絶望死するアメリカの低学歴白人労働者たち

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2021年3月11日公開の「非大卒の白人はなぜ絶望死するのか? 白人労働者階級を苦しめる「全面的な人生の崩壊」」です(一部改変)。

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世界じゅうで平均寿命が延びしているのに、アメリカの白人労働者階級(ホワイトワーキングクラス)だけは平均寿命が短くなっている。この奇妙な事実を発見した経済学者のアンガス・ディートンとアン・ケースは、その原因がドラッグ、アルコール、自殺だとして、2015年の論文でこれを「絶望死(Deaths of Despair)」と名づけた。その翌年にドナルド・トランプが白人労働者階級の熱狂的な支持を受けて大統領に当選したことで、この論文は大きな注目を集めた。

「絶望死」とは、「死ぬまで酒を飲み続けたり、薬物を過剰摂取したり、銃で自分の頭を打ち抜いたり、首を吊ったりしている」ことだ。『絶望死のアメリカ 資本主義がめざすべきもの』(松本裕訳、みすず書房)で2人は、2015年の論文をもとに膨大な統計データを渉猟し、アメリカ社会で起きている「絶望死」の実態を詳細に描き出している。著者たちは夫婦で、いずれもプリンストン大学教授。ディートンは「消費、貧困、福祉に関する分析」で2015年にノーベル経済学賞受賞し、ケースも著名な医療経済学者だ。

毎日ボーイング3機が墜落し、乗客全員が死亡しているのと同じ

『絶望死のアメリカ』の主張をひとことでまとめるなら、「アメリカの白人は高学歴と低学歴で分断されている」になる。本書では、アメリカ社会で大卒の資格をもたない白人がどれほどの苦境に追いやられているかの残酷な現実が、多くの印象的なグラフとともに、これでもかというほど呈示されている。

社会学者の吉川徹氏は、『日本の分断 切り離される非大卒若者(レッグス)たち』(光文社新書)で、日本社会は「大卒/非大卒」で分断されていると指摘した。私の理解では、アメリカと日本で(そしておそらくは他の先進諸国・新興国でも)同じことが起きているのは、知識社会が知能(能力)によって労働者を選別しているからだ。だがその圧力は、日本よりもアメリカの方がはるかにきびしいようだ。

ディートンとケースは、アメリカ社会の分断線を「高学歴」と「低学歴」の間に引いている。ここでいう高学歴は4年制大学を卒業あるいは大学院を修了した者で、高卒・高校中退だけでなく、大学に入学したものの卒業できなかったり、コミュニティカレッジ(二年制の公立大学)を卒業した者も「低学歴」に分類されている。――昨今では「高学歴/低学歴」の用語は不適切とされているようなので、以下の記述では「大卒/非大卒」で統一する。

著者たちは本書の目的を、「戦場を解剖する」ことだとしている。そこには、非大卒の白人アメリカ人が「戦死」しているとの含意がある。

2017年には、15万8000のアメリカ人が絶望死した。これは「ボーイング737MAX機が毎日3機墜落して、乗員乗客全員死亡するのと同じ数字」だ。

絶望死が始まったのは1970年代で、1990年代以降に顕著になった。著者たちの試算では、非大卒白人の死亡率が他の先進国(あるいはアメリカ国内の他の集団)と同じように改善していれば生きていたであろう中年アメリカ人のうち、60万人が死んでいるという。絶望死は、1980年代初頭からのアメリカでのエイズ死亡者総数約67万5000人に匹敵する「パンデミック」なのだ。

最初に示されるのは、ケンタッキー州における絶望死(自殺、薬物過剰摂取、アルコール性肝疾患による死亡率)で、1990年以降、大卒白人の死亡率がほとんど変わらないのに対し、非大卒白人は、1995年から2015年の20年間に10万人あたり37人から137人へと約4倍に増えている。

著者たちは、どこで死亡率が増えているのかも調べている。それによると、1999年から2017年のあいだに45~54歳の白人死亡率がもっとも大きく増えたのはウェストバージニア州、ケンタッキー州、アーカンソー州、ミシシッピ州で、どの州も教育水準は国の平均より低かった。中年死亡率が顕著に下がったのはカリフォルニア州、ニューヨーク州、ニュージャージー州、イリノイ州だけで、これらの州はすべて教育水準が高かった。

