「人間倉庫」と化したアメリカ民営刑務所の実態

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年8月13日公開の「コスト削減で確実に利益を出し続けるため 「人間倉庫」と化したアメリカ民営刑務所の実態」です(一部改変)。

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『13th -憲法修正第13条』は2016年のドキュメンタリー映画で、「アメリカの人口は世界全体の5%にすぎないにもかかわらず、アメリカ人受刑者は世界全体の受刑者数の25%を占めている」というバラク・オバマ前大統領の発言から始まる。

現在、アメリカの収監人口は200万人(仮釈放や出廷待機を含めると700万人)に達しており、黒人は全人口の15%を下回るが囚人の40%を占める。2001年には35歳から44歳の黒人男性の22%が収監経験を持ち(ヒスパニック男性は10%、白人男性は4%)、投獄率が変化しないとするといずれ黒人男性の3人に1人が刑務所に収監されると予想されている(ヒスパニック男性は6人に1人、白人男性は17人に1人)。「合衆国憲法修正第13条」は奴隷制廃止条項で、公民権運動で人種差別はなくなったはずなのに、いまも黒人は「事実上の奴隷」のままだと映画は告発する。

アメリカにおける「大量収監」はどんな事態になっているのか。そんな興味で手に取ったのがシェーン・バウアーの『アメリカン・プリズン 潜入記者の見た知られざる刑務所ビジネス』(満園真木訳、東京創元社)だ。

訴訟リスクで困難になる調査報道

中東でフリーのジャーナリストとして働いていたバウアーが民営刑務所に興味をもったきっかけは、自らがイランの刑務所に収監されたことだった。友人とシリアのダマスカスからイラクのクルド人自治区に行き、観光地周辺をハイキングしているときにイランとの国境に近づきすぎて国境警備隊に逮捕され、独房に入れられ数カ月にわたって尋問されたのだ。4カ月後に友人と同じ房に移されたが、釈放されるまで2年2カ月かかった。

解放後、バウアーは心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しみ、「突然、混みあった場所にいられなくなることもあれば、部屋にひとりでいるのが苦しくて耐えられなくなることもあった。毎晩のように刑務所に連れもどされる夢を見た」という。

そんなとき、アメリカの刑務所でハンガー・ストライキが起きていることを知る。「カリフォルニアのペリカン・ベイ刑務所だけで500人以上が、10年以上にわたって穴倉で過ごしている。そのうち89人は20年以上の独房暮らしであり、ひとりなどはその期間が実に42年にわたっていた」という状況に衝撃を受けたバウアーは、自らの収監体験に整理をつけようと囚人たちと手紙のやりとりをするようなった。

こうしてバウアーは、民営刑務所の潜入取材を思いつく。アメリカではおよそ13万人が民営刑務所に収監されている。問題は、こうした調査報道がいまではきわめて困難になったことだった。

かつては、「狂気をよそおって女性専用精神病院に強制入院させられるように仕向け、その10日間の経験を発表した」ジャーナリストや、「サンフランシスコのバーを買って記者を店員として置き、隠しカメラを設置して、どんな不正も20ドルの賄賂で見逃す腐敗した検査官の所業を暴いた」新聞社があった。1990年代後半には、ニューヨークのシンシン刑務所で刑務官として働いた記録が本になっている(バウアーが民営刑務所を取材対象にしたのは、州刑務所の調査報道の先例があったからだ)。

だが1992年、スーパーマーケット・チェーンが傷んだ肉をパックしなおして売っている事実を潜入取材でテレビ局が暴いたとき、スーパー側は採用応募書類の虚偽記載と、割り当てられた業務(傷んだ肉をパックしなおすこと)の遂行を怠った不法行為で記者を訴え、550万ドルの損害賠償を請求した。この裁判で陪審員がスーパー側の主張を一部認めた(賠償金は2ドルに減額された)ことで、内情暴露系の報道はしばらく下火になった。現在ではあらゆる仕事で秘密保持契約を結ばなくてはならず、それに“悪口禁止”条項や雇用主保護規定などが加わって、訴訟リスクはさらに高まった。

