増税できるかな? 週刊プレイボーイ連載(16)

菅総理大臣が退陣し、野田佳彦民主党代表が第95代日本国首相に指名されましたが、内閣が変わっても、最大の懸案が衆参のねじれ国会の解消にあることは変わりません。

民主党が大連立を目指すのは、そうしなければ消費税の増税ができないからだといいます。日本の財政赤字は人類史上未曾有の水準まで膨張し、早急に増税できなければ国家破産は免れないとされているからです。

でも、大震災や原発事故があったからといって、これまで不可能だったことが、魔法のようにたちまちできるようになるものなのでしょうか?

世界各国の意識調査では、日本人は市場経済への期待も国の役割への期待もいちばん小さいという結果が出ています。市場経済によってひとびとが幸福になるとも思わないし、かといって、自立できない貧しいひとを国が面倒を見ることも否定するというのは、きわめて矛盾した態度に思えます。日本人は、合理的な考え方ができないのでしょうか?

しかしこの奇妙な結果は、逆に、日本人が合理的であることの証明かもしれません。

バブル崩壊以来、この国はデフレという病に冒され、地価や株価は下落し、倒産やリストラが相次いでいます。それに対して政治は無策で、選挙のたびに首相が変わり、政権交代しても状況はますます悪化するばかりです。こんなことが20年以上もつづいているのですから、市場や政府を信頼するひとがいたらその方が変わり者です。

それでは、なにひとつ信用しない合理的な日本人は新政権に対してどのような態度をとるのでしょうか?

政治になんの期待もないとすれば、大連立しようがしまいがどっちでもかまわないでしょう。そのうえで合理的な有権者は、政府が提示するウマい話にはとりあえず応じて、イヤな話は拒絶するにちがいありません。

相手がまったく信用できなくても、お金をくれるといえば、もらっておいて損はありません。子ども手当てや高速料金無料化など「バラマキ4K」は、もともと半信半疑だから、政策が実施されてもそれほど喜ばないし、撤回されても怒ったりしないのです。

同様に、信用できない相手から「金を出せ」といわれたら、断固として断わるのが正しい態度です。とりわけ、「金を出さなければヒドい目にあわすぞ」と脅す場合はなおさらです。

このように、有権者に政治への信頼がぜんぜんないと考えると、世論調査などの結果がとてもよく理解できます。大連立政権が増税を強行すれば、ひとびとの不興を買って、次の選挙で手厳しい「報復」を受けることになるでしょう。

ところで政治家のうち、どんなときも楽勝できるのはごく一部で、大半の議員は当落線上をうろうろしています。このひとたちにとって議員バッヂを失う損失は計りしれないものですから、彼らがじゅうぶんに合理的であれば、あらゆるリスクを避けようとするはずです。増税が当選の可能性を大きく引き下げることがわかっていれば、なにがなんでも反対しようとするにちがいありません。

このようにして、大連立も増税も(おそらく)うまくいきません。その前提となる「信頼」が、この国ではどこを探しても見つからないからです。

参考文献:『競争と公平感―市場経済の本当のメリット』大竹 文雄 (中公新書)

『週刊プレイボーイ』2011年8月29日発売号
禁・無断転載

 

第6回 後味悪い“タダ乗り”批判(橘玲の世界は損得勘定)

被災地の復興支援を目的に東北地方の高速道路を無料化したところ、“タダ乗りトラック”が激増して問題になっている。

東京から九州まで荷物を運ぶ場合、無料化区間の常磐道水戸インターチェンジ(IC)まで北上し、そこでいったん降りて乗り直す。たったこれだけで、東京-福岡間の大型車の高速料金が3万5000円も節約できるのだという。

これは、経済学でいう典型的なフリーライダー(タダ乗り)だ。

警察や消防のような公共財は、利用者から個別に料金を徴収することが難しい。だから国や自治体が、住民から税金を集めてサービスを提供する。このとき大事なのは、一部のひとだけが損することのない公平で効率的なシステムをつくることだ。この制度設計に失敗すると、利用者のあいだに大きな不公平感を生むことになる。

国土交通相は繰り返し、制度の悪用をやめるよう“タダ乗りトラック”に説教している。調査によれば、水戸ICでタダ乗りをしたトラックは14%にものぼるというから、「このままでは被災者以外の無料化措置を打ち切らざるを得ない」という批判には説得力がある。

制度が打ち切りになれば、被災地のために物資を運搬している「正直な」業者も損をすることになる。一部の不正直な者のために正直者がバカを見るのでは社会のモラルは崩壊してしまうから、ひとびとが“タダ乗り絶滅”を求めるのも当然だ。

でも、ちょっと立ち止まって考えてみてほしい。

まず、国交省も認めているように、“タダ乗り”は完全に合法だ。運送業者は、経費節減のための合理的な行動をしているだけだ。

もちろん、なかには正規の高速料金を支払う「正直者」の運送業者もいるだろう。しかし“タダ乗り”をする業者はその分だけ運送料金をディスカウントできるから、いずれ「正直者」は合理的な運送業者に駆逐されてしまうだろう。

