“裏切り者探し”ほど楽しいゲームはない 週刊プレイボーイ連載(140)

かんたんなクイズです。

「テーブルの上にA、K、4、7と書かれた4枚のカードが置かれています。カードの裏にも、同じようにアルファベットと数字が書かれています。このとき、“母音の裏には必ず偶数がある”というルールが成り立っているかどうかを確かめてください。ただし、カードは2枚しかめくれません」

この問題は、論理学の対偶を知っているとすぐに解けます。“PならばQである“という肯定式と、その対偶である“QでないならばPでない”という否定式は常に真偽が等しいはずです。「表が母音なら裏は偶数」の対偶は、「表が奇数なら裏は子音」ですから、母音の“A”で肯定式を、奇数の“7”で否定式を調べてみればいいのです。

では次のクイズです。

「あなたは居酒屋の店員で、4人の若者がビールとコーラを飲んでいます。若者は胸に番号札をつけていて、あなたは手元の名簿で彼らの年齢を知ることができます。このとき、店長から“未成年者に酒を飲ませてはいけない”といわれたらあなたはどうしますか?」

これは、すこし考えれば誰でも正解にたどり着けるでしょう。ビールを飲んでいる客が成人しているかどうかを調べ、名簿にある未成年がなにを飲んでいるかを確認すればいいのです。コーラを飲んでいる客の年齢を調べたり、成人している客の飲み物をチェックしてもなんの意味もありません。

ところでこの2つは、実はまったく同じ問題です。“ビールを飲んでいいのは20歳以上だけ”という肯定式の対偶は、“20歳未満ならビールを飲んではならない”という否定式ですから、ビールを飲んでいる客の年齢と、20歳未満の客の飲み物を調べればいいのです。

しかし「居酒屋問題」に即答できるひとも、抽象度の高いクイズには戸惑います。これは私たちが、同じ問題を別の方法で解こうとしているからです。

「居酒屋問題」は、“ビールを飲んでいいのは20歳以上だけ”という掟があり、それに違反している者を見つけるというゲームです。私たちは論理学や対偶などなにひとつ知らなくても、このような「裏切り者」をたちまちのうちに探し出すことができます。

ヒトは石器時代からずっと集団の中で暮らしてきました。利己的な人間が集まる集団に秩序をもたらすためには、ルールに違反した裏切り者を素早く見つけて処罰しなければなりません。このようにして脳は、進化の過程の中で“裏切り者感知システム”を高度化させてきたのです。

道徳というのは正義をめぐる感情で、喜びや悲しみと同様に進化のなかでつくられてきました。私たちは集団の中から裏切り者を探し出し、バッシングするのが大好きです。この社会で起きる不愉快な出来事の多くは、多数派の大衆がこれを“正義”の名において行なうことが原因ですが、ヒトがヒトであるかぎり私たちはこのやっかいな性癖から逃れることはできないのでしょう。

 『週刊プレイボーイ』2014年3月24発売号
禁・無断転載

フクシマの悲劇を正しく語り継ぐのは難しい 週刊プレイボーイ連載(139)

足元にある深いプールの底に四角い影が漂っています。まわりでは全面マスクに白の防護服を着た作業員が忙しく立ち働いています。ここは福島第一原発4号機で、私が眺めていたのは使用済核燃料を納めたラックでした。プールには1500体を超える大量の使用済核燃料が保管されていて、現在、その移送作業が行なわれているのです。

2011年3月11日の東日本大震災で巨大な津波が原発を襲い、運転中だった1号機、2号機、3号機が電源機能を喪失、次々とメルトダウンを起こします。その間、定期点検で原子炉が稼動していなかった4号機のことは誰も気にしていませんでしたが、3月15日の朝に突然、壁の一部が崩落して火災が起きていることが発覚します。

この火災について米国の専門家が、地震によって燃料プールが破壊され、使用済核燃料が露出して崩壊熱を発しているのだと主張しました。1500体もの核燃料が一挙に崩壊すれば膨大な放射性物質が飛散し、首都圏にもひとが住めなくなるという警告に日本じゅうがパニックに陥ります。しかしその後、幸いなことに、4号機のプールに水が残っていることが確認され「日本壊滅」は免れたのです。

その4号機は燃料取り出し用のカバー鉄骨が組まれ、すでに400体の核燃料を回収し、年末までに作業を終える予定だといいます。震災後3年たって、その作業を私のような門外漢が見学できるようになったことだけでも感慨深いものがあります。

1日平均400トンの地下水が流入する汚染水問題はあいかわらず深刻ですが、トラブルが続いていたALPS(多核種除去設備)がようやく継続運転できるようになり、水漏れしにくい溶接型タンクの増設も急ピッチで進んでいます。原子炉の底に溶け出した核燃料の取り出しには技術的な難問が山積しているものの、炉内の状況は冷温停止で安定しています。隣接する3号機でも、建屋の爆発によってプールに沈んだ大量のがれきを撤去する作業が始まっていました。

