尖閣への領海侵犯は「魚が獲れすぎた」ってホント? 週刊プレイボーイ連載(256)

8月に入って尖閣諸島周辺に中国の漁船が集まりはじめ、それを監視する中国海警局の公船が頻繁に日本の領海に侵入して両国関係が緊張しています。外務省の度重なる抗議に対し、中国側は「魚が獲れすぎて漁船が集まった」と説明しているようですが、日本では南シナ海の領有権問題で中国側の主張を否定する仲裁裁判所の判決が出たことを受けて、東シナ海でも領土拡張の圧力を強めているとの見方が支配的です。

でもここではちょっと頭を冷やして、「魚が獲れすぎた」という子供だましのような中国の言い分をちゃんと考えてみましょう。なぜなら、以前にも同じようなことがあったからです。

2014年11月、習近平政権の威信をかけたAPEC首脳会議が北京で開催され、安倍首相とのはじめての会談も予定されていました。ここで中国は、アジアの国々とともに「歴史問題」で日本の道義的責任を問う構えでしたが、大きな障害が立ちふさがります。小笠原諸島周辺に赤サンゴを密漁する中国漁船が200隻以上集まり、日本で大問題になっていたのです。

他人の庭に土足で踏み込むようなことをしておいて、エラそうな説教ができないことは中国政府にもわかっていました。しかし「独裁」的な権力を掌握したとされる習政権は、この大舞台までに密漁船を撤収させることができなかったのです。

これだけでは不足というのなら、次のような出来事もありました。

14年9月、習近平はインドを訪問し第18代インド首相に就任したナレンドラ・モディとの初会談に臨みますが、その数日前、中印国境に配備されていた中国軍がいきなりカシミール州ラダック地方に越境したため、「友好と協力」を呼びかけた習近平の面子は丸つぶれになりました。

実はこれははじめてのことではなく、13年5月、李克強首相がインドを訪問したときも中国軍はインド領に越境し、21日間居座っています。これは首相に就任したばかりの李克強にとって初の重要な外遊でしたが、やはり自国の軍事行動によって面子をつぶされたのです。

日本では、中国はひとつの「人格」で、確固とした国家意思をもって尖閣を奪取するための策謀を練っているのだと考えられていますが、これらの出来事からうかがえるのは、習近平の権力基盤がじつは脆弱で、国内の熾烈な権力争いが領土問題を複雑化させているとの構図です。

戦前の日本陸軍は、天皇の統帥権の名の下に満州事変や日華事変を引き起こしますが、いったん既成事実ができあがると、「権益を守れ」というナショナリズムの高まりの中で政府は軍の暴走を追認するほかありませんでした。「日本は天皇の下、政府・軍・国民が一丸となってアジアを侵略した」などといえば、歴史が大好きな保守派のひとたちから罵詈雑言を浴びることでしょう。しかし不思議なことに、同じ保守派の論客が中国共産党、人民解放軍、省政府などが一枚岩であるかのように「中国」を批判しています。

誤解のないようにいっておきますが、これは中国を擁護しているのではありません。日本の昭和史を振り返ればわかるように、「確固とした国家意思」がないほうがはるかに恐ろしいのです。

『週刊プレイボーイ』2016年8月29日発売号
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タブーだらけの事件でマスメディアが探してきた奇妙な”犯人” 週刊プレイボーイ連載(255)

神奈川県相模原市の福祉施設で19人が刺殺された事件は日本じゅうに衝撃を与えると同時に、報道・ジャーナリズムの限界をも示しました。なぜならこの事件が、「言ってはいけない」ことばかりで構成されているからです。

事件を起こした26歳の元職員は、衆議院議長公邸を訪れて重度の障がい者の「安楽死」を求める手紙を渡すなどの異常な行動で精神科病院に措置入院されたあと、「他人に危害を加える恐れがなくなった」との医師の診断で、家族との同居を条件に3月に退院を許可されていました。

しかし、容疑者の精神疾患を強調した報道は、精神障がい者への偏見を煽るとして強く自制を求められます。本人の意思に反して強制的に病院へ収容する措置入院は人権侵害と背中合わせで、退院を許可した医師への批判は「おかしな奴はみんな病院に入れておけ」ということになりかねません。

報道によれば容疑者は両親と別居したまま生活保護を受給しており、これは退院時の条件に反するほか、父親は公務員で経済的には子どもを援助できない理由はありません。とはいえ、別居を余儀なくされたのは子どもの異常行動が原因でしょうから安易に親の責任にすることはできず、さらには生活保護の問題を追及すると他の受給者への偏見を煽ることにもなってしまいます。

この事件の特異な点は、被害者の顔写真はもちろん氏名すら公表されないことです。これはもちろん、本人が特定されることで障がい者やその家族への差別や偏見が助長されるおそれがあるからでしょう。

