同和地区を掲載することは「絶対に」許されないのか?

「ハシシタ 奴の本性」について、『週刊朝日』に編集長の「おわび」が掲載された。今後は第三者機関が記事掲載の経緯を検証し、結果を公表するという。結論が出るまでにはかなり時間がかかるだろうが、今後の議論の参考に事実関係を整理しておきたい。

最初に、以下のことを断わっておく。

「ハシシタ 奴の本性」は、出自や血脈(ルーツ)を暴くことで橋下市長を政治的に葬り去ることを目的としている。だからこれは、ノンフィクションというよりもプロパガンダ(政治的文書)だ。

記事のこうした性格を考えれば、橋下市長が、記者会見での回答拒否を含むあらゆる手段を行使して『週刊朝日』に謝罪と連載中止を求めるのは当然だ。一連の行為が正当かどうかは、今後、有権者が判断すればいいことだ。

著者である佐野眞一氏の、「両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげ」るという手法に反発したひとは多いだろう。私もこうした手法には同意しないが、だからこそこの事件は表現の自由についての本質的な問題を提起している(正統なノンフィクションであれば、そもそもこんな問題は起こらない)。

原理主義的なリバタリアニズムでは、表現の自由こそが絶対でプライバシーは権利として認めない。私はこうした異端の主張で議論をいたずらに混乱させるつもりはないが(この論理に興味のある方はこちらをどうぞ)、表現の自由とプライバシー権は相対的なものだというより穏当な主張なら多くのひとが同意するだろう。

『週刊朝日』編集部の「おわび」では、連載を中止した第一の理由は、「同和地区を特定」したことだ。もちろん、正当な理由なく同和地区を誌面に掲載することが許されるはずはない。

だが、同和地区のタブーは絶対的なものではないはずだ。同和地区を特定することでそこに住むひとたちが被る不利益よりも、社会全体がより大きな利益を得ることができるならば(あるいはそう確信しているならば)、表現者は自らの意思でタブーを踏み越えていくことができる。

ここでは、こうした視点からあらためてこれまでの経緯をまとめてみたい。

「ハシシタ 奴の本性」掲載まで

(1)『新潮45』2011年11月号にノンフィクション作家・上原善広氏の「「最も危険な政治家」橋下徹研究 孤独なポピュリストの原点」が掲載された(ちなみにこの記事は第18回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」大賞を受賞している)。

上原氏は被差別部落出身であることをカミングアウトしており、『日本の路地を旅する』で第41回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している(上原氏は中上健二にならって被差別部落を「路地」と呼んでいる)。

「橋下徹研究」で上原氏は、橋下市長の実父が大阪府八尾市の被差別部落出身であることと、橋下という姓がもともと「ハシシタ」と呼ばれていたことを書いた。また実父の弟(橋下市長の叔父)に話を聞き、兄(実父)が土井組というヤクザに属していたこと、同和事業を引き受けて成功した後、放漫経営で会社を倒産させ、ガス自殺したことなどを語らせている。この記事で橋下市長の叔父は、「わしもアニキも同和やゆうのに誇りをもっとった」と述べ、その出自を自ら明かしている。

(2)『新潮45』の上原氏の記事を受けて、『週刊新潮』11年11月3日号は、「「同和」「暴力団」の渦に呑まれた独裁者「橋下知事」出生の秘密」を、同日発売の『週刊文春』も「暴力団組員だった父はガス管くわえて自殺 橋下徹42歳書かれなかった「血脈」」を掲載した。これらの週刊誌も、実父の生まれた被差別部落を実名で掲載している。

週刊誌の記事では、叔父が愛人に産ませた息子(橋下市長の従兄弟)が駐車場をめぐるトラブルから金属バッドでひとを撲殺し、傷害致死で5年の懲役刑を受けたことや、大阪市長選の前夜、橋下氏の秘書がラブホテルを借り切って乱痴気パーティをやっていたことなどが書かれている。

