理想は常に現実の前に敗れていく 週刊プレイボーイ連載(122)

 

11月22日から発売される年末ジャンボ宝くじの1等と前後賞を合わせた賞金が、これまでの6億円から7億円に引き上げられることになりました。宝くじの売上げが2005年度の約1兆1000億円をピークに頭打ちになり、このままでは自治体に十分な分配ができなくなるというのが理由です。

とはいえ賞金額が引き上げられても、売上げの5割という胴元の法外な取り分を減らすわけではないので、必然的に当せん確率は低くなります。いまですら宝くじで1等が当たる確率は交通事故で死ぬ確率より低いのですから、まともに考えればこんなものは買うだけ無駄です。こうした批判を意識してか、賞金額を10分の1にする代わりに当せん確率を10倍にした「ジャンボミニ」も発売するそうですが、売上増のためならなりふりかまっていられないという宝くじ関係者の気持ちが伝わってきます。

宝くじの売上げが低迷するのは、新興のサッカーくじに追い上げられているからです。

そのサッカーくじは、東京五輪開催決定を受け、競技場新設とスポーツ振興の掛け声のもとに、1等7億5000万円、当選者がいない場合のキャリーオーバーは最高15億円になることが決まりました。

日本の宝くじは期待値が5割以下で、世界でもっとも割の悪いギャンブルです。そのため経済学者はこれを「愚か者に課せられた税金」と呼んでいますが、この国では自治体関係者とスポーツ関係者が“愚か者”の財布を奪い合っているのです。

サッカーくじは今年12月から、Jリーグなどの国内リーグだけでなく、イングランド・プレミアリーグなど海外の試合も賭けられるようになります。これまでは3月から11月ごろまでしか発売できなかったものが、これによって通年販売が可能になり、売上げ1000億円を目指すのだそうです。

サッカーくじはファンが試合結果を予想して楽しむためのもので、ヨーロッパでは広く親しまれてきました。Jリーグが発足すると、「日本にサッカー文化を育成する」という大義名分で2001年からtotoの発売が開始されましたが、当初は売上げがまったく伸びませんでした。「試合結果を予想する」という仕組みが、一般の宝くじ愛好家にとってはただ面倒くさいだけだったからです。

そのためサッカーくじを運営する日本スポーツ振興センターは、03年に1等当せん金の最高額を6億円に引き上げたBIGを発売します。BIGはtotoと違ってコンピュータがランダムに試合結果を予想するので、買い手はなにもする必要がないのが特徴です。

BIGによってサッカーくじの売上げは大きく伸びましたが、「サッカー文化の育成」という当初の理念はどうなったのでしょうか。サッカーが好きなひとはtotoを選ぶでしょから、BIGを買うひとはJリーグにもヨーロッパサッカーにもなんの興味もなく、賞金額の大きさに射幸心を煽られているだけです。

宝くじの当せん金引き上げ競争は、いったんお金が入り既得権ができあがると、当初の高邁な理想などどうでもよくなることをよく示しています。もっとも“被害者”は愚か者だけなので、ほとんどのひとにとってはどうでもいいことでしょうが。

『週刊プレイボーイ』2013年11月5日発売号
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ティーパーティは“似非リバタリアン” 週刊プレイボーイ連載(121)

 

連邦債務上限引き上げをめぐる混乱で政府機関閉鎖という異常事態に陥ったアメリカは、ようやく民主・共和両党の合意が成立し、来年2月までの上限引き上げが決まりました。この混乱は、オバマケアと呼ばれる医療保険制度改革に反対する共和党強硬派が「米国債のデフォルト」を人質にとる危険な賭けに打って出たためで、この無謀な戦略は米国内でも厳しい批判を浴びました。

アメリカには国民皆保険制度がなく、自営業者や失業者など約5000万人が医療保険に加入していません。健康保険は主に企業を通じて加入するため、リストラなどで職を失ってしまうとたちまち医療費の支払いに窮するようになり、破産や家庭崩壊という悲劇を招くことがずっと問題視されてきました。

オバマケアは国民皆保険の導入を断念する代わりに民間保険会社に肩代わりさせるもので、今後はすべての国民に保険加入を義務付けると同時に、保険会社は持病を抱えているひとの加入申請を断わることができず、1年間の医療費の自己負担にも上限が定められました。制度改革に必要なコストは、製薬会社など医療関連業界への課税と保険料の引き上げによって賄われることになっています。

共和党がオバマケアに反対するのは、「アメリカ建国の理念は自助自立で、国民皆年金も国民皆保険も不要」という政治理念を掲げているからです。これがアメリカの保守思想ですが、もっとも強硬なティーパーティのひとたちは「リバタリアン」とも呼ばれています。

