軽減税率は「信者」のためのもの? 週刊プレイボーイ連載(217)

2017年4月に消費税率を10%に引き上げるにあたって、軽減税率の議論が紛糾しています。財務省が提示したのはマイナンバーで購入履歴を記録し、ネット上で還付金を申請するというそれなりに斬新なアイデアでしたが、これをいちどは受け入れた公明党が支持母体である創価学会の反発で態度を翻し、酒類を除く飲食料品の税率を8%に据え置くよう求めたからです。

これを受けてメディアでは、軽減税率の対象やインボイス(税額票)の功罪など、さまざまな解説がなされていますが、どことなく脱力感が漂うのは肝心なことを避けているからでしょう。

EU諸国など高率の消費税を課している国の多くで軽減税率が導入されていますが、政策を評価した経済学者らの結論は、「こんなバカなこと、やらなきゃよかった」です。消費税の欠陥として貧しいひとの実質税率が高くなる逆進性が指摘されますが、単純な軽減税率では高級食材を買う富裕層の利益の方が大きくなります。こうしたムダを避けるなら、すべての商取引に一律課税し、生活保護世帯や母子家庭など、家計が苦しいひとたちに一定額を給付した方がずっと効果的です。

このシンプルな方法なら、消費税率の差を利用した益税は発生しません。税の原則は「公平・中立・簡素」なのですから、どちらが優れているかは考えるまでもないでしょう。

軽減税率の問題は、どの商品を対象にするかの線引きがやっかいなことです。与党協議では、「生鮮食料品」でマグロなどの刺身は軽減の対象だが、刺身の盛り合わせは加工品だから対象外、との議論が出たそうです。こういうバカバカしいことをすべての食品に対して行なう社会的コストを考えれば、「やらなきゃよかった」と後悔するのも当然です。

軽減税率の導入を強硬に主張する公明党は「このままでは支持者が納得しない」といいますが、国民にものの道理を懇切丁寧に説明し、納得してもらうのが政治家の務めのはずです。それをあっさり放棄して不合理な制度をごり押しするのでは、なにを目的に日本の政治に関与しているのか疑問です。

そもそも消費税を増税せざるを得なくなったのは、歴代の自民党政権がばらまきを繰り返し、国の借金が1000兆円を超えてにっちもさっちもいかなくなったからです。それなのに消費税率を軽減しては、財政再建は遠のくばかりです。

日本の財政が持続可能になるためには、消費税率は欧州並みの20%超まで上げなければならないということで、専門家の意見はほぼ一致しています。10%で軽減税率を導入すれば、将来の税率引き上げのたびに「対象を拡大しろ」との大騒ぎが繰り返されるのは目に見えています。

もっとも、ここで正しい選択ができるようなら、GDP比の2.5倍に達する世界最悪の政府債務を積み上げるような愚行もなかったはずです。国民は自分と同程度の政治家しか選べないのですから、私たちはこれからも愚かしいポピュリズムとつき合っていくほかないのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2015年11月1日発売号
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「民主主義」をやめることから始めよう 週刊プレイボーイ連載(216)

国会前のデモから女子アイドルグループまで、「民主主義を守れ」との声が大きくなっています。若者たちが政治について積極的に発言するのはよいことですが、ところで、彼らはいったい何を守ろうとしているのでしょうか。

デモクラシー(democracy)は神政(theocracy)や貴族政(aristocracy)と同じ政治制度のことですから、「民主政治」「民主政」「民主制」などとすべきで、「民主主義(democratism)」は明らかな誤訳です。リベラルデモクラシーは「自由民主主義」と訳されますが、これは「自由な市民による民主的な選挙によって国家(権力)を統制する政治の仕組み」のことです。

なぜこのことが大事かというと、デモクラシーを主義(イズム)にしてしまうと、リベラルデモクラシーという枠組のなかで異なる「主義」が対立する政治論争の基本的な構図がわからなくなってしまうからです。

アメリカの政治哲学者マイケル・サンデルは『これからの「正義」の話をしよう』で、主要な政治思想を「リベラリズム(平等)」「リバタリアニズム(自由)」「コミュニタリアニズム(共同体)」「功利主義」の4つに分類しました。アメリカの大統領選を見てもわかるように、異なる政治的見解を持つひとたちは自分たちの「主義」を掲げて激しく争いますが、その土俵はリベラルデモクラシーで、勝敗は民主的な選挙によって決まります。

その一方で、デモクラシーそのものを否定する政治勢力も存在します。IS(イスラム国)はイスラームの法による神政国家を目指していますし、サウジアラビアにように女性の参政権を認めていない国もあります(それに比べれば18歳以上の男女に選挙権が与えられるイランははるかに“民主的”です)。マルクス・レーニン主義のプロレタリア独裁は、資本主義から共産主義への移行期に一時的にデモクラシーを停止し、啓蒙の前衛である共産党の独裁を認めるものですから「反民主的」で「自由の敵」とされます。

