第14回 同じ島のリゾートと最貧国(橘玲の世界は損得勘定)

カリブ海の島々は、壮大な社会実験のようだ。

キューバはカリブ最大の島で、15世紀末からスペイン人の入植が始まり、砂糖きびプランテーションの労働力としてアフリカから大量の奴隷が送り込まれた。

現在の人種構成はスペイン系とアフリカ系がそれぞれ4分の1で、国民の過半が双方の血を受け継いでいる。子どもたちは全員が公立学校で教育を受け、人種の融合が進んで、肌の色のちがいを意識することはほとんどない。

1959年の革命以来、カストロによる一党独裁の社会主義政権がつづき、街には50年代のアメリカにタイムスリップしたようなクラシックカーが走っている。教育も医療も無料だが、公共交通機関はほとんど機能しておらず、長距離の移動はヒッチハイクするしかない。旧ソ連からの援助がなくなって、いまはすこしずつ経済の自由化に向けて歩みはじめたところだ。

キューバの東にはカリブ海第2の大きさのイスパニョーラ島があり、東側が旧スペイン領のドミニカ共和国、西側が旧フランス領のハイチに分かれている。

ハイチはアフリカ系指導者のもとカリブ海ではじめて独立を勝ち取った輝かしい歴史を持つが、その後の政治的混乱で、現在では北朝鮮やジンバブエなどと並ぶ“失敗国家”の烙印を押されている。それに対してドミニカは、コロニアル建築の残るカリブ海屈指の観光地だ。

グーグルアースで見ると、同じ島なのにハイチとドミニカでは地面の色がちがう。鬱蒼とした熱帯雨林がハイチに近づくにつれてまばらになり、地肌が露出している。貧しい人々が、山の樹々を薪として伐採し尽くしてしまったのだ。

ハイチの悲劇は、隣のドミニカが観光業の優等生になるにつれて、ダークサイドに落ちていったことだ。

独裁や内戦などの混乱の後、政治が安定すると、ドミニカはファミリーに人気のリゾートに変貌した。後れをとったハイチの観光業者は、集客のため麻薬や同性愛を売り物にするようになった。一時は欧米からの観光客で賑わったが、80年代にエイズが蔓延すると社会全体が崩壊してしまったのだ。

2010年の大地震でハイチは30万人を超える死者を出し、その惨状が全世界に報じられた。だがほとんどのひとは、荒廃した最貧国のすぐ隣にゆたかな観光立国あるなどとは思いもしなかっただろう。

ヨーロッパ諸国の植民によって、カリブの原住民は疫病などで死に絶えてしまったから、どこもほぼ同じ条件で国づくりをスタートした。それにもかかわらず、独立から100年あまりでこれほどまで大きなちがいが生じたのだ。

歴史は個人の意志や努力によってつくられるのではなく、偶然の積み重ねだ。生まれた時と場所によって、人生の大半は決まってしまう。それでも私たちは、自分にできることを精一杯やるほかはない。

南の島で、そんなことを思ったのだった。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.14:『日経ヴェリタス』2012年3月18日号掲載
禁・無断転載

ドミニカとハイチで地面の色が明らかにちがう

恋人が死ぬより長時間通勤の方が不幸? 週刊プレイボーイ連載(43)

「恋人(配偶者)が突然死んだとしたら、こころの痛みは最初の年で3800万円」

こんなことを大真面目で研究している「科学」があるとしたら、誰だってバカバカしいと思うでしょう。

でも「幸福の計算」はれっきとした経済学の一分野で、それ以外にもさまざまな人生のイベントに値段がつけられています。たとえば独身のひとが結婚したとすると、その直後の喜びは43万円の宝くじに当たったのと同じです。子どもが生まれるのは、31万円を道で拾った喜びに相当します……。

結婚や子どもを持つことは私たちをそれほど幸福にはしてくれない――。この研究結果がイギリスで発表されたときにはものすごい反発がありましたが、結婚で失ってしまった自由や子育ての大変さを思って、ひそかに納得したひとも多いのではないでしょうか。

私たちのこころが、幸福にも不幸にもすぐに慣れてしまうこともわかっています。

たとえばある研究では、宝くじに当たったひとと交通事故で下半身麻痺になったひとの人生の満足度を比較しています。当然、それぞれの幸福度には大きなちがいがあると思うでしょうが、その結果は、宝くじに当たってもたいして幸福にはならず、下半身麻痺のひとと比べても大きな差はないというものでした。幸福とは主観的なもので、交通事故で障害を負ったひとは、「生命が助かっただけ運がいい」と前向きに考えるのです。

恋人や配偶者と死別すれば、誰もが大きな精神的ショックを受けます。しかしその後の彼らを追跡調査すると、男性では4年、女性では2年で人生の満足度は元に戻ります。離婚はもっとはっきりしていて、最初のうちは傷つきますが、数年のうちに以前より幸福になってしまいます。

あなたは、「こんな話になんの意味があるのか」と思うかもしれません。しかしこれは、今後とても重要になる研究分野です。「お金で買えないもの」はたくさんありますが、しかしそれでも私たちの社会は、それに無理矢理値段をつけなくてはならないからです。

日本の裁判所はこれまで、離婚などのケースを除いて、精神的苦痛に対する損害賠償(慰謝料)をほとんど認めてきませんでした。賠償というのは実損害に対するもので、“こころの痛み”に値段をつけることはできない、という立場です。

しかし一見もっともなこの考え方は、原発事故のような巨大災害が起こると、理不尽なものになってしまいます。住み慣れた我が家から強制避難させられたひとたちも、代わりの住居などを用意されると実損害がなくなってしまうからです。

