週刊朝日は謝罪すべきではなかったし、連載を続けるべきだった


出版の世界の片隅にいる者として、ノンフィクション作家・佐野眞一氏が『週刊朝日』に書いた「ハシシタ 奴の本性」と、その後の出版社の対応について思うことを述べておきたい。

いまから20年ちかく前のことだが、私はその頃小さな出版社に勤めていて、屠場労組の主催する糾弾の場に出たことがある。当時の糾弾というのは、十数社の新聞社・出版社の幹部や編集責任者が一堂に集められ、100人あまりの組合員の前で差別表現を謝罪するというものだった。

典型的な差別表現は「士農工商」「屠殺」「屠所に引かれる羊のように」で、こうした言葉を注釈なしに使った出版社は「差別に対する意識が足りない」として謝罪を迫られた。このとき会場を埋め尽くした組合員から、「お前は踏まれた者の痛みを知っているのか!」などと怒号を浴びるのが“糾弾”の由来だ(もっともこうした糾弾は70年代がもっとも激しく、私が参加したときはかなり形骸化していた)。

これらがなぜが差別表現になるのか理解できないひともいるだろうからすこし説明しておきたい。その時の屠場労組の説明は、次のようなものだった。
士農工商:江戸時代の身分制は“穢多非人”という被差別階層を前提に成立していたのだから、歴史学の研究ならともかく、現代の階級社会の比喩として使うべきではない。
屠殺:“屠る”というのは人間の生命のために動物の生命を犠牲にする聖なる行為で、「屠殺」のように、そこに“殺す”という否定的な単語を組み合わせるのは生き物を屠る聖なる職業に対する差別意識の現われだ。
屠所に引かれる羊のように:イザヤ書に出てくる言葉だというが、誰でも羊がかわいそうで屠人は残酷だと思うにちがいないのだから、差別的な歴史表現を安易に比喩として使ってはならない(こうして「ドナドナ」は歌えなくなった)。

こうした主張はその後、「言葉狩り」として批判されるようになるが、ここではそれについては論評しない。

糾弾という「儀式」の特徴は、出版社(と書き手)が無意識のうちに差別表現を使用して、それを指摘されて謝罪することだ。これはフロイト的な理屈でもあって、「無意識の差別意識を糾弾によって意識化することで、社会の矛盾や自らの差別意識とはじめて向き合うことができる」とされていた。

ところがメディア側は、このことを「うっかり差別表現を使うとヒドい目にあう」と学習し、「差別だと指摘されたら即座に謝罪し、絶版・回収する」のが常識になった。これが、メディア側の自主規制だ(これについては以前書いた)。

私はこうした対応には批判的だが、謝罪するのも、絶版・回収するのも著者と出版社の自由ではある。だがこれは、著者も出版社もそれが差別表現だとは知らなかった、ということが前提になってはじめて成立する話だ。知らずに書いてしまって、指摘によって今はそれが間違っていたとわかったからこそ謝罪するのだ。

ところが佐野眞一氏の「ハシシタ 奴の本性」は、こうした過去の差別問題とはまったくちがう。それは佐野氏が、絶対的な確信のもとに書いているからだ。

佐野氏は、「一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である。そのためには、橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない」と書く。

もちろん佐野氏は、この記事によってどのような事態が起きるかも正確に予想していた。

 オレの身元調査までするのか。橋下はそう言って、自分に刃向かう者と見るや生来の攻撃的な本性をむき出しにするかもしれない。そして、いつもの通りツイッターで口汚い言葉を連発しながら、聞き分けのない幼児のようにわめき散らすかもしれない。

 だが、平成の坂本龍馬を気取って“維新八策”なるマニュフェストを掲げ、この国の将来の舵取りをしようとする男に、それくらい調べられる覚悟がなければ、そもそも総理を目指そうとすること自体笑止千万である。

 それがイヤなら、とっとと元のタレント弁護士に戻ることである。

当然のことながら、『週刊朝日』編集部もこうした認識は共有していたはずだ。

『週刊朝日』編集部は、表紙に橋下市長の顔写真を大きく掲載し、大々的に新聞広告まで打って、佐野氏の記事を世に問うた。そして予想していたとおり、橋下市長から激しい反発と批判を浴びた。だったらなぜ、ここで謝罪して連載を中止するのか?