バウアーが潜入したのはコレクション・コーポレーション・オブ・アメリカ(CCA)という民営刑務所大手のルイジアナの刑務所で、本名を使用し、「自分のことを何もかも明かす必要はないが、決して嘘はつかない。誰かにジャーナリストなのかと訊かれたらそうだと認める」と決めて応募したところ、かんたんな面接だけであっさり採用が決まった。面接官は時給が9ドルだと告げたあと、「狩猟や釣りは好き?」とバウアーに訊いた。刑務所は国立森林公園のなかにあり、好きなだけアウトドアのレジャーが楽しめるのだという。その後、オクラホマ州の刑務所とアリゾナ州の移民収容センターからも採用したいとの連絡が届いた。

刑務官の約3分の1がPTSDになり、自殺率は一般市民の2.5倍

ルイジアナ州のバトンルージュから車で北に3時間のところに、人口4600人のウィンフィールドの町がある。「朽ちかけた木造家屋が並び、つながれた一匹の犬と洗濯かごをかかえたやつれた顔の白人女性ひとり以外誰もいない通り、仕事帰りのドライバーに発泡スチロールのコップに入ったダイキリを出すかつてのメキシコ料理店、南北戦争の将軍の名前が見出しに踊る地元紙の束、ガソリンスタンドの外の歩道で1セント硬貨を拾っている黒人女性……」と描写されているうらぶれた町だ。ウィンフィールドは世帯の38%が貧困ライン以下で、世帯収入の中央値は2万5000ドルしかない(2018年のアメリカの平均世帯収入は6万3179ドル)。

バウアーが働くことになる「ウィン矯正センター」は町の中心部から21キロ離れたキサッチナー国立森林公園の中にある。入口を入ると研修室と管理棟があり、食堂、体育館、医務室、面会室などのある区画の奥に5つの刑務所棟が通路に沿って並んでいる。一般囚棟は最大352人が収容でき、中央に“キイ”と呼ばれる八角形のコントロール室があって、そこから4方向に細長い建物が伸びている。

それぞれの建物には最大44人を収容する大部屋の雑居房が2区画あり、各区画の前方部分に樋型の小便器と腰かける便器がふたつ、洗面台がふたつある。その隣には高さ90センチの壁で仕切られたシャワーが2基。向かいには電子レンジ、電話、Jペイと呼ばれる機械が置かれている。Jペイというのは、「携帯音楽プレイヤーに曲をダウンロードしたり、1通30セントほどで短い電子メールを(検閲のうえで)送ったりすることができる」有料の通信端末だ。各区画にはテレビ室もあり、平日の昼12時半には人気番組を見るために受刑者が詰めかける。それぞれの受刑者に与えられているのは、薄いマットレスの敷かれたベッドと金属製のロッカーだけだ。

研修初日にバウアーといっしょだったのはレイノルズという19歳の黒人で、すでに赤ん坊もいるという。「不安なのか?」と訊かれ、「ちょっとね。君は?」とバウアーが訊き返すと、「全然。慣れてるから。殺しも見てきたしな。俺のおじさんは3人殺した。兄貴といとこも刑務所に入ってる。だから不安じゃない」とのこたえが戻ってきた。それ以外の4人の研修生は元ウォルマートの店長、看護師、マクドナルドで11年働き、数年軍務についたあと復職したシングルマザー、元郵便局員だった。

研修では教官から、受刑者が反抗したときの制圧の仕方のほかに、「受刑者とセックスしないこと(破った場合は罰金1万ドルか“重労働10年”の刑)」をきびしく指導され、「自殺したくなったり、家族と喧嘩ばかりするようになったら電話すべきホットラインの番号が書かれた冷蔵庫用のマグネット」が配られた。3回までなら無料でカウンセリングが受けられるという。

教官によると、刑務所では男でも女でも、セックスの落とし穴にはまる者が驚くほど多い。結婚していたり、恋人がいたりしても、受刑者から手紙を渡されたり、見た目をほめられたりといったアプローチを受けて、いいくるめられてしまうのだ。

「ある女性刑務官が厨房でひとりの受刑者と関係を持つようになった」と教官はいった。「すると、厨房で作業をしているべつの受刑者が“あいつがやっているんだから俺もやりたい”と言い出した。女性刑務官は告げ口されるのを恐れ、そのふたり目の受刑者ともセックスするようになった。すると3人目の受刑者が“あいつともあいつともやってるんだから、俺にもやらせろ”と言いはじめた」

しばらくすると、10人前後の受刑者が彼女とセックスするようになっていた。その10人が喧嘩になったことで情事が発覚したのだという。

自殺予防のための電話相談が必要なのは、平均で約3分の1の刑務官がPTSDになるからだ。これはイラクやアフガニスタン帰りの兵士よりも多い。刑務官の自殺率は平均すると一般市民の2.5倍で、自殺しなかった者も平均寿命より約10年も早く死んでいるとの調査結果もある。