こうした説明を、「原発再稼働を目論む東電の陰謀」と一蹴するひとはいるでしょう。もちろん東電は親切で私に現場を見せてくれたのではなく、都合の悪いことを隠しているのかもしれませんが、ここでいいたいのは別のことです。

「フクシマ」を「ヒロシマ」と並ぶ人類の愚かさが生んだ悲劇と見なすひとは、原発事故の恐ろしさと放射能の恐怖を歴史に刻み込むべきだといいます。悲劇は大きければ大きいほど“人類への教訓”になるのですから、廃炉作業や汚染水対策がそうかんたんに成功してはならないのです。

悲劇の規模が物語のなかで増殖していくのはよくあることですが、それにも理由はあります。被災者に家族や友人でもいないかぎり、ほとんどのひとはもう原発事故に大きな関心を持っていません。そんな彼らが東電の説明を聞けば、「思っていたよりうまくいってるんだ。だったらどうでもいいや」と思うだけでしょう。

福島第一原発では現在、4000人もの作業員が放射線に被ばくしながら困難な作業に従事しています。私たちはこのひとたちの仕事を正当に評価し、激励すべきですが、皮肉なことに、彼らが頑張れば頑張るほど彼らの存在は忘れられていくのです。

かくいう私も、窮屈な全面マスクで事故現場を訪れてみてはじめてこのことに気づきました。悲劇を正しく語り継ぐことは、これほどまでに難しいのです。

『週刊プレイボーイ』2014年3月17日発売号
禁・無断転載

*福島第一原発の見学取材はYahoo! Newsの企画に参加したものです。

4号機の燃料プール(提供:Yahoo! News)
4号機の燃料プール(提供:Yahoo! News)
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2号機の海側にはいまだ撤去されないがれきが残る(提供:Yahoo!News)

【書評】ウェブとはすなわち現実世界の未来図である

『ウェブとはすなわち現実世界の未来図である』の著者・小林弘人さんとは、小林さんが『 ワイアード日本版』の編集長だった頃からのつき合いだ。本書の制作にかかわった深沢英次さんは『 ワイアード日本版』のテクニカル・ディレクターで、WEBサイトの責任者も兼務していた。深沢さんとはたまたま家が近所だということもあり、このブログのデザインと管理をお願いしている。そのことを最初に断わったうえで、小林さんの新刊を紹介したい。

著者はこれまで『フリー』『シェア』でインターネット時代の新しいビジネスモデルを紹介してきたが、本書のテーマは「社会はウェブをコピーする」というものだ。なぜそうなるかというと、ウェブとはテクノロジーやシステムのことではなく、人間と人間とをつなぐネットワークだからだ。著者はこれをヒューマン・ファースト(人間中心主義)と呼ぶ。

私の理解では、このことは次のように説明できる。

社会というのはヒトとヒトとのネットワークの集合体で、マルクスのいうように、人間の本質は、その現実性においては「社会的諸関係の総体」のことだ。このように考えると、社会がウェブをコピーする理由がよくわかる。

ウェブは社会から隔離されたものではなく、ウェブのネットワークをつくるのは社会の構成員と同じ人間だ。だが仮想空間であるウェブは、現実社会よりもネットワークに対する規制がゆるい(敷居が低い)。このことによってウェブでは、ネットワークの持つ可能性が拡張されると同時に、人間の欲望がより直接的に現われる。近代的な個人の人生の目的は誰かとつながること(ネットワークの拡張)と欲望の実現なのだから、ウェブで可能なことを現実社会でも再現しようとするのは当然だ。このことによって、ウェブは現実世界の未来図になる。

こうした魅力的なパースペクティヴのもとに、本書ではいま現在、ウェブの世界で起きている膨大なイノベーション(の萌芽)が紹介されていく。私はそのすべてを理解できるわけではないし、適任でもないから、具体的なことは本を読んでいただくしかないが、ここではいくつか感じたことをまとめておきたい(あくまでも個人的な感想で、著者の意図とは異なるかもしれない)。

(1)イノベーションはけっきょくシリコンバレーでしか起こらない

本書で紹介されるイノベーションの事例は、GoogleやFacebookを中心に、シリコンバレーのベンチャー企業によるものがほとんどだ。それに対して日本での成功事例は、「くまモン」のような地域活性化や、ネットの口コミからブームを起こした「あまちゃん」などにとどまっている。

これは、「日本はダメでアメリカはスゴい」という話ではない。ヨーロッパはもちろん、中国やロシアなど多くの国でシリコンバレーに対抗するベンチャービジネスの拠点をつくろうとしたが、ひとつとして成功したところはない。これは、シリコンバレー(アメリカ西海岸)という場所が特別だからだ。

