだが、このサイトが稼ぎ出す利益を考えれば、もはやそれがはったりだとはいえなかった。
この買収話はやがて立ち消えになったが、それをきっかけにロスとNobは頻繁にチャットするようになった。Nobはドラッグの捜査についても詳しく、安全のため偽のIDをつくっておく必要や、いざとなったら逃げられる国を確保しておくようロスにアドバイスした。
その当時、ロスが頭を悩ましていたのは銃器の受け渡し方法だった。ドラッグであれば、CDケースに隠すなどして郵送するだけでよかった。ところがいくらなんでも、匿名の購入者に銃を小包で送るわけにはいかない。この問題を解決したのもNobで、駅の貸しロッカーに商品を預けて購入者にナンバーを教え、商品を引き取る際に代金を置いておく“dead drops”を教えた。
2013年1月、Nobから1キロのコカイン取引を持ち掛けられたロスは、それを2万7000ドルで購入することに合意し、ユタ州のスパニッシュ・フォークに住むカーティス・グリーン宛に送るよう伝えた。「ChronicPain(慢性痛)」というハンドル名のカーティスはシルクロードのスタッフの1人で、妻と子どもとは別居し、一軒家で一人暮らしをしていた。
だがここで、思わぬ事件が起きる。シルクロードの口座から、そのグリーンが35万ドル分のビットコインを盗み、その後、連絡がつかなくなったのだ。
シルクロードのサーバーにアクセスし、顧客管理やプログラムの修正を行なうスタッフには、週900ドルから1500ドルの報酬が支払われた。スタッフはシルクロードの口座にあるビットコインにアクセスすることもできたので、ロスは採用にあたって、身分証のコピーを送らせていた。彼らは「ドレッド・パイレート・ロバーツ」が何者か知らなかったが、ロスは全員の本名や住所を把握していた。
やがてNobから、カーティスに送ったコカインが消えたとの連絡があった。ロスは裏社会の人間であるNobに、「縛り上げて盗んだ金を返させるのにいくらかかるか」を訊ね、手元にあるカーティスのIDを送った。
その後、カーティスが逮捕されていたことがわかって、ロスは困難な判断をせざるを得なくなる。警察に寝返り、なおかつ4000万円ちかくを奪ったこの男にどう対処すべきか?
スタッフをユタに送って、金を返すようグリーンを説得するのか。椅子にしばりつけて拷問し、無理やり返金させるのか。それとも……。
グリーンが盗んだ35万ドルは、シルクロードが日々生み出す莫大な利益に比べればはした金にすぎなかった。問題は、この噂が広がって、ほかのスタッフも同じことをするようになることだった。ヤクザやギャングと同じで、裏切り者を処分できない組織は崩壊する以外にない。シルクロードを運営するには、「ドレッド・パイレート・ロバーツ」は誰からも恐れられる絶対的な存在でなければならないのだ。
1カ月ちかく悩んだあげく、ロスはNobに条件を提示した。「前金で4万ドル、死亡後に4万ドル」と。
Nobからは、「誰か行かせよう」との返事がきた。しばらくして、「グリーンは死んで、廃棄された“Green is dead and disposed”」という報告とともに、水を張った浴槽に頭を沈めて拷問する写真と、口から血を流すカーティスの写真が送られてきた。“OK, thank you”とロスは返信した。これがロスにとって、最初の「殺人」になった。
このときロスは知らなかったが、拷問や殺人の写真はすべてやらせだった。なぜなら、Nobの本名はカール・フォースといい、DEA(アメリカ麻薬取締局Drug Enforcement Administration)ボルティモア支部に所属する覆面捜査官だったからだ。
初出:ダイヤモンド・プレミアム・メールマガジン『橘玲の世の中の仕組みと人生のデザイン』(2018年9月6日配信)
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