「新しい統治」ではなく「正しい統治」があるだけ 週刊プレイボーイ連載(151)

日本維新の会が国政選挙に乗り出した2012年10月、「地方の支店長が社長に命令する組織」というコラムを書きました。維新の会は「日本の統治を立て直す」と主張しますが、党首である橋下徹氏が首相を目指さないのでは国政政党として体をなさないのでは、と疑問に思ったのです。

当時、橋下大阪市長はまだTwitterをやっていて、「自分の政党の統治すらできない人物に国家の統治などできるはずはない」という拙文に対し、「(これからやろうとしている)新しい統治がわかっていない」というツイートをもらいました。それからどんな改革があるのかずっと楽しみにしていたのですが、1年半の迷走の末に共同代表だった石原慎太郎氏と袂を分かち、維新の会は元の姿に戻ってしまいました。今後は結いの党と合流するのでしょうが、このままでは誰が代表になるのかという問題がまた出てきそうです。

橋下市長のいちばんの魅力は、ネオリベを前面に押し立てて暴力的に地方政府に改革を迫ったことです。

ネオリベラルの思想は、リベラルな福祉国家への批判として1960年代のアメリカで生まれました。経済学者のミルトン・フリードマンは、ケインズ型の福祉国家は有権者への歯止めのないばらまきを招き、いずれ破綻すると批判しました。橋下市長は2008年1月に大阪府知事に当選しますが、その当時の大阪は非効率な行政、破綻寸前の財政、既得権にしがみつく公務員など、まさにネオリベが描いた「腐敗し、肥大化した(地方)政府」そのものでした。

ネオリベの思想は一朝一夕につくられたのではなく、半世紀に及ぶリベラル派との熾烈な論争のなかで経済学者(その多くがノーベル賞受賞者)を中心に鍛え上げられてきたものです。このグローバル思想で武装した橋下市長は、当時、140文字のTwitterであらゆる批判を叩きのめす無敵の政治家でした。右往左往する公務員相手の勧善懲悪の見世物に観衆が熱狂したのも当然です。

ところが橋下市長はその後、ネオリベの思想とはまったく関係のない領域に踏み込みます。それが13年5月の従軍慰安婦発言で、沖縄米軍司令官に「もっと風俗を活用してほしい」と進言したことでアメリカを巻き込んだ国際問題になりました。ネオリベは功利主義と経済合理性によって制度改革を目指す政治思想で、外交や軍事、歴史問題は対象外ですから、これは橋下市長独自の考えが表に出たものでしょう。

太陽の党との合流や石原代表との共同統治も、ネオリベ的な統治理論からはあり得ない話です。橋下市長が大阪を離れるわけにはいかないという事情からの窮余の策でしょうが、その結果、誰が統治しているのかわからない組織ができあがってしまいました。

「これまでにない」というのは、ほとんどの場合、試したひとが誰ひとり成功しなかったということです。この教訓からわかるのは、「考えるべきことはすでに誰かが考えている」という単純な事実です。橋下市長であれ誰であれ、「まったく新しい」ものを生み出すことなどもはや不可能で、自分だけの特別な考えを実行しようとすれば失敗するのが当然なのです。

今後、橋下市長は大阪の改革に専念するようですが、それならなぜ国政に進出したのかと思うのは私だけではないでしょう。

「新しい統治」などどこにもなく、「正しい統治」があるだけなのです。

『週刊プレイボーイ』2014年6月16日発売号
禁・無断転載

ソロスから学んだこと(『月刊文藝春秋』6月号「自著を語る」)

『月刊文藝春秋』6月号「自著を語る」で『臆病者のための億万長者入門』について書きました。編集部の許可を得て、「ソロスから学んだこと」を転載します。

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「ヘッジファンドの帝王」ジョージ・ソロスは1930年にブダペストのユダヤ人家庭に生まれた。

