日本の「リベラル」はどこがうさんくさいのか? 週刊プレイボーイ連載(243)

自分の妻や子どもを殴りつけながら、「暴力はやめましょう」とか「平和がいちばん」と他人に説教するのはどうでしょう? アタマがおかしいか、とんでもない偽善者だと思うのではないでしょうか。

これまで繰り返し述べてきたように、日本社会の恥部である正社員と非正規の格差は身分差別以外のなにものでもありません。なぜこういい切れるかというと、この制度には「アカウンタビリティ(説明責任)」が欠落しているからです。

「同じ仕事をしているのに、なぜ自分の給料はあのひとの半分なのか?」と問われて、相手が納得する回答ができれば「アカウンタブル(説明可能)」です。「お前は正社員じゃないんだから当然だ」と怒鳴りつけたり、「そんなこといわずにオレの立場もわかってくれ」と泣き落とすのはアカウンタブルではありません。説明できない格差は人種や性、国籍や宗教、身分などの差別から生まれます。基本的人権を尊重するリベラルな社会は、「説明できないこと」を極力減らしていかなくてはなりません。

オリンピックの舞台で一流のスポーツ選手が自己の限界を超えるまで頑張るのは、公正なルールによって競争が行なわれ、結果がメダル(栄誉)という報酬に直結するからです。審判がデタラメだったり、試合の途中でルールが変わったり、自分より下位の選手が金メダルをもらうような競技なら、誰も真面目にやろうなどと思わないでしょう。

最近は「スゴイぞ、ニッポン」がブームになっているので「日本的雇用は世界一だ!」と思っているひとがいるかもしれせんが、データで見ると日本の労働者の生産性は主要先進国で20年連続最下位で、アメリカの半分しかありません。従業員のやる気を国際比較する「エンゲージメント指数」では、日本は調査対象28カ国のうち、やる気度31%でダントツの最下位です(ちなみに1位はインドの77%)。客観的に見れば、日本のサラリーマンは利益を生まず、やる気もなく、ただ長時間労働で疲弊しているだけなのです。

なぜこんな悲惨なことになるかというと、多くのサラリーマンが会社に対し、責任と権限が不明確で、仕事の結果が公正に評価されず、リスクをとって失敗すると二度と挽回できないと感じているからでしょう。新卒から定年までの四十数年間を、下を向いて大過なく過ごすしかないのなら、そんな人生が楽しいわけはありません。

だったらどうすればいいのでしょうか。それは、いますぐ差別をやめることです。

日本的雇用は正規/非正規や親会社からの出向/子会社のプロパー社員の「身分差別」、新卒一括採用・定年制による「年齢差別」、本社採用・現地採用の「国籍差別」など重層的な差別で成り立っていますが、これは法律で強制されているわけではありません。どのような雇用制度を選ぶかは経営者と労働者が話し合って決めることですから、「リベラル」を標榜する会社なら労使が協力して差別のない労働環境を実現すればいいのです。そのうえで旧態依然たる日本社会や、それを改革できない政治を批判するのなら多くのひとが耳を傾けるでしょう。自分たちが「差別」しながら「差別反対!」を叫んでも、誰からも相手にされないのは当たり前です。

本誌連載をまとめた新刊『「リベラル」がうさんくさいのには理由はある』(集英社)で、そんな話を書きました。「リベラル」が嫌いなひとにこそ読んでほしい本です。

『週刊プレイボーイ』2016年5月30日発売号
禁・無断転載

『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』あとがき

新刊『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』の「あとがき」を、出版社の許可を得てアップします。「沖縄戦跡PHOTOツアー」も合わせてご覧ください。

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本書のコラムを『週刊プレイボーイ』誌に書いていた時期は戦後70年を振り返る企画がマスメディアを賑わし、朝日新聞が慰安婦問題の誤報で謝罪したこともあって、「過去の記憶」や「歴史問題」について注目が集まっていました。リベラルと保守派は日本の近現代史の評価をめぐってさまざまなところで対立していますが、そのなかで沖縄の集団自決を取り上げたのは、渡嘉敷島、座間味島という小さな島の悲劇だからです。

本文で述べたように、1970年まで「集団自決は軍命」の通説を誰も疑いませんでした。その後、当事者からの異議申し立てによって通説が揺らぎ政治問題化するにつれて、ようやく関係者の証言が掘り起こされるようになります。特定の地域の出来事で、関連する歴史資料のほぼすべてが日本語で書かれており、それが裁判によって検証されていることを考えれば、これは歴史研究者でなくても取扱い可能な稀有の事案です。

