『ダブルマリッジThe Double Marriage』「日本人」をつくるビジネス

新刊『ダブルマリッジThe Double Marriage』で、戸籍上、前婚の妻となったマリア・ロペスと話をつけるべくフィリピンに渡った憲一は、マニラでコンサルタントをする鴨川武彦から、新日系人を「日本人」にする裏の事情を説明されます。その場面を第4章「スコーター」からアップします。

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午後一時半を回ると、ランチの客は大半がいなくなった。のんびり食事しているのは旅行者か、ベビーカーに子どもを載せた有閑マダム風の欧米人だけだ。

「鴨川さん、フィリピンは長いんですか?」甘辛いカレーを口に運びながら憲一は訊ねた。

「私ですか? 今年で一〇年めです。その前になにをしていたかは、ちょっといえませんが」

「お仕事は、新日系人を日本に送ることですか」

「そんなのはごく一部ですよ」ウェイターを呼んでもう一本ビールを頼むと、鴨川はこたえた。「顧客のほとんどはフィリピンで暮らす日本人か、日本で働きたいフィリピン人です。新日系人の世話は大使館との腐れ縁でやってるだけですから」

「大使館?」憲一は驚いた声をあげた。「いったいなぜです?」

「日本人の父親を持つ子どもがこの国にどのくらいいるか知ってますか」鴨川はグラスを置くと憲一を見た。「正確な数字は誰にもわからないんですが、日本国籍者だけで三万人、フィリピン国籍を加えれば一〇万人は下らないといわれています」

「一〇万人!?」

「ものすごい数でしょ。彼らは父親に捨てられ、母子家庭の貧しい暮らしでは学校にも満足に通えないんですが、それはまだいいほうで、なかには母親にも捨てられてストリートチルドレンになる子どももいるんです。日本の国籍法は血統主義ですから、父親が日本人なら子どもも日本人です。日本語を話す日本人の子どもが、マニラの路上で残飯を漁ってるんですよ」

「そんなことが……」

「日本ではほとんど知られていないでしょ。でも新日系人のための孤児院ができたりして、その実態がすこしずつ報じられるようになってきたんです。それが政府内で問題になったんでしょうね。きっかけは例の従軍慰安婦ですよ」

「慰安婦?」憲一はけげんな顔をした。「なぜ韓国の、それも第二次世界大戦中の話がフィリピンに関係あるんですか?」

「慰安婦問題というのは、国際的には女性の人権問題なんです。九〇年代から国連人権委員会などで取り上げられるようになりましたが、決定的なのは二〇〇七年にアメリカ下院で慰安婦問題の責任を認定するよう決議されたことでしょうね。それがオランダ、カナダ、EU議会へと広がったことで、日本政府は「人権侵害の国」のレッテルを貼られることにものすごく神経質になったんです。そんなとき、フィリピンに数万人の日本人の孤児が放置されているとわかったらどうなりますか。それからですよ、大使館の態度ががらっと変わって、父親が日本人だと証明できれば積極的に国籍を与える、といいはじめたのは」

「それで、フィリピンで結婚している女性を探して戸籍を修正する業者が現われた……」

「私はそこにも裏があると思いますよ」鴨川はぐびりとビールを飲んだ。「私らみたいな業者には、戸籍制度のことなんかなにもわかりませんよ。外務省と法務省で国籍取得の道筋をつくって、それを懇意にしている大手の業者に教えたんじゃないかと私は勘ぐってますけどね。いずれにせよ、大使館を通じてやってることですから」

「大使館が実務にかかわってるんですか?」

「もちろんですよ」なにをバカなことを、という顔で憲一を見た。「日本人の男との婚姻証明を持ったフィリピン女性が相談にくるでしょ。そしたらまず、いつどこで出会って、子どもはいつ生まれて、どういう理由で夫がいなくなったのか、詳しい身上書をつくるんです。その身上書と婚姻届、出生届、日本で取得した夫の戸籍謄本を添えて大使館に提出して、それで夫の戸籍を修正するんですよ」