「集合知」のパフォーマンスを最大限に発揮するには、質の高い多様な意見が自由に交換されなければならない。移民社会のアメリカには、異なる文化や宗教、価値観を持つ人々がが世界じゅうからやってくる。彼らのなかできわめて知的能力の高いひとたちがシリコンバレーに集まり、収益の最大化という共通の目標の下に、法外な自由と最先端の環境を与えられて共同作業を行なう。そこから、世界を変えるようなイノベーションが次々と生まれるのだ。

こうした環境を日本でつくるのは不可能だから、今後も日本企業から真のイノベーションが生まれることはないだろう。経済産業省は「国産検索」の名目で日本企業に補助金を出し、Googleに対抗しようとしたが、この悪い冗談が象徴するように彼我の差はあまりにも大きい。日本企業が生き残る道はシリコンバレーの企業の裏方に徹するか、彼らのイノベーションを応用して日本市場に適合させることしかないのではなかろうか。

(2)日本企業のマネジメントはこの20年間、まったく変わらなかった

ITコンサルタントとして多くの日本企業と接してきた著者は、本書で「上司説得型マーケティング」の弊害を説く。日本の会社では、社員は市場や消費者に対してマーケティングするのではなく、上司が納得するビジネスプランを出すことに汲々としているのだ。

もちろんこのことは1990年代からいわれ続けてきたから、新味がないと感じるかもしれない。しかし真に驚くべきことは、20年前の現状分析がいまもそのまま通用することだ。「このままではダメだ」といいつつ、この20年間、日本企業のマネジメントはなにも変わらなかった。

いまでもほとんどの会社で、取締役会は「日本人」「男性」「高齢者」という属性で構成されている。社員の多くは「日系日本人」で、同じような大学を卒業し、入社年次によってグループ化されている。多様性とはまったく逆の日本企業のこうした体質が「上司説得型マーケティング」を生み出す元凶で、改革をはばんでいるのはそんな会社をアイデンティティとする社員自身(とりわけ高学歴の男性)だ。

90年代末のITバブルのとき、なにかの会合で話をした大手電機メーカーの若手社員から「社内ベンチャー」の名刺を出されて驚いたことがある。社員をシリコンバレーの大学に留学させ、会社の一部門としてベンチャービジネスを興すのだという。彼はそのことになんの疑問も持っておらず、「アメリカではベンチャーは個人がやりますが、日本では会社が主体になるんですよ」と得々と説明した。ちなみにその電機メーカは10年後には経営危機に陥り、主力部門を中国企業に売却して消滅した。

(3)会社を変えるよりも、個人が変わる方が効率がいい

本書には日本の会社を「ウェブの未来」に適応させるための提案がまとめられている。「新しい「希少」を探せ」「違うもの同士をくっつけろ」「検索できないものを見つけよう」などどれも魅力的なものだが、いざ自分の会社で実行しようとすると途方に暮れるのではないだろうか。

大きな会社に勤めているひとはみんな知っていると思うが、組織を変えるのはほんとうに大変だ。それはこれまでのやり方で成功してきたひとが社内の中心にいて、既得権を形成しているからだ。

日本の会社ではサラリーマンの代表が社長になるから、社員の既得権を奪うことができない。日本の会社で成功しているのは創業社長のワンマン企業ばかりで、サラリーマン社長に代わるとたちまち失速する。日本的なガバナンスでは、「創造的破壊」は独裁からしか生まれないのだ。

著者の提案は会社だけでなく、個人の事業にもそのまま使えるものばかりだ。そう考えると、会社を「ウェブの未来」に適応させるよりも、個人が変わった方がよほど効率がいい。

インターネットではGoogleやAmazonのような先端企業がインフラを提供し、多様な市場参加者がそこに商品やサービスなどのコンテンツを流通させる。このような市場が成熟すれば、国籍の違いはもちろん、会社と個人の差もなくなっていくだろう。

こうした未来では、会社にしばられたサラリーマンが「幸福」や「成功」を実感できる機会はますます減っていく。それに対して、新しいトレンドを上手に活用できた個人が「成功者」と呼ばれるようになっていくのだろう。

(4)ウェブが現実世界の未来図なら、よりよい社会をデザインすることも可能なのではないか

ウェブの世界では、「正しいデザインによって参加者を合理的に(あるいは道徳的に)振る舞わせることができる」と考えられている。これが著者のいう「評価経済」「評判社会」で、参加者は利己的な動機から、高い評判を獲得しようと利他的に行動する。

ウェブが現実世界の未来図であれば、ウェブで成功したデザインを実社会に転用することで、よりよい社会をつくることができる。これが“サイバー・リバタリアニズム”や“パターナリスティック(おせっかいな)リバタリアン”と呼ばれる新たなエリート主義(知的貴族制)だ。

著者はもちろんその可能性(と問題点)に気づいているだろうが、本書での提言はビジネスにとどまっている。著者の該博な知識をもって、次はウェブが政治や社会をどのように変えていくのかも論じてほしい。