近頃は「過去を記憶する義務」や「歴史を検証する責任」が強調されます。しかし私は、こうした正論を安易に口にすることはできません。

本書を書くにあたって沖縄の集団自決に関する主要な記事・文献に目を通しましたが、およそ3カ月かかりました(現地を知るために沖縄にも2度訪れました)。私は仕事としてこの作業を行ないましたが、集団自決をめぐって左右両派の見解がはげしく対立しているときに、一般市民に「歴史への責任」を果たすために同じことをやれと要求するのは非現実的でしょう。

慶良間諸島の集団自決は数日間の出来事で、沖縄本島の戦いも1945年4月1日の米軍上陸から敗戦まで4カ月あまりです。それに対して朝鮮半島の植民地支配は35年間で、中国では満州はもちろん、広い国土の全域にわたって日本軍が侵攻・支配しています。その歴史を客観的に検証しようとすれば当然、韓国(朝鮮)語や中国語の歴史資料も必須でしょうが、日本語の文献だけでも、主要な歴史書や戦史、兵士・住民の証言にひととおり目を通すだけで数年を要するでしょう。「歴史への責任」を果たすことがいかに困難かわかります。

本書では触れられませんでしたが、沖縄戦の暗部として、朝鮮で徴用され沖縄に配置された朝鮮人軍夫と、従軍慰安婦として沖縄に連れてこられ、戦闘が始まると従軍看護婦として動員された朝鮮人女性たちの存在があります。さらに沖縄の住民が捕虜になることを恐れた背景として、中国戦線で戦ってきた兵士たちが沖縄に転戦したことをあげる元兵士や生き残った住民の証言も多くあります。兵士たちは住民に、捕虜になれば男は惨殺され、女はなぶりものにされて殺されると脅していましたが、これは住民が投降してスパイになることを恐れたというよりも、彼ら自身が中国でやってきたことだったからです。中国での「皇軍兵士」の加害行為は旧日本軍の最大の汚点でしょうが、いまだじゅうぶんに検証されているとはいいがたいことも指摘しておかなくてはなりません。

「沖縄『集団自決』裁判」の原告となった赤松元大尉や梅澤元少佐は、陸軍士官学校を出たものの実戦経験はなく、部下の隊員も20代の若者たちでした。彼らが戦後の報道を理不尽と感じ抗議の声をあげたのは、自分たちの手が汚れていないと考えていたからでしょう。罪ある者は黙して語らないのです。

本書の作業で痛感したのは、「リベラル」と「保守派」の論者が、集団自決という同じ出来事をめぐってまったく別の物語を語っていることです。

保守派の論者は、「戦隊長の軍命」が虚構であることや、彼らの「人権」が侵害されていることについては雄弁ですが、集団自決の実態にはほとんど関心を示しません。これでは「住民は勝手に死んだというのか」との怒りを招くのも当然です。人権は普遍的な概念ですから、“冤罪”を負わされた旧軍人の名誉を回復すべきなのと同様に、日本軍によって戦場に追いやられ、死んでいった沖縄のひとたちの人権も大切にすべきですが、保守派/右翼は「自虐史観」を批判し大東亜戦争の正当性を主張するためにのみ「人権」を利用するのですから、そのダブルスタンードは目を覆わんばかりです。

その一方で「リベラル」な論者は、集団自決で生き残った住民の詳細な証言を集めますが、「軍命」を否定する兵士たちの証言はすべて無視します。そのうえで「日本軍による命令、誘導、強制」などと軍命の定義を拡張し、裁判の争点が「戦隊長による直接命令の有無」だという基本的な事実を隠蔽してしまいます。いずれの論者も自らの政治的立場によってあらかじめ結論を決めており、それに適した資料・証言のみを収集しているのです。このような状況では、一般市民はどちらの「歴史認識」が正しいのか判断することができません。

そうであれば、いま望まれているのは、従軍慰安婦問題であれ、南京事件であれ、日中韓の歴史資料や当事者の証言を通覧し、イデオロギーを離れて客観的に歴史を評価できる若い研究者の登場でしょう。左右両派ともに同意する「歴史」があってはじめて、たんなる罵りあいではなく、意味のある対話・論争が成立するのですから。

日本ではしばしば歴史教科書の記述が政治問題になりますが、口角泡と飛ばすひとたちがほとんど触れないのは、日本の公教育では現代史がほとんど教えられてこなかったという事実です。高校の世界史はフランス革命・アメリカ独立からせいぜい第一次世界大戦まで、日本史は明治維新から日露戦争あたりで終わってしまうのは「授業時間が足りないから」などと説明されますが、大学入試センター試験などでも日本の植民地支配や中国侵略についての設問が出ないことは暗黙の了解で、受験生はそもそも現代史を勉強する必要はなかったのです。