私たちはごくふつうに、初対面のひとに向かって、「ご出身はどちらですか?」とか、「お父さんはなにをされていたんですか?」と聞く。出身や血筋が本人の性格や人生に大きく影響すると、当然のように考えているからだ。

「ハシシタ 奴の本性」を読めばわかるように、佐野氏は、「血(ルーツ)」こそがひとの生き様を支配する、という人間観を持っている。佐野氏の作品が多くの読者を獲得したのは、こうした人間観が広く受け入れられているからでもある。「原発とプロ野球の父」正力松太郎の実像に迫った『巨怪伝』にしても、ダイエーの創業者・中内功の栄光と挫折を描いた『カリスマ』にしても、佐野氏の視点は常に一貫している。違うのは、対象との距離だけだ(『カリスマ』が傑作たりえたのは、佐野氏が中内功という人物に魅了されていたからだ)。

私は「DNAを暴く」という考え方には与しないが、「日本国の首相の座を目指す公人は、父母や祖父母の代まで遡ってすべてのルーツを国民に開示すべきだ」というのが、ひとつの考え方(思想信条)であるとは思う。過去を隠していては首相になどなれない。実の父親がヤクザだったことや自殺したことなど、不幸なルーツを国民に率直に打ち明けたうえで、新しい日本のリーダーとして名乗りを上げるべきだ……。

もちろん、父親が被差別部落出身者で、その「血」を引き継いでいるから「非寛容な人格」になった、などという主張が許されるはずはない。橋下氏が批判するように、連載第1回を読むかぎりでは、そのように取られかねない記述が随所にあることも事実だ。

しかしその一方で、優性思想のような「血の呪い」がはっきりと述べられているわけでもない。橋下氏の実父の縁戚にあたる人物の証言はあるが、それがどのように「ハシシタの本性」につながっていくのかは、第1回を読んだだけではわからないのだ。

私は一人の表現者の端くれとして、作品は完結してから評価されるべきものだと信じている。そしてこうした信念は、出版社(編集者)と共有されるべきだと思っている。

今回の『週刊朝日』の対応で私がいちばん不満なのは、著者である佐野氏が事態をどのように考えているのか、あるいは、謝罪や連載の中止に同意しているのか、いっさいの説明がないことだ(報道によれば、佐野氏は「週刊朝日に『取材には応じないように』といわれている」らしい)。

佐野眞一氏は、大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞を受賞し、日本のノンフィクション界の頂点に立つ。ジャーナリストとしての経歴を考えれば、被差別部落の出自と個人批判を重ねればどのような事態が引き起こされるのか熟知していたことは間違いない。その佐野氏が、激しい批判を覚悟のうえで、「確信犯」として、自らの名声を賭けてこの連載を始めた。『週刊朝日』編集部は、佐野氏とその覚悟を分かち合っていたのではなかったのか?

誤解のないようにいっておくが、私は佐野氏の「橋下批判」には同意しない。しかしそれでも、次のことだけはいっておきたい。

佐野氏とともに批判に耐える覚悟がないのなら、『週刊朝日』編集部はそもそもこの連載を始めるべきではなかった。

覚悟を決めて記事を掲載したのなら、中途半端な謝罪などせず、批判に耐えて、連載を最後まで続けるべきだ。そして連載が終わり、「作品」として完結したときに、そこから生じるすべての責任を引き受けるべきだ。