(3)それ以外にも、『許永中 日本の闇を背負い続けた男』『同和と銀行』などの著書のあるノンフィクションライターの森功氏が『g2』で「同和と橋下徹」を連載し、そこで橋下市長の実父が被差別部落で生まれたことを地名を特定して書いている。

(4)『週刊朝日』の「ハシシタ 奴の本性」は、すくなくとも第1回を読むかぎりでは、先行する『新潮45』『週刊新潮』『週刊文春』『g2』の記事の焼き直しであり、新しい事実はなにひとつ書かれていない。また自らの出自を暴いたこれらの雑誌に対し、橋下市長は現時点まで名誉毀損などの法的措置をとっていない。

部落差別と表現の自由

『週刊朝日』編集部は、連載中止のいちばんの理由に、同和地区の地名を掲載したことを挙げている。正当な理由なく被差別部落を名指しするのが重大な人権侵害であることは間違いないが、上記の経緯を踏まえると、「ハシシタ 奴の本性」で橋下市長の実父の出生地を明かしたことについては一般論では括れない事情がある。

(1)「「最も危険な政治家」橋下徹研究」を書いた上原善広氏は、自身のブログで次のように述べる。

差別的にしろ、なんにしろ、ぼくは路地について書かれるのは全て良いことだと思っています。それがもし差別を助長させたとしても、やはり糾弾などで萎縮し、無意識化にもぐった差別意識をあぶりだすことにもなるからです。膿み出しみたいなものですね。それで表面に出たものを、批判していけば良いのです。大事なのは、影で噂されることではなく、表立って議論されることにあります。そうして初めて、同和問題というのは解決に向かいます。

これは1960年代のアメリカで、同性愛者の反差別運動のなかで生まれた「クローゼット壊し」の考え方に近い。同性愛者の過激な活動家たちは、「ホモセクシャルである自分を“クローゼットに隠して”日常生活を送っていることが社会的な差別を生む」と主張し、芸能人やファッションデザイナー、メディア関係者などの有名人がゲイであることを、本人の意思を無視して積極的に暴いた。クローゼット壊しは、“自分が同性愛者であることを受入れられない抑圧された魂を解放する”とされたのだ。

もちろんこうしたラディカルな運動は、プライバシーの侵害だとして激しい批判を浴びた。しかしその一方で、クローゼット壊しがゲイがカミングアウトできる土壌をつくったことも確かで、その評価はいまだに定まっていない。

上原氏は、「大事なのは、影で噂されることではなく、表立って議論されること」という思想信条から、陰で囁かれていた橋下市長の出生の秘密を暴いた。こうした手法が成立するのは、いうまでもなく、上原氏自身が被差別部落出身であることをカミングアウトした「当事者」だからだ。

上原氏の記事を橋下市長が無視したのも、社会がとりたてて問題視しなかったのも、それが当事者の自覚的な行為だったからだ。だとすると、佐野眞一氏の記事が大きな社会問題になったのは、佐野氏が被差別部落出身ではない“一般人”、すなわち当事者ではないからだ、ということになる。

だが、一見わかりやすいこの考え方には大きな矛盾がある。

表現の自由が普遍的な権利なら、当事者(被差別部落出身者)なら許されて、当事者でない一般人が同じことをすると社会的に厳しい制裁を受ける(黙るしかない)のは明らかにおかしい。上原氏はもちろんこのダブルスタンダードに気づいていて、次のように述べる。

まず佐野氏の連載は、えげつないことは確かですが、いまもっとも話題の政治家・橋下氏の記事としては許される範囲でしょう。心配される路地(同和)への偏見については、しっかりフォローすることも大事ですので、今後の佐野氏の書き方次第だと思います。しかし、こうして一般地区出身の作家が、路地について書くことは、とても重要な意味をもつ画期的なことです。

