慰安婦問題を「最終的で不可逆的」に解決するために 週刊プレイボーイ連載(226)

昨年末の「慰安婦」日韓合意は戦後史に画期をなす出来事ですが、その意義がじゅうぶんに理解されているとはいえません。

従軍慰安婦問題についてはさまざまな立場があるでしょうが、国際的には、日韓のナショナリズムの衝突ではなく、女性の人権問題と見なされていることを押さえておく必要があります。

旧ユーゴスラビアの解体とボスニア内戦は、その凄惨さによって西欧諸国に大きな衝撃を与えました。とりわけ戦場における虐殺と性暴力は、「人権の擁護は国家の主権を超える」という新しい流れを生み出しました。従軍慰安婦問題も、こうした「普遍的人権」の枠組みのなかで国際社会で取り上げられるようになったのです。そこで重視されたのは、日韓の歴史認識のいずれが正しいかではなく、戦争の被害者である女性をいかに救済するか、ということでした。

しかし残念なことに、こうした冷戦後の新しいパラダイムは、日本でも韓国でもほとんど理解されませんでした。「リベラル」と称する日本のメディアやジャーリストは慰安婦問題を日本の戦争責任を追及する格好の機会とみなし、天皇を被告とする模擬裁判を開きました。韓国のナショナリズムは慰安婦を植民地時代の日本の「悪」の象徴として、謝罪と反省をひたすら求めました。両者に共通するのは、元慰安婦を自分のイデオロギーに合わせて都合のいいように利用したことです。

そんな混乱のなか、95年に自社さ連立政権の村山内閣によって、アジア女性基金による解決が目指されました。しかしながら、総理がお詫びの談話を発表し、政府と民間で償い金を支払うという、それなりによくできたこの解決案は、日本のリベラルと韓国のナショナリストの活動家によって完膚なきまでに叩きつぶされてしまいます。

彼らがなぜ女性基金に反対したかは、いまになればよくわかります。慰安婦問題が解決してしまうと、自分たちの独善的な「正義」を気分よく振り回すことができなくなってしまうのです。その結果、償い金を受け取った貧しい元慰安婦は活動家たちから裏切り者と罵られ、この20年間に多くの女性たちがなんの補償も受けないまま他界していきました。――もちろん「正義」のひとたちは、この結果責任を担う気はさらさらないでしょう。

今回の合意は、安倍晋三首相と朴槿恵大統領という、強い政治基盤を持つ保守派の政治家が期せずして日韓のリーダーになったことではじめて実現しました。元慰安婦の年齢を考えれば、これが「最終的で不可逆的な解決」の最後の機会でしょう。

アメリカの後押しもあって、合意は国際社会で高い評価を受けています。そのなかで日本にとっての最大の国益は、韓国の反日ナショナリズムに惑わされることなく、元慰安婦が存命のあいだに謝罪と賠償を行なうことです。慰安婦像の移転問題でいがみあっているうちに全員が鬼籍に入るようなことになれば、その責任を一方的に負わされることは目に見えています。

安倍首相は、今回の合意が過去の謝罪と反省よりも、女性の人権を擁護する未来志向のものだと説明することが大事です。そのうえで朴大統領ととともに元慰安婦を訪問し、慰安婦問題の最終解決を宣言すれば、歴史に名を残すことになるでしょう。

【追記】

本文では書ききれなかったので、アジア女性基金の経緯について若干の補足を。

自社さ連立政権の村山内閣で、五十嵐広三官房長官とともに女性基金設立を主導した大沼保昭氏は、『「慰安婦」問題とは何だったのか』(中公新書)などで、村山内閣が多数派の自民党の上に乗っている以上、自民党保守派(とりわけ当時の実力者で日本遺族会会長でもあった橋本龍太郎元首相)の同意が得られない提案は政治的に無意味だ、というのが最初からの大前提だった、と述べている。すなわち、慰安婦問題の解決にあたって右翼・保守派の反発は想定内で、それを押さえ込めるという暗黙の了解があったからこそ女性基金を進めることが可能だった。

