民主党政権とはなんだったのか(1)

民主政(デモクラシー)では、国民(Nation)の代表である国会議員が国家(State)を統治する。これが国民国家(Nation State)だ。ところが日本では、官僚制が国家を侵食することで、この統治構造が大きく変質してしまった。

日本の官僚制は、地方政府(地方自治体、地方公共団体)や業界団体などを通じて社会の隅々にまで根をはりめぐらせている。だがこうした権力のネットワークは省庁ごとに縦割りで分断されており、各省庁は自らの権限をめぐって熾烈な競争を行なっている。

こうした組織では、政策はトップダウンではなく、現場からの積み上げによってつくられる。

業界団体などが必要な政策を省庁に要望し、所轄課がそれをとりまとめて政策の原案をつくる。この原案は「合議(あいぎ)」あるいは「相議」と呼ばれる手続きによって、省内の関係部局の同意を取りつけ、局長間の合意を経て省案となる。

こうしたボトムアップの合意形成は、責任の所在が曖昧になる一方で、現場の実情を踏まえた政策が立案され、その内容が実施担当者に正しく理解されているというメリットも持っていた。その意味では、1970年代前半までの「政策不足」の時代にはきわめてよく適応した。

日本では、官僚制は閉じた存在ではなく、社会に深い根を持っている。これは社会の側が、業界団体や政治家を通じて官僚制を侵食しているということでもある。すなわち官僚制とは、日本においては、社会諸集団の結節点として機能しているのだ。

議院内閣制では国会議員は国民代表だが、官僚内閣制では社会集団のさまざま利害を官僚が代弁することになる。これが省庁代表制で、日本は自律した省庁の連邦国家なのだから、「省庁連邦国家日本(United Ministries of Japan)」と呼ぶこともできる。

ところが70年代末になると、日本社会が成熟し政策は飽和して、さまざまな問題が露呈することになる。

官僚にとっては新しい政策を立案し権限を拡張することが最優先だから、似たような法律が乱立し、際限なく増殖していくことになった。

行政が複雑になり、権限が分散化するにつれて、「拒否権」を持つ者が増えて合意形成に時間とコストがかかるようになった。

最大の問題は、既得権に干渉するような政策の立案がまったく不可能になったことだ。こうして官僚内閣制は、90年代以降の日本の危機にまったく対処できなくなった。