このようにして、けっきょくは誰もが“タダ乗り”するようになり、正直者はどこにもいなくなってしまう。こんなことになるのは、もともとの制度が間違っているからだ。

世の中に「正直」と「不正直」の2種類の人間がいるわけではない。被災地のためという“善意”の無料化が、ごくふつうのひとを「不正直」にしてしまうのだ。

被災地の高速道路無料化を決めた時点で、今回のようなトラブルはじゅうぶん予想できたはずだ。“タダ乗り”できない制度がつくれなかったのは、高速道路の料金システムが硬直的で、修正に費用や時間がかかるからだという。でもこれはただの言い訳で、国交省には面倒な制度改革をする気などはなからないのだろう。

政治家や官僚は、自分たちの不作為を棚にあげて、一方的に運送業者の道徳性を批判する。この話の後味の悪さは、たぶんここにある。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.6:『日経ヴェリタス』2011年8月21日号掲載
禁・無断転載

差別のない明るい社会へ 野田新内閣に望むこと

日本国の第95代首相に民主党の野田佳彦代表が指名された。これから新内閣には多くの要望が寄せられるだろうが、私もささやかな希望を述べておきたい。

私が望むのは、日本社会の桎梏となっている差別的な制度を取り除き、「差別のない明るい社会」をつくることだ。

2007年の世界金融危機で大卒内定率は大幅に下がったが、今回の東日本大震災で新卒採用はさらにきびしさを増している。日本企業は経営破綻でもしないかぎり正社員を解雇できないから、不況になると新卒の採用を抑制して人件費を減らそうとする。その結果、景気が悪化すると若年層の失業率が高くなり、非正規でしか働けなくなる。

日本では新卒で就職に失敗すると大企業の正社員になることはほぼ不可能で、非正規の若者たちは社会の底辺に埋もれていくほかない。同じ仕事をしながらまったく違う待遇を受ける正社員と非正規社員の格差は、人種差別や性差別、部落差別と同様に、「差別」以外のなにものでもない。

東北の被災地域には、家ばかりか会社ごとなくなってしまったひともたくさんいる。その彼らが仕事の機会を求めて東京や名古屋、大阪に転居したとしても、40歳以上では正社員の募集はほとんどなく、震災前の生活を取り戻すことは絶望的だ。

震災の年に就活をすることになったのも、被災して仕事を失ったのも、彼らにはなんの責任もない。だが再チャレンジを許さない日本の社会は、彼らの“自己責任”を問うのだ。

被災しなかった人間の既得権を守るために、被災者がより不幸になるのは、はたして正義にかなっているだろうか。

この理不尽な現実を正すために、政府にできることはいくらでもある。

①定年制を法律で禁止する。

そもそも一定の年齢に達したからという理由で強制的に職を奪うのは、「年齢による差別」にほかならない。

平均寿命が80歳を大きく超える長寿社会では、60歳でもまだまだ現役で、素晴らしい仕事をしているひとはたくさんいる。「定年」の名のもとに彼らから仕事を奪うのは、本人にも会社にもなんのメリットもなく、日本社会の損失でしかない。

アメリカでは、定年制は法で禁止されている。日本でも同様に年齢による差別を禁じれば、“終身”雇用という名の超長期有期雇用制度は崩壊し、だれでも働きたいだけ仕事をつづけることができるようになるだろう。

②同一労働同一賃金を法制化する。

これはEUがすでに導入済みで、同じ仕事をしているのに年齢や性別、国籍などの理由で賃金に差をつけることはきびしく禁じられている。ところが日本では、「正社員」と「非正規社員」という現代の身分制によって、同じ仕事をしていても給与や待遇が大きく異なる「アパルトヘイト」が当然のように行なわれている。これは文明国として、きわめて恥ずべきことだ。

同一労働同一賃金の法制化は、民主党がマニュフェストに記載している。野田新内閣が「国民との約束」を守れば、年功序列制度は崩壊し、正社員と非正規社員の身分のちがいもなくなるだろう。

③「解雇自由」の民法の原則に立ち返り、一定額の金銭を支払うことを条件に整理解雇を認める。

定年を法で禁止し、同一労働同一賃金を法制化すれば、年功序列と終身雇用の日本的雇用制度は維持できなくなる。

会社はもはや“社内失業者”を囲い込むことはできなくなるから、雇用調整の要件を緩和して、金銭支払いを条件とした整理解雇を認めるほかはない。

これによって日本企業は、社内で活用できない人材を労働市場に戻すことができ、日本でもようやく流動性のある労働市場が生まれるだろう。いまの部署や仕事で実力を発揮できず、「窓際」で腐っていくほかないひとたちも、新しい可能性にチャレンジできるにちがいない。

この三つの「改革」が実現すれば、企業は年齢にかかわらず必要な人材を労働市場から採用でき、新卒で就職に失敗した若者も、中高年の転職希望者も、いまよりずっと容易に自分に合った仕事を見つけることができるだろう。

野田新内閣は、「差別のない明るい日本」をつくるために全力を尽くしてほしい。