海外情報サイト「海外投資の歩き方」オープンのお知らせ

本日、橘玲×ZAi Online「海外投資の歩き方」がオープンしました。初日のご挨拶を、BLOGにも転載しておきます。

それと同時に、サイトOPENの記念として、講演会をやってみることにしました。ご興味のある方はどうぞ。

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こんにちは。橘玲です。

今日から、ZAi Onlineの中で「海外投資の歩き方」というサイトを始めることになりました。そこでかんたんに、企画の趣旨とコンテンツを提供してくれるひとたちの紹介をしたいと思います。

一口に海外投資といっても、いろいろなやり方があります。近所の証券会社で外国の株式や債券に投資するファンドを買ってもいいし、東証や大証には海外株式や商品指数などのETFが上場されていて、日本株と同様に売買できます。一部のオンライン証券会社は、アメリカ株や中国(香港)株などの個別銘柄を取り扱っています。

それに対して、私がやっている海外投資は、直接、現地の銀行や証券会社に口座を開設して、株式や債券、ファンドなどを買ってみる、というものです。なぜこんなことをするかというと、いろいろ理屈はつけられるのですが、ひと言でいえば面白いからです。

資産運用を収益の最大化で評価するのは正しい態度だと思いますが、誰もが人生を正しく生きなければならないと決められているわけではありません。しょせんひとの一生は有限なのですから、どうせなら楽しく生きたほうがいいに決まっています。

私と同じようにそんなことを考えて、海外投資の辺境地帯を探検しているのが木村昭二さんです。木村さんとの出会いはもう十数年前になりますが、当時はPT(永遠の旅行者)の研究家で、プライベートバンカーで、颯爽とした好青年でした。その頃にはすでに世界じゅうのオフショア(タックスヘイヴン)の大半を旅行して、バヌアツではセスナの免許まで取得し、行きたいところがなくなったからか、その後はモンゴルやミャンマー、ロシア・東欧、中東、アフリカ、中南米と、少年のような好奇心の向くままに“あやしい”国の金融機関を調べまくるようになります。ここではそんな木村さんの“調査・研究”の一端を、みなさんにご紹介することができます。

海外旅行と海外投資をセットにしていると、いろいろなところで思わぬひととの出会いがあります。ベトナムで日本語メディア『Sketch』を発行している中安昭人さんもその一人です。

日本の編集プロダクションで働いていた中安さんは、ベトナムの女性と結婚したのをきっかけに15年くらい前にホーチミンに移って、奥さんの実家で暮らしはじめます(いわゆるマス夫さんです)。

そこで現地日系旅行会社APEXが発行していた『ベトナムスケッチ』という日本語フリーペーパーの運営を任されます。最初はミニコミのようだったその雑誌は、ベトナムの経済発展や観光ブームの追い風を受けて、今では毎号200ページ、月刊2万5000部を発行するまでに育ちました。

中安さんは現在、社員40人を抱えるベトナムの“大手”出版社の社長さんで、ベトナム航空の日本語版機内誌や日本で発行されるベトナムのガイドブックの制作、雑誌のベトナム特集のコーディネート、さらにはベトナムでビジネスを始めたい日本企業のためのコンサルティングまで、さまざまな仕事をしています。

そんな中安さんはものすごく面倒見のいい人で、忙しい仕事の傍ら、海外で日本語メディアを制作している人たちのネットワークをつくりました。それが「海外日本語メディアネットワーク」で、アジア・太平洋地域を中心に40社くらいが参加して、東京のブックフェアにも毎年出店しています。

海外の日本語メディアというのは、旅先で見かける日本人旅行者や現地に暮らす日本人のための情報誌です。そこには生の現地情報が集積しているのですが、それがフリーペーパーとして使い捨てられていくのはあまりにもったいないので、中安さんといつも、なにかできないか話をしていました。

今回、ダイヤモンド社からこのサイトの話があったとき、真っ先に思い浮かんだのが中安さんの顔で、各国の日本語メディアのみなさんに協力していただいて、投資・経済に限らず、社会や文化を含む幅広いテーマで、海外現地情報のページをいっしょにつくっていくことになりました。

