鳩山由紀夫は稀有な政治家だった? 週刊プレイボーイ連載(107)

 

鳩山由紀夫元首相が、訪問先の中国で「尖閣諸島を『日本が盗んだ』と思われても仕方がない」「1972年の日中国交正常化交渉の中で尖閣問題を棚上げする合意があった」などと繰り返し発言し、北京の人民大会堂で李克強首相と面会するなど中国政府から異例の厚遇を受けました。

鳩山氏の主張は、第二次世界大戦中に連合軍の対日方針などを定めたカイロ宣言のなかで、日本の無条件降伏とともに満州や台湾、島嶼部の返還が定められていることから、「カイロ宣言の中に尖閣が入るという解釈は、中国から見れば十分に成り立つ話だ」ということのようです。

ところで、田中角栄と周恩来の会談で尖閣問題棚上げの合意があったという話は、田中派幹部で自民党の官房長官でもあった野中広務氏が今年6月に明言しています。日本政府は「尖閣をめぐる領土問題は存在しない」との立場ですが、尖閣諸島を係争地と認めたうえで「棚上げ」に戻し、日中関係の改善を図るべきだと主張するひとはほかにもおり、鳩山氏一人の暴論というわけではありません。

問題は、日本国首相という重責にあった人物が、領土問題をめぐって中国側の主張を全面的に支持していることにあります。ただでさえ尖閣問題については、「中国の抗議を無視して一方的に国有化した日本に責任がある」との議論が欧米でも一定の理解を得ています。そのうえさらに、日本国の元首相が「中国が正しい」といい出すのでは、日本の立場はますます不利になってしまいます。

案の定、鳩山氏は「国賊」「売国奴」などの罵詈雑言を浴びていますが、一連の言動を見るかぎりすべて確信犯でやっているようですから、いかなる批判も馬耳東風でしょう。先の衆院選で出馬を断念したことで発言を自重する必要がなくなり、自らの理想と信念のもと、日中友好を目指して活動しているに違いありません。

興味深いのは、参院選前のこの時期を選んで「反日発言」を繰り返していることです。民主党の海江田代表や細野幹事長は「尖閣は日本固有の領土」との説明に追われていますが、鳩山氏が民主党の創設者の一人である以上、ほとんど説得力がありません。このままでは、ただでさえ厳しい選挙が苦しくなるばかりです。

こうした言動については、民主党を石もて追われたことへの復讐というのも考えられますが、おそらく本人はそんな俗情とは隔絶しているのでしょう。今回の選挙で苦戦を強いられている民主党候補者のなかには鳩山氏が育てた人材もたくさんいるはずですが、そんなことは一顧だにせず、自らの理想のために彼らを平然と地獄に突き落とすところにこの人物の本領がありそうです。こんな“心の闇”を持つひとはそうはいませんから、その意味では稀有な政治家だったといえるでしょう。

いまは私人となった鳩山氏がなにをしようと本人の自由で、その行動を制約することはできません。だとしたら、私たちはもうすこし鷹揚になるべきなのではないでしょうか。

元首相の「反日」発言すら許されるところに、自由な社会である日本の、中国に対するいちばんの優位性があるのですから。

 『週刊プレイボーイ』2013年7月16日発売号
禁・無断転載 

どこかいかがわしい「3年間抱っこし放題」 週刊プレイボーイ連載(106)

 

安倍首相は、アベノミクスの第3の矢である「成長戦略」の中核に女性の活躍を挙げ、企業に対して「3年間抱っこし放題」を実現する育児休業の拡充を要請しています。しかしこの方針は、ほんとうに働く女性のためになるのでしょうか。

長期の育児休暇が当たり前になると、会社は「3年間抱っこし放題」してきた女性社員をどこに所属させるか頭を悩ませることになるでしょう。かつての部署のメンバーは大半が異動し、仕事そのものも変わっているかもしれません。これでは中途社員を受け入れるのと同じです。

当の女性社員にしても、3年のブランクは不安の方が大きいでしょう。同僚はその間もずっと研鑽を続けてきたのですからいきなり同じ仕事ができるわけもなく、もしかしたら後輩にすら追い抜かれているかもしれません。

長期の失業が深刻な社会問題になるのは、働かない期間が長くなればなるほど社会復帰が困難になり、生活保護に頼らざるを得なくなるからです。「3年育休」は自ら望んで長期の失業状態になることですから、変化の早い市場で不利にはたらくのは当然です。

欧米では企業が託児所を併設するなどして、出産後半年程度で職場に戻るのが主流になってきています。これなら出産前と同じ仲間と同じ仕事を継続できますから、社会復帰はずっとスムーズです。

