そしてみんなネオリベになった 週刊プレイボーイ連載(82)

2012年は民主党から自民党への政権交代で幕を閉じ、安倍政権への期待から株価は大きく上げて新しい年が始まりました。とはいえ、経済ばかりでなく外交や安全保障など問題は山積しており、波乱を予感させる年明けです。

今回の選挙の際立った特徴は、投票率が59.32%と戦後最低を更新する低さだったことです。第一党となった自民党の比例での得票率は27.62%ですから、「投票しない」という意思表示をしたひとはその1.5倍もいたことになります。

経済学では、人間が完全に合理的であれば選挙などに行くわけがない、と考えます。国政選挙では自分の1票が候補者の当落に与える影響力はほとんどゼロですから、貴重な休日にわざわざ投票所まで出かけていく費用対効果もゼロで、投票率は業界団体や宗教団体など、投票の動機が明快なひとの数で決まることになります。

実際には、投票率はこのシニカルな仮説をはるかに超えていて、「ひとは常に経済合理的に行動するわけではない」という心理学の知見の正しさを証明しています。その一方で、6割を切る投票率の背後には有権者のなんらかの意思があるはずです。

民主党は、「政権交代すれば日本は変わる」と約束しましたが、けっきょくなにも変わらず消費税率が引き上げられただけでした。自民党は「失われた日本を取り戻す」と約束していますが、そもそも無意味な公共投資で巨額の財政赤字をつくったのは自民党政権なのですから、元に戻したところで早晩行き詰まるのは目に見えています。

もっともこれは、日本だけの現象ではありません。オバマ大統領が再選を決めた昨年11月の米国大統領選でも、保守から社民への政権交代が起きた5月のフランス大統領選でも、有権者の態度は冷めたままでした。世界じゅうでひとびとが政治に興味を失いつつあるのは、世界金融危機以降、誰を選んでも政策の選択肢がほとんど変わらないことがわかってしまったからでしょう。ウォール街を占拠してみても、なんの意味もなかったのです。

グローバル化というのは、たんにモノやサービスの値段が収斂するだけではなく、社会の仕組みが共通化していくことでもあります。法律や税制・雇用制度などのビジネスインフラが同じなら、欧米や日本ばかりでなく、中国やインドなどの新興国でも、多国籍企業は最適な人材で組織をつくり、最適な生産を行なうことができます。こうした共通のプラットフォームの上で、人種や国籍、性別や年齢にかかわらず、すべてのひとが平等な条件で多様性を競うのがグローバル社会のルールです。

ヨーロッパの混乱の本質は、財政赤字に喘ぐ南の国々が「勝ち組」の北から社会(ライフスタイル)の変革を迫られていることです。アメリカの混迷は、グローバル化にともなう格差の拡大が人種問題と結びつくためでしょう。

グローバル化に最適化した社会システムは、日本では「ネオリベ」と呼ばれています。第三極をはじめとして、政治家の多くがネオリベ的な主張をするのは、日本が右傾化したからではなく、それ以外の現実的な選択肢がもはや残されていないからです。

選挙に行かなかった4割のひとたちは、私たちの未来がすでに決まっていることに気づいていたのかもしれません。

 『週刊プレイボーイ』2013年1月7日発売号
禁・無断転載

私たちが夢見ていた「近代」 週刊プレイボーイ連載(81)

もうみんな忘れているかもしれませんが、戦後日本ではずっと自民党の一党支配が続いていて、政権は選挙後の党内の派閥抗争で決まりました。80年代に日本経済が世界を席巻すると、こうした“特殊”な日本的システムが不公正な競争力の元凶だと批判されるようになりました。「文化的にも欧米と対等になるには、談合ではなく選挙によって政権交代すべきだ」というのです。

「日本を変えるには派閥政治を終わらせなければならない」というのは、マスコミや政治学者だけでなく、政治家にとっても喫緊の課題でした。派閥の領袖自身が、派閥抗争を制御できなくなっていたからです。

