『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』あとがき

新刊『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』の「あとがき」を、出版社の許可を得てアップします。「沖縄戦跡PHOTOツアー」も合わせてご覧ください。

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本書のコラムを『週刊プレイボーイ』誌に書いていた時期は戦後70年を振り返る企画がマスメディアを賑わし、朝日新聞が慰安婦問題の誤報で謝罪したこともあって、「過去の記憶」や「歴史問題」について注目が集まっていました。リベラルと保守派は日本の近現代史の評価をめぐってさまざまなところで対立していますが、そのなかで沖縄の集団自決を取り上げたのは、渡嘉敷島、座間味島という小さな島の悲劇だからです。

本文で述べたように、1970年まで「集団自決は軍命」の通説を誰も疑いませんでした。その後、当事者からの異議申し立てによって通説が揺らぎ政治問題化するにつれて、ようやく関係者の証言が掘り起こされるようになります。特定の地域の出来事で、関連する歴史資料のほぼすべてが日本語で書かれており、それが裁判によって検証されていることを考えれば、これは歴史研究者でなくても取扱い可能な稀有の事案です。

近頃は「過去を記憶する義務」や「歴史を検証する責任」が強調されます。しかし私は、こうした正論を安易に口にすることはできません。

本書を書くにあたって沖縄の集団自決に関する主要な記事・文献に目を通しましたが、およそ3カ月かかりました(現地を知るために沖縄にも2度訪れました)。私は仕事としてこの作業を行ないましたが、集団自決をめぐって左右両派の見解がはげしく対立しているときに、一般市民に「歴史への責任」を果たすために同じことをやれと要求するのは非現実的でしょう。

慶良間諸島の集団自決は数日間の出来事で、沖縄本島の戦いも1945年4月1日の米軍上陸から敗戦まで4カ月あまりです。それに対して朝鮮半島の植民地支配は35年間で、中国では満州はもちろん、広い国土の全域にわたって日本軍が侵攻・支配しています。その歴史を客観的に検証しようとすれば当然、韓国(朝鮮)語や中国語の歴史資料も必須でしょうが、日本語の文献だけでも、主要な歴史書や戦史、兵士・住民の証言にひととおり目を通すだけで数年を要するでしょう。「歴史への責任」を果たすことがいかに困難かわかります。

本書では触れられませんでしたが、沖縄戦の暗部として、朝鮮で徴用され沖縄に配置された朝鮮人軍夫と、従軍慰安婦として沖縄に連れてこられ、戦闘が始まると従軍看護婦として動員された朝鮮人女性たちの存在があります。さらに沖縄の住民が捕虜になることを恐れた背景として、中国戦線で戦ってきた兵士たちが沖縄に転戦したことをあげる元兵士や生き残った住民の証言も多くあります。兵士たちは住民に、捕虜になれば男は惨殺され、女はなぶりものにされて殺されると脅していましたが、これは住民が投降してスパイになることを恐れたというよりも、彼ら自身が中国でやってきたことだったからです。中国での「皇軍兵士」の加害行為は旧日本軍の最大の汚点でしょうが、いまだじゅうぶんに検証されているとはいいがたいことも指摘しておかなくてはなりません。

「沖縄『集団自決』裁判」の原告となった赤松元大尉や梅澤元少佐は、陸軍士官学校を出たものの実戦経験はなく、部下の隊員も20代の若者たちでした。彼らが戦後の報道を理不尽と感じ抗議の声をあげたのは、自分たちの手が汚れていないと考えていたからでしょう。罪ある者は黙して語らないのです。

本書の作業で痛感したのは、「リベラル」と「保守派」の論者が、集団自決という同じ出来事をめぐってまったく別の物語を語っていることです。

保守派の論者は、「戦隊長の軍命」が虚構であることや、彼らの「人権」が侵害されていることについては雄弁ですが、集団自決の実態にはほとんど関心を示しません。これでは「住民は勝手に死んだというのか」との怒りを招くのも当然です。人権は普遍的な概念ですから、“冤罪”を負わされた旧軍人の名誉を回復すべきなのと同様に、日本軍によって戦場に追いやられ、死んでいった沖縄のひとたちの人権も大切にすべきですが、保守派/右翼は「自虐史観」を批判し大東亜戦争の正当性を主張するためにのみ「人権」を利用するのですから、そのダブルスタンードは目を覆わんばかりです。