責任を引き受ける気も、著者を守る覚悟もないのなら、出版などやるべきではない。出版と表現の自由というのはそういうことだと、私は思っている。

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187件のコメント

  1. アンデルセヌ童話とやら、偉そうなことほざくならまずお前が中国の工作員じゃないかどうか出自を公開しろ。出自公開はあいさつみたいなもんなんだろ?だったらできるよなあ、挨拶。何とか言ってみろよ。お前が出自公開しないならこの記事に賛同する資格はない。立花とかいうブログ執筆者もそうだ、マスコミやその他一般人問わず家族の情報を調べつくされてストーカーされて公開されても文句言わないんだよなあ?挨拶だもんな。俺?俺はそんなことされたら困るね。でもお前にとってはあいさつだから気に食わないやつを徹底的に調べて粘着するんだろ、気持ちわりい。差別を盾にでかい口きいてる人間と言論の自由をはき違えて騒ぎ立てるあんたとどう違うんだよ。

  2. ジャーナリズムがここまで人を差別するとは驚きです。私も「ハシシタ 奴の本性」が「過激である」とは思いますが、過激を理由に父親が被差別部落出身者だと書き立てるのは「新聞の資質」に問題があります。新聞社はとうとうブラックジャーナルと「過激な記事競争」で販売部数を伸し始めたのでしょう。そろそろ新聞社に対するいろいろな特権をなくしてもいいのではないでしょうか?思えばあの連載を始める際に、このような事態に陥ることは十分検討したと思われます。検討の結果記事にするのは記者、編集長の個人の資質に問題があることと同時に「集団としての新聞社の資質」にも問題があります。

    今朝、橋下のニュースを見ながら「どうしたの」て聴く5年生の娘に「新聞社が、橋下さんのおとうさんがヤクザだから橋下は悪い奴だって本に書いたんだ。そうしたら、橋下さんが怒ったんだよ。って教えました。」私が信頼する新聞社に裏切られた気持ちでいっぱいです。
    加えて 
    「私たち」はごくふつうに「ご出身はどちらですか?」とか、「お父さんはなにをされていたんですか?」と聞く???私は国内で大人が初対面でこんなんことを聴くような失礼な人を見たことがない。日本人はそのような質問を「不躾(ぶしつけ)な質問」と呼びます。主語は「私たち」ではなく「私は」でしょう。それ以外の橘玲さんの意見には納得できる話も多く見られました。

  3. 非常に残念な内容です。
    先ず、今の時代で
    以下本文より
    私たちはごくふつうに、初対面のひとに向かって、「ご出身はどちらですか?」とか、「お父さんはなにをされていたんですか?」と聞く。出身や血筋が本人の性格や人生に大きく影響すると、当然のように考えているからだ。

    そんな人いませんよ。結婚する相手ならまだしも(笑)
    何を基準に、どんな世論調査を根拠としてるのですか?
    ディベートにしては、最低レベルであり。論拠、論点、根拠においても。自身の流れすらできてませんね。
    特に滑稽なのは
    いまから20年ちかく前のことだが、私はその頃 の行ですね大笑いですよこれは

    今現在の話をしないといけませんね。
    年代が変われば、言葉使いや作法等もろもろかわりますよ。
    現実逃避的な、無意味な比喩や過去独特の出来事を引用するなら
    それは、現在を否定し現在から未来への変化を否定することになります。

    早い話、古い話を持ち出すなんておかしな話です。
    歴史的に見るなら、戦争がおこったいきさつや
    終戦後の歴史的な事柄も含めて、正しく細かく書いたうえで。
    古い話で恐縮ですが、当時の… とはじめなさい。

    また、佐野眞一という自分がどのような受賞歴があろうと。
    関係ありませんよ。

    弘法も筆の誤り ということもあります。

    大きな看板を表に出し、それを後ろ盾に意見を述べてはいけませんね。

    先人とは思えない未熟な内容でした。
    反面教師としては、貴重ですが

    貴方と同じく、自己責任にて、書きたいことを書かせていただきました。

  4. 1.作品は完結してから評価すべきという考えは原則論としては是認できますが、自らが途中で間違いと気づき、かつ、連載を継続することで特定の人の人格を著しく傷つけるものについてまでその原則を貫くのは不合理。
    2.謝罪して連載をやめたから問題解決という事なかれ主義には確かに賛同できません。やるなら最後までやる、やめたのならなぜやめたのか、徹底的に理由や原因を究明して説明責任を果たすべきと思います。

