自殺志願者に安楽死を

フランスの片田舎に住む20歳の青年ヴァンサンは交通事故で重症を負い、9カ月の昏睡状態に陥った。意識が回復した時、彼の全身は麻痺し、唯一、親指だけがわずかに動いた。ヴァンサンは親指を使って、愛する母親と会話を交わすようになった。彼が望んだのは、この悪夢のような人生を終わらせることだった。

ヴァンサンは、3つの計画を立てた。計画Aは、シラク大統領に手紙を書き、死ぬ権利を与えてもらうことだった。大統領はその手紙に心を動かされ、ヴァンサンの病室に自ら電話をかけた。だがフランス大統領には、彼の希望を叶える権限はなかった。

計画Bは、安楽死を合法化したオランダへ行くことだった。フランスのメディアは、ヴァンサンの大統領への手紙を大きく報じていた。彼は、その計画を実行するにはあまりに有名になり過ぎていた。

2003年9月24日、計画Cが実行された。ヴァンサンは、「事故後の人生で最高の日」と母親に伝えた。母親は、致死量の鎮痛剤を息子に投与した(1)

日本の自殺者数は年間3万人に達している。その多くが中高年の男性であるため、リストラや借金苦との関わりが注目を集めたが、動機のトップは常に健康問題であり、毎年1万人近い日本人が病気を苦に死を選んでいる。自殺の手段の7割は「縊首、絞首及び窒息」である。

日本はフランスと同じく、安楽死を厳しく制限している。それは、(1)患者の死が避けられず、(2)耐えがたい肉体的苦痛があり、(3)その苦痛を除去・緩和する代替手段がなく、(4)患者本人の明らかな意思表示がある場合に限り、例外的に認められるに過ぎない。ヴァンサンは全身が麻痺しているものの、意識を保ったまま生き続けることが可能だったから、この安楽死の4要件を満たすことはできない。

「尊厳死」は末期医療での延命治療を拒否する権利で、リビング・ウィル(生前発行の遺言書)の普及によって、日本の医療現場でも広く認められるようになってきている。それに対して「安楽死」は、本人の意思に基づいて第三者(主に医師)が安らかな死を与えることを言う。これは、法的には嘱託殺人の一種である。

「自殺する権利があるか?」は宗教や倫理学の重要なテーマだが、本人に実行能力がある場合、この問いは実質的に意味をなさない。権利がなくても、人は勝手に死んでいく。

ヴァンサンは、それとは違う重い問いを私たちに突きつけた。安楽死の要件を満たせないというだけで、人はなぜ苦しんで死ななければならないのだろうか?

2001年4月、オランダで積極的安楽死を認める法案が成立した。それによれば、本人の意思が明らかで、治癒不可能な耐え難い苦痛があれば、医師が患者の生命を終結させても刑罰を科せられることはない。安楽死の要件から「避けがたい死」が除外されたことで、病気や障害で苦しむすべての患者に安らかな死を選択する権利が与えられた。

オランダでは、精神的苦痛による理由で健康体の老人を安楽死させた医師や、2人の子供を失って生きる意欲をなくした女性の自殺を幇助した精神科医に対し、刑事責任を問わないとの判決も下されている。オランダ自発的安楽死協会は、「『人生は終わった』と感じる人が死を選択する権利」を求めている。これが認められれば、すべての自殺志願者に安楽死の道が開かれることになる。

欧米の安楽死推進論者は「死ぬ権利」を主張する。誰もが苦痛なく自らの意思で人生の幕を下ろすことができるべきだ、と彼らは言う。高齢化社会を迎え、私たちはこの問題からか目を逸らすことができなくなってきた。

やがて日本でも、経済力に恵まれた自殺志望者が海を渡って安らかな死を迎えるようになるかも知れない。だが大半の自殺者は、現在と同様に、縊死や溺死、墜落死を選ばざるを得ないだろう。

すべての人が生きる権利を持っている。だが誰も、生きることを強制することはできない(3)

(1)『僕に死ぬ権利をください―命の尊厳をもとめて』ヴァンサン・アンベール(NHK出版)
(2)アメリカでは、認知症と安楽死が大きな論争になっている。安楽死推進派は、人は自分がいつ死ぬかを決める権利を持っており、事前に本人の意思があれば、認知症によって自己決定権を奪われた際の安楽死を認めるべきだと主張する。反対派は、認知症での安楽死を認めれば、介護が重荷になった家族による“合法的殺人”に歯止めがなくなると反論している。
(3)もちろん、すべての自殺志願者に安楽死が与えられるべきだ、というわけではない。自殺を考える人の多くは鬱病であり、それは適切な医学的治療で改善可能だ。オランダの安楽死合法化への批判としては『操られる死―<安楽死>がもたらすもの』(ハーバート・ヘンディン<時事通信社>)がある。ヘンディンは、オランダの安楽死は誤ったパターナリズム(父親的温情主義)であり、適切なケアによって自殺願望を生きる意欲に変えることができると述べている。

橘玲『雨の降る日曜は幸福について考えよう』(幻冬舎)2004年9月刊
文庫版『知的幸福の技術』(幻冬舎)2009年10月刊