その一方で「リベラル」な論者は、集団自決で生き残った住民の詳細な証言を集めますが、「軍命」を否定する兵士たちの証言はすべて無視します。そのうえで「日本軍による命令、誘導、強制」などと軍命の定義を拡張し、裁判の争点が「戦隊長による直接命令の有無」だという基本的な事実を隠蔽してしまいます。いずれの論者も自らの政治的立場によってあらかじめ結論を決めており、それに適した資料・証言のみを収集しているのです。このような状況では、一般市民はどちらの「歴史認識」が正しいのか判断することができません。

そうであれば、いま望まれているのは、従軍慰安婦問題であれ、南京事件であれ、日中韓の歴史資料や当事者の証言を通覧し、イデオロギーを離れて客観的に歴史を評価できる若い研究者の登場でしょう。左右両派ともに同意する「歴史」があってはじめて、たんなる罵りあいではなく、意味のある対話・論争が成立するのですから。

日本ではしばしば歴史教科書の記述が政治問題になりますが、口角泡と飛ばすひとたちがほとんど触れないのは、日本の公教育では現代史がほとんど教えられてこなかったという事実です。高校の世界史はフランス革命・アメリカ独立からせいぜい第一次世界大戦まで、日本史は明治維新から日露戦争あたりで終わってしまうのは「授業時間が足りないから」などと説明されますが、大学入試センター試験などでも日本の植民地支配や中国侵略についての設問が出ないことは暗黙の了解で、受験生はそもそも現代史を勉強する必要はなかったのです。

このことは、韓国や中国の教育関係者から繰り返し指摘されてきました。日本人留学生がやってきても、歴史認識で意見をたたかわせるどころか、現代史の知識がまったくないため、現地の学生とはそもそも会話が成立しないのです。文科省もようやく重い腰をあげ、高校でも「日本史A」で近現代史を教えるようになりましたが、これでは意図的に「負の歴史」を教えてこなかったといわれても仕方ないでしょう。このような状況では、歴史教科書になにが書いてあってもたいして関係ありません。

本書をお読みいただいた若い読書のなかにも、戦中や敗戦直後の日本をうまく想像できないひとがいるでしょう。そこで最後に、当時の様子がわかる映画を紹介しておきたいと思います。

従軍看護婦として動員され、兵士たちとともに戦場をさまよい、その多くが生命を落とした沖縄の女子学生の悲劇は早くから知られており、1953年に映画『ひめゆりの塔』(今井正監督、津川恵子、香川京子主演)として大ヒットしました。その後も1968年に『あゝひめゆりの塔』(舛田利雄監督、吉永小百合、浜田光男主演)、1982年『ひめゆりの塔』(今井正監督、栗原小巻、篠田三郎主演、53年版のリメイク)、1995年『ひめゆりの塔』(神山征二郎監督、沢口靖子、後藤久美子主演)が制作されています。いずれも力作で、女子学徒を引率して奇跡的に生き残った仲宗根政善氏の著書(『ひめゆりの塔をめぐる人々の物語』)などをもとに当時の兵士、住民、学徒の心情を描いています。

こうした古い作品も、いまではVOD(ビデオ・オン・デマンド)によって視聴が容易になりました(最初の2本は、アマゾンのプライムビデオに登録していれば無料で視聴できます)。このなかでどれか1本といわれれば、吉永小百合主演の68年版を挙げておきましょう。

『肉体の門』は作家、田村泰次郎が、終戦直後に「パンパン」と呼ばれた、米兵相手に春を売る女性たちを描いたベストセラー小説で、こちらも何度も映画化されていますが、鈴木清順監督の1964年版(宍戸錠、野川由美子主演)が有名です(これも現在はVODで視聴可能です)。

『ひめゆりの塔』は、1945年4月から8月までの沖縄戦の物語です。『肉体の門』はその翌年の東京・新橋の闇市が舞台です。

闇市でパンパンとなって生活する女性たちは、沖縄戦で兵士とともに皇国に殉じた女子学徒とほぼ同い年です。彼女たちも戦争中は神国の必勝を信じ、一億玉砕を当然と考えていました。

ひめゆり学徒からパンパンへという、この価値観の全面的な崩壊こそが、戦後日本の本質なのです。

2016年4月 橘 玲