アメリカには、ロッキー山脈に沿って南のアリゾナから北のアラスカまで走る「自殺ベルト」がある。自殺率がもっとも高いのはモンタナ、アラスカ、ワイオミング、ニューメキシコ、アイダホ、ユタで、もっとも低い6州はニューヨーク、ニュージャージー、マサチューセッツ、メリーランド、カリフォルニア、コネチカットの東部、西海岸諸州だ。ここにも、大卒/非大卒の学歴のちがいが現われている。

生まれた年による絶望死の推移は、コホート(出生年ごとの集団)によって示されている。このグラフも驚くべきもので、大卒白人にコホートによる死亡率のちがいがほとんど見られないのに対し、非大卒の白人は1935年~1945年生まれまでは死亡率が大卒とほとんど変わらず、1950年生まれから死亡率が上がりはじめ、それ以降、5年刻みで高くなっている。

20歳で働きはじめるとすると、1950年代~60年代に就職した世代は非大卒でも絶望死を免れていたが、それ以降は社会に出る時期が後になるほど絶望死の割合が高くなっていく。45歳になったときの死亡率で見ると、1960年に生まれた非大卒白人は1950年生まれより死亡リスクが50%も高く、1970年生まれは100%(2倍)も高いリスクにさらされている。

1980年生まれや85年生まれは調査時点では45歳に達していないが、死亡率は1970年生まれよりもさらに上がっている。このことは、白人労働者階級の絶望死が「中年」だけの問題ではないことを示している。今後、絶望死は高齢化していくとともに、若い非大卒の白人はそれ以上に死んでいるので、死者の総数も確実に増えていくのだ。

生き続けるよりも死んだほうがましだと感じるひとたち

非大卒の白人はなぜ絶望死しているのか。著者たちは実証的なデータを積み上げてその謎に迫ろうとする(アメリカではCDC/米国疾病予防管理センターの統計サイトCDC Wonderで死亡証明書の情報の大部分が公開されている)。

データからは、45~54歳の白人死亡率は1990年代前半からさほど変わっていないように見える。だがこれは、非大卒の白人の死亡率が25%増加している一方、大卒白人の死亡率が40%減少しているからだ。

主要な死因のひとつは、当然のことながら健康だ。病気などで身体の具合が悪いひとは、健康なひとよりも死亡率は高いだろう。

そこで白人の健康指標を調べると、成人(25歳以上)の非大卒の喫煙率は29%で、大卒の7%に比べて4倍も高かった。2015年には非大卒の3分の1が肥満とされたが、大卒は4分の1未満だ。

非大卒ではさらに、現代に近づけば近づくほど健康状態が悪化している。40歳時点で「健康状態が悪い」と申告する割合は1993年の8%から2017年の16%へと四半世紀の間に倍増した。その結果、驚くべきことに、非大卒の白人では「買い物や映画に出かけるのがつらい」と答える割合と「家でくつろぐのがつらい」と答える割合が25~54歳の年齢層では50%増えていて、「友人との交流がつらい」と答える割合は20年間で倍近くにまでなっている。

アメリカでは、1億人以上が(最低3カ月は続く)慢性的な痛みをわずらっている。

地域別では西海岸、アパラチア、南部、メイン州、ミシガン北部がひどく、ノースセントラル・プレーンズ(大平原北部)と北東部のアムトラック沿線(ニューヨーク州からバージニア州にかけての地域)、カリフォルニアのベイエリアはさほどでもない。アメリカで自殺率の高い州は、住民がもっとも痛みを訴えている州でもある。

痛みを訴えるひとの割合は、住民の学歴が高い地域ほど報告が少なく、失業率が高く貧困な地域ほど高くなっている。非大卒の白人の間で近年、中年期に痛みが著しく増しているのは、体重の増加が腰や膝の痛みを引き起こしているからかもしれない。