私はこの発言が、今回の一連の騒動のなかで、議論に値するもっとも重要なものだと思う。だが被差別部落出身の当事者によるこの“不都合な発言”は、「差別」の大合唱のなかで完全に黙殺されている。

同和地区の名称を名指しすることが「絶対に」許されないのなら、上原氏も同じような社会的制裁を受けなければならない。逆に上原氏の記事が許容されるならば、佐野氏の同じ記述も表現の自由の範囲内ということになるだろう。

当事者性によるダブルスタンダードを認めないなら、このように考えるほかはない。

(2)上原氏が寄稿した『新潮45』は部数の少ない月刊誌で、『週刊朝日』は国民的な週刊誌だから影響力が違う、という批判もあるかもしれない。しかしこれは、事実として間違っている。

上原氏の記事を受けて同和地区の名称を実名で報じた『週刊新潮』と『週刊文春』は『週刊朝日』の2~3倍の部数があり、両誌を合わせれば100万部を超える。それに対して『週刊朝日』の発行部数は20万部程度だとされている。

すでに1年ちかく前に、はるかに影響力の大きな週刊誌2誌で報じられた内容を、より影響力の小さな(部数の少ない)雑誌に掲載したら社会的な制裁を受ける、ということはやはり筋が通らない。

『週刊朝日』の今回の記事が「絶対に」許されないのなら、『週刊新潮』や『週刊文春』の記事も遡って批判されるべきだ。『週刊新潮』や『週刊文春』の記事を社会が受け入れているのなら、『週刊朝日』も同様に扱われるべきでだろう。

もちろんこれに対しては、出版社系の(独立した)『週刊新潮』や『週刊文春』と、新聞社系の(朝日新聞社が親会社である)『週刊朝日』では事情が違うという意見があるだろう。私はもちろんこのことを承知しているが、だがこの論理は先ほどと同じ矛盾に逢着するだけだ。

日本では、出版社系か新聞社系かで雑誌に書いていいことが違う(出版社系なら同和地区の名称を名指しできるが、新聞社系は許されない)。このダブルスタンダードを、表現の自由という普遍の権利から説明することはできない。

(3)先行する『新潮45』『週刊新潮』『週刊文春』に比べて、今回の『週刊朝日』の記事はより悪質だという見方もあるだろう。たしかに、「ハシシタ 奴の正体」というタイトルや、「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶり出す」という表紙コピーは強烈だ。だがこれは『週刊朝日』編集部の判断で、記事のタイトルや表紙コピーに書き手が関与することは原則としてできない。

したがって、もしもタイトルに問題があるのなら、編集部はそのことを橋下市長に謝罪し、タイトルを変更したうえで連載をつづければいいだけだ。書き手はタイトルになんの責任もないのだから、そのことを理由に連載を中止されるのは理不尽きわまりない。

(4)編集部の「おわび」では、連載を中止した理由は、「同和地区を特定するなど極めて不適切な記述を複数掲載したこと」と、「タイトルも適正ではなかった」こととされている。

だがこのうちタイトルは、編集部の責任ではあっても著者とは無関係だ。また「同和地区を特定する」ことも、一般論としては許されることではないとしても、上記で述べたように、今回のケースでは表現の自由の範囲に収まると主張することもじゅうぶんに可能だ。したがって、この2つだけでは連載を中止する理由にはならない。それ以外の「不適切な記述」については、いまに至っても一切説明がない。

それではなぜ、『週刊朝日』編集部は連載を中止したのか?

