18歳に伝えたい国際政治のリアリズム 週刊プレイボーイ連載(245)

オバマ大統領が現職の米大統領としてはじめて広島を訪問し、「『核のない世界』の追求」をあらためて訴えました。

じつはオバマ大統領は、就任直後の2009年4月、プラハで「核兵器を使用したことのある唯一の核保有国として行動する道義的責任」を宣言し同年のノーベル平和賞を受賞しています。ところが大統領の任期を終えるいまになっても、具体的な成果はなにひとつありません。「ノーベル平和賞はたんなる空約束」との批判を意識して、今回の広島訪問を決断したのでしょう。

広島・長崎の悲劇を知る日本人だけでなく、世界じゅうのひとたちが70年前から「核のない世界」を求めてさまざまな活動を行なってきました。それなのに核兵器を廃絶できないのはなぜでしょうか。

1998年にパキスタンが核実験を行ないますが、その理由はカシミール地方の領有権をめぐって3度にわたって戦争を行なったインドが核を保有しているからです。そのインドは1974年に核実験を成功させますが、これは領土をめぐって1962年に中国との紛争(中印国境紛争)が起きたあと、64年に中国が核兵器の保有を宣言したからです。

中国共産党はソ連の後ろ盾を得て国民党との内戦に勝利し中国を統一しますが、60年代になると政治路線のちがいから両国ははげしく対立します。中国が核開発を急いだのは、“仮想敵国”となったソ連が核兵器を保有していたからです。そのソ連が核兵器を持ったのは、第二次世界大戦後に軍事的に敵対することが確実なアメリカが、広島と長崎で原爆の威力を見せつけたからです。

このように因果論をたどるとアメリカが悪いようですが、そうともいえません。アインシュタインがルーズベルト大統領に核開発を求めたのは、ヒトラー率いるナチスドイツが「究極の殺人兵器」を先んじて手にすることを恐れたからでした。もしドイツが先に核兵器を開発すれば、ヒトラーはその使用を躊躇しなかったでしょう。

こうした負の連鎖によって世界の主要国が核兵器を保有することになったのですが、それでも幸いなことに人類を滅亡に導く核戦争は起きていません。これは偶然や幸運ではなく、ちゃんと理論的に説明できます。それがゲーム理論でMAD均衡と呼ばれる「相互確証破壊」です。

MAD(狂気の)均衡の理屈はものすごく単純です。相手が大量の核兵器を持っていれば、先制核攻撃は大規模な反撃を引き起こし、けっきょく自分たちも滅亡してしまいます。政治家や国民が合理的であれば、そんな事態を望むはずはないから核戦争は起こらないのです。

こうしてゲーム理論は、きわめて不愉快な宣託を告げます。この理屈では、もっとも危険なのはどこかの国が核兵器を廃絶して、核のバランスが崩れることなのです。なぜなら、一方的に有利になった核保有国には、先制攻撃をする合理的な理由が生まれるのですから。

これは社会科学でもっとも評判の悪い理論ですが、「核戦争は起きない」との予想が当たっているのも事実です。日本でも18歳に選挙権が引き下げられ、マスメディアは「啓蒙」に熱心ですが、若いひとたちには「核のない世界」というきれいごとだけでなく、国際政治のリアリズムもちゃんと伝えたらどうでしょう。

『週刊プレイボーイ』2016年6月6日発売号
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”災害大国”日本で、なぜひとびとはハイリスクなギャンブルをするのか? 週刊プレイボーイ連載(244)

熊本県を震源に九州中部を襲った地震では、4月14日に震度7の前震があり、その2日後に阪神・淡路大震災に匹敵する本震が起きたことで多くの家屋が倒壊しました。現在も復興への努力がつづけられていますが、今後大きな問題となるのは地震保険などで保証されない被災者の経済的損害でしょう。

東日本大震災では、津波によって跡形もなく流されていく多くの家屋を私たちは目にしました。地震国である日本では、数年ごとに全国のどこかで同様の事態が起きています。

標準的な資産運用理論では、被災者の経済的困難を「タマゴをひとつのカゴに盛っている」からだと説明します。多くの日本人は資産の大半をマイホームという名の不動産投資で運用しており、住宅ローンという信用取引によって純資産を上回る資金を不動産に投じることも珍しくありません。安全な資産運用の原則は分散投資で、(マイホームという)たったひとつの投資対象に全財産を賭けるのはきわめてハイリスクなのです。

念のために断っておくと、これは被災者の自己責任を問うているわけではありません。地震や台風など災害の多い日本で国民の多くがハイリスクな不動産投資を行なえば、どこかで必ずリスクが顕在化し、家計が破綻するひとが出ることは避けられないと、理論が予想しているという話です。

こうした悲劇を避けるにはどうすればいいのでしょうか。地震保険に強制加入させることも考えられますが、それよりずっと有効なのは、REIT(不動産投資信託)などの機関投資家に住宅を保有させ、一般のひとはそれを賃貸することでしょう。これなら地震や津波で家を失っても、自分と家族の生命が無事であれば、他の物件に引っ越すだけですぐに生活を再開できます。必要なのは最低限の家財を揃える費用くらいなので、これは保険で賄えるようにしておけばいいでしょう。

