日本人は中国人に謝罪すべきか(3)

サンデル教授は「先祖の罪を償うべきか」という道徳的な問いを立てたが、国家を法人と考えるならば、「償う」べき主体は国民一人ひとり(個人)ではなく、法人の代表権者(日本では内閣総理大臣)となるだろう。

では次に、「誰に対して償うべきか」という問題を考えみよう。ここでも同様に、謝罪の対象は個人と法人の二つのケースが考えられる。

たとえばある企業(法人)が過失や違法行為(耐震偽装マンションを建設したり、毒入りギョウザを販売したり、賞味期限切れの商品を再出荷したり)によって消費者に損害を与えた場合、賠償は被害者個人に対して行なわれる。交通事故の損害賠償も同じで、損害保険会社(法人)は被害者(もしくは遺族)に対して契約に則った賠償金を支払うのであり、事故の目撃者や、被害者の友人や親戚にお金を払ったりはしない。

この原則は、水俣病のような公害でも同じだ。仮に原因企業(チッソ)が被害者ではなく自治体(水俣市)に莫大な損害賠償金を支払うとするならば、賠償は被害者に渡らず、事件後に住民票を移したひとも含め、なんの被害も受けていないひとも恩恵を受けることができてしまう。こうした事態が正当化できないことは明らかだから、謝罪と賠償はあくまでも被害者個人に対して行なわれなければならないのだ。

この原則は、原理的には、国家という法人が引き起こした損害(過去の戦争)にも適用できる。すなわち、被害者からの申立を受けて中立の機関が事実関係を精査し、そこに明らかな権利の侵害が認められた場合は、正当な手続きに則ってその損害が回復(金銭賠償)されるべきなのだ(この原則は戦争だけでなく、文化大革命や旧ソ連の強制収容所など、国家が自国民に与えた損害にも同様に適用されるべきだろう)。

ところが国家間の戦争の場合は、損害の規模が大きすぎて、個別のケースごとに賠償金額を算定したり、賠償すべきかどうかを決めることは明らかに非現実的だ。とはいえこのままでは永遠に紛争は解決できないので、便宜的に謝罪と賠償の対象を相手国(法人)とする方策(次善の策)が採用されることになる。これが平和条約だ。

いったん平和条約が締結されると、法人と法人のあいだの紛争は解決され、その後、追加の謝罪や賠償は要求できないとされる。過去の歴史的事象を取り上げていつでも好きなときに賠償請求できるのでは国家間の正常な関係は成り立たないから、両国の国益を最大化するためにもこれは合理的なルールだろう。

だが私の考えによれば、ここには「正義論」におけるきわめて深刻な問題が横たわっている。仮に国家と国家が平和条約を締結したとしても、その合意に個人(一人ひとりの被害者)が従わなくてはならないとする道徳的な根拠を提示することができないからだ。

議論をわかりやすくするために、次の4つのケースを挙げてみよう。

  1. 日韓基本条約により個人の賠償請求の完全解決が確認されているから、韓国人の元従軍慰安婦は日本国に賠償請求することはできない。
  2. 日中共同声明により中国は日本に対する戦争賠償を放棄しているから、南京事件を含め、中国人被害者は日本に対し新たな謝罪や賠償を請求することはできない。
  3. サンフランシスコ平和条約において日本は「全ての権利、権原及び請求権」を放棄しているから、ヒロシマ、ナガサキの損害に対し米国に謝罪や賠償を求めることはできない。
  4. 第2時世界大戦末期、日本は連合国との平和交渉の仲介を依頼するため、ソ連に対し、海外に在留する将兵を労働力として提供するすること(いわゆる役務賠償)を申し出たのだから、ロシア(旧ソ連)にシベリア抑留の賠償義務はなく、謝罪を要求することもできない。

この場合、法人間の合意に個人も従うべきだと考えるひとは、1)と2)を当然とみなし、同様に、原爆被災者やシベリア抑留者は相手国(加害者)に謝罪も賠償も要求できないと認めるだろう(日本国に対する損害賠償請求はできる)。

一方、一人ひとりの被害者(個人)は法人間の合意に従う必要はないと考えるひとは、国家間の合意の有無に関係なく、米国は原爆投下に謝罪すべきだし、ロシアはシベリア抑留に謝罪と賠償を行なうべきだと主張するだろう。しかしこの場合、日韓基本条約や日中共同声明を理由として、韓国や中国からの謝罪要求と賠償請求を拒絶することはできなくなる。

このようなジレンマが生じるのは、私たちが直感的に、損害は個人(被害者)に対して賠償されるべきものであり、法人と法人とのあいだの合意をうさんくさいもの(被害者の権利の侵害)とみなすからだろう。日本人が原爆被災者やシベリア抑留者に謝罪と賠償を受ける権利があると考えるように、韓国人は元従軍慰安婦に、中国人は南京事件の被害者に、個人として謝罪と賠償が行なわれて当然と考える。そしてこうした主張は、(やっかいなことに)きわめて強い訴求力を持つのだ。

最後に、ここまでの議論を整理しておく。

サンデル教授の「先祖の罪を償うべきか」という問いは、「個人」と「法人」を分けることで、以下の4つのケースに整理できる。

  1. 日本人は中国人に謝罪すべきである。
  2. 日本人は中国に謝罪すべきである。
  3. 日本は中国人に謝罪すべきである。
  4. 日本は中国に謝罪すべきである。

このうち1)と2)のケースは、個人(国民)には法人(国家)を代表して謝罪する権限はない、という理由で、論理的に排除できる。しかし3)「被害者個人に対して謝罪すべき」と4)「国家間で合意すれば個々の被害は免責できる」の間には、正義論における本質的な対立がある。

日中間や日韓(朝)間にかぎらず、世界には無数の「戦争責任問題」があるが、その解決がきわめて困難な理由は、おそらくはこのあたりにあるのだろう。

PS 小説『永遠の旅行者』には、日本国に対し個人として損害の回復を求めるシベリア抑留者が登場します。興味があれば読んでみてください。