連載中止の経緯こそ検証すべきだ

『週刊朝日』編集部が「ハシシタ 奴の本性」の連載を中止したのは、誰もが知っているように、上位の権力から命じられたからだ。これによって編集部は、本来なら継続すべき連載を中止する理由を探さなくてはならなくなった。このように考えると、『週刊朝日』の「おわび」の意味がよくわかる。

(1)前回も述べたように、佐野眞一氏は「確信犯」で橋下市長の「血脈」を暴こうとしており、今回の騒動で橋下市長に謝罪するつもりはまったくない。『週刊朝日』編集部は自らこの連載を佐野氏に依頼し、その原稿を全面的な同意のうえで掲載したのだから、連載中止にあたって、佐野氏の記事を部落差別だと認めたり、橋下市長に謝罪するよう求めることができるはずはない。すなわち、橋下市長に対する記述は最初から連載中止の理由にできない。

(2)こうして窮余の末に見つけ出してきたのが、「同和地区を特定」した箇所だ。これであれば、「遺憾」の意を表したとしても佐野氏は橋下市長に謝罪したことにはならず、また編集部としても、本来であれば伏字にすべきものを掲載してしまったという“単純ミス”なのだから、佐野氏の記事を否定することにもならない。これが両者がぎりぎり妥協できる落とし所だったのだろう。

(3)しかしこれだけでは、編集部が橋下市長に謝罪する理由がない。そこで見つけたのが、著者とは関係のないタイトルと表紙コピーだ。これについて勝手に編集部が橋下市長に謝罪するのなら、著者としてはどうしようもない。

(4)『週刊朝日』編集部は当初から「極めて不適切な記述が複数ある」と述べていたが、同和地区を特定した箇所以外にどこが不適切なのかを明らかにすることができない。これは当たり前のことで、橋下市長を批判した部分を「不適切」とすることを佐野氏が認めるはずはない。

(5)橋下市長は、「ハシシタ 奴の正体」がナチスの優生思想と同じだと批判した。今回、『週刊朝日』編集部が反論もせず謝罪したことで、社会的には「橋下市長の主張を認めた」と受け取られた。

こうして、大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞をダブル受賞した佐野眞一氏は、「部落差別作家」のレッテルを貼られることになった。私は佐野氏の今回の記事を評価しないが、それでも雑誌づくりが著者と編集部の共同作業であることを考えれば、一人の書き手として、『週刊朝日』編集部の今回の仕打ちはきわめて不当なものだと思う。これでは、著者を後ろから撃つのと同じだ。

(6)佐野氏は今後、どこかの雑誌で連載を再開するか、単行本版『ハシシタ 奴の本性』を刊行しようとするだろう(手がけたい出版社はいくらでもあるはずだ)。その評価は、作品が完結してから読者(と社会)が行なえばいいことだ。

(7)ここまで述べたように、今回の問題の本質は「同和地区を特定する記述を掲載したこと」ではなく、すべてが完全に自覚的に行なわれた出版行為であるにもかかわらず、『週刊朝日』編集部が手のひらを返すように橋下市長に謝罪し、連載を中止したことにある。第三者機関には、ぜひその経緯を検証してもらいたい。

(8)もちろん、それでも差別は絶対に許されない、というひともいるだろう。だが、「ハシシタ 奴の本性」を全否定し、バッシングすることは部落差別の新たなタブーをつくるだけだ。

上原善広氏は自身のブログのなかで、日本のマスメディアの体質について述べている。

そもそも大新聞各社は二年前、ぼくの『日本の路地を旅する』が発刊されたとき、「同和問題はどのような本であれ、紙面では紹介できない。ただし大宅賞をとったら載せてあげても良い」と豪語しました。これは自分たちの問題意識を低さに乗っかった、大新聞の傲慢な態度だと思います。結局、ぼくは大宅賞を受賞して、メデタク掲載していただきましたが、あまり嬉しくありませんでした。

ぼくがテレビに出れないのは、路地(同和)を書いているからなんですね。確かにルックスはデブなので見苦しいかと思うのですが、それだけではないのです(多分…)。機会があればぜひ出てみたいのですが、まずは同和タブーがなくらないかぎり、土台、無理な話なのです。

これが、「差別」だ。

30年前は日本の「民度」もこんなもの 週刊プレイボーイ連載(71)

