第59回 パナマ文書に載らない「悪人」(橘玲の世界は損得勘定)

話題のパナマ文書にはやくも「大山鳴動して鼠一匹」の雰囲気が漂いはじめている。アイスランドの首相が辞任したり、イギリスの首相が国会で窮地に立たされたあたりまでは盛り上がったものの、そのあとがまったく続かないのだ。日本ではけっきょく、政治家の名前は一人も出てこなかった。

政治家は公人として、パナマ文書に名前があれば、法的・道義的な疑惑を国民に釈明しなくてはならない。だが株式会社が説明責任を負うのは株主で、個人は自分の行為を第三者に説明する義務はない。メディアが取材しても、「すべて適法に行なっています」「プライベートなことに答える必要はありません」といわれればそれまでだ。

税務当局が調査に入れば別だが、よほど悪質でなければ公表されないし、明らかになったとしてもずっと先のことだろう。もともと尻すぼみになることはわかっていたのだ。だったら、あの大騒ぎはなんだったのか。

「租税回避」には合法なものと非合法なものがあり、非合法だと脱税、合法なら節税だが、両者のあいだには広大なグレイゾーンがある。

テレビのワイドショーをはじめとするパナマ文書の報道では、タックスヘイヴンは「悪の巣窟」として描かれるのがふつうだ。そこには、合法的な租税回避、すなわち節税は主権者としての国民の権利だという視点は完全に欠落している。

脱税は利益に対して適切な税を納めないことだから、批判されてしかるべきだ。でも世の中には、それよりはるかに悪質な行為がある。それは、他人が納めた税金を詐取することだ。

といっても、どこぞのセコい知事や、なにかと批判される生活保護の不正受給の話をしたいのではない。もちろんこれも大事なことではあるが、桁ちがいの税金詐取が日常的に行なわれていることはほとんど報じられない。

タックスイーターは農水族、建設族、厚生族、文教族、郵政族、地方族、商工族などの族議員と結びついてさまざまな恩恵にありついてきた。自由な市場でライバルと競争するより、お上の保護のもとで公金をせしめた方がずっと楽に儲かるからだ。 度重なる行政改革でかつてのような濡れ手に粟のぼろ儲けはできなくなったというものの、いまでも権力の甘い蜜があるところには無数のタックスイーターが棲息している。

タックスイーターとは何者なのか。それは税に群がる政治家であり、国益よりも省益と天下り先を優先する官僚であり、規制によって既得権を守ろうとする財界のことだ。そして究極のタックスイーターは、国債で将来世代の負担を先食いし、年金や健康保険に充てている日本国民自身だ。

その結果、日本は1000兆円という天文学的な借金を背負うことになったのだが、そんなことを大真面目に批判しても嫌われるだけだ。必要なのは誰の既得権も侵さないスケープゴートなのだから、パナマ文書がおどろおどろしく脚色されるのも当たり前なのだろう。

参考:志賀櫻『 タックス・イーター-消えていく税金』 (岩波新書)

橘玲の世界は損得勘定 Vol.59:『日経ヴェリタス』2016年6月5日号掲載
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