容疑者が4年前に施設に就職したときは「明るく意欲がある」と思われており、その後急速に、入居者への暴言や暴行を繰り返すようになったとされます。この極端な性格の変貌をジャーナリズムの手法で検証しようとすれば、彼が施設でどのような体験をしたのかの取材が不可欠でしょうが、こうした報道もいっさいできません。

以前、リベラルな新聞社の若い記者から、「“偏向”の理由はイデオロギーではなく、わかりやすさなんです」という話を聞きました。デスクは「むずかしい話は読者が読まないからとにかくシンプルにしろ」と要求しますが、複雑な事情を限られた行数でわかりやすく書くことのは困難です。こうしてリベラル系は「反安倍」、保守派は「反日叩き」の善悪二元論になっていくというのです。

その意味で相模原の事件は、さまざまな制約から単純な善悪二元論があらかじめ封じられており、そうかといって事件の重大性から報じないわけにもいきません。こうしてマスメディアは、きわめて奇妙な「犯人」を探し出してきました。それは大麻です。

容疑者が大麻を使用していたことが事件と関係あるかのように大きく報じられていますが、これにはなんの医学的な根拠もありません。オランダは1970年代から大麻が合法化されており、近年はアメリカ各州が続々と大麻合法化に踏み切っています。「大麻精神病」が凶悪犯罪を引き起こすのなら、とっくに海外で大問題になっているでしょう。

タブーを避けながらわかりやすさに固執すると、結果としてデタラメな報道が垂れ流されることになってしまうのです。

『週刊プレイボーイ』2016年8月22日発売号
禁・無断転載

「差別」とは証拠によって合理的な説明ができないこと 週刊プレイボーイ連載(254)

すこし前のことですが、スタジオジブリのアニメ映画『思い出のマーニー』などの元プロデューサーが、英紙ガーディアンで女性差別的な発言をしたとして問題となり、ネット上で謝罪する騒ぎが起きました。

ジブリアニメはこれまですべて男性監督でしたが、ガーディアンの記者から、「今後、女性監督を起用することはあるのか」と問われ、元プロデューサーは、「女性は現実的な傾向があり、日々の生活をやりくりするのに長けています。一方、男性は理想主義的な傾向があります。ファンタジー映画には、そうした理想主義的なアプローチが必要です」として、「女性監督にファンタジー映画をつくれない」ととられても仕方のない発言をしています。

そもそも元プロデューサーは取材時点でジブリを退社しており、会社の方針についてこたえる立場にありませんでした。しかしそれ以上に残念なのは、アカデミー賞にノミネートされた男優・女優がすべて白人だったり、これまでアカデミー賞監督賞を受賞した女性が1人しかいないことなどで、映画産業の人種差別、性差別に注目が集まっている状況に無頓着だったことでしょう。「政治的に正しい」回答(私はもうジブリの社員ではありませんが、今後は女性監督が活躍することを期待しています)をしていれば、それですんだ話です。

もうひとつ残念なのは、謝罪の文面を読むかぎり、「男と女はちがう」と述べたことを謝罪しているように思われることです。かつてのフェミニズムは、「男女に生殖器官以外のちがいはなく、性差はすべて文化的なものだ」と主張しましたが、こうした硬直したイデオロギーを支持するひとはいまでは少数派です。

幼い子どもにクレヨンと白い紙を渡して好きな絵を描かせると、女の子は赤、オレンジ、緑といった「暖かい色」で人物を描こうとし、男の子は黒や灰色といった「冷たい色」を使って、ぶつかろうとするロケット、別の車に衝突しようとする車などを描きなぐります。これは親や教師が「男の子らしい」あるいは「女の子らしい」絵を描くよう指導したからではなく、男と女では網膜と視神経に構造的なちがいがあり、色の使い方や描き方、描く対象の好みが分かれるからです。

幼児の遊びを観察すると、生後6カ月でさえ、男児は集団での遊びを好み、女児は特定の相手とペアで遊ぼうとします。さらに、言語中枢とされる脳の左半球に卒中を起こした男性は言語性IQが平均で20%低下しますが、女性は9%しか低下しません。これは男性の脳の機能が細分化されていて、言語を使う際に右脳をほとんど利用しないのに対し、女性の脳では機能が広範囲に分布しており、言語のために脳の両方の半球を使っているからです。

こうした主張がどれも「差別」でないのは証拠(エビデンス)があるからです。逆にいえば、差別発言とは「合理的に説明できない(アカウンタブルでない)」主張のことです。

「男と女はちがう」と指摘することが差別になるわけではありません。問題は、個人の主観的な思い込みやアニメ業界の常識で、「女にはファンタジーは向かない」と決めつけたことにあります。

このことがわからないと、「差別」との批判を抑圧ととらえ、過剰に自己規制するか、感情的に反発する不毛なことになってしまうのです。

『週刊プレイボーイ』2016年8月8日発売号
禁・無断転載