ZAi ONLINEに“ケルトの虎”アイルランドが国家的危機に頼ったのは「愛国心」だったがアップされました。
ダブリンのごくふつうのマンション(祝祭日ではありません)。こんな国でバブルが起こったらどうなるのか、という話です。
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スーパーにはあまり買い物に行かないのだけれど、ずいぶん前からエコバッグ・キャンペーンをやっていることは知っていた。会計のときに「レジ袋は不要です」というと、代金から2円引いてくれるのだ。
私はたいてい買ったものをバックパックに放り込んでしまうのだが、見ているとエコバッグを持参しているのはごく少数で、大半のひとは当然のようにレジ袋を使っていた。わずか2円を節約するために特別なことをしようなどとは思わないのだ。
ところが先日、久しぶりにスーパーに行って驚いた。レジに並んでいるほぼ全員が、エコバッグを持っていたのだ。いったいなにが起きたのだろう?
顧客にエコバッグを持参させるもっともかんたんな方法は、レジ袋の代金を値上げすることだ。レジ袋を1枚100円にすれば、お金を払ってまで買うひとはいなくなる。しかしこれでは、顧客からの反発は避けられないだろう。
スーパーは、レジ袋の代金を2円のままにして、ちょっとした工夫で“奇跡”を実現した。レジの手前に袋を置き、必要なひとは自分で買い物カゴに入れてもらうことにしたのだ。
会計のときは、レジ袋1枚につき2円を加算する。袋をもらえなくて戸惑っているひとには、「1枚2円になりますけどよろしいですか?」と訊く。そうするとほとんどのひとが、しばらく逡巡したあと、「それならいいです」とこたえ、品物をバッグに詰め込むのだ。
よく考えると、この行動は経済合理性では説明できない。これまでレジ袋代2円を引いてもらう機会を無視していたのだから、2円を追加で払ったとしても同じことだ。ところが、「2円得する」ことにまったく興味のなかったひとが、「2円損する」と気づいたとたん、行動が変わってしまう。
このような不思議なことが起こるのは、ヒトが得よりも損に敏感に反応するよう「設計」されているからだ。私たちの祖先は、ライオンの前でのんびり日光浴をする「楽観論者」ではなく、いつも最悪の事態を予想して不安げにあたりを見回す「悲観論者」だった。
1年間に100回スーパーに行くとしても、レジ袋代は200円にしかならない。年200円の節約のためにブランドもののエコバッグを買うのは経済学的には不合理だが、目の前のわずかな損失を回避しようと努力するのは“進化論的”にはきわめて合理的なのだ。
スーパーの実験は、ほんのすこしの工夫でひとびとの行動を変えられることを示している。
エコバッグを持参したひとは、「2円の損失を回避する」という自分の判断を正しいと感じて満足するだろう。自分がスーパーに“操られた”などとは思いもしないはずだ。
同様のささやかな工夫によって、私たちはこの社会をほんのすこし暮らしやすくできるかもしれない。それはすべての問題を解決する魔法の鍵ではないけれど、もっとも現実的な「希望」なのだ。
橘玲の世界は損得勘定 Vol.19:『日経ヴェリタス』2012年8月19日号掲載
禁・無断転載
大津市のいじめ自殺事件で、“加害者”とされる少年と両親の実名や写真がネット上に公開され、深刻な被害が生じています。こうした「個人攻撃」が行なわれるのは、マスメディアが人権侵害を恐れ、学校や教育委員会ばかりををひたすら批判しているからでしょう。そのため読者は、「少年を自殺に追い込んだ当事者の責任が追究されないのは理不尽だ」という強いフラストレーションを感じます。ここから、「俺が代わりに処罰してやる」という“必殺仕事人”の登場まではほんの一歩です。
復讐の物語があらゆる社会で古来語り伝えられてきたのは、それがヒトの本質だからです。そればかりか、「目には目を」というハンムラビ法典の掟は、チンパンジーの社会にすら存在します。
ところで、ヒトはなぜこれほど復讐に夢中になるのでしょうか。その秘密は、現代の脳科学が解き明かしています。脳の画像を撮影すると、復讐や報復を考えるときに活性化する部位は、快楽を感じる部位ときわめて近いのです。
私たちは、気持ちいいのは正しいことで、不快なのは悪いことだとごく自然に解釈します。セックスが快楽なのはできるだけたくさんの子孫を残すためで、腐ったものが不味いのは食べたら病気になってしまうからです。長い進化の歴史のなかで私たちは、気持ちいいことだけしていればたいていのことがうまくいくよう設計されているのです。
ヒトの脳はなぜ、復讐を快楽と感じるのでしょうか? その理由はかんたんで、せっかく手に入れた獲物を仲間に奪われて反撃しないような遺伝子は、とうのむかしに淘汰され消滅してしまったからです。生き残ったのは、「復讐せざる者死すべし」という遺伝子なのです。
私たちは無意識のうちに、悪が破壊した秩序を正義が回復する、という勧善懲悪の物語を思い描きます。少年をいじめて自殺に追い込むことが“悪”なのは間違いありませんから、その罪はなんらかの“正義”によって清算されなければなりません。この感情はとりわけ、法治国家がうまく処理できないような事件が起きたときに爆発します。いじめはその典型で、警察や行政がひとびとの納得する対処法を提示できないからこそ私的制裁が正当化されるのです。
ここでやっかいなのは、個人間のすべての紛争を国家が解決できない以上、私的制裁(やられたらやり返す)は共同体の維持に必要不可欠だということです。右の頬を殴れたら左の頬を差し出すのは立派ですが、そんなひとばかりになれば、好き勝手に相手を殴りつける無法者(フリーライダー)が跋扈するだけです。
ネットメディアの世界では、もっともアクセスを稼ぐ記事が有名人のゴシップ(噂話)と正義の話だというのはよく知られています。生活保護の受給が問題になったお笑い芸人が典型ですが、「こんな不正は許せない」という話に読者はものすごく敏感です。さらにネットは、匿名で手軽に私的制裁を行なう手段をすべてのひとに提供しました。だとすれば、今回のような事態が起きるのは必然なのです。
マイケル・サンデルの「白熱教室」以来、正義についての議論が盛んです。しかし、正義の本質がエンタテインメント(娯楽)だということを指摘するひとはあまりいません。
『週刊プレイボーイ』2012年8月20日発売号
禁・無断転載