日本人はなぜ「曲芸」のような食べ方をしなくてはならなくなったのか? 週刊プレイボーイ連載(455) 

新型コロナウイルス感染者の急増で、政府・自治体が混乱しています。医療機関の逼迫を危惧して警戒レベルを引き上げると飲食店などから「今度こそもたない」と悲鳴があがり、Go To トラベル延長の方針には、観光地を抱える地域で感染拡大の不安が広がりました。

これが「感染抑制」と「経済活動」のトレードオフ(ジレンマ)で、どちらかを優先するともう一方がうまくいかなくなります。一時は日本と同水準まで感染抑制に成功したヨーロッパ諸国はこの罠にはまり、夏のバカンスシーズンの営業を優先したために感染が急拡大し、次々と再ロックダウンに追い込まれました。

こうした惨状に陥ったのは、当初、感染者増でも入院患者/死者数がほとんど変わらず、経済への悪影響を恐れて感染抑制策を躊躇したからだとされます。「検査数が増えている」「治療情報が共有された」「ウイルスが弱毒化した」などさまざまな説が唱えられましたが、感染が爆発的に拡大すれば入院患者が増えるのは当然で、やむなく「経済活動」をあきらめることになりました。感染者が増えはじめておろおろする日本の様子は、ヨーロッパの体験とよく似ています。

矛盾するメッセージが同時に出され、受け取る側が混乱するのが「ダブルバインド」です。文化人類学者のグレゴリー・ベイトソンが1950年代に、「あなたのことを愛しているの」といいながら、子どもが近づくと拒絶するような母親の態度が統合失調症の原因だと唱え、広く知られるようになりました。精神疾患との関係は現在では誤りだとわかっていますが、コロナ対策の混乱はこれでうまく説明できます。

政府は、鳴り物入りで始めたGo Toキャンペーンの失敗を認めることができず、一部制限への転換が遅れました。官僚は政治家からの身勝手な要求に応えるのに手いっぱいで、一貫した方針を考えるどころではありません。その結果、「やっていいけど、やってはいけない」という場当たり的な「対策」が次々と打ち出され、国民は「ダブルバインド状況」に翻弄されることになったのです。

コロナウイルスの拡散は、ほとんどが飛沫感染とされています。マスクは一定の効果がありますが、戸外を一人で散歩するようなときまで着けていても、飛沫が飛ばないのですからほとんど意味がありません。換気のいい建物内も同じでしょうが、これは不安に思うひとがいるからで、感染症対策というよりエチケットでしょう。

感染源となるのは、風俗店のような濃厚接触を除けば、マスクをせずに会話する食事の機会だとされます。しかし少人数の会食まで自粛を求めると、飲食店の経営が成り立ちません。そこで、食べ物を口に入れるときだけ一瞬マスクをはずし、すぐに元に戻す食べ方が推奨されることになりました。

中国やベトナムがいち早く経済成長の軌道に戻したことで、きびしい統制によって感染を抑制すれば経済活動と両立できることが明らかになりました。こうした手法は「全体主義」と嫌われますが、そんな国でもこんな曲芸のような食べ方はしていません。

「クルーズ船騒動から10カ月もたったのだから、もうすこし納得感のある対策を示してほしい」と思うのは、ぜいたくすぎるのでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2020年11月30日発売号 禁・無断転載