同性婚でなぜ「社会が変わってしまう」のか? 週刊プレイボーイ連載(553)

首相秘書官が記者団に対して、「同性のカップルが隣に住んでいるのはちょっと嫌だ」「同性婚を導入したら国を捨てる人が出てくる」「(他の)秘書官も皆そう思っている」などと発言したと報じられ、更迭されました。この秘書官は首相の演説のスピーチライターを務め、「将来の経産次官候補」ともいわれていたことから、岸田首相は釈明に追われています。

「失言」のきっかけは、首相が国会で、同性婚制度について「社会が変わってしまう課題」と述べて批判されたことでした。秘書官はこの発言を擁護しようとして、「あなたたちだって、本音では嫌だと思ってるんでしょ」と述べたようです。

同性愛者らに対して「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性がない」と雑誌に書いた衆議院議員が総務省の政務官に登用されるなど、「自民党の保守派議員は性的マイノリティに差別意識をもっているのではないか」とこれまでも批判されてきました。秘書官の発言はその懸念を裏づけたわけですが、深刻なのは、その後の会見でも本人はなにが問題なのか理解できていないことです(記者に対して「(私は)どっちかと言うと差別のない人間なので」などと繰り返し述べています)。

世界の価値観はますます「リベラル化」しており、欧米を中心に同性婚やパートナーシップの制度が整備されています。日本は5月に広島で行なわれるG7サミットの議長国ですが、このままでは欧州の首脳から人権について批判されかねません。首相は慌ててLGBT法案を議員立法で提出するよう指示しましたが、「怪我の功名」という表現が適切かは別として、この「差別発言」によって逆に差別の解消が進むかもしれません。

ただ、この問題で気になるのは、同性婚でなぜ「社会が変わってしまう」のかをメディアが(たぶん)意図的に触れないことです。

夫婦別姓や共同親権も同じですが、日本の場合、家族制度にかかわる議論にはつねに「戸籍」がからんできます。戸籍というのは、その成り立ちから明らかなように、「天皇の臣民簿」です。日本の右派・保守派は、国民が天皇の臣民として戸籍に登録されることが、日本という国のアイデンティティだと考えています。

ところが、戸籍はイエごとに「氏(うじ)」をもつため、夫婦別姓になっても異なる「氏」をひとつの戸籍に記載できません。子どもは(氏が同じ)親の戸籍に入りますが、離婚して共同親権になると、理屈のうえでは、氏が異なる親の戸籍にも子どもを記載しなければなりません(子どもは同時に2つの戸籍に登録されることになります)。

これらはいずれも、戸籍制度=天皇制の基盤を大きく揺るがせます。同性婚の場合、氏が統一できれば戸籍上は問題なさそうですが、同性がイエを構成することを受け入れられない保守派は多そうです。

このように考えれば、岸田首相の発言はまさにこの問題の本質を突いています。首相秘書官も、「君たちリベラルなメディアも、そろそろ天皇制と戸籍制度について真剣に論じるべきではないのか」とその真意を解説すれば、評価は大きく変わったことでしょう。そうした才覚のある秘書官を選べなかったことが、首相の自業自得ともいえますが。

参考:毎日新聞2月4日「更迭の荒井首相秘書官「同性婚、社会変わる」 発言要旨と詳報」
遠藤正敬『戸籍と国籍の近現代史 民族・血統・日本人』明石書店

『週刊プレイボーイ』2023年2月20日発売号 禁・無断転載