学校はいじめを前提に成立している 週刊プレイボーイ連載(68)

文部科学省がいじめ対策として、全国の中学校にスクールカウンセラーを配置すると発表しました。しかしこれで、いじめ問題は解決するのでしょうか。

「子供の『命』を守るために」との副題がついた文科省の「取組方針」には、「いじめは決して許されないことである」とあります。しかしいじめの根絶を目指すのは、子どもに人間であることをやめろというのと同じです。

ヒトは社会的な動物ですから、チンパンジーなどと同様に、ごく自然に集団をつくり、敵対する集団と競い合いながら仲間意識を高めていくよう生得的にプログラミングされています。クラスではリーダーを中心に5~10人の複数の集団が生まれますが、同じタイプの集団が並存することはありません。クラス内では集団同士の抗争が禁じられているからで、まず男子と女子に分かれたうえで、ガリ勉、おたく、不良など、異なるタイプの集団が微妙なバランスで棲み分けることになります。

集団が成立するためには、「仲間」と「敵」を区別する境界が必要です。この境界は、誰かを仲間に入れたり、仲間はずれにしたりすることで絶えず確認されます。こうした境界確認行動によって子どもたちは「共同体」をつくっていくのですが、このゲームがいまは「いじめ」と呼ばれるのです。

いじめ(=集団づくり)はヒトとしての本能ですから、原理的に根絶できません。子どもを強制的に一カ所に集めて教育する近代の学校制度は、最初からいじめを前提にしているのです。

子どもには、「俺たち」と「奴ら(自分たち以外)」を分ける本能があります。クラスが男と女でグループ化するのは異なる性を「自分たち以外」に分類するからですが、じつはそれ以上に明確な境界線があります。それが、「子ども」と「大人」です。

どのような子どもでも、大人を「敵」もしくは「他人」と感じています。仲間の秘密を教師にチクることはもっとも不道徳な行為で、この規範を侵すと子ども集団全体から排除されてしまいます。教師であれば誰でも身に染みて感じているでしょうが、仲間同士のトラブルを生徒に「相談」させることはきわめて困難なのです。

スクールカウンセラーが機能しているように見えるのは、不登校のような家庭問題を扱っているからです。大人が自分たちの集団に介入してこなければ、ほかの生徒は興味を持ちません。だがいじめは子ども集団の秘密そのものですから、いじめられている生徒が自分から相談に来ることはないし、無理に相談に乗ったとしてもその生徒をより追いつめることにしかならないでしょう。

効果的な“いじめ対策”があるとしたら、いじめを前提としたうえで、仲間はずれにされた生徒が別の集団に移っていけるよう、学校という閉鎖空間を流動化させることです。そのうえで、暴行や恐喝のような犯罪行為には、犯人を学校から排除(退学)させる仕組みが必要です。しかしこうした「改革」は、現在の公教育の枠組みを根底から覆すので、文科省にできるわけがありません。

文科省によれば、「いじめ対策関連事業」の概算要求案は前年度より27億円多い約73億円になっています。このようにして、税金は無意味に使われていくのです。

『週刊プレイボーイ』2012年9月24日発売号
禁・無断転載 

尖閣問題で、海外メディアは日本に対して予想以上に厳しい

上海で反日デモが猛威をふるった9月半ばから昨日まで、香港やシンガポールなどを回った。忘れないうちに、海外メディアの論調で気づいたことをメモしておく。

1)日本国内で尖閣諸島が日本固有の領土だとされているのと同じように、中国や香港、台湾では「釣魚島」は中国固有の領土で、日本によって不法占拠されているというのが常識で、日本の主張は一顧だにされていない。日本では「中国共産党の偏った歴史教育」が原因といわれるが、香港や台湾は中国の教育制度とは切り離されており、表現・報道の自由も保障されているのだから、共産党の一党独裁が終わったとしても、日本の主張が受け入れられてこの問題が解決することはない。

2)中立系の香港の英字新聞では、日系企業や日系の店舗への暴力行為はChina Riskとして批判的に報じられているが、反日デモの責任は日本政府にあるとされている。

3)中国と距離のあるシンガポールでも、メディアの論調は日本に対してきわめて批判的。領土問題は原理的に解決不可能なのだから、問題化させないというのが国際社会の常識。それを日本が国有化によって踏みにじったために反日デモを引き起こした。これは、中国政府の主張とほぼ同じ。

4)CNNのような欧米メディアは原則中立だが、中国問題の専門家などのコメントは「領土問題に火をつけた責任は日本にある」というものが多い。なかには、「ドイツは第二次世界大戦の戦争犯罪について真摯に謝罪してヨーロッパの一員になったのに、日本がいまだに中国や韓国から激しい抗議を受けているのは、戦後日本の謝罪が足りないからだ」という解説もあった。これは、慰安婦問題における韓国の主張とほぼ同じ。