これは今から30年前に、プロ野球史上、実質的にはじめての外国人監督となったドン・ブレイザーの物語です。

一流の大リーガーだったブレイザーは35歳で日本に渡り、野球選手としてのキャリアを南海ホークスで終えたあと、日本が気に入ってそのまま家族とともに神戸で暮らすようになります。選手兼監督だった野村克也の下でホークスのコーチなどをしていたブレイザーに目をつけたのが、球団史上最悪の成績で最下位になり、ファンから非難の嵐を浴びていた阪神タイガースでした。球団のオーナーは、ショック療法として外国人監督の招聘を決意したのです(経営破綻の危機に陥った日産がカルロス・ゴーンを社長に迎えたのと同じです)。

1979年、ブレイザーの率いた新生タイガースは目覚しい復活をとげ、9月まで優勝戦線に踏みとどまり、ライバルのジャイアンツに一方的に勝ち越します。観客動員は150万人を超えて球団史上最高を更新し、ブレイザーに対するファンの支持は70%を超えました。

しかし翌年になると、様相は一変します。きっかけは、タイガースに鳴り物入りで入団した岡田彰布と、ヤクルトから解雇された外国人内野手を競わせたことでした。ブレイザーは岡田の天性の資質を認めながらも、いきなりプロ野球で130試合プレイするのはリスクが大きいと判断します。しかしタイガースファンとスポーツ新聞は、ブレイザーがポンコツの(お払い箱になった)外国人選手を優遇し、日本人の有望な若手を差別していると激怒したのです。

この対立はブレイザーが岡田の起用にあくまでも慎重だったことでさらに激化し、ある週刊誌は、「ブレイザーは外国人選手から賄賂を受け取っているから使わざるを得ないのだ」と事実無根の記事を掲載しました。さらには、後楽園球場で行なわれた巨人戦の後、暴徒と化した一部のタイガースファンが、ブレイザーと選手の家族(それも妊婦)の乗ったタクシーを取り囲み、「アメリカへ帰れ!」「ヤンキー・ゴー・ホーム!」「死んじまえ!」などと車に拳を叩きつけながら叫ぶという騒ぎになります。

ブレイザーの元には毎日のように脅迫やいやがらせの手紙が送られてきて、なかには「お前もお前の家族も殺してやる」というものもありました。今ならどれも大問題になる事件ですが、当時は新聞も週刊誌も一切報道しませんでした。

追いつめられたブレイザーは、阪神のフロントと対立して辞表を出すことになります。それについてあるスポーツ新聞は「合理的精神の持ち主であるアメリカ人の監督にはやはり日本人の考え方が理解できなかった」と書き、セリーグの会長は「ガイジン監督は、やはり日本の野球には合わないと思います」とコメントしました。またブレイザーの後任となった阪神の監督は、「結局のところ、日本人の心をわかることのできるのは、日本人しかいないと思う」と記者会見で発言しました。

日本人の「民度」も、30年前はこんなものだったのです。

後年、日本での体験を聞かれてブレイザーはこう答えます。

「すべての時間が、わたしにとってかけがえのない経験だったと思う。もっと日本で、監督を続けたかったよ……」

私たちは、あの時からすこしは成長できたのでしょうか?

参考文献:ロバート・ホワイティング『和をもって日本となす』

 『週刊プレイボーイ』2012年10月15日発売号
禁・無断転載

『臆病者のための裁判入門』事件の発端 えっ、ぜんぶウソだったの!?