「するとこれは、ぜんぶ大使館がやってることなんですか?」

「そうともいえないんですよねえ」鴨川は意味ありげに笑った。「いちど大使館の人間に聞いたことがあるんですが、彼らはただ書類を本省の領事課に送るだけで、自分たちはなにもしてないというんですね。本省はそれを夫の戸籍を管理している自治体に転送して、自治体は本人に戸籍を修正するよう催告書を送る。その催告に返答がないと、書類は管轄の法務局戸籍課に回されて、そこで真正なものと確認されると職権で戸籍に妻の名前が記載される、という話でしたけどね。マスコミなどから批判されても、誰も責任をとらなくてもいいように、たらい回しの仕組みになってるんです。法務局だって、自分で判断することなんてできないから、法務省と内輪で調整しているはずですしね。うまくできてますよ」

鴨川の説明を聞いて、T市役所戸籍係の山下がいったことがようやく理解できた。政府の方針で外務省と法務省が結託してやっているのなら、末端の役人に文句をつけたところでどうしようもないのは当たり前だ。

「戸籍が修正されると、それに基づいて、子どもが幼い場合は母子の、二十歳以上なら子どもの日本滞在ビザを大使館に請求するんです」鴨川が説明をつづけた。「これは外国人向けのビザではなくて、戸籍上子どもが日本人と推定されることを前提としているので、大使館で領事のかんたんな面接を受けるだけで期間一年程度のビザが発給されます。母子の場合は、母親はフィリピン人ですから「子どもの養育のため」という名目になります。子どもが二十歳未満なら、国籍法によって、半年たつと日本に住所があると見なされて無条件で日本国籍の再取得ができます」

「犯罪歴があってもですか?」

「もともと日本人なんですから、そんなの関係ないですよ。有罪になると日本国籍を剥奪する、なんて法律はないでしょ」鴨川は皮肉な笑みを浮かべた。「桂木ケンのケースは二十歳を超えているから帰化の手続きになるんですが、これも日本人とのあいだの子であることが戸籍でわかっているんですから、申請すればほぼ自動的に帰化が認められます。これで国際社会に対して、「本人が望めばちゃんと日本国籍を与えている」と名分が立つということですよ」

「そういう例はどれくらいあるんですか?」

「それは私らではわかりません」鴨川はいった。「でも大手はうちなんかよりずっと手広くやってますから、数千人単位で日本国籍を取得しているのは間違いないでしょうね」

「数千人、ですか……」

「でも、その数もこれからは先細りでしょうね。新日系人が生まれたのは“じゃぱゆきさん”の時代で、ピークの二〇〇四年には八万人のフィリピン人女性が興行ビザで日本に入国したとされています。でも翌年に法務省が興行ビザの発給を厳格化して、それ以降はフィリピーナの数も激減しました。いまでも定年退職した高齢者がこっちに来て子どもをつくってますが、女の子が大挙して日本に行くのとでは桁がちがいますよ。まあ、JFC相手の商売は儲からないからどうでもいいんですけど」

「儲からない?」憲一はまたけげんな顔をした。

「私らの食い扶持は、書類を整えたり手続きを代行した手数料です。でもほとんどの依頼者はカネなんか持ってないから、日本で働いて稼いだ分から支払ってもらうんです。最近ようやく社会問題になってきたようですが、外国人労働者の職場はまともなところばかりじゃないですからね。パスポートを金庫に入れて、契約期間が終わるまで返さないような現場はいくらだってある。でも新日系人は日本人でしょ。日本国籍さえ取れば、契約なんて紙くずと同じですよ。パスポートが必要なら日本のを取ればいいんですから、さっさと3Kの仕事を辞めて、それっきりです」それから憲一に目をやって、「そういえば桂木ケンさんからの送金も最初の一年だけで、まだ半分も回収できてません」とつけ加えた。

憲一は困惑した顔をしていたが、「その残金、私が払わせていただきます」といった。

鴨川は大仰に手を振ると、「いやいや、そんなつもりでいったんじゃないです」と笑った。「息子さんの不始末の責任を取れなんて、そんなこと思ってませんから」

「……」

不愉快そうな憲一の顔を見て、「いや、こっちのほうが失礼でしたね」と鴨川は頭をかいた。「いずれにせよ、マリア・ロペスの居所を探すのが先決でしょう。生きているのか死んでいるのかすら不明なんですから」