  5. おそらく、「橋下新党」は大躍進を遂げるでしょう。朝日新聞は結果的に橋下さんを勢い付けました。
     不見識な記事は書いてジャーナリズムを捨て、謝罪文で週刊誌魂を捨て、残るは創刊当時からの見識高い美人グラビアと、似顔絵を柱に立て直しを図るべし。後者2コーナーはファンも多く、私も応援します。

  6. 挨拶しようや出自、家族構成、家計図公開だろ?
    それとも挨拶もできない記者さんなのかな??

  7. 「私たちはごくふつうに、初対面のひとに向かって、「ご出身はどちらですか?」とか、「お父さんはなにをされていたんですか?」と聞く。出身や血筋が本人の性格や人生に大きく影響すると、当然のように考えているからだ。」

    そんな事を考えて聞きません。
    他の方が言っているように、即刻「私たちは」を「私は」に訂正してください。

  8. 「私たちはごくふつうに、初対面のひとに向かって、「ご出身はどちらですか?」とか、「お父さんはなにをされていたんですか?」と聞く。出身や血筋が本人の性格や人生に大きく影響すると、当然のように考えているからだ。」

    初対面でも初対面じゃなくても、そんな事を考えて聞きませんよ。ごくふつうは。
    他の方が言っているように、「私たちは」はおかしいです。「私は」と書いてください。

  9. くだらん新聞社も週刊誌の出版社もつぶれたほうがよい。いずれそうなるだろうが。

  10. >責任を引き受ける気も、著者を守る覚悟もないのなら、出版などやるべきではない。
    お前自身が匿名で出自を明らかにしてないで何言ってるんだよ? まずお前自身が責任を受ける気ないだろ。

    >私たちはごくふつうに、初対面のひとに向かって、「ご出身はどちらですか?」とか、「お父さんはなにをされていたんですか?」と聞く。
    初対面の奴にいきなりこんなこと聞かれたら、普通ドン引きだよ、馬鹿!

  11. 先日橋下さんの生い立ちのような記事を読みました。
    お母さん一人でお子さん二人だったと思いましたが育て上げました。本当に立派なことです。
    少しぐらい性格がきつくなったとしても生い立ちを考えれば仕方ないと思いますよ。
    大事な大事なお母さんを守りたいのは人間として当然ですよ。人を中傷したり馬鹿にするのは簡単なことです。もう少し優しい目で人を見てあげてください。それが日本人ですよ。

  12. 「私たちはごくふつうに、初対面のひとに向かって、「ご出身はどちらですか?」とか、「お父さんはなにをされていたんですか?」と聞く。

    この一文を読んで、あなたの人生経験の質が分かって、あとは主張を聞けなくなった。
    いったい、どういう神経してんの?

    俺は、橋下の最近の言動には不服だし、不信感を抱いているが、
    あなたと週刊朝日、その親会社「朝日新聞」よりは信頼できると思う。

  13. 自分も出自を調べられてもいいというのであればこの内容でもいいかもね。
    出身や血筋で人の人生決まるという考えはヒトラーにつながる気もします。

    一人称を間違えないように。
    自分が考えてることはみんな考えてると思わないでいただきたい(出身や親の仕事を聞くあたり)。

    よろしく

  14. 「著者も出版社もそれが差別表現だとは知らなかった、ということが前提になってはじめて成立する話だ」という論法はおかしい。

    それは佐野氏が、絶対的な確信のもとに書いているからだ。刑法では、それを「故意」と呼び、知らなかったが、知るべき立場にあった「過失」より、罪が重いわけだ。

    つまり、件の記事は住所まで指摘する必要があるのか? それがマスメディアによる差別を助長する内容ではないのか? そこが、ポイントだろう。

    もちろん、公人の出自を調べ、公開することは、健全な民主主義には必要だが、今回の週刊朝日は、許された表現の自由を踏み越えているのではないか? 肝心なことは、ここだろう。

