“加害者”が責任を追及する不思議な歴史観  週刊プレイボーイ連載(209)

注目されていた安倍談話が8月14日に発表されましたが、穏当かつ常識的なもので、首相に「歴史修正主義者」のレッテルを貼ろうと手ぐすねひいていたひとたちは肩透かしを食ったようです。中国や韓国の反応も、事前に内容を知らされていたのか、抑制的なものでした。歴史問題は加害国の謝罪と被害国の寛容によって解決するほかないのですから、日中韓の為政者が「いつまでも罵り合っていても仕方がない」という当たり前のことに気づいたのは歓迎すべきことでしょう。

歴史問題の発端が、「東京裁判は勝者の判断による断罪」「侵略の定義は定まっていない」などの安倍首相の発言にあることは明らかです。個人の意見なら許容範囲でも、一国の宰相が保守派の偏狭な歴史観に執着すると政治的資源を失うばかりで、安保法制の議論すらままなくなる現実にようやく気づいたのでしょう。最初から談話の立場なら、「戦争法案」とか「徴兵制」とかの無意味な混乱は起きなかった気もしますが。

今回の談話を「主語がない」とか、「本心ではない」と批判するひともいるようですが、これもどうでもいいことです。マキャベリを引くまでもなく、権力者は目的の実現のために最適な“理想”を語ればいいのですから。

日本は明治維新によってアジアで最初に近代化を成功させましたが、実はその頃には植民地主義は末期を迎えており、第一次世界大戦で民族自決が新しい「正義」になりました。安倍談話にもあるように、日本はこの「グローバルスタンダードの転換点」を理解できず、侵略と領土の拡張にのめり込んで自ら破滅したのです。

近代国家は民族の共同体として、よいことも悪いことも含め過去の歴史を引き継ぐのですから、都合のいいところだけを拾い食いして負の歴史から逃れることはできません。だからこそ日本は植民地に対しても謝罪しており、“欧米列強”が過去の植民地政策を謝罪・反省などしていないことを考えれば、これはもっと誇っていいことでしょう。欧米のメディアが安倍談話を批判しているのを見ると、その自分勝手な歴史観に首を傾げざるを得ません。

歴史観が歪んでいるのは日本のメディアも同じです。

戦前・戦中の新聞はこぞって侵略と植民地の拡大を求め、朝鮮半島や台湾の「日本人」を二級市民扱いし、英米を「鬼畜」と罵って日本国を戦争に引きずり込んでいきました。当時の政治家の記録を見れば、新聞の煽り立てるナショナリズムの熱狂を抑えることができず、苦慮する有様がよくわかります。

国家と同じく会社も「法人」として過去の歴史を引き継いでいるはずです。そう考えれば、日本のメディアが「過去の戦争の加害者」であることは間違いありません。

ところがそのメディアは、いつのまにか被害国の代理人になって安倍談話を批判したり、あるいは被害国・被害者に対し「もうじゅうぶん謝った」と不満をぶつけるなど、好き放題なことをしています。

このひとたちの「歴史認識」がどうなっているのかほんとうに不思議ですが、彼らがこの矛盾に気づくことは(おそらく)永遠にないのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2015年8月31日発売号
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「おわハラ」ではなく、年齢差別を終わらせよう  週刊プレイボーイ連載(208)

内定を出した学生に就職活動を終わらせるよう強要する「おわハラ」が問題になっています。なぜこんなことが起こるかというと、高齢化による人手不足もあるでしょうが、いちばんの原因は、安倍政権の要請を受けた経団連が、「学業優先のため新卒の選考は8月から」という指針を出したことでしょう。

これはたんなる指針なので、経団連に加盟する大手企業は無視できないとしても、外資系や中小企業には関係ありません。そのためこれらの企業は、従来どおり4月から選考をはじめ、次々と内定を出して採用活動を終えています。ところが今年は、そのあとに金融など大手企業の選考があるのですから、これは人事担当者にとって大問題です。

内定を出した学生が大手企業に採用されたとすれば、入社を断ってくるのは8月後半や9月になってからです。それによって予定人数が足りなくなれば、そこからもういちど採用活動をやり直さなければなりません。その手間やコストを考えれば、内定者の拘束をいちがいに非難することはできません。

一般に、中小企業よりも大手企業の方が学生に人気がありますから、まず大手の選考があって、そこで採用されなかったり、もともと大手に興味のなかった学生が中小企業に応募する、というのが自然な流れです。ところが新しい制度では、この順番がまったく逆になっているのですから、これで混乱が起こらない方が不思議です。

そのため、大学や企業から、「誰にためにもならないこんな馬鹿馬鹿しいことはさっさと止めるべきだ」との声が出ています。しかしこれは、単純に「元に戻せばいい」という話ではありません。これまでの新卒採用制度がうまく機能しないことが、「改革」が求められた理由なのですから。