“ぜったいに利益の出るおいしい商売”民営刑務所が抱えている矛盾

『13th -憲法修正第13条』で描かれたたように、アメリカの収監人口が急激に増えはじめたのは1970年代になってからで、背景にはニクソン政権の「麻薬戦争A War on Drugs」がある。ニクソンは薬物依存を「アメリカのパブリックエネミー(公共の敵)ナンバーワン」と呼んで、その根絶を有権者に誓った。

麻薬戦争はその後もカーター、レーガン、(父)ブッシュ、クリントン政権に引き継がれ、とりわけクリントン時代の「スリーストライク法(1年以上の刑を科せられた前科が2回以上ある者が3度目の有罪判決を受けた場合、犯した罪にかかわらず終身刑となる)」によって収監者が激増した(映画には、クリントン元大統領がスリーストライク法に署名したのは過ちだったと認める場面が出てくる)。

収監者が激増した理由のひとつは社会がゆたかになったことで、市民の「安全」に対する要求は年々きびしくなっていった。子どもが誘拐されたり、ギャングの抗争に巻き込まれて死亡するたびに世論が沸騰し、政治家は犯罪に対してきびしく対処することを約束した。コカインを粉末にして吸引するクラックコカインが黒人のあいだで流行したとき、売人(その多くは黒人)を刑務所に送るよう求めたのは黒人の政治家やコミュニティだった。

社会が犯罪に対して不寛容になるにつれて逮捕者が増え、各州は刑務所の新・増設に追われた。1981年にロナルド・レーガンが大統領になり、「市場原理主義」的な経済政策を採用すると、規制緩和と民営化が一気に進んだ。

刑務所関連の支出が4倍に増えたことに目をつけたのが、陸軍士官学校時代にルームメイトだったトーマス・ビーズリーとロバート・クランツで、2人は共和党の大統領候補の資金集めパーティで雑談中に、企業の重役から「若者にはすごいチャンスじゃないか。刑務所の問題を解決できると同時に、金をたくさん儲けられるんだ」といわれたという。

ドラッグ戦争が過熱すると、各州は受刑者に最低でも刑期の85%の服役を義務づけるようになった。刑務所建設ラッシュがピークを迎えた10年間に、年間10億ドルを費やして全米でおよそ600の刑務所が新たにつくられたが、それでも「需要」に追いつかなかった。

ビーズリーとクランツには政治的なコネとビジネスの経験があったが、刑務所を営利事業として運営できる人物がどうしても必要だった。そこで白羽の矢を立てられたのがテレル・ドン・ハットーで、テキサス州の刑務所プランテーションを運営した経験と知識を活かしてアーカンソー全体の刑務所の営利化にかかわり、ヴァージニア州で5年間刑務所運営に携わっていた。

3人がコレクション・コーポレーション・オブ・アメリカ(CCA)を創設してまもなく、ハットーは国内最大の刑務所協会であるアメリカ刑務所協会(ACA)の会長となり、たちまち刑務所開設の認可を得た。彼らはヒューストンのホテルを移民収容センターに改造したのを皮切りに、テネシー州の少年拘置施設と成人用刑務所の運営を請け負い、1986年にCCAはナスダック上場を果たした。

2017年の時点でCCAが運営する施設は、州刑務所や郡拘置所から更生訓練施設、連邦移民収容センターまで全米80カ所におよび、常時8万人を収容している(民営刑務所には受刑者人口の約8%が収容されている)。

創業者の一人であるビーズリーはビジネス雑誌に、「(民営刑務所のビジネスは)車や不動産やハンバーガーを売るように売るだけ」と語った。実際、CCAの商売の仕方はホテルチェーンにちかいものだった。

バウアーが働いている当時、ルイジアナ州は受刑者1人につき1日34ドルを支払っていた。一方、州が運営する刑務所での受刑者1人あたりの1日の平均費用は52ドルだった。州と民営刑務所の契約のおよそ3分の2には収容率保証(一定数の受刑者を送り込めなかった場合は州が補償金を支払う)が条件に含まれていて、ウィン矯正センターは99%の収容率が保証されていた。いちど契約を交わしてしまえば、民営刑務所はぜったいに利益の出るおいしい商売なのだ。

