番長がいなくなって監視社会が到来した 週刊プレイボーイ連載(213)

大阪・寝屋川市で中学1年生の男女が殺害された事件では、現場付近に設置されていた監視カメラが犯人逮捕の決め手になりました。それ以外でも渋谷駅の地下鉄駅構内の殺傷事件や、長崎県で幼稚園児が誘拐され、立体駐車場から投げ落とされて殺された事件など、監視カメラが犯人の特定につながったケースは枚挙にいとまがありません。いまでは、まずカメラの映像を調べるのが犯罪捜査の常道になっているようです。

統計的な事実を確認しておくと、多くのひとの実感とは逆に、日本の犯罪被害は減少の一途をたどっています。少年犯罪の減少も顕著で、世間でいわれる「低年齢化」とは逆に、犯罪のピークは18~20歳に「高齢化」しています。さらに、世代別でもっとも犯罪者が増えているのは高齢者です。

とはいえ、「治安の悪化」をたんなる錯覚だと決めつけることもできません。「治安感覚」は、たしかにむかしとは変わってきているからです。

公立高校の教師から、「かつては番長が学校の治安の下限を決めていた」という話を聞いたことがあります。70年代くらいまではどの学校にも番長をリーダーとする不良集団がいて、長ランという丈の長い学生服を着て、校内で煙草を吸ったり、授業をさぼって他校の不良と喧嘩したりしていました。

番長組織には厳しい掟があります。番長より派手な長ランを着ることができないのはもちろん、彼らの喫煙場所が体育館裏だとすると、他の生徒は校内のそれ以外の場所で煙草を吸うことは許されません。番長がカツアゲを禁じていれば、一般生徒が下級生を強請るのは制裁の対象です。

そこで有能な教師は、新学年になると、まず新しい番長と話をつけたのだそうです。そこで学校の治安の「下限」が決まれば、教師も一般生徒も、それよりヒドいことは起こらないと安心できます。最近の底辺校では教室内の喫煙も珍しくなくなったようですが、番長がいる時代にはこのようなことは考えられませんでした。

一般社会において、これと同じ役割を担ってきたのがヤクザです。山口組三代目の田岡一雄組長は、ヤクザはあぶれ者に居場所を与え、社会の最底辺を安定させる「必要悪」だと述べましたが、警察の認識もこれ同じで、マル暴の刑事の仕事は暴力団を壊滅させることではなく、彼らに治安維持の仕事を肩代わりさせることでした。市民社会もヤクザの存在に寛容で、地域のもめごとは警察ではなくヤクザの組長に持ち込まれるのがふつうでした。

しかしこうした「前近代性」は80年代以降、急速に失われ、学校からは番長がいなくなり、ヤクザは「市民社会の敵」として排除の対象になっていきます。そしてこれと軌を一にして、学校でも社会でも「治安の下限」が決まらなくなったのです。

「番長がいなくなって、学校はなにが起きるかわからないところになった」と高校教師はいいました。少年犯罪は減っているにもかかわらず、教師や生徒の不安が増しているのはこれが理由でしょう。

暴対法でヤクザが排除され、日本社会は統計上はより安全になりましたが、ひとびとの不安は逆に高まっています。こうして私たちは、あらゆる場所に監視カメラが設置される「監視社会」を望むようになったのです。

参考文献:浜井浩一、芹沢一也『犯罪不安社会 誰もが「不審者」?』 (光文社新書)

『週刊プレイボーイ』2015年10月5日発売号
禁・無断転載

ヨーロッパの難民は「理想」が生み出した 週刊プレイボーイ連載(212)

ヨーロッパにシリア、イラクなど紛争地帯からの難民が大量に押し寄せ、各地で混乱を引き起こしています。EU(欧州連合)は今後2年間で難民16万人を各国に割り当てる案を発表しましたが、中・東欧諸国を中心に反対論が根強く、議論は紛糾しそうです。

これまでの経緯を振り返れば、難民の発生は、シリアで反政府運動が高まりを見せた2011年1月にまで遡ります。シリアは少数派のアラウィー派が、独裁と秘密警察によって人口の4分の3を占めるスンニ派を支配する特異な政治体制で、ハーフィズ・アル=アサド前大統領は1982年、敵対するムスリム同胞団(スンニ派)の拠点ハマーの街を攻撃し、1万人から4万人とされる多数の市民を虐殺しました。現在のバッシャール・アル=アサドはその息子で、政権の中枢はアサド家をはじめアラウィー派で固められています。

シリア内戦はスンニ派対シーア派の中東諸国の代理戦争でもあり、イランが同じシーア派の系統に属するアラウィー派のアサド政権を支援するのに対し、反体制派の背後にはサウジアラビアなどスンニ派の湾岸諸国がいます。さらに、アサド政権が市民デモを徹底的に弾圧したことから欧米諸国が態度を硬化させ、2013年にはEUが反体制派への武器禁輸を解除しました。