機関投資家は損害を被りますが、災害で失われるのは多数の保有物件のうちの一部で、REITであればその損失は株式を保有する世界じゅうの投資家が少しずつ負うことになります。REITはリスク耐性がきわめて高い仕組みなので、原理的にどのような災害が起きても破綻しないのです(株価が下がるだけです)。ところが現実には、リスク耐性の低い個人がマイホームというハイリスクな投資を行なっています。

マイホームは「自分の家を持ちたい」という“夢”をかなえるものです。この夢は「なわばり」という進化論的な強い基盤に支えられているものの、実際は、不動産業界のマーケティングによって人工的につくりだされた虚像です。それに加えて、政府が持ち家を優遇するさまざまな制度でこの偏向を強化し、中央銀行が未曾有の低金利政策で住宅ローンを勧誘することで、国家ぐるみの不動産ギャンブルが完成するのです。

個人に住宅を販売する業者は、マイホームの素晴らしさを滔々と説明しても、「タマゴをひとつのカゴに盛る」リスクについてはまったく触れません。今回のような災害が起きるとしばらくは宣伝を手控えますが、ほとぼりが冷めると、またいつもと同じうた(“夢”をかなえましょう)を懲りもせずに唄いはじめるのです。

『週刊プレイボーイ』2016年5月23日発売号
禁・無断転載

日本の「リベラル」はどこがうさんくさいのか? 週刊プレイボーイ連載(243)

自分の妻や子どもを殴りつけながら、「暴力はやめましょう」とか「平和がいちばん」と他人に説教するのはどうでしょう? アタマがおかしいか、とんでもない偽善者だと思うのではないでしょうか。

これまで繰り返し述べてきたように、日本社会の恥部である正社員と非正規の格差は身分差別以外のなにものでもありません。なぜこういい切れるかというと、この制度には「アカウンタビリティ(説明責任)」が欠落しているからです。

「同じ仕事をしているのに、なぜ自分の給料はあのひとの半分なのか?」と問われて、相手が納得する回答ができれば「アカウンタブル(説明可能)」です。「お前は正社員じゃないんだから当然だ」と怒鳴りつけたり、「そんなこといわずにオレの立場もわかってくれ」と泣き落とすのはアカウンタブルではありません。説明できない格差は人種や性、国籍や宗教、身分などの差別から生まれます。基本的人権を尊重するリベラルな社会は、「説明できないこと」を極力減らしていかなくてはなりません。

オリンピックの舞台で一流のスポーツ選手が自己の限界を超えるまで頑張るのは、公正なルールによって競争が行なわれ、結果がメダル(栄誉)という報酬に直結するからです。審判がデタラメだったり、試合の途中でルールが変わったり、自分より下位の選手が金メダルをもらうような競技なら、誰も真面目にやろうなどと思わないでしょう。

最近は「スゴイぞ、ニッポン」がブームになっているので「日本的雇用は世界一だ!」と思っているひとがいるかもしれせんが、データで見ると日本の労働者の生産性は主要先進国で20年連続最下位で、アメリカの半分しかありません。従業員のやる気を国際比較する「エンゲージメント指数」では、日本は調査対象28カ国のうち、やる気度31%でダントツの最下位です(ちなみに1位はインドの77%)。客観的に見れば、日本のサラリーマンは利益を生まず、やる気もなく、ただ長時間労働で疲弊しているだけなのです。

なぜこんな悲惨なことになるかというと、多くのサラリーマンが会社に対し、責任と権限が不明確で、仕事の結果が公正に評価されず、リスクをとって失敗すると二度と挽回できないと感じているからでしょう。新卒から定年までの四十数年間を、下を向いて大過なく過ごすしかないのなら、そんな人生が楽しいわけはありません。

だったらどうすればいいのでしょうか。それは、いますぐ差別をやめることです。

日本的雇用は正規/非正規や親会社からの出向/子会社のプロパー社員の「身分差別」、新卒一括採用・定年制による「年齢差別」、本社採用・現地採用の「国籍差別」など重層的な差別で成り立っていますが、これは法律で強制されているわけではありません。どのような雇用制度を選ぶかは経営者と労働者が話し合って決めることですから、「リベラル」を標榜する会社なら労使が協力して差別のない労働環境を実現すればいいのです。そのうえで旧態依然たる日本社会や、それを改革できない政治を批判するのなら多くのひとが耳を傾けるでしょう。自分たちが「差別」しながら「差別反対!」を叫んでも、誰からも相手にされないのは当たり前です。

本誌連載をまとめた新刊『「リベラル」がうさんくさいのには理由はある』(集英社)で、そんな話を書きました。「リベラル」が嫌いなひとにこそ読んでほしい本です。

『週刊プレイボーイ』2016年5月30日発売号
禁・無断転載