EU(欧州連合)に対するもっとも本質的な批判は、その政治的決定がデモクラシーの原則に反しているというものです。ギリシア危機や難民問題で明らかになったように、事態の収拾はドイツのメルケル首相を中心とする主要国首脳の協議と妥協によって図られますが、そこにEU議会やEU大統領が関与する余地はなく、「ヨーロッパ市民」の政治的な意思が問われることもありません。EUは“遅れた国”に民主化を説いていますが、その最大の恥部は自分たち自身が民主化できていないことなのです。これでは、ポピュリストによる「デモクラシーを守れ」との攻撃でEUが弱体化するのも当然です。

「民主主義」という誤訳のままでは、「主義(イズム)」の争いと「制度」をめぐる争いの違いを理解できません。日本では共産党ですら熱烈に「民主主義」を擁護するのですから、民主政を否定する政治勢力は存在しないでしょう。いま起きているのは、リベラリズム対保守主義の典型的なイデオロギー対立なのです。

日本における政治論争がいつも不毛なのは、これまでずっと誤訳を放置してきた大人たちの責任でしょう。若手の法学者や政治学者はさすがに誤用を避けるようになりましたが、教科書からメディアまでいまも至るところに「民主主義」は氾濫しています。

当たり前の話ですが、理解していないものを「守る」ことはできません。私たちはまず、「民主主義」をやめるところから始めるべきでしょう。

『週刊プレイボーイ』2015年10月26日発売号
禁・無断転載

安保法制もTPPも予定調和で決まっていた 週刊プレイボーイ連載(215)

紆余曲折の末にTPP(環太平洋経済連携協定)が大筋合意に達しました。これを受けてオバマ大統領が、「中国のような国に世界経済のルールを書かせることはできない」との声明を出しましたが、このことからも明らかなように、TPPはたんなる自由貿易協定ではなく、アメリカを中心とする環太平洋圏の民主国家による対中国戦略です。

中国と同じ共産党独裁の国家資本主義であるベトナムがTPPへの参加を決断したのは、経済的な利益が目的ではなく、これが国家の安全保障に直結することを理解したからでしょう。だとすれば、同じく中国台頭の脅威を受けている日本にとって安保法制とTPPは最初からセットで、交渉から離脱する選択肢などなかったのです。

TPP参加を最初にいい出したのは民主党政権時代の菅元首相で、集団的自衛権の行使容認は野田前首相の持論です。自民党は当初、TPPに反対していましたが、政権の座に着いたとたん態度を豹変させて合意へと突き進みました。安倍政権にとっての僥倖は、農協が既得権を守るために民主党政権に擦り寄ったことでしょう。自民党の農林族はかつてのように、農家の利益を盾にTPPに反対することができなくなったのです。

このように考えると、安保法制もTPP参加も民主党時代からの既定路線で、それがそのまま安倍政権に引き継がれ、予定調和的に実現したことがわかります。国会前での連日のデモや採決での見苦しい混乱も、法案を成立させるのに必要なガス抜きとして予定表に書き込まれていたのかもしれません。デモに参加したひとたちは、「自分たちは平和を守るためにたたかった」と満足しているようですし。

ついでにいうと、消費税増税は菅政権、原発再稼働は野田政権の発案です。日本のような成熟した国家では、誰が政権の座についたとしても政策の選択肢はほとんどないのです。

安倍首相が長期政権に成功したのは、このことを理解したうえで、民主党の政策を丸呑みするリアリズムに徹したからでしょう。その結果、野党第一党である民主党は、(自分からいい出した)消費税増税やTPP参加に反対することもできず、安保法制の議論では党内の改憲派と護憲派が衝突して身動きできなくなってしまいました。しまいには共産党から「国民連合政府」構想を持ちかけられる体たらくで、このままでは共産党に吸収されて消えていった方がすっきりしそうです。

それでは、野党にもはや希望はないのでしょうか。実は、そんなことはありません。

安保法制の可決を受けて、安倍政権は今後、GDP600兆円を目指す経済政策に注力するようですが、そこでの最大の懸案が1000兆円にのぼる巨額の借金の処理であることはいうまでもありません。高齢化の加速によって年金などの社会保険制度が行き詰まるのは明らかで、負担の分配は日本社会に大きな軋轢を生じさせるでしょう。

これもまた日本の置かれた諸条件から予定調和的に決まっていることで、政権が立ち往生したときに具体的な改革案を持っている政党が次を担うことになるはずです――事実ヨーロッパでは、このようにして保守派と改革派が政権交代してきました。

もっともいまの様子では、現実的な野党が現れるにはまだまだ時間がかかりそうですが。

『週刊プレイボーイ』2015年10月19日発売号
禁・無断転載