日本人は日本語に混乱している 週刊プレイボーイ連載(40)

Jリーグのレフェリーが、「日本語は難しい」という話をしていました。英語であれば、相手がメッシでも「ステップバック」といえばボールから離れます。しかし日本語で「下がれ」と命じればまるでケンカを売っているようですし、「下がってください」ではお願いしているみたいです。「下がりなさい」がいちばんよく使われそうですが、これでも〝上から目線〟を感じる選手はいるでしょう。

同じことは、道路工事の交通整理にも当てはまります。

アメリカでは、交通整理の係員はものすごく威張っています。億万長者のメルセデスベンツが来ても「止まれ」「行け」と命令するだけで、「サンキュー」などは絶対に口にしません。

それに対して日本の交通整理員は、傍から見ていてもかわいそうなくらいペコペコしています。運転席に駆け寄って「申し訳ありませんがしばらくお待ちください」とお願いし、車を通すときは「ありがとうございました」と最敬礼する、という感じです。

この極端なちがいは、アメリカ人ががさつで日本人が丁寧だ、という国民性だけでは説明できません。

アメリカの交通整理員が尊大なのは、“上から目線”でもドライバーが腹を立てないからです。日本の交通整理員がひたすら“下から目線”なのは、命令口調を使うと怒り出すドライバーがいるからでしょう。

これは、責任と権限についての考え方がちがうからです。

アメリカ人は、責任と権限は一対一で対応していると考えます。交通整理員は道路の安全を確保する責任を負っていて、そのことに関して大きな権限を持っています。これが、すべてのドライバーに“上から目線”で命令できる根拠です。

それに対して日本では責任や権限があいまいなので、ドライバーと交通整理員は“ひと”と“ひと”として対等な関係になってしまいます。「止まれ」と命じられて「なんだ、その口のききかたは」と激怒するのは、人間として貶められたと感じるからでしょう。

しかしこれだけでは、まだ謎は残ります。

サッカーの国際試合で、「ステップバック」といわれて怒り出す日本人選手はいません。アメリカでドライブしていて、交通整理員から「ストップ」といわれて不快に思うひともいないでしょう。責任と権限のルールはきわめて明瞭ですから、誰でもすぐに理解できるのです。

だとしたら、“上から目線”を嫌うのは日本人の特徴ではなく、言葉の問題なのかもしれません。

Jリーグのレフェリングを英語にすれば、「ステップバック」に「プリーズ」はつけないでしょう。交通整理も、「ストップ」「ゴー」でみんな納得するのではないでしょうか。

日本語の複雑な尊敬語や謙譲語は、お互いの身分をつねに気にしていなければならなかった時代の産物です。それが身分のちがいのない現代まで残ってしまったため、命令形は全人格を否定する“上から目線”になってしまいました。日本語は、フラットな人間関係には向いていないのです。

老若男女を問わず異常に丁寧な言葉づかいが氾濫する理由は、日本人が日本語に混乱しているからなのかもしれません。

 『週刊プレイボーイ』2012年2月27日発売号
禁・無断転載 

第13回 「租税回避地」ケイマンの素顔(橘玲の世界は損得勘定)

カリブ海に浮かぶ小さな島国ケイマン諸島は、オリンパス事件ですっかり有名になってしまった。オリンパスはケイマン諸島にある投資ファンドやコンサルティング会社に合わせて800億円以上も支払い、それを自社に還流させて巨額の損失を隠蔽していたのだ。

報道だけを見ているとケイマンはスパイ映画に出てくる“悪の巣窟”という感じだが、実際に行ってみると拍子抜けするだろう。小豆島ほどのグランドケイマンを中心に3つの島からなるこの英国領は、どこから見ても南国のリゾートそのものなのだ。

イギリスの統治時代、ケイマンはジャマイカの一部だったが、1962年のジャマイカ独立に際してイギリスの自治領として残ることを選び、カリブを代表するタックスヘイヴン(オフショア金融センター)となった。

サトウキビのプランテーションのためにアフリカから大量の奴隷が送り込まれたジャマイカと、富裕な白人層の避寒地として発展したケイマンでは、社会や文化がまるでちがう。美しい海以外になんの産業もないケイマンにとって、税金を減免して金融機関を誘致し、贈与税や相続税をなくして富裕層の移住を促すことはきわめて自然な選択だったのだ。

金融機関が集まっているのは人口2万人ほどの政庁所在地ジョージタウンだが、ここはカリブ海クルーズの豪華客船の停泊地でもあり、土産物屋や宝飾店が並ぶ商店街はいつもアメリカからの観光客で溢れている。弁護士事務所や会計事務所は繁華街の一角に小さな看板を出しているだけなので、ふつうのひとはほとんど気づかない。