このことは、韓国や中国の教育関係者から繰り返し指摘されてきました。日本人留学生がやってきても、歴史認識で意見をたたかわせるどころか、現代史の知識がまったくないため、現地の学生とはそもそも会話が成立しないのです。文科省もようやく重い腰をあげ、高校でも「日本史A」で近現代史を教えるようになりましたが、これでは意図的に「負の歴史」を教えてこなかったといわれても仕方ないでしょう。このような状況では、歴史教科書になにが書いてあってもたいして関係ありません。

本書をお読みいただいた若い読書のなかにも、戦中や敗戦直後の日本をうまく想像できないひとがいるでしょう。そこで最後に、当時の様子がわかる映画を紹介しておきたいと思います。

従軍看護婦として動員され、兵士たちとともに戦場をさまよい、その多くが生命を落とした沖縄の女子学生の悲劇は早くから知られており、1953年に映画『ひめゆりの塔』(今井正監督、津川恵子、香川京子主演)として大ヒットしました。その後も1968年に『あゝひめゆりの塔』(舛田利雄監督、吉永小百合、浜田光男主演)、1982年『ひめゆりの塔』(今井正監督、栗原小巻、篠田三郎主演、53年版のリメイク)、1995年『ひめゆりの塔』(神山征二郎監督、沢口靖子、後藤久美子主演)が制作されています。いずれも力作で、女子学徒を引率して奇跡的に生き残った仲宗根政善氏の著書(『ひめゆりの塔をめぐる人々の物語』)などをもとに当時の兵士、住民、学徒の心情を描いています。

こうした古い作品も、いまではVOD(ビデオ・オン・デマンド)によって視聴が容易になりました(最初の2本は、アマゾンのプライムビデオに登録していれば無料で視聴できます)。このなかでどれか1本といわれれば、吉永小百合主演の68年版を挙げておきましょう。

『肉体の門』は作家、田村泰次郎が、終戦直後に「パンパン」と呼ばれた、米兵相手に春を売る女性たちを描いたベストセラー小説で、こちらも何度も映画化されていますが、鈴木清順監督の1964年版(宍戸錠、野川由美子主演)が有名です(これも現在はVODで視聴可能です)。

『ひめゆりの塔』は、1945年4月から8月までの沖縄戦の物語です。『肉体の門』はその翌年の東京・新橋の闇市が舞台です。

闇市でパンパンとなって生活する女性たちは、沖縄戦で兵士とともに皇国に殉じた女子学徒とほぼ同い年です。彼女たちも戦争中は神国の必勝を信じ、一億玉砕を当然と考えていました。

ひめゆり学徒からパンパンへという、この価値観の全面的な崩壊こそが、戦後日本の本質なのです。

2016年4月 橘 玲

「リベラル」が嫌いなリベラリストへ

新刊『リベラル」がうさんくさいのには理由がある』の「まえがき」を、出版社の許可を得てアップします。

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最初に断っておきますが、私の政治的立場はリベラリズム(自由主義)です。

故郷に誇りと愛着と持つという意味での愛郷心はありますが、国(ネイション)を自分のアイデンティティと重ねる愛国主義(ナショナリズム)はまったく肌に合わず、国家(ステイト)は個人が幸福になるための「道具」だと考えています。

神や超越的なもの(スピリチュアル)ではなくダーウィンの進化論を信じ、統計学やゲーム理論、脳科学などの“新しい知”と科学技術によって効率的で衡平(公平)な社会をつくっていけばいいと考える世俗的な進歩主義者でもあります。

自由や平等、人権を「人類の普遍的な価値」とする近代の啓蒙思想を受け入れ、文化や伝統は尊重しますが、それが個人の自由な選択を制限するなら躊躇なく捨て去るべきだとの立場ですから、最近では「共同体主義者(コミュニタリアン)」と呼ばれるようになった保守派のひとたちとも意見は合わないでしょう。

しかしそれ以上に折り合えないのは、日本の社会で「リベラル」を名乗るひとたちです。なぜなら彼らは、リベラリズムを歪曲し、リベラル(自由主義者)を僭称しているからです。

私が大学2年生だった1979年、日本を代表する経済学者(当時はロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授)で、「ノーベル経済学賞にもっとも近い日本人」といわれた森嶋通夫氏の平和論が話題になりました。

その頃、朝日新聞や岩波書店の雑誌『世界』などに登場する「リベラル」な知識人は、憲法9条に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と書かれているのだから自衛隊の存在そのものが違憲で、日本はアメリカにもソ連にも与しない「非武装中立」を選ぶべきだと唱えていました。