日常的な痛みに悩まされていて、買い物ばかりか家でくつろぐことすらつらいのなら、仕事をするのは難しいだろう。実際、非大卒では「働けない」と自己申告した人の割合が1993年の4%から2017年には13%にまで増えた。

それ以前に、非大卒が働こうと思っても職自体がないという現実がある。

1979年から2017年の約40年間でアメリカの1人あたり国民所得は85%伸びているが、非大卒の白人男性の平均収入は13%も購買力を失った。リーマンショック後の2010年1月から2019年1月の間に1600万近い雇用が生まれたが、そのうち非大卒が就ける仕事は300万にも満たなかった。

健康状態が悪く、働いていないか収入が低く、将来性のない男性は、結婚相手にはふさわしくない。こうして、低学歴の白人の婚姻率が下がっている。その一方で、低学歴の白人女性の大半が、少なくとも1人は婚外子を生んでいる。

こうしたデータを挙げながら、ディートンとケースは、白人労働者階級を苦しめているのは「全面的な人生の崩壊」であることを説得力をもって示す。「仕事が破壊されれば、最終的に、労働階級は生きていけなくなる。人生の意義、尊厳、誇りを失い、婚姻関係やコミュニティを失うことで自尊心も失い、それが絶望をもたらす」のだ。

その挙句に白人労働者階級は、自ら生命を断つか、アルコールやドラッグで「緩慢な自殺」をするようになる。「人が自ら命を絶つのはそれ以上生きている価値がないと感じるとき、生き続けるよりも死んだほうがましだと感じるとき」だと著者たちはいう。絶望死の理由は、「自分の人生にはなんの価値もない」ところまで追いつめられてしまったからなのだ。

「低学歴白人の黒人化」が進行している

かつて白人の保守派は、マイノリティ(黒人)の貧困層が生活保護に頼って暮らしていることを「福祉の女王」とはげしく批判した。しかしいまや、白人労働者階級が社会保障や障害保険の受給対象になっている。

黒人のコミュニティが崩壊し、母子家庭が急増したことを、保守派は「家族の価値を放棄した自己責任」とみなした。これもいまでは、白人労働者階級のコミュニティは崩壊し、高卒や高校中退の白人女性が父親のいない子どもを産むようになった。こうした現象をひと言でいうならば、「低学歴白人の黒人化」だ。

ディートンとケースは、非大卒の白人は、1970年代から80年代にかけて都市部の黒人が体験したことを30年遅れて追体験しているという。知識社会の高度化によって最初に黒人の雇用が破壊され、次いで非大卒白人の雇用が消失したのだ。

その結果、「白人よりも黒人の方がうまくやっている」という奇妙なことが起きるようになった。これが、本書でもっとも議論を呼ぶであろう主張のひとつだ。

新型コロナによって人種別の平均寿命はヒスパニックで2年、黒人で3年縮んだとされる。これは大惨事だが、それ以前でも黒人の死亡率は白人よりずっと高かった。

だがディートンとケースが強調するのは、(コロナ前は)その差が一貫して縮小していることだ。「1970年から2000年にかけて、黒人の死亡率は白人よりも大きく減少し、21世紀の最初の15年を見ると、労働階級白人の死亡率が増えている一方で、黒人のそれは下がっている」。その結果、1990年代初頭までは白人の2倍(100%)以上だった黒人の死亡率は20%まで縮まった。――同様に、ヒスパニックは白人より平均的にずっと貧しいが、死亡率は非大卒白人よりも低い。

アフリカ系アメリカ人は、白人よりもずっと自殺しにくい。中年期の黒人自殺率はこの50年でほとんど変わっておらず、現在も白人の約4分の1だ。さらにこの四半世紀では、首、腰、関節の痛みを訴える黒人の割合はいずれの学歴集団においても、中年白人より20%低かった。

さらに興味深いのは「自己評価(幸福度)」調査で、40歳を過ぎると、学士号を持たない黒人の自己評価が非大卒の白人より高くなる。そればかりか、大卒/非大卒にかかわらず、黒人は白人に見られるような中年期の落ち込みを経験していない。「意外なことに、黒人のほうがストレスが少なくなっている」のだ。