第一次世界大戦で敗戦国となり領土の大半を失ったハンガリーでは民族主義が高揚し、ナチス・ドイツに与して領土回復を目指していた。第二次世界大戦が勃発したのはソロスが9歳の時で、ブダペストのユダヤ人も次々と収容所に送られていった。

そんな彼らを救うために尽力したのがソロスの父親だった。第一次世界大戦後、シベリアの収容所から脱走し、ロシア革命のなか8000キロを逃げ延びて帰還した父親は幼いソロスのヒーローだった。弁護士となった父はナチスという新たな脅威を前にして、「非常事態には法は適用されない」と宣言してソロス家の指揮をとり、家族全員の身分証を偽造し避難先を手配するとともに、助けを求める同胞に偽の身分証明書類を提供した。

敗色濃厚となったドイツ軍がブタペストを占領すると、市街戦とユダヤ人虐殺が始まった。路上には人間や馬の死体が転がり、ソ連の戦闘機が機銃掃射を繰り返すなか、13歳のソロスは秘密部屋を出て街を探索し、近くの井戸から水を汲み上げて家に運んだ。ソロスは後年、ブダペストが炎に包まれたこの年を「人生でもっとも幸福な日々」と回想している。

勉学のためイギリスに渡ったソロスは科学哲学の大家カール・ポパーに憧れて学問の道を志すが挫折し、26歳でアメリカに渡って株の取引を始めた。だがソロスが求めたものは、経済的な成功ではなかった。じゅうぶんな富を得て33歳でビジネスの第一線から退いたソロスは学問に戻り、哲学書を書き上げるために3年を費やした。ソロスがヘッジファンドの運用者として再登場するのは、その試みを放棄した後だ。

大富豪となってからも、ソロスは贅沢にはまったく興味を示さなかった。ある晩餐会の席で、隣に座った婦人から、「お金儲けが好きだと気づいたのはいつか」と訊ねられ、「金儲けは好きではありません」とソロスは答えた。「ただ、うまいだけです」

ドイツ生まれの妻とのあいだに3人の子どもをもうけ、莫大な富を手にしながらも、ソロスは自らの人生に満足することができなかった。48歳で家を出て小さな家具つきアパートを借りると、そこに服を詰めた数個のスーツケースと何冊かの本を運んだ。

その後、ソロスは近くのテニスコートで若い女性と知り合った。その女性と再婚することになるのだが、ソロスから「自分はウォール街で成功した富豪だ」と打ち明けられたとき、彼女は「絶対ペテン師だと思ったわ。小銭も持っていない男だってね」と決めつけた。

1992年、ソロスは大規模な通貨取引を仕掛け、ポンドの暴落で10億ドル(当時の為替レートで1200億円)の利益をあげ、「イングランド銀行を打ち負かした男」として世界に衝撃を与えた。1997年のアジア通貨危機では、マレーシアのマハティール首相から通貨暴落の元凶として名指しで批判されてもいる。

その一方で世界有数の富豪となったソロスは「開かれた社会(オープンソサエティ)」のための財団を設立し、冷戦終結後の東欧の民主化に貢献した。ソロスが慈善事業に投じた資金は80億ドル(約8000億円)を超えている。

ソロスは金融市場で大きなリスクをとることで、とてつもない成功を手にした。彼が投機を恐れなかったのは、少年時代のブダペストでの体験があったからだ。ヒーローである父の指揮下で死体の散乱する街を駆け回ったあのわくわくする日々を、ソロスは取り戻そうとしていた。

だが金融市場からどれほどの富を得ても、ソロスの渇望が癒されることはなかった。金融取引のリスクなど、ほんものの戦争と比べればしょせんまがいものでしかないのだ。

この数奇な体験を紹介したのは、ソロスが“ふつう”ではないからだ。一生使い切れないほどの富を得た後で、さらに血眼になって金儲けをしたいとは私たちは思わない。ソロスが投機を求めるのは、それなくしては生きていけないからだ。