これではあまりにもヒドいということで、原発事故では精神的な賠償も認められることになりましたが、これまでなんの基準もない以上、加害者(東京電力)と被害者の主張は大きく食い違ったままです。賠償資金が有限である以上、公平で平等な賠償のためにはなんらかの「幸福の計算式」が必要なのです。

ちなみに研究では、死別のような一度かぎりの出来事よりも、持続する苦痛のほうが幸福度を引き下げることがわかっています。毎日の長時間通勤は、恋人の死よりもずっと人生を不幸にするようです。

参考文献:ニック・ポータヴィー『幸福の計算式』

 『週刊プレイボーイ』2012年3月19日発売号
禁・無断転載

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追記

ここで「結婚の喜びは43万円の宝くじに当たったのと同じ」と書きましたが、元になったの表紙には「結婚初年度の『幸福』の値段は2500万円?」とあって、混乱するひとがいるかもしれないので追記します(1200字のコラムでは、必要なことすべてをなかなか説明できないのです)。

著者のニック・ポータヴィーは、幸福の計算において、お金の受け取り方で「内在」と「外在」を区別しています。

「内在」というのは、「地位が上がって責任も重くなり、仕事が忙しくなったけど給料も上がった」というようなケースです。それに対して「外在」は、棚からボタ餅でお金が手に入った、というケースです。

当然、外在の方がずっとうれしいので、内在よりも幸福の値段は少なくなります。

内在と外在の差はものすごく大きくて、たとえば結婚の場合、外在(棚からボタ餅)では43万円でも、内在(仕事がつらくなる)で計算すると2500万円になるのです。

まあ、どちらもたんなる参考値ですが。

日本人は世界一の“ネット消費者”

小林弘人『メディア化する企業はなぜ強いのか?』に興味深いデータが紹介されていたので、備忘録としてアップしておく。

デロイト「メディア・デモクラシーの現状」調査(デロイトトーマツコンサルティング)は、北米、欧州、日本などの14歳以上75歳以下のひとをターゲットにしたメディアに関しての意識調査だ。ネットインフラが充実した先進国のメディア状況を比較したものは稀で、この調査記録は貴重なものだという。

下図は、「日本版レポート2011年版」に掲載されたネットに対する国別の意識のちがいだ。これを見ると、日本のネット利用者の動向が他国と大きく異なっていることがわかる。

調査結果によれば、アメリカとカナダの北米2カ国のネットに対する意識はほとんど同じだ。フランスも、「インターネット広告は煩わしい」と感じる比率が際立って高いことを除けば、あとはよく似ている。

それに対してドイツ人の特徴は、ネットに対してきわめて保守的なことだ。彼らはオンライン・メデアを利用する気がなく、SNSを介した社交に興味を持たず、ネット上の広告に批判的だ(だからといって、新聞や雑誌などのオールドメディアを好んでいるわけでもない)

一方日本人は、「オンライン・メディアをもっと利用したい」「広告受取のために個人情報を提供してもよい」の2項目で肯定的な意見が際立って高く、「オフラインのメディア(新聞・雑誌等)をより好む」「インターネット広告は煩わしい」の2項目では否定的な意見が強い。すなわち、調査対象の5カ国のなかでネットにもっとも親和的だ(その結果として、当然、「SNS/ゲーム中に広告の影響を感じる」ことになる)。

日本人のもうひとつの際立った特徴は、「SNSを介した人間関係を重視する」という項目にYESとこたえた割合が、ネット利用にきわめて保守的なドイツ人よりも少ないことだ。

下図は同じ調査の「2010年版」で、質問項目と対象となる国が若干変わっている。

2010年版の調査では、アメリカとイギリスの動向がほぼ同じで、「オンライン・メディアをもっと利用したい」「オフラインのメディア(新聞・雑誌等)をより好む)に肯定的な割合が少ないことを除けば、他の項目ではドイツもほぼ同じだ。その分、日本のネットユーザーの特異性が際立っている。

ここでも、「オンライン・メディアをもっと利用したい」「広告受取のために個人情報を提供してもよい」などネットとの親和性が高い一方で、「SNSを介した人間関係を重視する」「自身で情報を加工・発信している」の2項目の割合がきわめて低い。

この調査結果は、小林のいうように、「日本人はオンライン上のメディアにおける個人消費については積極的であるが、ソーシャル(社交)活動については消極的」という傾向を示しているのだろう。

アメリカ、カナダ、イギリス(およびフランス)といった欧米各国は、ネットを社交のためのツールとして利用する一方で、ネット広告(とりわけ個人情報の提供)には抵抗感が強く、新聞・雑誌などのオールドメディアにもそれなりの信頼を置いている。

それに対して日本人は、広告を含め、ネットから情報を受け取ることにほとんど抵抗がなく、個人情報の提供にも積極的だ。その一方で、ネットでの社交や情報の発信にはあまり興味を持っていない。情報の送り手ではなく、あくまでも受け手としてネットを利用しているのだ。

この結果についてはさまざまな分析が可能だろうが、そのなかで新聞・雑誌関係者にとって衝撃なのは、「オフライン(新聞・雑誌等)のメディアをより好む」の項目にYESとこたえた比率がきわめて低いことにちがいない。

日本人は、(広告も含めた)ネットメディアと、新聞・雑誌などオールドメディアの情報をほとんど区別していない。ネット上の情報消費者としては、世界(すくなくとも先進国)のなかでもっとも貪欲だ。

しかしこれは、ネットによる意識操作や欲望の誘導がきわめて容易だということでもあり、それを考えるとちょっとコワい。