バカと利口のちがいはどこにあるのか? 週刊プレイボーイ連載(153)

机の上に、さまざまな表情をしたひとの写真が置かれています。私たちはそれを見た瞬間、「怒っている」「笑っている」「悲しんでいる」とその感情をいい表わすことができます。

文化人類学者は、顔写真から感情を推測するこの実験を、南太平洋やアマゾンの奥地など文明社会と接触のなかったひとたちにも行ないました。すると彼らは、これまで見たことのない白人や黒人の感情を写真だけで私たちと同じように正確にいい当てたのです。

私たちは相手の感情を「直感」で判断しています。直感の特徴は、脳に情報(表情)がインプットされた瞬間に回答(相手の感情)がアウトプットされることです。

顔写真の実験は、直感が文化(経験)によってつくられるのではなく生得的なものであることを明らかにしました。それはヒトの脳(コンピュータ)にあらかじめ組み込まれたOS(オペレーティングシステム)です。ノーベル経済学賞を受賞した行動経済学の創始者ダニエル・カーネマンは、これを「速い思考」と名づけました。

それでは次に、暗算をやってみてください。

17×24=?

正解は408ですが、珠算の経験のあるひとでなければかなり苦労するでしょう。

暗算をしているときの生理的な変化を調べると、筋肉が硬直し、血圧や心拍数が上がるこことがわかっています。これは心理的にも生理的にも負荷が高い不快な状態です。

すぐに答の出る「速い思考」はわかりやすくて快適です(負荷が低い)。しかし私たちは、おうおうにして直感では解くことのできない問題に遭遇します。二桁の掛け算を暗算するには負荷の高い「遅い思考」が必要とされるのです。

私たちは、不愉快な「遅い思考」を無意識のうちに避けようとします。その方法は原理的にふたつしかありません。

(1)「遅い思考」が必要な問題を無視する

(2)あらゆる問題を「速い思考=直感」で解こうとする

理解が難しい問題に直面すると、「そんなことは私の人生になんの関係もない」と問題の存在そのものを否認するのが①の態度です。しかしそれよりやっかいなのは、複雑な問題を直感によって解こうとすることです。

「速い思考」は原因と結果を因果論で結びつけ、そのわかりやすさで感情に訴えます。「自分が正しいと感じたことだけが正しい」という狭隘な主張は、ウクライナやタイでも、「朝鮮人を殺せ」と叫ぶ団体がデモをする日本でも見ることができます。

「速い思考」しかできないひとを“バカ”と呼ぶのなら、私たちはみんなバカでしかありません。ひとは日々の出来事のほとんどを直感によって処理しています。生きるということは無数の判断の積み重ねですから、それをいちいち「遅い思考」で考えていては気が狂ってしまいます。

しかしその一方で、文明が発達し社会が複雑化してくると、速い思考だけでは対応できないことが増えてきます。私たちは生活の99%(もしかしたら99.9%)を「速い思考」で済ませていますが、世の中には負荷の高い「遅い思考」を徹底して忌避するひとと、1%(あるいは0・1%)の「遅い思考」ができるひとがいます。

私たちはみんな進化の奴隷ですが、それでも「バカ」と「利口」のちがいはあるという話を、新刊の『バカが多いのには理由がある』(集英社)で書きました。“バカ”にうんざりしているひとはぜひどうぞ。

参考:ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』

『週刊プレイボーイ』2014年6月30日発売号
禁・無断転載

「残業代ゼロ法案」に反対するほんとうの理由 週刊プレイボーイ連載(152)

政府の産業競争力会議が提言する労働時間規制の緩和をリベラルなメディアは「残業代ゼロ法案」と呼んで批判しています。労働規制緩和の「残業代を支払わない契約を認める」という面だけを強調しているのですが、はたしてこれは公正な報道でしょうか。

日本的な雇用慣行は製造業をベースにつくられたものです。工場では労働者が働いた時間だけ製品がつくられますから、残業代が払われないのは無料奉仕、すなわち奴隷労働になってしまいます。

ところが産業が高度化してサービス業や知識産業が主流になると、工場と同じような労働管理ではうまくいかなくなります。

知識社会においては、働き方は大きく3つに分かれます。(1)クリエイティブクラス、(2)スペシャリスト(専門家)、(3)バックオフィスです。

バックオフィスというのは縁の下のちからもちで、いわゆる事務仕事です。こうした仕事は時給計算が可能で、残業すれば収入が増え、欠勤すれば給料から差し引かれます。飲食店などと同じ給与体系なので、“マックジョブ”とも呼ばれます。