ところがここで、両者が予想だにしないことが起こります。イラクの政治的混乱とシリアの内戦で権力の空白が生まれると、そこにIS(イスラム国)というカルト的な武装集団が台頭してきたのです。ISが通常のテロ組織と異なるのは、強力な軍事力を持っていることです。シリアの反体制派は湾岸諸国のオイルマネーで大量の武器をEU諸国から購入しましたが、戦況が悪化するとそれをISに転売したのです。

これはあくまでも結果論ですが、欧米諸国は民族・宗教対立を、民主化を求める市民運動と誤解したといわざるを得ません。民主化運動であれば、ひとたび政権が交代すれば和解の道が開けるかもしれませんが、恐怖と憎悪に支配された民族紛争に許しや寛容はありません。旧ユーゴスラビアの凄惨な内戦を見ればわかるように、復讐の悪夢から逃れるには、敵を殺しつくし、民族を“浄化”するしかないのです。――そうでなければ、敵が同じことをするでしょう。

アサド政権は、権力の座を奪われれば自分たちが皆殺しにされることを知っていますから、戦いを止めることはできません。かといって湾岸諸国とEUに支援された反体制派を圧倒することもできず、戦況は膠着し、シリア社会は崩壊していきます。当初はアサド政権の退陣を要求していた欧米諸国も、ISの台頭で思考停止に陥り、ほとんど効果のない空爆を繰り返すだけになりました。こうして、生きていく方途を失ったひとびとが難民になって欧州を目指し始めたのです。

じつはこの解説は、ロシアのプーチン大統領によるものです。プーチンはシリア内戦の最初から、欧米の「人権」による介入を批判し、権力の空白よりもアサドの独裁の方がはるかにマシだと主張しました。リアリズムと理想論のどちらが正しかったかはいまや明らかですが、リベラルな欧米諸国がこの事実を受け入れることは不可能でしょう。そしてこれから、そのツケを払うことになるのです。

『週刊プレイボーイ』2015年9月28日発売号
禁・無断転載

「強い大統領制」じゃなくてよかった、かも 週刊プレイボーイ連載(211)

来年の米大統領選に向けた共和党候補指名争いで、“不動産王”ドナルド・トランプの勢いが止まりません。世論調査でも30%前後の支持率を維持し、本命とされるジェフ・ブッシュ前フロリダ州知事らを大きく引き離しています。このままでは民主党のヒラリーとの一騎打ちになりそうですが、政治評論家のなかには懐疑的な論者も少なくありません。

トランプが支持されるのは、人気テレビ番組で「お前はクビだ!(You’re fired!)」の決め台詞を連発した圧倒的な知名度や、女優やモデルとの派手な交際もありますが、そのカゲキな発言が、共和党の中核的な支持層である保守的な白人中産階級にアピールしたからなのは間違いありません。

トランプは移民の流入を防ぐためにメキシコとの国境に「万里の長城」を築くと公約し、中国を為替操作による貿易赤字の元凶、日米安保条約を「米国が攻撃されても日本は助ける必要がない不平等条約」と批判します。こうした歯に衣着せぬ発言が、「(かつてあったはずの)偉大なアメリカが失われてしまった」と感じるひとたちを熱狂させているのでしょう。

しかし、極端なマーケティング戦略は政治においては両刃の剣です。トランプがメキシコ系移民を批判すればするほど、ヒスパニックの有権者の拒否感も強くなるでしょう。リベラル層はもちろん、中道右派のなかにもトランプの“政治ショー”に辟易とするひとたちは多く、彼らが大統領選に棄権することで、「相手がトランプならヒラリーの歴史的圧勝は確実」というのが専門家の共通理解になっています。--そのヒラリーもメール問題で炎上していますが。

政治学ではこれを、「中位投票者定理」で説明します。

ネットにはカゲキな意見が溢れていて、このままでは日本の将来は大丈夫かと不安になったりもしますが、「日本は神国だ」とか「資本主義をいますぐやめろ」という党派が主流になることはありません。どちらの主張にも(いまのところ)それに反対する多数派がいるからです。

民主政では相手より1票でも多くの票を獲得した候補者が当選します。政治家はできるだけ多くの有権者から支持を集めなければならないのですから、自らの政治的信念に関係なく、「合理的選択」によってすべての政党は有権者の平均的な政治的立場に近づいていくはずです。

イギリスではかつて、社会階層を背景に保守党と労働党が真っ向から対立していましたが、両者の政策はいまでは区別がつかないまでに酷似してしまいました。これが「中位投票者定理」の好例ですが、アメリカの大統領選では、候補者はまず民主・共和の二大政党のなかで勝ち抜かなければならないため、この原理がうまく働きません。社会が右と左に分断されると、党の支持層に対しては極端な右(もしくは左)の主張をした方が有利になってしまうのです。

日本ではずっと「決められない政治」が批判され、アメリカのような「強い大統領」が理想化されてきました。しかし4年にいちどの壮大な「政治的茶番劇」を見せられると、かつての輝きはずいぶん色あせてしまいます。

いまやアメリカの政治学者のなかには、イギリスや日本のような議院内閣制の方が優れているとの議論もあります。日本国憲法をつくったのは米進駐軍ですが、彼らがアメリカ流の大統領制を持ち込まなかったことを感謝する日がくるかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2015年9月14日発売号
禁・無断転載