以前にも書きましたが、新卒一括採用などという摩訶不思議なことをやっている国は世界のなかで日本だけです。そのうえ、雇用対策法に定める「募集・採用における年齢制限禁止」の規定に明らかに違反しています。新卒に限定した採用が許されているのは、「日本的雇用」の特殊性に配慮した過渡的かつ例外的な措置なのです。

そう考えると、法律の完全な遵守を求められている官公庁(とりわけ厚生労働省)がいまでも新卒一括採用を行なっていることはきわめて異常です。これでは、どんな高尚な法の理念も特例措置で好きなように蹂躙できることになってしまいます。行政が率先して“不法行為”を行なっているのなら、誰も法を真面目に守ろうなどとは思わないでしょう。

経団連に加盟する大手企業も、海外の子会社では新卒一括採用などやっていないのですから、従業員を国籍で差別しているといわれてもしかたありません。だとしたら、選考時期をずらすなどという姑息な手段ではなく、「年齢にかかわらず最適な人材を通年で採用する」という真っ当な指針を出せばいいのです。

そもそも現在の新卒採用制度は、期間を限定することで採用市場を大混雑させるという、経済学のマッチング理論では最悪の制度です。やり方を変えるだけで現状をかんたんに改善できるのですから、「おわハラ」で大騒ぎするのではなく、行政やグローバル企業は先頭に立って採用における年齢差別を終わらせるべきでしょう。

『週刊プレイボーイ』2015年8月24日発売号
禁・無断転載

第52回 世にはびこる「どうせ」理論(橘玲の世界は損得勘定)

福岡県警の50歳代の男性巡査部長が、アダルトサイトの解約手数料名目で約1800万円をだまし取られた。スマートフォンでアダルトサイトを閲覧中、画面に会員登録されたことを示す表示が出たことに驚き、解約しようとして32万円の手数料を支払ったところ、「他のアダルトサイトの登録がまだ残っている」などと請求され、計19回にわたって大金を指定された口座に振り込んだのだという。

この話にいまひとつ同情できないのは、詐欺を取り締まるべき警察官が、あまりに単純な架空請求詐欺の手口に引っかかったからだろう。でも世の中には、同じようにだまされやすいひとが一定数いることも事実だ。

そこで詐欺師は、自分勝手な「自己責任論」で犯罪を正当化する。

「こういうひとは、いずれ誰かにだまされて身ぐるみはがされるんだよ。だったら俺が先にだましたって同じでしょ」

話は変わって2020年の東京オリンピック。

当初1300億円と見込んでいた新国立競技場の費用が約3000億円まで膨らんだとき、スポーツ議員連盟の政治家たちはサッカーくじの売上を工事費に充てようとした。それでも足りないと、プロ野球や大相撲にまでくじの対象を広げようと画策している。

ところでサッカーくじは、ジャンボやロトなどの宝くじと同じく、購入代金の半分以上が手数料として控除される。100円を払うと最初に55円が没収され、残りの45円を当せん者で分配するのだ。

競馬、競輪などの公営ギャンブルの還元率は75%と宝くじよりマシで、パチンコ・パチスロが85%程度、カジノのルーレットは95%だ。他のギャンブルに比べてあまりにも還元率が低い宝くじは、経済学者から「愚か者に課せられた税金」と呼ばれている。

ジャンボ宝くじは1ユニット1000万枚で、1等が当たる確率は1000万分の1。一方、日本で1年間に交通事故で死亡するのはおよそ3万人に1人だ。宝くじを10万円分買って、ようやく1年以内に交通事故で死ぬ確率と同じになる。これだけ分が悪いとふつうは誰からも相手にされないから、賞金金額を引き上げて射幸心を煽るしかないのだ。

オリンピック開催が国民の悲願だというなら、競技場の整備・建設にもみんな賛成するはずだから、五輪特別税を徴収して必要な予算を確保すればいい。でもそうすると選挙に不利になるし、お金も自由に使えなくなるから、「愚か者」に税金を払わせようとするのだろう。

これでなにがいいたいのかわかってもらえただろうか。

特殊詐欺の犯人は「いずれ誰かにだまされるんだから同じ」という。政治家は、「どうせどこかの宝くじを買うんだから、競技場建設のために先にサッカーくじを買わせてしまえ」という。両者のちがいは法律に違反するかどうかだけで、その論理はまったく同じだ。

国の道徳レベルがこの程度では、いつまでたっても振り込め詐欺や架空請求詐欺がなくならないはずだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.52:『日経ヴェリタス』2015年8月16日号掲載
禁・無断転載