ところが日本では、「生まれてから3年間は母親が子どもを世話すべきだ」という子育て論が女性の社会復帰の大きな障害になっています。

核家族というのは、人類史的にはきわめて特殊な家族形態です。日本でも戦前までは大家族での共働きが当たり前で、「3年間抱っこし放題」の家庭などほとんどありませんでした。

ヒトは長い進化の過程のなかで形成されたOS(遺伝的プログラム)に従って成長します。遺伝子の変化はきわめてゆっくりしているので、ヒトの基本OSはいまも石器時代とほとんど変わりません。こうした近年の科学的知見が正しいとするならば、赤ちゃんは石器時代と同じ環境でもっともすこやかに成長できるようプログラムされているはずです。

石器時代の育児環境というのはどのようなものだったのでしょうか。

これには諸説ありますが、狩猟採集で食糧を確保するのに精一杯で、親が子どもの世話をじゅうぶんにできなかったことは間違いないでしょう。そのかわり小さな子どもは、部族のなかの年長の子どもたちが世話をしていました。女の子が人形遊びが好きだったり、赤ん坊が見知らぬ大人を恐れ、年上の子どもについていこうするのはその名残りだと考えられています。

もちろん、石器時代と同じ育児環境を現代に再現することは不可能です。しかしそれでも、よく似た環境のなかで子どもを育てることはできるはずです。それも、とても簡単に。

保育園では、さまざまな年齢の子どもが集まって集団生活しています。赤ん坊は、そうした子ども集団にごく自然に馴染むようプログラムされています。閉鎖的な家庭のなかで、母親と一対一で育つようにはできていないのです。

そう考えれば、耳触りのいい「3年間抱っこし放題」が幸福な家庭を約束するものでないことがわかるでしょう。

 『週刊プレイボーイ』2013年7月8日発売号
禁・無断転載 

母子家庭を援助すべき“不都合”な理由 週刊プレイボーイ連載(105)

 

安倍自民党政権が生活保護法改正などで、生活保護の切り下げを図っていると批判されています。

NPO団体などは一連の「改悪」によって保護が必要なひとが申請できなくなり、餓死や孤立死といった悲劇を招くと主張しますが、しかしその一方で、生活保護の受給者数は過去最高の215万人に達し、支給総額は年3兆8000億円(自治体負担分を含む)に及んでいます。いずれの数字もこの10年間で倍増していますから、生活保護が受給しやすくなったとはいえないとしても、一方的な「弱者切り捨て」批判は疑問です。

ところでひと口に生活保護といっても、受給者にはさまざまな事情があります。

もっとも多いのはじゅうぶんな年金を受給できない高齢者で、60歳以上の受給者が全体の半分を占めます。19歳以下の子どもも約15%おり、20代から50代までの受給者は約3分の1です。また世帯別で見ると、全体のおよそ1割が母子家庭となっています。

生活保護法の改正では、支給費削減と同時に、生活困窮者の自立支援も大きな柱になっています。これは欧米諸国で、「現金給付から職業訓練へ」という福祉政策の流れが定着したことが影響を与えているのでしょう。

福祉による就労支援はアメリカやイギリスが先行しており、経済学者などによる政策評価も積極的に行なわれています。こうした研究によれば、職業訓練は母子家庭の失業者には有効ですが、それ以外はほとんど役に立たず、とりわけ低学歴の若者と高齢者への教育投資はまったく効果がないという結果が出ています。

この事実は、次のように説明できます。

母子家庭の貧困というのは、子どもを生んだ後に離婚するか、未婚のまま出産した女性の失業問題です。ある男性と出会って、幸福な家庭を築けるのか、それとも関係が破綻するのかは事前にはわかりませんから、子どもを産んだすべての女性が母子家庭になるリスクを抱えています。失業して貧困に陥った女性の母集団は、ふつうの女性なのです。

母子家庭の抱える問題は、仕事と家庭を両立させることが難しく、求職活動も仕事に役立つスキルの習得もじゅうぶんにできないことです。だからこそ子育ての負担を軽減し、適切な職業訓練を行なえば、貧困に陥っている母子家庭の母親は、母集団である働く女性たちと同じレベルの仕事をこなせるようになるのです。

母子家庭への税の投入がそれを上回る経済効果があるのなら、もっとも効率的な政策は生活保護から母子家庭を切り離し、従来の基準を上回るじゅうぶんな援助をすることです。これで貧困に苦しむ母親や子どもたちだけでなく、私たちの社会も大きな利益を得られるでしょう。

それではなぜ、こんなかんたんなことができないのでしょうか。その理由は、母子家庭以外の受給者が母集団(ふつうのひとたち)とは異なることを政府が認めることになってしまうからでしょう。

政治家にとっては、“不愉快な事実”をひとびとに告げるより、母子家庭が苦しむ方がずっといいのです。

参考文献:林正義他『生活保護の経済分析』

 『週刊プレイボーイ』2013年7月1日発売号
禁・無断転載