「全死因死亡率が白人については増加しているときに黒人については減少しているというのはたしかに普通ではないし、驚くべきことだ」と著者たちはいうが、経済学者として、その理由を特定するのはきわめて慎重だ。データからわかるのは、「黒人が薬物過剰摂取、自殺、アルコール中毒に苦しんでいなかった」ということくらいだ。

「痛みや中毒、アルコール、自殺による死、低賃金のろくでもない仕事、下がり続ける婚姻率、宗教の減退の物語」は、「4年制大学の学位を持たない非ヒスパニックの白人アメリカ人」にのみあてはまる物語なのだ。

データからすれば、「黒人の人生は多くの側面で改善していて、その一方で低学歴白人の人生は悪化している」ことは間違いないが、これは政治的にきわめて微妙な問題を提起する。トランプを支持する「白人至上主義者」たちは、「白人労働者階級は差別されるマイノリティ」で「自分たちこそが犠牲者」だと主張しているが、その正しさを追認することになりかねないのだ。

これについて著者たちは、マンガ『ドゥーンズベリー』の8コマを引用するにとどめる。マンガでは、新聞を読んでいた白人のレイが黒人のBDに対して、(自分のような)中年白人の死亡率が上がっているのに、黒人やラテン系には影響がないのはヘンだと述べる。それに対してBDは、「ヘンじゃないさ」「黒人はずっとそう。もう慣れっこさ」と反論する。レイが「黒人特権か」と訊くと、BDが「そう、ある意味、幸運」と述べる。

「労働市場がもっとも能力の低い労働者に背を向けたとき、最初に打撃を受けたのは黒人だった。技能が低かったため、そして長く続いてきた人種差別のためでもある。その数十年後は、今度は白人としての特権にずっと守られてきた低学歴の白人の番だった」と著者たちはいう。

低学歴白人の人数は6000万、トランプの得票は7000万

なぜこんなことが起きたのか? 誰もが真っ先に思いつくのは「経済格差の拡大」で、アメリカ社会が先進国のなかでもっとも貧富の差が大きな国であることは繰り返し指摘されている。

だがディートンとケースは、データからはこの「経済格差=諸悪の根源説」は支持できないという。これが本書でもっとも論争的なもうひとつの主張になる。

単純な事実として、アメリカにおける所得の不平等が著しく拡大したのは1970年以降だが、この時期はアメリカ社会で死亡率が急減し、平均余命が急速に延びはじめていた時期にあたる。経済格差の拡大と不平等が「社会全体」の健康に害を与えるのなら、平均余命は短くなるはずだが、そのようなことは起きていない。

さらにアメリカの州ごとに絶望死を比較すると、ニューヨークやカリフォルニアのように「ゆたかだが不平等の大きな州」で少なく、ラストベルト(錆びついた地帯)と呼ばれる「貧しいが不平等はさほど大きくない州」で“エピデミック”が広がっている。「経済格差が絶望死の原因」とすると、この事実が説明できない。

「貧困」もまた、絶望死の主犯と考えることはできない。アメリカ社会における(貧困ライン未満の所得で暮らす)貧困世帯の割合は1990年代を通じて減っており、2000年には総人口の11%まで下がった。絶望死はまさにこの期間に増えているのだから、貧困とはまったく相関していない。「収入は、仕事、社会的地位、結婚、社会的生活状態といった社会的変化ほどおそらく重要ではない」と著者たちはいう。

だとしたらいったいなにが原因なのか? 本書に掲載された膨大なデータが指し示す結論はひとつしかない。それは、「絶望死の原因は貧困でも経済格差でもなく、学歴(教育)格差」だということだ。

知識社会が高度化するにつれて、仕事に必要とされる学歴や資格のハードルが上がっていくことを「スキル偏向型技術変化」という。これに対応するために労働市場での大卒の割合が増えれば、雇用者は非大卒でじゅうぶんな仕事でも大卒を優先的に雇うようになる。その結果、非大卒は労働市場から排除されてしまう。

このことをよく示しているのが、リーマンショック以降の回復期のアメリカの雇用状況だ。2010年1月から2019年1月の期間で、労働市場における25歳以上の大卒者の就業人数は合計1300万人増えた。それに対して学士号を持たない就業者の増加は270万人で、高卒以下となるとたったの5万5000人だ。