だったら敵が攻めてきたらどうするのかというと、1973年の長沼基地訴訟で自衛隊を違憲とした札幌地裁の裁判官は、判決にこう書きました。

 たんに平和時における外交交渉によって外国からの侵害を未然に回避する方法のほか、危急の侵害に対し、本来国内の治安維持を目的とする警察をもってこれを排除する方法、民衆が武器をもって抵抗する群民蜂起の方法、さらに、侵略国国民の財産没収とか、侵略国国民の国外追放といった例もそれにあたると認められる。

これはなにかの冗談ではありません。当時、「リベラル」な知識人たちから“名判決”と称賛され、大真面目に議論されていたのです。

しかしその後、「アメリカが日本を侵略することは考えられないから、攻めてくるとしたらソ連だろうが、警官のピストルと民衆の“竹やり”で戦車や砲爆撃に対抗するのか」というもっともな疑問が出てきました。非武装中立論者はこの批判にこたえられず窮地に陥るのですが、ここで登場するのが森嶋教授です。以下は、月刊『文藝春秋』(1979年7月号)に掲載された「新『新軍備計画』」の一説です(〔 〕は引用者註、以下同)。

 万が一にもソ連が攻めてきた時には自衛隊は毅然として、秩序整然と降伏するより他ない。徹底抗戦して玉砕して、その後に猛り狂うたソ連軍が殺到して惨澹たる戦後を迎えるより、秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代り政治的自決権を獲得する方が、ずっと賢明だと私は考える。日本中さえ分裂しなければ、また一部の日本人が残りの日本人を拷問、酷使、虐待しなければ、ソ連圏の中に日本が落ちたとしても、立派な社会ーたとえば関氏〔関嘉彦早大客員教授〕が信奉する社会民主主義の社会ーを、完全にとはいえなくても少くとも曲りなりに、建設することは可能である。

もういちどいいますが、これもジョークの類ではありません。のちに社会党委員長となる石橋政嗣はこの文章に感銘を受け、「われわれは一九四五年八月一五日に降伏した経験を持っているのです。あれは間違いだったと言う者がほとんどいないのも事実ではないでしょうか」と、「無条件降伏」を前提とする非武装中立を唱えました(稲垣武『「悪魔祓い」の戦後史』文春文庫)。

当時20歳だった私はこの議論を知って、このひとたちの頭はどうかしているのではないか、と思いました。ソ連(当時、「強制収容所国家」であることはすでに知られていました)に無条件降伏すると決めるのではなく、そのようなことが起こらないよう備えればいいだけだからです。ところが森嶋教授をはじめとして非武装中立を主張するのは、「戦後民主主義」を代表する“もっとも賢いひとたち”だったのです。

このときから私は、「日本の“リベラル”はうさんくさい」と疑うようになりました。そしてそれが、世界標準(グローバルスタンダード)のリベラリズムとはかけ離れた、日本独自の奇怪な思想であることを知ることになります。

もちろんこうした批判は珍しいものではありませんが、その多くは保守派・右翼の側からのもの(罵倒)です。そのため「リベラル」を批判すると、問答無用で「右翼」のレッテルを貼られ「知識人」から排除される横暴がまかり通ってきました。こうして「リベラル」に疑問を持つリベラリストは、この国では居場所がなくなってしまったのです。

その後、経済に興味を持つようになると、「リベラル」への違和感はますます大きくなってきました。経済学(とりわけマクロ経済学)のすべてが正しいとはいえませんが、統計データや実験に基づいて「科学」として日々検証されていることは間違いありません。それに対して「リベラル」な文系知識人は、自分たちの生半可な知識(哲学)によってアダム・スミス以来の膨大な知の堆積を無視し、荒唐無稽な批判を繰り返してきたのです。

2014年8月、朝日新聞は慰安婦問題の誤報を認め、「韓国・済州島で朝鮮人女性を強制連行して慰安婦にした」との日本人関係者の証言を撤回・謝罪しました。この証言は1990年代はじめには歴史学者から捏造を指摘されていましたが、日本を代表する「リベラル」な新聞社はこの事実を認めるまで20年もかかったことになります。このスキャンダル(および福島第一原発の故吉田所長の調書をめぐる誤報)が日本の「リベラル」勢力に壊滅的な打撃を与えました。

彼らはいったい、どこで、なぜ間違えたのでしょうか。そして、どうすれば「過ち」を犯さずにすんだのでしょうか。

それをまず、70年前の沖縄まで遡って考えてみることにしましょう。