こうして、「新しい日本」をつくるための選挙制度改革が始まりました。小沢一郎が主導したこの改革の目的は、アメリカの共和党と民主党、イギリスの保守党と労働党のように、政権交代可能な二大政党制をつくることでした。そのためには派閥ではなく政党が選挙をたたかう小選挙区制しか選択肢はなく、制度設計に携わった高名な政治学者たちは、「これこそ時代が求めていた改革だ」と胸をはりました。

次に必要とされたのは、自民党に対抗できる、政権担当能力のある野党でした。冷戦の終焉によって社会党や共産党はその歴史的意義を失い、このままでは有権者に選択の余地がありませんでした。そこで小沢一郎が“豪腕”で自民党を分割し、社会党と労働組合を取り込んで、新進党や民主党などが人工的につくられました。候補者が情実に訴えるのではなく、政党がマニュフェストを掲げて正統性を競う「近代的」な選挙が日本でもようやく始まったのです。

2009年の民主党への政権交代は、90年代からつづく政治改革の頂点ともいえる出来事でした。理念なき自民党に対して、「改革」の理念を掲げた民主党が圧倒的な勝利を収めたからです。

ここまでは政治学の理論どおりでしたが、その後は現実が理論を裏切っていきます。

当初から、日本の政治にはアメリカやイギリスのような歴史的な対立軸がないことが指摘されていました。しかしこれについても、政治学者は楽観的でした。小選挙区制では二大政党以外は生き残れないのだから、何回か政権交代を行なううちに自然と政党間の対立軸が生まれてくるはずだとされたのです。

ところが、野党となった自民党にはいつまでたっても理念らしきものは現われず、人工政党である民主党は党幹部が理念を振り回すことで自壊してしまいました。こうして今回の選挙では、圧倒的多数を占める与党と、1割程度の議席しか持たない複数の少数野党という、理論的にはあり得ない状況が生まれたのです。

しかしこれは、これまでの政治改革がすべて間違っていた、ということではありません。派閥間の談合政治から脱却し、選挙で政権が決まるようになっただけでも大きな進歩であることは間違いありません。

ただ、私たちがかつて夢見ていたほど「近代」は素晴らしいものではなかった、というだけのことなのです。

 『週刊プレイボーイ』2012年12月25日発売号
禁・無断転載

今年はどんな年になるのだろうか2013

世界的な株高と円安で幕を開けた2013年は、ひさしぶりに明るい雰囲気に包まれている。このままの勢いで経済は上向き、日本はゆたかさを取り戻すことができるだろうか? 「未来は誰も知ることができない」ということを前提に、今年がどんな年になるのか私見を述べてみたい。

去年は6月にイギリス、アイスランド、アイルランド、ポルトガル、ギリシア、イタリア、ドイツを回った。そこで感じたのは、日本での報道と現地の雰囲気はかなり違う、ということだった。

“ヘッジファンド国家”と化したアイスランドは市場原理主義が大失敗した格好の例として取り上げられるが、バブル崩壊後の通貨安の恩恵を受け、夏の観光シーズンにはヨーロッパ中からアウトドア派が押し寄せて観光地はどこも活況を呈していた。北海道よりも広い島にわずか30万人しか住んでいないから、バブルが派手にはじけても、すこし追い風が吹けばたちまち景気は回復するのだ。

不動産バブル崩壊で大打撃を受けIMFの支援下に入ったアイルランドも、週末のダブリンはパブの客が道路にあふれ出すほどの賑わいだった。住宅価格は最高値から半値で下げ止まり、国債金利も5%まで下がって、ようやく大不況から脱しつつあるようだ

北ヨーロッパに比べてポルトガルやイタリア(南部)、ギリシア(クレタ)の経済はたしかに厳しいが、だからといって、国民の総意によってユーロから離脱する、という雰囲気はなかった。ギリシア国内でもひとびとの利害が一致しているわけではなく、国民はEUから切り捨てられてしまえば自分たちが生きていけないことをよくわかっていた。

その意味で、多くの専門家が予想したようなユーロ崩壊は起こらなかったし、ヨーロッパ経済は今年も、ゆたかな「北」と貧しい「南」の緊張を抱えながら低空飛行を続けることになるだろう。