大卒と非大卒の賃金格差も開いている。1970年代後半、大卒労働者の賃金は非大卒より平均40%高かったが、2000年までには「賃金プレミアム」は倍増し、「天文学的な80%という割合になった」。2017年、高卒者の失業率は大卒者のほぼ2倍だった。高卒資格しか持たない45~54歳(賃金がピークを迎える年齢)の4分の1が働いていないが、学士号以上は10%だ。

2018年の国勢調査では、25歳から64歳のアメリカ人(労働年齢人口)1億7100万人のうち62%(約1億人)が非ヒスパニック白人で、そのうち62%が4年制の学位を持っていない。「絶望死」の高リスク層である低学歴白人の数は約6000万人(労働人口の38%)で、これは2020年の大統領選でトランプが獲得した7000万票と不気味なほど近い。

知識社会における経済格差とは“知能の格差”の別の名前

絶望死の原因がメリトクラシー(能力主義)であり、学歴(知能)による選別であることは明らかだが、奇妙なことに、著者たちは「どうすればいいのか?」の提言で、教育にわずか2ページしか割いていない。これが本書の3つ目の論点で、その理由は、教育に予算をかけて大卒者を増やせば解決するような簡単な問題ではないことがわかってきたからだろう。

アメリカではメディアや教育関係者が、「大卒資格がなければまともな仕事につけない」と騒ぎ立てたことで、就学しなくても学位を授与する「ディプロマミル(学位商法)」が広がり、なんの役にも立たない学位を取得するために多額の学生ローンを抱えるひとたちが急増する事態になっている。

「まともな」大学に入学しても、日本とはちがって卒業が難しいため、学生の半数近くが中退し、資格もないのに負債だけを抱えている。いまでは「高等教育にちからを入れよう」と提言すると、こうした被害者を増やすことになってしまうのだ。

だが著者たちは、正統派の経済学者として、富裕層課税やベーシックインカムのような「レフト(左翼)」の好む政策には慎重な態度を崩さない。問題の本質が「貧困」ではなく、「仕事の消失」に端を発した「人生の崩壊」だとすれば、お金を配っても絶望死は解決できない。富裕層課税については、「貧しい人々があまりにも多く、金持ちはあまりにも少ない」ため、貧困層にとってはたいした救済にはならないとする。

だったらどうすればいいかというと、オピオイド禍を引き起こした製薬会社や、世界でも桁違いの医療費にもかかわらず「平均余命の減少を食い止めることができていないだけでなく、むしろその減少に貢献している」アメリカの医療制度など、できるところから着実に改善していくことを提案している。とはいえ、「泥棒を止める正しい方法は盗みを止めさせることであって、税金を上げることではない」という穏健な現実主義が、怒れるひとびとにどこまでアピールできるかは疑問だ。

なお、政治学者のチャールズ・マレーは2012年の『階級「断絶」社会アメリカ  新上流と新下流の出現』(橘明美訳、草思社)において、アメリカの白人社会で「大卒/非大卒」の分断が起きており、低学歴白人ではコミュニティが崩壊し、失業率や未婚の出産が激増し、黒人貧困層と同じような事態になっていることを指摘している。ディートンとケースの『絶望死のアメリカ』は、マレーの著作を精緻化したものでもある。

マレーはリチャード・ハーンスタインとの共著“Bell Curve”(1994年)で、黒人と白人の間に1標準偏差程度のIQの差があり、それが社会的・経済的成功に影響していると述べて憤激を買い、「遺伝決定論」「優生学」「人種主義者(レイシスト)」のレッテルを貼られ、アカデミズムの世界から実質的に排斥された。だがいまや、ノーベル経済学賞を受賞したリベラルな経済学者が、自分たちの先行研究としてマレーの著書を挙げるようになった。

もちろん著者たちは“Bell Curve”についてはひと言も触れていないが、「知識社会における経済格差とは“知能の格差”の別の名前である」というマレーとハーンスタインの主張を、リベラルな知識人が受け入れざるを得なくなるのも時間の問題ではないだろうか。

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