タックスヘイヴンについての典型的な誤解は、オリンパスの払った800億円がこの島のどこかに隠されている、というものだ。『パイレーツ・オブ・カリビアン』の時代ならともかく、いまではマネーは電子データとしてニューヨークやロンドンの金融機関のコンピュータに格納されている。タックスヘイヴンの役割は、このサーバーのなかにヴァーチャルな「国境線」を引き、他国の金融当局や税務当局からのアクセスを制限することなのだ。

観光・金融とならぶケイマンの産業は不動産業で、美しい白砂のビーチにはホテルやリゾートマンションが立ち並び、その先の別荘地区へとつづいている。だがよく観察すると、閉鎖されたホテルや「For Sale(売出中)」の看板を掲げた別荘も多い。とりわけ中心部から車で1時間以上かかる郊外の別荘地は、地域全体が「売出中」という惨状だ。

2006年に頂点を迎えたアメリカの不動産バブルは、遠くケイマンにまで及んでいた。フロリダやカリフォルニアの不動産が高騰した後、投資家たちは多額のローンを組んでケイマンにまで豪華な別荘を建てたのだ。

いまならカリブ海を見下ろす絶景の豪邸が格安で購入できる。ただし、日本から北米乗継ぎで20時間以上かかるのが玉に瑕だ。

後記:本稿掲載後にAIJ投資顧問のスキャンダルが報道されて、ケイマンはまた不名誉な脚光を浴びることになった。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.13:『日経ヴェリタス』2012年2月19日号掲載
禁・無断転載

グランドケイマンのジョージタウン
「オフショア金融センター」はこんな建物
街を歩けば「売出中」の看板ばかり

東京電力には値上げの「権利」がある 週刊プレイボーイ連載(39)

東京電力の値上げ問題で、「料金の申請というのは、われわれ事業者としての義務というか、権利です」という社長の発言が強い批判を浴びています。原発事故で赤字になったのが値上げの理由ですから、利用者が怒るのも当然です。

しかしここでいちど冷静になって、値上げ申請が「義務」や「権利」になるのはなぜかを考えてみましょう。

株式会社は株主を「主権者」とする法人で、日本の会社法においても株主が株式会社の所有者であることは明確です。

株主は、株主総会で自らの利害を代弁する取締役を選任し、取締役は議長(代表)を中心に取締役会を開催して、会社の経営を任せる責任者を決めます。取締役会の代表が「代表取締役」で、取締役会によって任命された経営者が「CEO(最高経営責任者)」です。

この仕組みを国家にたとえるなら、株主は主権者である国民、取締役は選挙で選ばれた国会議員、代表取締役が首相で、官庁という会社を経営する責任者が大臣ということになります。

日本の会社はほとんどの場合、取締役会の議長がCEOを兼ねて「代表取締役社長」になります。もちろんこの一人二役でも、社長が株主に責任を負う仕組みは変わりません。

国家と会社には、ひとつ大きなちがいがあります。国民はさまざまな理由で政治家に投票しますが、投資家が株式を買う理由はたったひとつしかありません。それは、「儲ける」ことです。

東京電力の株主は、電力の安定供給や原発事故の復旧、被災者への補償のために株式を保有しているわけではありません。彼らの要求は、東京電力が1日も早く利益を出して、株主に配当することです。

最高経営責任者の使命は株主利益の最大化ですから、みすみす損をするようなことが許されるはずもなく、値上げ申請は「義務」です。代表取締役は株主の代表者ですから、電気料金を値上げして利益を確保するのは「権利」です。「値上げ申請は義務であり権利」という発言は、社会常識から見ていかに奇妙でも、株式会社の原則に照らせば完全に正しいのです。

ただし東京電力には、原発事故の損害賠償で実質的には巨額の債務超過になっている、という特別な事情があります。政府の資金支援でかろうじて生きながらえているのですから、株主が所有しているのは利益を生まないゾンビ企業です。

だとすれば、この問題の解決はとても簡単です。東京電力を破綻させて国有化してしまえば株主の権利は消滅し、被災者への賠償や利用者負担の軽減を第一に考えることができるようになるでしょう。それが実現しないのは、原発事故の賠償責任を負いたくない政府が民間企業としての東京電力を必要としているからです。

民間企業なら、株式会社のルールに則って、黒字になるまで電力料金を引き上げようとするのは当然です。政府が保有する株式の比率については調整が難航しているようですが、中途半端な”半国有化”では他の株主と利害が対立して混乱するだけです。「権利」や「義務」が間違っていると本気で思うのなら、無駄な生命維持装置を外して、東京電力を本来いるべき場所に還せばいいのです。

 『週刊プレイボーイ』2012年2月20日発売号
禁・無断転載