それに対して想定を大きく超えたのは、“リベラル”な活動家、弁護士、ジャーナリスト、およびその主張を商業的に利用した“リベラル”なメディアによる強硬かつ原理主義的な全否定と、それを受けて韓国側に広まったナショナリズムのうねりだった。

これについて大沼氏は、以下のように書いている(上記、中公新書)。

--大衆社会で読者に「読まれる」記事を求めるメディアの書き手は、意識的あるいは無意識的に、問題の渦中にヒーロー、ヒロインを求める。「慰安婦」問題という人間の尊厳にかかわる問題を扱ううえで、元「慰安婦」という悲劇のヒロインはお金が欲しいなどという俗っぽいことを言ってはならず、あくまでも人間の尊厳回復にこだわり続ける人でなければならない。メディアにとって幸いなことに、そういう人はたしかに存在する。だとしたら、「お金が欲しい」と小さな声でつぶやく人たちを無視したとしても、積極的にウソを報じたことにはならない。メディアは安心して「ヒロインとしての元慰安婦」に脚光を当て続け、被害者のなかの「お金が欲しい」という声を無視し続けることができた。(中略)

こうして、韓国では「被害者が求めているのは人間(あるいは女性)としての尊厳の回復であって、お金の問題は本質的な問題ではない。お金のことを議論することは卑しむべきことであって、『不道徳な』民間団体であるアジア女性基金から『汚い』お金を受け取ることは韓民族への裏切りである」という雰囲気が社会を覆った。日本でも、多くの支援団体やNGOは「慰安婦問題とは人間の尊厳の問題であって、お金の問題ではない」という主張をくりかえした。多くのメディアは紋切り型にこうした主張を増幅した。

一方で「慰安婦=売春婦」という「右」からの侮蔑的な攻撃にさらされ、他方で「金の問題ではない」と主張する勇気ある元「慰安婦」をモデルとする過剰に倫理主義的な声に押しつぶされたごく普通の被害者たちは、沈黙を守るほかなかった。そして、アジア女性基金に、「償いを受け入れたいけど、それが知られると生きていけない。くれぐれも内密にお金を払い込んでください」と訴えるしかなかったのである。

『週刊プレイボーイ』2016年1月18日発売号
禁・無断転載

誰もが逃れられない「心理的偏向」のリスト

今週は『週刊プレイボーイ』の連載が正月進行で休みなので、代わりにアメリカの心理学者、生物学者デイヴィッド・リヴィングストン・スミスの『うそつきの進化論』から、人類に普遍的(ヒューマン・ユニヴァーサルズ)な心理的偏向のリストを紹介したい。こうした偏向はすべてのひとが(もちろん私も)持っていて、世の中で起きるさまざまな不愉快な出来事の多くを説明するだろう。自戒したい。

  1. 自己奉仕的偏向 成功したことを自分の功績と考えようとし、失敗した場合は外部に原因を求めて非難する傾向。
  2. 自己過大視的偏向 集団で力を合わせて得た結果に対して、自分の貢献度を不相応なほど大きく考える傾向。
  3. 自己中心的傾向 過去の出来事について、自分の果たした役割を過大に評価する傾向。
  4. 総意の誤認 大多数の人が自分と同じ意見や価値観を持っていると信じ込む傾向。
  5. 独自性の思い込み 自分は他人と違う特殊な存在だと思い込む傾向。
  6. 支配力への幻想 自分が外部の出来事に対して及ぼす支配力の強さを過大に評価する傾向。
  7. 結果論的偏向 何かが起きてしまったあとで、その出来事が起きる可能性を実際よりも高かったように考えてしまう傾向。
  8. 独善的偏向 自分がほかの人びとよりも高い道徳的基準を持ち、言行一致を実践していると見なす傾向。
  9. 内集団・外集団の区別による偏向 自分が所属する集団(内集団)のメンバーを自分が所属していない集団(外集団)のメンバーよりも肯定的に見る傾向。外集団のメンバーにはあまり価値を認めず、不運に見舞われるのも本人に責任があるように考え、成功した場合は運がよかっただけと考える。内集団のメンバーよりも外集団のメンバーを型にはめて見てしまう。
  10. 基準値に対する誤認 ある出来事の可能性を推測するとき、対象とする集団の性格やその出来事の一般的な確率をあまり考えない傾向。
  11. 誤った結合 それぞれ独立して起きる二つの出来事を結びつけて考えてしまう傾向。