クリエイティブクラスとスペシャリストの違いは、映画スターと舞台の役者にたとえるとわかりやすいでしょう。

どれほど人気の演劇やミュージカルでも、公演の回数や劇場の規模、チケットの料金には自ずと上限があります。弁護士や公認会計士、医師などの専門職も同じで、時給は高くてもクライアントの数や仕事の量には物理的な制約があります。

それに対して映画スターは、いったんヒット作に主演すると、映画やテレビ放映、DVDなどで世界じゅうに作品が拡散していき、何十億、何百億と稼ぐことも珍しくありません。テクノロジーの進歩によって、クリエイティブクラスの富には上限がなくなったのです。

もちろんこれは、クリエイティブクラスの方が有利だ、ということではありません。世界的な大スターになれる確率はきわめてわずかで、ほとんどの挑戦者は脱落していきます。それに対してスペシャリストは、無限の富は手にできないかもしれませんが、高い確率で平均以上の収入を得ることができます。

知識社会化が進むなかで、クリエイティブクラスは真っ先に会社を辞めて独立していきました。日本の会社はいま、社内のスペシャリストをどう処遇するかで悩んでいます。

「残業代ゼロ」の例として為替ディーラーが挙げられていますが、彼らの仕事の実態は会社の庇を借りた自営業者と変わりません。成果報酬で社長以上の給与を受け取ることもあるのですから、残業代ゼロはもちろん、大損すれば退職金ゼロで解雇されるのが当たり前です。

法務や経理などのスペシャリストは、資格などによって人材としての価値が労働市場で客観的に評価されるようになるでしょう。そうなれば、会社の処遇に不満なら転職や独立すればいいだけですから、政府が労働規制で保護する必要はありません。それに対してバックオフィスの仕事は景気に左右され、転職も簡単ではないので、どこの国でも一定の保護が必要とされています。

日本の会社では、いまだにバックオフィスとスペシャリストが混在し、同じ給与体系で社員全員を管理しようと四苦八苦しています。労働規制緩和というのはそれを実態に合わせることなのですが、大半のサラリーマンにとって、自分の仕事がマックジョブだという現実を突きつけるような“改革”はとうてい受け入れられないのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2014年6月23日発売号
禁・無断転載

テレビはバカに娯楽を提供するメディア

最新刊、『バカが多いのには理由がある』から「はじめに」を掲載します。

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ずいぶん昔の話ですが、仕事の企画で民放テレビのディレクターに会いにいったことがあります。彼は30代後半で、視聴率の高いワイドショーを担当し、業界ではやり手として知られていました。

「僕の話なんか聞いたって仕方ないですよ」

開口一番、彼はそういいました。

「昼間っからテレビを見ている視聴者って、どういうひとかわかりますか? まともな人間は仕事をしているからテレビの前になんかいません。暇な主婦とか、やることのない老人とか、失業者とか、要するに真っ当じゃないひとたちが僕らのお客さんなんです。彼らをひとことでいうと、バカです。僕らはバカを喜ばせるためにくだらない番組を毎日つくっているんですよ。あなたの役に立つ話ができるわけないでしょ」

彼はテレビ局のエリート社員ですから、この偽悪ぶった言い方がどこまで本音かはわかりません。私が驚いたのは、その言葉の背後にある底知れぬニヒリズムです。

彼によれば世の中の人間の大半はバカで、1000万人単位の視聴者を相手にするテレビ(マスコミ)の役割はバカに娯楽を提供することです。その一方で、テレビは影響力が大きすぎるので失敗が許されません。そこでテレビ局はジャーナリズムを放棄し、新聞や週刊誌のゴシップ記事をネタ元にして、お笑い芸人やアイドルなどを使って面白おかしく仕立てることに専念します。これだと後で批判されても自分たちに直接の責任はないわけですから、番組内でアナウンサーに謝らせればすむのです。

「バカだって暇つぶしをする権利はあるでしょ」彼はいいました。「それに、スポンサーはバカからお金を巻き上げないとビジネスになりませんしね」

いまではこうしたニヒリズムがメディア全体を覆ってしまったようです。嫌韓・反中の記事ばかりが溢れるのは、それが正しいと思っているのではなく、売れるからです。ライバルが過激な見出しをつければ、それに対抗してより過激な記事をつくらなければなりません。

近代の啓蒙主義者は、「バカは教育によって治るはずだ」と考えました。しかし問題は、どれほど教育してもバカは減らない、ということにあります。

だとしたらそこには、なにか根源的な理由があるはずです。

『バカが多いのには理由がある』(集英社)