なお、マイケル・サンデルが『これからの「正義」の話をしよう』で、日本は慰安婦問題で韓国に謝罪すべきだと書いたように、これは欧米の知識層では一般的な主張と考えた方がいい。

5)日本国内と、海外メディアの論調はかなりの温度差がある。「国際世論」は、日本人が思っているよりもはるかに日本に対して厳しい。実態としては、日本が一方的に悪役にされているというのに近い。

とはいえ、尖閣問題が高い関心を持って報じられるのは領土を接する中国、香港、台湾だけで、マレーシアやインドネシアなどの東南アジア諸国では(シンガポールを除けば)ほぼ無関心。これは、日本人が南沙諸島の領有権問題にまったく興味がないのと同じだろう。

6)日本国内の議論は、日本語の壁のなかでガラパゴス化し、自己完結しているので、海外にはほとんど発信されない。

7)日本のメディアは反日デモによる日系企業の被害のみを報じるが、ほんとうに悲惨なのは、香港や中国に根を下ろし、中国国内で工場を経営する中小の日本人事業者。彼らの話を聞いたのだが、ひとたび標的にされれば黙って損失に耐えるしかない。

日本政府は、形式的には中国政府に補償を要求するが、当然、認められるわけもなく、あとは放っておくだけ。国家の面子のために、これまで真面目に事業を営んできたひとたちが破産の危機にあるが、ほとんどの日本人は彼らの苦境になんの関心もない。

8)この程度のことは、ほんの数日滞在しただけの私にでもわかるのだから、日本メディアの海外特派員は当然知っているはずだが、日本ではなぜかほとんど報じられない。

第20回 厳寒の夜 自販機になぜ並ぶ (橘玲の世界は損得勘定)

その不思議な自販機に気づいたのは、何年か前の冬のことだった。その頃はちょっと忙しくて、仕事場を出て自宅に歩いて戻るのは毎夜、日付が変わってからだった。

いまにも雪が降り出しそうな寒い夜に、若い男性がその自販機でコーヒーを買っていた。次の夜は、カップルが自販機の前でなにを飲もうか相談していた。そのときまではとくに変わったことには気づかなかったが、翌日は鈍感な私でもさすがになにかが変だと思った。

深夜1時過ぎに、自転車に乗った男性が、自販機の前でポケットから財布を出していた。そこに丹前を羽織った若者がやってきて、足踏みしながら順番を待っていたのだ。

私はたまたまその若者と帰る方向が同じになったのだが、学生寮らしきアパートに戻るまでに自販機が2カ所あった。彼はなぜ、こんな寒いなか、わざわざ遠くの自販機まで飲み物を買いにいったのだろう。

最初は、缶コーヒーの味に好みがあるのだろうと思った。だがそれだけでは、特定の自販機に人気が集中する理由はわからない。そこでもういちど戻って、その不思議な自販機を観察してみた。

道路を渡った反対側にも別の飲料会社の自販機が置かれていて、両方を比べると秘密はすぐにわかった。商品の構成はほとんど同じだが、一方は缶コーヒーが120円、不思議な自販機は100円だったのだ。私が見たのは、20円を節約するためにやって来たひとたちだった。

私は、この行動をおかしいとは思わない。寒い冬の夜に買い物に行く最大のハードルは、コートを着て玄関を出るまでだ。いったん歩きはじめれば、目の前の自販機も3つ先の自販機もたいした違いはない。恋人同士なら、震える肩を抱きながら夜の街を歩くのも楽しいだろう。

それ以降、誰かが自販機を使っていると、つい値段を調べたくなった。それまでまったく気づかなかったが、夜中にわざわざ買いに来るのはたいていは100円自販機だった。

この話を思い出したのは、苦境に陥ったシャープの記事を読んだからだ。主力の液晶パネルの不振で昨年度3760億円の赤字を計上したシャープは今年度も2500億円の赤字を見込み、大規模なリストラや資産売却に追い込まれ、台湾企業との資本提携を模索している。

シャープは亀山工場で、“匠の技”による「美しい日本の液晶」を生産していた。だがひとはわずか20円のために、凍える夜を歩くことすらいとわない。

ブランドものの缶コーヒーはたしかに美味しいだろうが、全体の品質が向上すれば相対的な優位性は失われていく。ヒトの脳は視覚を自動補正する機能を持っていて、ほとんどの消費者はわずかな画面の質にこだわったりはしない。新興国メーカーの台頭で液晶の価格が下落するなか、「美しい日本」に呪縛されたシャープは事業転換の機会を見失ってしまった。

気がつけば、匠の技に追加料金を払う消費者はどこにもいなかったのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.20:『日経ヴェリタス』2012年9月16日号掲載
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