  15. 言わんとされていること、私はしっかり掴んでいますし、全く同感します。

  16. 言わんとされていること、私もしっかり掴んでいますが、全く同感できません。

  17. そもそも完結して評価と言う問題なのか?と思う。
    まず世間に出してはいけないものではないか?と世間の良識にさらす前に疑問に思うことが出版する側の良識だと私は思う。出版して起こりうる事態を相手(橋下氏及びその家族、そして指定された地域住民と関係者)の立場になって考えることができない想像力の無さが悲しい。
    この記事が世間に出てしまった今となっては良識と想像力と言う名のフィルターがいくつもあるべき報道・出版業界にかけてるのかと思うと・・
    頭を下げれば済むと言う問題ではないのにも関わらずです。
    自分も意見を述べてる以上何も言えないのですが、小さな意見を発していくことが大事なのはわかる。だから意見を言う勇気も大事だがまた同時に意見を飲み込むことも苦しい。だからこそ飲み込む勇気も大事なんだと思う。
    そして世に出て世間の良識が壁になって掲載中止になってもなお「完結して評価すべき。」なんてそもそも出てはならないものだから完結もなんにもないのにと自分は思います。

    それと自分の意見は一人称で言ってください。代表するかのような言い回しは私は卑怯だと思います。

  18. 橋本の出自は市長選挙の時に暴かれてるので、
     俺の身元調査までするのか?~
    これ以降の勝手な妄想はありえない。
    この妄想から思うに、あなたも佐野と同じく、屁理屈を捏ねて橋下を叩きたいだけでしょう。

  19. 橘さんも、このような書き込みが当然巻き起こると知っていて、書いたのだと思います。
     差別する、しない。ではなく
    我々の代表として橋本さんはその地位にいるのだから、私はできるだけ彼のバックグラウンドを
    知りたいとは思います。これから我々の代表として日本を動かしていく者がどのような環境や信念を持っているのか、どのようなつながりで動いているのかを知ることは国民にとって大切だと思うからです。対立軸を作り、どちらかを選ばせるのは もうはるか昔からの手法なので、それを超えた視点で物事を見ていくと、国民全体の幸せにつながるような気がします。

  20. 橘さんの内容に賛同します。
    私が気にしているのは、橋下氏もまた幼少時から差別され傷つけられ、その”体験”をバネにして成長し、徐々に力をつけ、ここまで来たのではないかと、そして頂点にたった時には、これまで自分を傷つけてきた”社会”に対して報復的に、得た力(権力)を国民や市民に対して振り下ろして行こうとしているのではないかと言う事です。

    ”私たちはごくふつうに、初対面のひとに向かって、「ご出身はどちらですか?」とか、「お父さんはなにをされていたんですか?」と聞く。”
    という部分は、実際に聞くか、という事よりあとの部分
    「出身や血筋が本人の性格や人生に大きく影響すると、当然のように考えている」人々(企業も含めて)がいるのは事実だと思います。

    それゆえに差別意識はなくならないし、この間、世の中に格差が拡大している中で、さらに増えていくのではないでしょうか?

