“おまるカレー”問題 週刊プレイボーイ連載(45)

私たちはみんな、ヘビが大嫌いです。

赤ん坊に長くてにゅるにゅるしたものを見せると、怖がって泣き出します。これはサルの子どもも同じで、檻の中にヘビを入れると悲鳴をあげて逃げまわります。このことから、ヘビに対する嫌悪感は親から教えられる文化的なものではなく、進化の歴史のなかで遺伝子にあらかじめ組み込まれたプログラムだということがわかります。

進化論では、長くてにゅるにゅるしたものを警戒しない個体は、毒ヘビに咬まれてうまく子孫を残すことができなかったと考えます。なにかの偶然でヘビを嫌悪するようになった遺伝子だけが、進化の歴史を生き残ることができたのです。

同じことは排泄物にもいえます。ネコは自分のなわばりの中では排泄せず、終わったあとは後ろ足で砂をかけます。動物の多くがきれい好きなのは排泄物が病原菌を繁殖させ、病気の原因になることを(遺伝子が)知っているからで、不潔な場所で暮らす個体は進化の途中で淘汰されてしまったのです。

排泄物への嫌悪が生得的なものであることを証明するかんたんな実験があります。

被験者をおまる(簡易便器)の工場に連れていき、それがいまつくられたばかりの未使用のものであることを確認してもらいます。次に、そこにカレーライスを盛って、食べるよう勧めてみましょう。この“おまるカレー”を食べられるひとは、おそらくほとんどいないでしょう。

理性では、便器が清潔なものであることはもちろんわかっています。しかしその一方で、便器は糞便を連想させ、遺伝子のプログラムが強い警告を発します。この生理的な嫌悪感はとてつもなく強いので(想像しただけでわかるでしょう)、理性などなんの役にも立たないのです。

なぜこんな汚い話をするかというと、これが震災がれき処理問題の本質だからです。

放射能というのは、目に見えず、科学のちからで処理することができず、がんの原因になり、とりわけ幼い子どもに大きな害を及ぼします。すなわち、ひとに生理的な嫌悪感をあたえる「気持ち悪さ」のすべての要素を兼ね備えています。

電力会社や原子力の専門家はもちろんこのことを身に染みて知っているので、これまで「絶対安全」を繰り返してきました。ところが福島の原発事故で安全神話が根底から崩壊すると、ひとびとは信頼の根拠を失って、放射能本来の「気持ち悪さ」が前面に出てきてしまったのです。

がれき処理の難しさは、“おまるカレー”とちがって、安全を科学的に証明することが不可能なことにもあります。微量の放射能でも遺伝子を傷つける可能性はあり、「生体に悪影響を及ぼすことはない」と言い切ることはできません。これに生理的な嫌悪感が加わるのですから、どのような理性的な説得も効果がないのは当たり前です。

低線量のがれきが処理できるようになっても、原発周辺の汚染されたがれきの行き場はないままでしょう。住民が納得する除染を行なおうとすれば、天文学的な費用がかかります。

放射能汚染は、原理的に解決不能なさまざまな問題を引き起こします。これから何世代にもわたって、私たちはそのことを思い知らされることになるのでしょう。

 『週刊プレイボーイ』2012年4月2日発売号
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