バンコク発のビジネス・生活情報誌『DACO(ダコ)』は海外の日本語メディアとしては最大手のひとつですが、タイ人の経理部長ブンさん(女性)が日本人の素朴な質問に答える人気企画「ブンに訊け!」を編集長の沼館幹夫さんが連載してくれることになりました。第1回は、日本人がタイ人の名義を借りてコンドミニアムを買っても大丈夫か? という話です。

ベトナムの中安さんは、「ベトナム路地裏経済学」のタイトルで、日本人がベトナムでビジネスをするときに出会うさまざまな疑問を実体験から解説してくれます。

カンボジアから寄稿してくれる木村文さんは、朝日新聞マニラ支局長を辞めてプノンペンでフリージャーナリストになったという変わった人です。現地発行のフリーペーパー『ニョニュム』の編集長をしていたこともあり、カンボジア人のスタッフと仕事をするときの難しさを書いてくれました。

ラオスの森卓さんは元バックパッカーで、独力でMacの使い方を学んで、ビエンチャンで『テイスト・オブ・ラオス』という日本語メディアを発行しています。最初の記事はラオスの中流家庭の家計簿で、夫婦と子ども2人、母親と同居の自営業(自宅兼店舗)で、収入が月5万5000円、支出が4万7000円だそうです。

最初はタイ、ベトナム、カンボジア、ラオスの4カ国で始めて、好評ならほかの国にも拡げていこうという計画です。

新しい記事がアップされたら、Twitter(ak_tch)で紹介する予定です。皆さんも気に入ったものがあったら、フォロワーの方にRTしてあげてください。そうやって人気が出てサイトのアクセスが増えると、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ミャンマーなどなど、ほかの国の日本語メディアにも声をかけられるようになります。最終的には、世界の5大陸すべてをカバーできるようにするのが目標です。

それ以外にも、面白そうなことがあればいろいろ試してみたいので、「こんなことをやってほしい」というアイデアがあれば教えてください。海外投資にかぎらず、「世界」に興味を持つ多くのひとたちに楽しんでいただけるサイトに育てていきたいと考えています。

 2012年8月20日 橘 玲

 

【夏休み推薦図書】インドヘ馬鹿がやって来た

暑い日が続いていますが、そんな時に元気になれる本『インドヘ馬鹿がやって来た』を紹介します。

80年代に麻雀、パチンコ、競輪などのギャンブルマンガで活躍した著者の山松ゆうきち(1948年生まれ)は、2003年に初のベスト集『山松』を刊行するが、その頃から仕事がなくなり、好きなギャンブルにも行けなくなったことから、一攫千金を狙うことを決意する……。

山松が思いついたビジネスは、インドで日本のマンガを翻訳出版するというものだった。理由は、以下のとおり。

  1. インドにはひとがたくさんいる。
  2. インドにはマンガがない。
  3. ないものは売れるに決まっている。

このとき山松は56歳で、インドはもちろん海外旅行に行ったことすらなく、英語もヒンディー語もまったく話せず、おまけに現地に1人の知り合いもいなかった。そのうえS字結腸をガンで取ってしまったため排便に難がある。それでも60万円ほどの現金を持ってインドに渡り、身振り手振りと「旅の指指し会話帳」だけでなんとか安アパートを借り、“インド初”のマンガ出版を目指す。

山松が翻訳第一弾に選んだのが、平田弘史の『血だるま剣法』。差別の宿命を背負った天才剣士の復讐譚で、部落解放同盟の抗議を受けて回収・絶版の後に、評論家・呉智英の再評価を受けて復刻を果たした幻の傑作だ。山松は、インドにもカースト制という差別社会が残るのだから、差別される者の怒りと悲しみを描いたこの作品が、ひとびとのこころをとらえるにちがいないと考えたのだ。

言葉も通じず、右も左もわからない山松は、ヒンディー語の翻訳者を探し、印刷会社を手配し、インド版『血だるま剣法』を完成させるべく悪戦苦闘する。英語ではなくヒンディー語にこだわったのは、マンガは知的エリートのものではなく、あくまでも大衆の娯楽だという信念からだ。本書の魅力は、理不尽な出来事の数々を飄々と乗り切り、半信半疑のインド人たちを味方につけて、“夢”を実現していく過程にある。