  21. 今回の騒動で私が少し不思議だったのは、内容に何も目新しいことがないのに大騒ぎになった点です。ご本人も公の場で「僕は同和地区で育ちました」と言っており、父親やいとこの話も昨年別の週刊誌で読んだので有名な話ですよね。また、「その地区」が同和地区であることは少しでも関心がある人なら知っていることだし、調べもつくこと。出身地や系譜を人物像のアウトラインとして記載すること自体には問題はないと考えます。むしろ、私が思ったのは、犯罪者でもなんでもない人物を「奴」「汚物」と呼び、「うんこ」にたとえたりなどと子供じみた悪口を並べ立てて攻撃するのはありえないことではないのか、ということでした。佐野さんの著作物は多数読みましたが、こんな書き方はなかったと思います。詳細なアウトラインや証言のみを重ねていけば、あとは読者がどう感じるかをコントロール出来る力量はあるはず。

  22. 部落差別って、正直もう、あるのかないのかわからないでしょう?大昔のように居住区が決められているわけじゃなし、好きなところに住めますからね。今の若い人は「誰が部落出身かなんてわからないでしょうし、差別してると自覚もないでしょう。そういう人たちが「差別だ!」と叫ぶ必要ないでしょう。差別をした・された、という自覚のある世代は、私(50代)の親の世代までだと思うよ。あとは、はっきり同和出身とわかっている人と、皇族が結婚するようなことがあればすっきりするんですがね。

  23. 貴方みたいな方達が、国の未来をだめにするのでしょうね。たぶん。
    子供のころ 対人関係に問題があり 人に意見がいえなくて 声の大きな子共に怯えていませんでしたか?

  24. 一つ一つ指摘はしませんが、色々と随所に矛盾がありますね。
    あなたのことを全く知りませんが
    物書きが公の場で根拠を持たない事をのけのけと書いてしまう
    恐ろしいです。

  25. 貴方の書き手としての理性に重大な欠陥を感じる。

    一つの言葉、一つの文章が人格に与える影響の大きさを全く理解していない。
    完結するまで連載を続けるべき。といかにも幼稚な理性で述べているが、私は書き手の意図を読まない。印象に残る言葉、文章で私は判断する。

    今回の週刊朝日と佐野氏は、公人には何を言ってもよい。との考えだろう。が、「ハシシタ」と呼び捨て、危険な男と思うならば出自までを追及するか。出自故危険。と週刊誌からは読める。
    橋下氏の血を分けた子供さん達も危険で彼等の将来をも否定するのか。
    身勝手な理屈だ。

    多くが怒るように、貴方は言葉、文章の力を甘く見ているから「理性」を働かせ。と言いたいのであろう。
    今回は打ち切りが正しく完結まで書けと言うならば、貴方は橋下氏のご家族に対して今後どのようにして対処すべきか、直接会って話してやれば良い。ご親戚、知人、友人達にも話してやれば良い。
    貴方の役目だ。

    少なくとも自らを述べてからブログとして書くべき問題だ。
    貴方も、佐野氏も筆を置いた方が良いだろう。

    国政を担う人間がどういう経歴なのか知る権利は当然持っている。
    が、今回は文章の力を借りた犯罪と思っている。

  26. 朝日は、本多や慰安婦のでたらめ記事で有名だが 橋某と 誰?
    知らない人と初対面の挨拶で 出身地やお父さんの仕事 を聞く馬鹿がいるとは・・・・
    あきれた人だ。

  27. はじめまして
    ご出身はどちらですか?どんな家系ですか?
    こういう対応が普通だと言うのならなぜ再三の私の挨拶に対して無視を決め込むんですか?自分の素性は明かさない、でも他人をストーカーのように調べあげる、それがあるべき姿なんでしょ?いいかげん無視しないであなたの言う初対面の挨拶してくださいよ、橘さん

  28. 橘氏、川上氏、週刊朝日
    この三者の意見が、はっきりと明確化されず、あたかも橘氏が差別しているように受け止めているコメントが多いのは、悲しいですね。

  29. 士農工商の時代なんて持ち出すなんて、ナンセンス。日本人は過去に遡れば、戦争や争いやいくさの時代を生きてきたのだから、遡れば人を殺している祖先も沢山いるだろうし、今の日本だって死刑制度を支持しているのだから、国民一人一人が人を殺すことに数パーセントは責任があるはず。