2016年はこの国の未来を予感させられる年 週刊プレイボーイ連載(225)

2015年はパリの風刺週刊誌シャルリー・エブド襲撃事件で幕を開け、11月には同じパリで死者130名、負傷者300名以上という同時多発テロ事件が起きました。いずれもIS(イスラム国)などカルト系イスラーム原理主義者の犯行とされていますが、標的が一般市民にまで広がったことで世界に衝撃を与えました。

欧州各国からは依然としてムスリムの若者たちがISに身を投じており、テロの脅威は高まる一方で解決の目処が立ちません。その背景にあるのが、ヨーロッパのキリスト教近代国家とイスラームとの、宗教的、歴史的、文化的、政治的な複雑骨折したような歴史問題です。

日本の植民地主義は日清戦争からの約50年ですが、それでも中国・韓国など近隣諸国とのやっかいな感情的対立を引き起こしました。それに比べても聖地奪還を掲げた十字軍がイスラーム世界に侵攻したのが11世紀後半、新大陸「発見」と奴隷貿易の開始が15世紀末、英仏蘭が植民地の獲得を競ったのは17世紀で、第一次世界大戦ではヨーロッパ列強がオスマン帝国の支配地域を切り刻んだのですから、そこから生じたさまざま矛盾が冷戦終焉後の20年や30年で雲散霧消するわけがないのです。

世界経済では、昨年末にかけて原油価格の急落が金融市場の懸念材料になりました。その背景にあるのは中国経済の減速と“人類史上最大”ともされる不動産バブル崩壊ですが、深刻なのは、現在の原油価格では資源輸出国の財政が破綻しかねないことです。アラブの春の混乱に驚いた湾岸諸国は、社会を安定させ王族による支配を維持するために国民に大盤振る舞いをするようになりました。IEA(国際エネルギー機関)の推計では、アラブ首長国連邦(UAE)の国家予算が前提としている原油価格は1バレル=60~80ドル、サウジアラビアは80~90ドルで、40ドルを割っている現在の水準では大幅な社会福祉の削減が避けられません。ロシアに至ってはさらに厳しく、1バレル=100ドルの原油価格が国家予算の前提です。

2010年からのアラブの民主化運動は、資源価格の高騰でアラブ圏の主食であるパンの値段が上がり、ひとびとの不満に火をつけたことから始まり、リビアやシリアなどの「国家崩壊」に至りました。こんどは逆に、資源価格の暴落が産油国や新興国の社会を不安定にしています。いまは増産で資金を確保していますが、早晩行き詰まるのは明らかで、その影響は今年半ばから本格化してくるでしょう。

昨年は戦後70年ということで、安倍政権の集団的自衛権に反対するデモで国会前は盛り上がりましたが、いまでは話題にもなりません。軽減税率をめぐる大騒ぎを見ればわかるように、国民の関心は日々の生活のことでいっぱいで、(ゼロとはいいませんが)わずかな戦争の可能性などどうでもいいのでしょう。

ほとんど話題になりませんでしたが、財務大臣の諮問機関である財政制度等審議会(財政制度分科会)が2015年10月9日に公表した「我が国の財政に関する長期推計(改訂版)」では、2020年までに財政収支が改善できなかった場合、日本の国家財政は破綻に向かうとはっきり書いてあります。「タイムリミット」まであと5年、今年はこの国の未来を予感させられる年になるのではないでしょうか。

参考記事:2016年はどんな年になるのか? テロの脅威、中国経済の失速、米大統領選、日本経済は…?

『週刊プレイボーイ』2016年1月5日発売号
禁・無断転載