原発事故処理問題と不毛な「正義」 週刊プレイボーイ連載(92)

 

ほとんどのひとは、世の中には解決不可能な問題があることを知っています。しかしいったん当事者になると、それを認めることは容易ではありません。

福島原発事故で放射能に汚染された土地を、国は年間1ミリシーベルト以下まで除染し、被災者がふるさとに帰還できるようにすると約束しています。

除染というのは、放射線量の高い土地の表皮を物理的に除去することです。しかし、仮に平野部の除染ができたとしても、近隣の山から放射性物質が風で飛ばされてきますから、すぐにまた線量が上がってしまいます。

汚染された表土をはげば、それが放射性廃棄物になります。これらはいったん各市町村の仮置き場に預けられ、中間貯蔵施設に集められてから最終処分場に運ばれることになっています。しかし現実には、最終処分場はもちろん、中間貯蔵施設すら目処がたっておらず、大量の汚染土が仮置き場に野積みされています。

民主党政権は30年以内に最終処分場を福島県外につくると決めましたが、現在の除染のやり方では放射性廃棄物の量は膨大になり、受け入れる自治体が出てくるとは思えません。中間貯蔵施設の候補地として、原発事故で警戒区域・計画的避難区域に指定されている福島県双葉郡が打診されましたが、地元で強い反対の声があるのは、そのままなし崩し的に最終処分場にされると思っているからです。

中間貯蔵施設が決まらなければ、汚染土は仮置き場に放置されるのですから、こんどは仮置き場の新設や増設への反対運動が起こります。仮置き場がなければ放射性廃棄物を持っていく場所がないのですから、適当に違法投棄するしかなくなります。こうして、刈った草や集めた落ち葉を川に流す手抜き除染が問題になりました。

こうした不祥事が起きるのは、放射性廃棄物を処分する工程が決まらないからです。本来であれば、まずは最終処分場の場所を確定しなければならないのですが、そこを曖昧にしたままなので中間貯蔵施設がつくれず、その結果仮置き場が足りなくなり、手抜き除染が日常的に行なわれる悪循環に陥ってしまうのです。

放射線による被曝の影響は専門家の間でも見解が分かれますが、福島県内の広範な汚染地域のすべてを年間1ミリシーベルト以下にまで除染するのが非現実的だということでは意見が一致しています。除染のための巨額の予算はゼネコンなどの事業者に渡りますが、それなら被災者への賠償に充てたほうがいいとの主張にも説得力があります。違法投棄を行なう事業者を道徳的に非難するだけではなんの意味もないのです。

ところが本質的な議論をしようとすると、放射能の安全基準や最終処分場のやっかいな問題を避けて通ることはできず、除染費用の負担を電気料金の値上げで賄うのか、税金を投入するのかも決めなければなりません。これらはいずれもタブーとされていて、世論の強い反発を覚悟しなければ議題に載せられません。

このようにして、原発事故の後始末を論じるメディアは事実から目を逸らし、気分よく「正義」を振りかざすことを選ぶのです。

 『週刊プレイボーイ』2013年3月25日発売号
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