女子高の生徒はなぜ望まない妊娠をしないのか?

「男女七歳にして席を同じうせず」は封建道徳の象徴のような扱いを受けてきましたが、アメリカではいま男女別学が見直されているようです。

アメリカの心理学者、レナード・サックスの『男の子の脳、女の子の脳』に、「女子高の生徒はなぜ望まない妊娠をしないのか?」という興味深い記述があります。私は女子高のことはなにもわかりませんが、関心のあるひともいると思うので紹介しておきます。

男女共学では、男の子と女の子はごく自然に、性別によって自分の役割を決めてしまいます。だから男女共学校からは、男性のフルート奏者や女性の物理学者は生まれません。ここまではしばしば指摘されることですが、サックスは共学と別学では男女のつき合い方も異なると指摘します。

ほとんどのひとは、女子高では男子生徒と知り合う機会が少ないから、妊娠のようなトラブルも起きにくいのだと考えるでしょう。しかし実態を調査してみると、女子高と共学校で、ボーイフレンドのいる割合やデートの回数にほとんど差はありませんでした。となると、女子高の生徒が妊娠しないのには、なにか別の理由があるはずです。

サックスによれば、共学校での男女のカップリングは、個人的な関係というよりも、それぞれのグループ内での役割分担によって決まります。ようするに、グループでいちばん人気のある男の子は、やはりグループでいちばん人気のある女の子とつき合うのです。

こうした環境では、男女関係はグループ同士の関係になります。カノジョは男の子グループの一員となり、カレシは女の子グループの一員になって、なにをやるにもいっしょという親密な関係が生まれるのです。

これは逆にいうと、もしカレシと別れるようなことがあれば、同時に、女の子グループ内での立場も危うくなる、ということです。これは女に子にとってきわめて大きな打撃なので、できるだけカレシとの関係を継続したいと考えるでしょう。

このとき、女の子グループの一人が男の子グループの一人とセックスしたとします。当然、男の子は、その“成果”を仲間内で自慢するでしょう。

それを聞いたカレシは、グループ内での自分の地位を守るために、カノジョにセックスを求めます。こうなると女の子は、たとえ気乗りしなくても、その要求を拒むことがきわめて難しくなります。

このようにして、共学校では女の子の望まない妊娠が多くなるのだととサックス博士は考えます。

一方、女子高では女の子同士の友だちグループと、カレシとの関係は切れています。カレシと別れても、女の子の友だちがさして気にしないのなら、無理な要求を断わることもできるでしょう。このように、男女別学では女の子が性的な意思決定に対して主導権を持てるので、望まない妊娠をすることが少なくなるのです。

もっとも日本では、女子高の生徒は特定の男子校のグループとつきあうことが多いので、その場合は、この“効果”はあまり期待できないかもしれません。

第8回 ほんとうは幸福だった20年?(橘玲の世界は損得勘定)

用事があって九州の地方都市に出かけた。ホテルに着いて、着替えの下着を忘れたことに気がついたので、近くのスーパーに買いにいった。

都合のいいことに、入口の横で下着類の特売をしていた。Vネックのメッシュの半袖シャツ(フィリピン製)2枚組580円が480円に値引きされていて、それがさらに半額になっていた。支払額は240円、シャツ1枚あたりわずか120円だ。

そのあとスーパーの中を覗いてみたのだが、ワインのフルボトルは500円前後のものがほとんどで、いちばん高いオーストラリアワインが1050円だった。アーモンドやカシューナッツなどは1袋98円のコーナーに並んでいた。経営者は、それ以上高いものを置いても意味がないと考えているようだった。

80年代に東南アジアを旅行すると、物価の安さに度肝を抜かれた。バブルの頃は、若いOLが週末を利用して香港やシンガポールにブランドものを買いにいくのが当たり前だった。OECD(経済協力開発機構)の統計を見ても、当時の日本は世界でいちばん物価の高い国で、住居費や食費、衣料費、水道光熱費などなにからなにまで国際平均の倍以上した(アメリカと比べると3倍以上だった)。

ところが90年代になると、日本の物価が上がらなくなった(というか、下がりはじめた)。これによって海外との価格差も縮小していったのだが、私がこのことにはじめて気づいたのは、世紀が変わる頃に、日本にブランドショッピングに行く香港女性に会ったときだった。「日本のほうが安い」という言葉は衝撃だったが、それから10年もしないうちに、香港や台湾だけでなく、中国本土からもたくさんの観光客が日本に買い物にやってくるようになった。