金融市場は人類が生み出した史上最大のギャンブル場で、そこでは“ふつう”でない人々が仮想取引(ヴァーチャルゲーム)に己の実存を賭けている。だがその絢爛豪華な舞台装置にばかり目を奪われていると、大切なことを見落としてしまう。金融市場は、私たちの人生の経済的な土台(インフラ)をつくるものでもあるのだ。

それが、“ふつう”のひとのための「億万長者入門」を書こうと思った理由だ。

参考文献:マイケル・T・カウフマン『ソロス』(ダイヤモンド社)
『月刊文藝春秋』6月号
禁・無断転載

集団的自衛権を議論する前にやるべきことがある  週刊プレイボーイ連載(150)

集団自衛権についての議論が徒労感しか残らないのは、そもそもの前提を共有せず、わけのわからないことをいうひとがいるからです。それも、ものすごくたくさん。

地球の裏側の国がいきなり攻めてくることがない以上、安全保障というのは国境を接する隣国とどのようにつき合えばいいのか、という話です。

いつ裏切られるかわからない相手とのつき合い方は、ゲーム理論でもっとも研究されてきたテーマです。

社会心理学者のロバート・アクセルロッドは、「囚人のジレンマ」と呼ばれる協力と裏切りゲームを繰り返した場合、どの戦略がもっとも効果的かを調べるため、心理学、経済学、政治学、数学、社会学の5つの分野の専門家を世界じゅうから集め、コンピュータ選手権を開催しました。

選手権に挑戦した天才たちは、さまざまな戦略を持ち寄りました。相手に裏切られても協力するお人好し戦略、逆に、相手が協力しても裏切る悪の戦略、裏切った相手には徹底して懲罰を加える道徳的戦略、ランダムに協力したり裏切ったりする気まぐれ戦略、さらには過去のデータから統計的に相手の意図を推察し、最適な選択を計算する科学的戦略……。ところがこの競技を制したのは、全プログラムのなかでもっとも短い「しっぺ返し戦略」と名づけられた単純な規則だったのです。

しっぺ返し戦略は、次のふたつの規則から成り立っています。

  1. 最初は協力する
  2. それ以降は、相手が前の回にとった行動を選択する

しっぺ返し戦略では、とりあえずどんな相手でも最初は信頼します。それにこたえて相手が協力すれば信頼関係をつづけ、相手が裏切れば自分も裏切ります。いちど裏切った相手が反省して協力を申し出れば、ふたたび相手を信頼して協力関係に戻るのです。

この科学的知見を国際関係に応用すると、最強の安全保障戦略は次のようなものになります。

  1. 平和主義を宣言する
  2. 武力攻撃を受けた場合は徹底して反撃する
  3. 相手が撤退したらそれ以上の攻撃は停止し、平和条約を締結する

国際紛争を解決する手段としての武力行使を永久に放棄したうえで、自衛隊と日米安保によって反撃の意志と能力を示すというのは、ゲーム理論的にきわめて合理的な安全保障戦略です。戦後日本の政治家はものすごく賢かったのです(信じられないかもしれませんが)。

ところが残念なことに、「自衛隊は違憲ですべての軍備を放棄すべきだ」という暴論を大真面目に唱えるひとがこの国にはまだたくさん残っています。このひとたちは、「敵が攻めてきたら降伏すればいい」とか、「国民一人ひとりが武装してパルチザンになれ」とか、でたらめな理屈をいい散らかしてきました。

「平和」の名のもとに空理空論を振り回すひとがいるかぎり、安全保障についてのまともな議論は成立しません。だとすれば、常識のあるリベラル派がまずやるべきなのは、安倍政権を感情的に叩くことではなく、「進歩的知識人」の残党を徹底的に批判することです。

そうすれば日本でも、より現実的で実りのある安全保障の論争がはじめて可能になるでしょう。

『週刊プレイボーイ』2014年6月9日発売号
禁・無断転載