ここから、民営刑務所が抱えている矛盾を見て取るのはたやすい。州がCCAに受刑者の収容を委託するのは刑務所の費用を抑えるためで、民営刑務所のコストは公営刑務所に比べて15%安いとの調査がある。それにもかかわらず、CCAは上場企業として利益を出し、株主に配当しなければならない(CCAはすくなくとも年8%の利益を見込んでいた)。となれば、あとは運営コストを引き下げるほかない。

バウアーの初任給は時給9ドルだが、ルイジアナ州の公営刑務所のヒラ刑務官は時給12.5ドルだった。ウィンでの受刑者1人あたりのコストは、1990年代後期から2014年にかけて、物価調整後で20%ちかく減っていた。「民営刑務所は質を下げずに税金を節約できる」とされたが、それが机上の空論なのは明らかだ。

民営刑務所の実態をひとことで表わすなら「人間倉庫」

公営刑務所よりも安いコストで囚人を受け入れ、それでも上場企業として株主を満足させるだけの利益を出そうとすればどのようなことになるかは、バウアーの体験として克明に描かれている。それについては本を読んでいただくとして、民営刑務所の実態をひとことで表わすなら「人間倉庫」になるだろう。できるだけ安いコストで、刑期が来るまで囚人をただ閉じ込めておくのだ。

社会復帰のためのプログラムもなければ刑務作業もなく、囚人はわずかな運動の時間とテレビを見る以外は、することもなく雑居房で過ごす。当然、トラブルが頻発するが、受刑者が暴れると暴動鎮圧の訓練を受けた特殊作戦対応チームSORTが投入され、プラスチック弾やスタンガン、催涙弾といった“殺傷能力の低い”武器を使って規律に従わせる。

ウィンの受刑者は75%が黒人で25%が白人だが、人種対立はないという。白人受刑者が少数派なので、ギャング組織をつくって黒人と対抗しようとは思わないようだ。受刑者と同じく刑務官も大多数がアフリカ系で、白人のバウアーは「なぜこんな仕事をするのか」といぶかしがられた(あとでジャーナリストだとわかったとき、みんな納得したという)。

民営刑務所での囚人の扱いがどのようなものか、ひとつだけ例を挙げておこう。

最初の頃にバウアーは、車椅子に乗った年輩の黒人受刑者に出会った。指先のない手袋をはめていたが、そこからなにも突き出していなかった。男は壊疽で両脚をなくしたうえ、指までなくしたのだという。

記録によると、男は4カ月間にすくなくとも9回、医師の診療を求め、足の腫れ、ただれ、膿み、眠れないほどのはげしい痛みを訴えたが、職員に足の裏用のパッドとうおのめ除去用テープ、鎮痛剤を渡されただけだった。いちど、腫れあがって膿がにじむ足を刑務所長に見せたことがあったがなんの対処もされず、看護師からは「あなたはどこも悪くない。こんど救急で来たら、仮病で懲罰の報告書を書く」といわれた。

夜は痛みのため、ベッドでは寝られず椅子に座っていた。ある日、寝不足で倒れてコンクリートの床で頭を打ったが、医務室に運ばれたものの、医者に見せることもなく棟に戻された。手足の指が黒ずんで膿がにじみ、ほかの受刑者たちが感染するのではないかと騒ぎだし、よその部屋に移らないなら殺すと脅されてようやく地元の病院に連れていかれたが、すでに手遅れで両脚を切断することになったのだ。

受刑者を病院に搬送した場合、入院費はCCAが負担し、短期の入院でも2人の刑務官を監視につけなくてはならない。1日34ドルしか会社にもたらさない受刑者のためにそんな費用を支払うのを会社が嫌がるのは当然だ。ウィンの受刑者の40%ちかくが糖尿病や心臓病、喘息などの慢性疾患で、約6%はエイズやC型肝炎のような感染性疾患だが、満足な治療は望むべくもない。バウアーによると、受刑者の3分の1が精神的な問題をかかえていて、1割に深刻な精神症状があり、およそ4分の1はIQ70未満だという。

囚人が刑務官を監視している

元陸軍レンジャー部隊で、以前は小さな町で警察署長をしていたという刑務官はバウアーに、「ここには殺人犯もいる。レイプ犯もいる。だが大部分は、愚かにも学校の近くで大麻を吸っちまったやつらだ。連邦の規則で25年。かと思えば、一家皆殺しにして25年から終身刑を食らったやつらが、6年から8年で出ていく」と説明した。事実、ウィンの受刑者の約5分の1が薬物関連犯だ。ただし、学校のそばで大麻所持で逮捕された場合、6年ほどの刑が一般的だという。