1ドル=120円台の円安だった4年ほど前は、オーストラリアなどに移住した日本人のUターンが相次いだ。値上がりした現地の不動産を売却して日本に戻れば、これまでよりずっといい暮らしができたのだ。

私が大学入学で東京に出てきた70年代末は、食堂の定食が500円前後だった。それから30年たった現在、ビジネス街を歩けばランチ500円の看板をあちこちでみかける。ジーンズは1本4000円以上したが、いまでは1980円だ。統計上の物価指数は上がっているものの、生活必需品のコストは逆に下がっているのだ。

1990年の大卒初任給は約17万円。それが2000年代になって約20万円になったから、所得は2割ちかく増えている。生活費がほとんど変わらないとすると、「失われた20年」で日本人はゆたかになったことになる。

日本で暴動やデモが起きないのも、日本人が内向きで海外に行きたがらないのも、この(相対的な)ゆたかさを考えれば当たり前だ。後世の歴史家は、この時代を「希望はないが、ほんとうは幸福だった20年」と呼ぶかもしれない。

ただしその代償として、私たちは1000兆円を超える莫大な国の借金を背負うことになったのだけれど。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.8:『日経ヴェリタス』2011年10月16日号掲載
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あなたの隣にいるエイリアン 週刊プレイボーイ連載(23)

人類の遺伝子をたどると、約20万年前のアフリカの女性にたどり着くといいます。サバンナで生まれた人類(ホモ・サピエンス)の祖先は、約5万年前に故郷を捨ててアジアやヨーロッパ、南北アメリカからオーストラリアまで広がっていきました。

その後、ヨーロッパ北部に移住したヒトは、短い日照時間にあわせて皮膚のメラニン色素を減らし、白い肌に進化しました。アジアに移住したヒトのメラニン色素は、やはり日照時間に応じて、白人と黒人の中間あたりに落ち着きました。このようにして、数万年のあいだに白人、黒人、黄色人種のちがいが生まれたと考えられています。

いうまでもなく、人種差別はこの世界が抱えるもっとも大きな問題のひとつです。つい100年ほど前までは、黒人やインディアン(ネイティブアメリカン)はヒトではなく、殺したり奴隷にしたりしてもかまわないと思われていました。アジアの黄色人種は、黒人から白人へと「進化」する中間段階で、「半人間」として扱うべきだとされていました。人種についてのこうした誤解がどれほど多くの悲劇を生んできたかは、あらためて述べるまでもありません。

じつは私たちは、肌や髪、目の色のちがいよりもずっと見知らぬヒトと日常的に接しています。それが、男にとっての女(あるいは女にとっての男)です。

最近の研究では、男と女はたんに生殖機能が異なるだけでなく、脳の構造もちがっていることがわかっています。

たとえば男性の言語機能は左脳に集中していて、脳卒中でこの部分が損傷するとたちまち話せなくなってしまいますが、女性の場合は言語能力がかなりの程度維持されます。逆に男性は、右脳が損傷を被っても言語能力に影響はありませんが、女性は言語性IQが明らかに低下します。これまでの常識とはちがって、女性は話すために脳の両方を使っているのです。

さらに男性と女性では、見ているものまでがちがっているかもしれません。

目の網膜は光を神経シグナルに変換する仕組みですが、視野の中央と周辺では異なる神経節細胞がはたらいています。中心部にあるP細胞は色や質感などの情報を集め、周辺部のM細胞はものの動きを検知します。そして、男性の網膜は主にM細胞(動きと方向)が分布するのに対し、女性の網膜はP細胞(色と質感)で占められているのです。

この単純な網膜の構造のちがいから、女の子が赤やオレンジといったカラフルな色が好きで、質感に富んだ人形で遊びたがる理由がわかります。逆に男の子は、色にはほとんど興味を示さず、トラックや飛行機など動くものに強く引かます。

「男女平等」の思想によって、これまで男と女のちがいは文化的なものだと考えられてきました。しかしこうした研究は、性差が生得的なものであることを示唆します。チンパンジーの子どもを観察すると、オスは車のおもちゃ、メスは人形で遊びたがるのです。

もちろんこのことは、男女差別は当然だ、ということを意味しません。たとえ脳の構造がちがっていても、男と女は努力してわかりあおうとします。

私たちがすぐ隣にいるエイリアンと共生できるのなら、たんに肌の色がちがうだけの人々がわかりあえないはずはないのです。

参考文献:レナード・サックス『男の子の脳、女の子の脳』

 『週刊プレイボーイ』2011年10月17日発売号
禁・無断転載