    意識しているか、してないか、考えてないか、考えてるかそのぐらいのレベルの違いだけで、実際は少なからず皆んな責任は引きずってるのかもしれない。でも、過去の事をずっと言っていても自分たちは自分たち。そういうことも全て受け止めて、でもいかに今の世を良くするか、先を見て生きるかだと思う。

  30. 戦争は無いほうがいいと思うけれど、なかなかなくならないのと一緒で、残念ながら差別的な考えを持っている人は無くなりません。

    大阪に住んでいますが、他の地方より小学校の頃から同和教育に力を入れています。
    なぜなら、差別があるからです。

    今回の事で、1番の痛手は橋下さんのお子さんでしょうね。
    過去の先祖の方々も、いろいろあったでしょうが、
    これから大人になって生きていくお子さんに差別の矢がふるかもしれません。

    その考えが差別と思うかもしれませんが、実際、大阪に住んでいく
    のなら、大なり小なり影響があるだろうと思わずにいられません。

    地元大阪に住んでるものとして、綺麗ごとや自由は表現など吹っ飛んでしまえるほど
    影響のある問題です。

    公人である橋下さんを批判したいばかりに、自力で生きていけない子供さんの事を思うと、
    胸が痛みます。

    もっと大きな視野を持たないとどんなにきれいごとを言っても
    説得力はありませんね。

  31. 今、図書館で借りた「得する生活」を読んでいます。
    橘さんがどんな人かと思って、ここにたどり着きました。

    良かったです。本質を見極められる人が日本にいて
    世論は朝日悪、橋下善、一色でしたから一体この国は大丈夫かなと思っていたところだったので
    橘さんの本はこれが初めてですので、今からいろいろ読み漁ろうかと思っています。

  32. 何を意図して書いたかではなく、客観的にどのように受け止められるようなことを書いたのか、
    で、文筆者は評価されるべき。

    そうだとすれば、何万言を弄したところで、このコメント欄の「賛同者」の意見を読めば、結局のところ、浅はかな差別主義者に餌をくれてやっただけとしか評価できない。

  33. 今、差別主義者とかいって反橋下の援護続けている人は

    どちらが正しいか、歴史が証明するまでわからないのでしょう。

    彼は日本のヒトラ-になりかねない人物です。

    すでに起こった未来です。

    後悔した時には手遅れですよ。

  34. くそ橘を擁護してるクソは、大阪市役所の人間か?その家族?

    くそ橘・くそ橘を擁護するクソのくその糞!!!

    くそはこの世から消えてくれ!!!

  35. 血脈がどうのこうの、根拠の乏しいことをあげつらって人を貶めるのがジャーナリズムだとは思えません。それを掘り下げても何ら世の中に役立つとも思えません。差別主義者や橋下氏に対して悪い感情を抱く人たちが溜飲を下げるだけの読み物というだけなのではないでしょうか。
    酔っぱらいの放言や、トイレの落書きじゃないのだから、橋下氏のご家族の心の痛みを思いやる・・・・そういう良識とか優しさがジャーナリズムには必要なのではないでしょうか?反論する手段を持たないご家族と朝日出版社、力関係でいうと明らかに一方的な報道の暴力で卑怯ではありませんか?私は思想的には橋下氏の支持者ではありませんが、記事を読んで本当に不愉快になりました。
    橋下氏のご家族や社会にたいする影響力を考えると、謝罪して連載中止は妥当な判断だと考えます。確信をもって連載を強行し多くの人を傷つけた後に『ゴメンナサイ』では済まないでしょう?そのことで特にお子さん達が味わう苦痛はいかばかりか・・・
    報道する側は自らの独善が引き起こした結果にどんな責任がとれるんでしょうか?
    佐野氏や週刊朝日は言論の自由や出版社がいかにあるべきかという以前に、人としての思いやりに欠けてます。まずは素直に謝罪すべきでしょう。人間、誰だって間違いはおかしますよ。人様を糾弾するときは勇ましいのに、旗色が悪くなると・・・みっともないですね。佐野氏には、それこそ覚悟をもって仕事をしてもらいたいものです。

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