ようやく『血だるま剣法』100冊ができあがったのは日本に帰国する3日前で、山松はそれを路上で叩き売りするが、けっきょく1冊も売れなかった……。

しかし、山松はあきらめなかった。はじめてのインド体験で、ひとびとの食事が粗末なことと、娯楽が少ないことに気づいて、インドでうどん屋を開き、そこで漫才をやれば一攫千金が実現すると思いついたのだ。その経緯を描いたのが、第2作『またまたインドへ馬鹿がやって来た』だ。

この2冊を読むと、ひとは何歳になっても“冒険”ができると勇気が湧いてくるにちがいない。ゼロから市場を創造するベンチャーのケーススタディとしても最適で、日本の大学や経営大学院はつまらない授業をやめて、本書を教科書にするか、山松を講師に招いて学生たちに起業体験を語ってもらうといいだろう。

山松にはまだインドでのビジネスのアイデアがあるようだが、資金難で実現できないという。変わり映えしない事業計画ばかりでうんざりしているベンチャーファンドのファンドマネージャーはぜひ、真の起業家である山松に投資して3度目の“冒険”を実現させてほしい(クラウドファンディングもいいかもしれない)。

みたび馬鹿がやってくる日を、インドのひとびとは待っている(たぶん)。

議論するほど亀裂は深まる  週刊プレイボーイ連載(62)

日本のエネルギー政策について国民の声を聴く聴取会が混乱に陥っています。

会議のルールを決めたのは大手広告代理店で、2030年の原発比率を0%(脱原発)、15%(漸減)、20~25%(現状維持)のいずれにすべきか3つの選択肢を示して希望者を募り、そのなかから3名ずつを抽選で選んだところ、電力会社の社員が相次いで原発の必要性を述べたため、反原発派の聴衆が強く反発して会議が紛糾した、という次第です。

聴取会への批判は、「電力会社の社員は原発の利害関係者で、個人ではなく会社の主張を述べているだけだ」とか、「世論調査では脱原発の意見が圧倒的なのに、すべての選択肢で同じ人数が発言するのはおかしい」というものです。たしかにもっともなような気もしますが、次のような疑問も浮かびます。

電力会社が社員に聴取会への応募を呼びかけていたとか、発言者に原発維持の意見を述べるよう指導していたなら問題でしょうが、そのような事実はないようです。だとすれば、電力会社の社員であっても国民の1人である以上、自由な発言の権利は保障されるべきではないでしょうか。

多数派には無条件でより大きな決定権が与えらるという考え方は、「多数派による専制」と呼ばれます。健全な民主政のためには少数意見を尊重すべきだということは、中学校の公民の教科書にも書いてあります。聴取会において原発推進派は圧倒的な少数派なのですから、私たちは彼らの意見にこそ真剣に耳を傾けるべきなのかもしれません。

とはいえ、反原発派の怒りにも理由がないわけではありません。この聴取会は、最初から結論が決まっているからです。

天ぷら定食に松竹梅の3つのコースを用意すると、大半のひとが竹を注文することはよく知られています。私たちは無意識のうちに極端な選択を嫌い、中庸を好むのです。こうした習性を利用して、店はもっとも利幅の大きな料理を竹にして、その上下に松と梅を配置するのです。

それと同様に、エネルギー政策の聴取会では、はじめに「原発漸減(竹)」という結論があって、その上下に「原発廃棄(松)」と「原発推進(梅)」という極端な意見が配置される構図になっています。脱原発派が「フクシマの後にこれまでと同じ原発政策をつづけることは許されない」と正論を述べ、推進派が「日本の電力は原発なしでは維持できない」とデータで反論します。両者の意見は真っ向から対立して合意は不可能ですから、それを聞いたひとは、無意識のうちに中庸を選んで「原発漸減」の竹コースを支持するようになるのです。

エネルギー政策聴取会は、原発問題に対して国民的な「熟議」の場を提供することを目的としていました。ところが実際にやってみると、罵詈雑言で議論どころではありません。おまけに結論が決まっているとしたら、なんのためにこんなことをしているのか疑問に思うのは当然です。

原発をめぐるはげしい意見の対立を前にして、「熟議」を説くひとたちがいます。しかし聴取会の現実は、「議論するほど亀裂が深まる」というやっかいな問題を私たちに突きつけているのです。

 『週刊プレイボーイ』2012年8月6日発売号
禁・無断転載