最新刊『臆病者のための裁判入門』(Amazon「在庫切れ」から「発送可」に復帰しました)から、事件の発端部分を掲載します。

ここから、2年半におよぶ民事裁判の迷宮めぐりが始まりました。

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トムから最初に相談を受けたときは、こんな面倒な話になるとはまったく思わなかった。

トーマス(トム)・ニーソンはメルボルン生まれの28歳で、日本に来て5年になる。カナダ人の知人に紹介されて知り合ったのだが、英会話学校の教師をしながら通信教育でMBAを取得した努力家で、当時は大手コンサルタント会社の契約スタッフだった(現在は外資系IT企業の日本法人で働いている)。

相談の内容は、ほんとうにささいなものだった。

その年(2009年)の2月、トムは友人のバイクを運転中に事故に遭った。といっても乗用車と接触しただけで、革のジャケットやヘルメット、カバンの中の電子機器などが破損したが大した怪我はなかった。

事故による損害(物損)は15万円ほどで、それを保険金請求したいのだが、損害保険会社の担当者が相手にしてくれないのだという。このままでは埒があかないので、自分の代わりに損保会社と交渉してくれないか、というのが相談の内容だ。私がその話を聞いたのが10月だから、事故からすでに8カ月経っていた。

トムは日常生活に差し支えない程度の日本語を話すが、約款が読めるわけでもなければ、損害保険の専門用語を知っているわけでもない。ひととおり事情は聞いたものの、私はたんに損保会社の説明を理解できないだけだと考えた(誰だってそう思うだろう)。だったら担当者から保険金を請求できない理由を聞いて、それを本人にわからせればいいだけだ。

ここから、相手の損害保険会社をA損保と表記する。特定の損保を批判するのが本書の目的ではなく、事件の内容を一部簡略化しているためでもある。個人名もすべて仮名で、担当者は栗本としよう。

栗本は、A損保の保険金処理窓口となる東京郊外のサービスセンターに勤務する若い男性社員で、私が電話すると、トムの件にはほんとうに困っているのだ、とため息混じりにいった。彼の説明によれば、事故は明らかに相手のドライバーの責任で、先方の損保会社(T海上)とも20対80の過失割合で合意しているのだが、ドライバーが頑として非を認めないのだという。「保険金の支払い手続きが滞っているのはT海上がドライバーを説得できないからで、このままだと訴訟が必要になるかもしれない。現在、T海上に対してなんとか解決するよう強く申し入れているところだ」という説明だった。

もちろん私は、栗本の説明を100パーセント信じた。私は車もオートバイも所有しておらず、損害保険を請求した経験もないが、交通事故が過失割合で揉めるケースが多いことくらいは知っており、彼の言葉を疑う理由などどこにもなかった(「そんなこともあるんだろうな。大変だな」と思った)。

栗本の話では、現在、T海上がこの件を社内で協議していて、結論が出るのは今週いっぱいかかるとのことだった。そこで、「できるかぎりトムの希望に沿って手続きしてあげてください」と頼んで電話を切った。

その週の金曜夕方になっても栗本から連絡がなかったので、どうなったのかと思ってこちらから電話してみた。栗本は報告が遅れたことを詫びると、「いまちょうどT海上の担当者が上司と話し合っていて、もうすこし時間がかかりそうでなんです」といった。いずれにせよ、週明けまで待つしかないとのことだった。当然のことながら、私はこの言葉もそのまま信じた。

翌週の月曜は振替休日で、火曜日の夕方になっても栗本から連絡はなかった。仕方がないのでこちらからまた電話をすると、体調を崩して休んでいるといわれた。

ここに至って、生来鈍感な私も、なにかがおかしいと思いはじめた。そこで、T海上に事情を聞いてみることにした。

T海上の担当者ははきはきとした若い女性で、トムの名前を告げるとすぐに思い出した。彼女の説明は、驚天動地としかいいようのないものだった。

T海上の記録によれば、トムの件は事故直後の2月に自損自弁で処理されていて、ファイルは解決済みとして倉庫にしまわれていた。乗用車のドライバーは車両保険に加入しており、修理代はすでにT海上が全額保険で支払っていて、「過失割合で揉めている」などということもなかった。この件が社内で問題になっているとか、上司と対応を協議している、という事実もない。A損保の栗本からは2月以来なんの連絡もなく、いったいなんの話か困惑するばかりだ……。

栗本の説明は、すべて嘘だったのだ。

(これ以降の経緯はでお読みください)