その一方で多くの刑務官は、受刑者がめぐまれすぎていると考えている。刑務官同士の雑談では、「(受刑者は)どうして今すぐ家に帰らなきゃならないんだ?」「ここなら食事もタダ、ベッドもタダなのに」「ケーブルテレビもタダだし、ほしいものはなんでもタダだ。どうしてわざわざ外に出て働かなきゃいけないんだ?」などとジョークを飛ばしあう。彼らのお気に入りは「レーシック手術を受けても受刑者が払うのはたった5ドル」だ(ただし手術を受けられればの話だが)。「受刑者のほうが私たちより権利があるのよ」「生活のために働くより、犯罪をおかすほうが簡単だな」もよくある受刑者評だ。

刑務官の仕事でもっとも神経を擦りへらすのは、受刑者に甘い顔をしてつけこまれることだ。刑務官の人員はつねに不足しているので、40人以上の囚人がいる雑居房をたった1人で管理しなければならないことがしばしばある。

やがてバウアーは、刑務官が囚人を監視するのではなく、囚人が刑務官を監視していることに気づく。ほかにやることのない囚人たちは、刑務官を徹底的に観察し、どこかに隙を見つけたらそこにつけいって、麻薬の仲介役にしたり、セックスの相手にしようとするのだ。

女性刑務官が美容院に行くと、「髪型が変わったね。似合うよ」と誘ってくる。結婚指輪をはずしていると、「家でなにかあったのかい?」と心配そうに声をかけられる。ある女性刑務官は、「あの受刑者は私がきれいだと思わせてくれる。好きになって当然でしょ。彼が必要としているものを誰もあげないなら、私があげて何が悪いの?」といった。

教官は刑務官たちにこんな注意をしている。「持ち込んだ缶とかボトルとかに気をつけろ。かならず持って帰るんだ。ここから持ち出せ。さもないと、やつらがゴミ箱をあさってあんたのDNAを手に入れる。それでこう言うのさ。どうしてこのDNAがここにあると思うんだってな。あんたはゴミ箱に捨てたプラスチックスプーンを拾われたんだって説明しなきゃいけなくなる。刑務所ってところにはそういう罠が山ほどあるんだ」

バウアーはやがて、受刑者がわざわざ目の前で規則を破って、自分の意志を削りとろうとしているという考えにとりつかれるようになる。カリフォルニアから訪ねてきた妻には、いつも落ち着かない表情をしていて、顔がときどき痙攣すると指摘された。呼吸も正常ではなく、寝ているあいだ何度も寝返りを打ってうなされているともいわれた。

時給9ドルで民営刑務所の刑務官になって1年5カ月で、バウアーはもう限界だと感じるようになった。だがそれは、刑務官の仕事が向いていないからではない。最後の頃の日々はこう語られている。

外はカエルとコオロギの合唱が響いていた。空気は甘くかぐわしかった。仕事から帰るといつもそうしているように、深呼吸して自分が何者かを思い出そうとした。(ソーシャルワーカーの)ミス・カーターの言ったとおりだ。この仕事が肌に合ってきている。悦びと怒りの境界が曖昧になりつつある。怒鳴ると生きている感じがする。受刑者にノーと言うことに悦びを感じている。受刑者が僕に懲罰報告書を書かれたと文句を言うのを聞いて、いい気味だと感じる。禁止されているテレビ室に洗濯物が干されていたら没収し、自分の服がもっていかれるのを見た受刑者が区画の奥から叫ぶとぞくぞくする。ロックダウン(刑務所の監房に囚人を閉じ込める措置)の最中、トリネコ棟で暴動を起こすぞと脅されたとき、SORTチームが来て棟全体に催涙スプレーをまくのを期待した。いまではひたすら刺激がほしかった。

『アメリカン・プリズン』でバウアーは、知られざる民営刑務所の実態だけでなく、囚人を綿花プランテーションに貸し出したり、州刑務所がプランテーションを運営して利益をあげるなど、奴隷解放後もさまざまな手段で実質的な「奴隷制度」がつづいていたことを詳細に調べている。「ブラック・ライブズ・マター(黒人の生命も大切だ)」の運動の背後にあるアメリカ社会の複雑な歴史の一端が、本書を通して見えてくるだろう。

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