ティーパーティの名は独立戦争のきっかけをつくったボストン茶会事件に由来し、「建国の理念に帰れ」という主張を象徴しています。リバタリアンは「自由原理主義者」のことで、国家(連邦政府)は個人の生き方や地域社会にいっさい介入すべきではないという、かなり極端な政治的立場をいいます。

ティーパーティは草の根的な政治運動で、参加者の多くは白人の中産階級です。彼らは貧しいひとたちに国家が施しを与えることで、自分たちの負担が増えることに激しく反発しています。彼らが既得権を守ろうとする保守(現状維持)派であることは間違いありませんが、果たしてリバタリアンなのでしょうか。

本来のリバタリアンは「原理主義者」なので、国家の介入を否定すると同時にすべての自由を熱烈に擁護します。リバタリアンからすれば、同性愛は個人の自由で、中絶は女性の基本的な権利です。しかしティーパーティのなかで、こうした政治的主張に共感するひとはごく少数でしょう。

同様にリバタリアンは、移民の自由を全面的に認めます。とはいえ、中南米やアジア、アフリカ諸国からよりよい生活を求めて膨大な移民がアメリカに押し寄せてくると、国家が彼らに年金や健康保険、生活保護などの社会保障を提供することは不可能になります。だからこそ「リバタリアン国家」は、すべての社会保障を廃止しなければならないのです。

ティーパーティも共和党保守派も、移民規制の強化を声高に主張しています。このことだけで、彼らが“似非リバタリアン”であることがわかるのです。

 『週刊プレイボーイ』2013年10月28日発売号
禁・無断転載  

天に向かってつばを吐けば、それは自分の顔に戻ってくる 週刊プレイボーイ連載(120)

 

福島第一原発の汚染水流出問題を受け、韓国政府は福島など8県の水産物の輸入全面禁止に踏み切りました。これに対して日本政府は、「出荷される水産物はいずれも基準値を下回っており安全規制には科学的根拠がない」としてWTO(世界貿易機関)への提訴を検討しています。

これについては日本側の主張が正しいのは明らかです。韓国のひとびとが日本の水産物の安全に不安を感じているのなら、韓国政府は日本の管理体制を検証したうえで、問題があるのなら改善を申し入れ、そうでなければ食の安全を国民に説明すべきです。

とはいえこの問題で、日本政府がこうした正論を振りかざすのには違和感があります。

2003年に米国でBSE(牛海綿状脳症)感染牛が見つかると日本は輸入禁止措置をとり、日米両国の協議を経て05年から生後20カ月齢以下の若齢牛に限定して輸入が再開されました。しかしこの規制は、その後米国から「科学的根拠がない」としてずっと批判され続けます。

1980年代から90年代にかけて英国で発見されたBSEは、飼料の肉骨粉が感染源であることが特定され、感染牛からつくられた肉骨粉を厳しく規制することで、現在では発生がほぼ止まっています。これを受けてOIE(国際獣疫事務局)などの専門組織は、特定危険部位を除去すれば月齢にかかわらずBSEのリスクは管理できるとして月齢条件を撤廃しました。こうしたことから疫学の専門家の間では、「20カ月齢という日本の安全規制は無意味」というのは常識でした。

非科学的な海外産牛肉の輸入規制と同時に、日本では01年から食用牛の全頭検査が行なわれてきました。しかしこれも、BSEの原因である異常プリオンが脳などの特定部位に集まるのは高齢牛だけで、若齢牛の脳を調べても感染牛を発見することはできず、「全頭検査は税金のムダ」というのが世界の常識でした。先進国でこんなことをやっているのは日本だけにもかかわらず、200億円の税金が投じられた全頭検査が全国で廃止されたのはようやく今年の6月でした。

海外産牛肉の過度な輸入規制も、食用牛の全頭検査も、その理由を問われたとき、政治家や役人は「消費者の不安にこたえるため」と説明してきました。科学的な根拠があるかどうかに関係なく、消費者が心配していれば国が規制するのは当たり前、というのです。

海外産牛肉の輸入規制は昨年末に慌しく緩和されましたが、この政策変更は、福島の原発事故で日本の農水産物が世界各地で風評被害を被ったからだといわれています。一方で「科学的根拠などどうでもいい」といいながら、もう一方で放射能の科学的な安全基準を説くわけにはいかないからです。

BSE問題で日本政府は、消費者に正しい説明をする責任を放棄し、10年以上にわたって非科学的な規制を続けてきました。天に向かってつばを吐けば、それは自分の顔に戻ってくるのです。

註:本稿は科学ジャーナリスト松永和紀氏の「米国牛肉 BSE 輸入規制 日本の条件、もはや科学的根拠なし」を参考にしました。

  『週刊プレイボーイ』2013年10月21日発売号
禁・無断転載