東南アジアは3月にベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ミャンマー、9月に香港、マカオ、マレーシア、インドネシア、シンガポールを回った。タイやベトナム、マレーシアはもちろん、市場のグローバル化によってカンボジアやラオスにも確実に中産階級が育ってきており、その余波が軍事独裁で閉ざされていたミャンマーまでも変えようとしているのが印象的だった。2012年は総じて東南アジアの株価が上昇したが、インフラ整備などが順調に行なわれればまだまだ成長余地は大きいだろう。

香港・マカオとシンガポールは不動産価格が大幅に上昇して、賃料を基準とした収益還元法で正当化できる水準を大きく逸脱してしまっている。これは「中国国内の不動産バブルの影響」とのことだったので、11月に上海、合肥、アモイ、海南島、成都を訪れた。

ZAi Onlineで書いたように、そこで目にした光景は驚くべきものだった。

中国では内陸部を中心に大規模な不動産開発が行なわれ、銀行からの融資を受けた富裕層(個人・法人)が積極的に投資しているが、住宅価格(とくに都市部)は一般の中国人が住宅ローンで購入できる範囲をはるかに超えており、投資用物件は転売のあてがないまま放置されている。この巨大化した(しばしば「人類史上最大」と形容される)バブルが崩壊するようなことがあれば、世界経済、とりわけ日本経済は甚大な影響を受けることになるだろう。

もちろん中国の不動産バブルは10年以上前から指摘されており、日本の中国経済専門家のなかには、毎年のように「今年こそバブルが崩壊する」といっているひともいる。日本の国債バブル崩壊と同様に、“狼が来た”化しているのだ。

バブルが10年続けば、それはバブルではなく高度経済成長だ。しかしその一方で、中国の不動産開発事業が中央政府や地方政府の利権構造に組み込まれていて、膨張を続けるほかに維持不可能なレベルにまで肥大化していることも間違いない。中国が今後、内需中心の経済にシフトするとしても、その経済成長率が不動産バブルの加速度的な膨張率を超えなければ、いずれ限界がやってくる。

中国市場がこのままの勢いで拡大をつづければ、5年後には中産階級の巨大市場が誕生する。そうでなければ、バブル崩壊とその後の混乱(これはいったい何が起きるか予測不可能だ)が待っている。いずれにせよ、早晩、私たちはこの“世紀の社会実験”の結末を知ることになるだろう。

世界経済のもうひとつの大きな不安定要因は、日本の国債バブルだ。

私はこれまで、「団塊の世代が75歳を超え、本格的に医療・介護保険を使うようになる2020年までに日本経済は大きな社会的・経済的混乱を経験することになるだろう」と書いてきた。それに対して、「日本経済がふたたび成長を始めることで財政問題は解決できる」という楽観論を語るひともいる。

リフレ政策をめぐる「神学論争」は、デフレ脱却を至上命題とする安倍内閣の誕生によって、思いのほか早く結論が出るかもしれない。だとすれば、どちらの主張が正しいのかはもはや問題ではない。生活者にとって重要なのは、最悪のシナリオが現実化しても生き延びられるように準備しておくことだ。

暗い予想が並んだが、人類にとって(そして私たちの生活にとって)大きな変化を起こす可能性があるのが、シェールガス・オイル革命だ。IEA(国際エネルギー機関)が予測するように2035年までに米国がエネルギーの純輸出国になれば、中東をめぐる国際状況が劇的に変わると同時に、原子力発電や再生可能エネルギーは不要になり、世界経済のグローバルインバランスも解消に向かうだろう。

世界経済は、無尽蔵なエネルギーを前提に、環境に配慮しつつそれを有効活用する新しいステージに入る(なんだ、ネルギー危機もなかったのか)。それがどのような世界なのかはいまだよくわからないが、人類社会にとてつもないインパクトを与えることは間違いない。

2013年は、(よい意味でも悪い意味でも)私たちの未来がすこしずつかたちを見せはじめる年になるのではないだろうか。

関連エントリー:2012年版「今年はどんな年になるだろうか