「手がかりはあるんですか?」鴨川が話題を変えたことにほっとして、憲一は訊いた。

「住所から辿るしかないんですが、スコーターなんですよ」鴨川はため息をついた。

「スコーター?」

「Squatterが訛ったもので、本来は廃屋などを不法占拠することなんですが、こっちではスラムのことです。地元の人間でも恐がるところですから、私らみたいな日本人には近づくことすらできません。犯罪者と麻薬中毒者の巣窟で、足を踏み入れれば生命の保証はありませんから」

文藝春秋刊『ダブルマリッジThe Double Marriage』 禁・無断転載

トランプの権力は誰がつくっているのか?週刊プレイボーイ連載(273)

ひとはみんな予測可能性の高い社会を好ましいと思っています。今日が昨日と同じで、明日は今日と同じだと思うからこそ、安心して暮らすことができます。――「一寸先は闇」のような社会では、就職や結婚、子育てなどとうてい無理でしょう。

ところが世の中には、それを逆手にとって、予測不可能性で優位に立とうとするひとたちがいます。典型的なのはヤクザで、彼らが時に暴力を躊躇しないのは感情に流されるからではなく、相手の予測を撹乱する冷徹な計算に基づいています。

ヤクザが殺人を犯せば情状酌量の余地はほとんどなく、被害者が一般市民なら重罪として懲役20年や30年は覚悟しなければなりません。まともに考えればこんな割の悪いことをするはずはありませんが、それでもお金がからむとヤクザは暴力をちらつかせます。

ヤクザのビジネスでは、かならずしも発言(恐喝)と行動(犯罪)を一致させる必要はありません。そんなことをすれば、組員の大半は刑務所に入ってしまうからです。しかしその一方で、相手に口先だけだとバレてしまえば、いくら脅してもなんの効果もないでしょう。

そこでヤクザが利用するのが「不確実性」です。99%の確率でなにも起こらないが、1%の確率で殺されるかもしれないと思えば、生命はひとつしかないのですから、要求されたお金を払うのが合理的な判断になります。このようにしてヤクザは、暴力の行使による損失を最小限にしつつ、最大の恐喝効果を実現することができるのです。

これと同じ手法を使うのが、第45代アメリカ大統領に就任したドナルド・トランプです。

「アメリカ・ファースト」のトランプが、メキシコに工場を建設する企業をTwitterで批判するだけで、フォードは工場の新設計画を撤退し、トヨタは今後5年で100億ドル(約1兆1000億円)の対米投資を発表しました。

常識的に考えれば、合法的にビジネスする民間企業に対して政府が超法規的な報復措置をとることはできません。予測可能性の高い安定した経済環境を前提にこれまでの対米投資は行なわれてきたのですが、トランプは、米国市場から撤退する選択肢がない以上、これは罠にかかったのと同じだということを正確に理解しています。

「あいつはなにをするかわならない」という不穏なイメージさえつくりあげておけば、あとは140文字のTweetだけで相手は理不尽な要求を受け入れます。それによって米国内に工場がつくられ就業者数が増えれば、トランプの支持率は上がるでしょう。もちろんこんなやり方は長続きしませんが、これまでの遺産を食い潰して自分の利益に変えようとするなら、じゅうぶん効果的なのです。

皮肉なのは、この「錬金術」を可能にしているのが、リベラルなメディアが行なう反トランプの報道の洪水だということです。ここでトランプは「なにをしでかすかわからない狂人」として描かれますが、こうしてつくりだされる不確実性こそがトランプの権力の源泉になっています。

SNSという「自分メディア」を手にしたトランプは、もはや既存のメディアやセレブリティ、知識人の支持を求めてはいません。新大統領にとって世界は善と悪の対決で、彼がほんとうに必要としているのは、自分をモンスターとして描く“敵”なのです。

『週刊プレイボーイ』2016年1月23日発売号
禁・無断転載

『ダブルマリッジThe Double Marriage』JFC新日系フィリピン人と日本国籍

新刊『ダブルマリッジThe Double Marriage』で、戸籍に2人の妻と、母親の異なる2人の子どもが記載された憲一は、事情を知る部下の植木に相談します。植木は会社の顧問弁護士に、外国人とのあいだで生まれた子どもの日本国籍取得について聞きにいきます。その報告を憲一が居酒屋で受ける場面を、第3章「バタフライ」からアップします。

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「あっ、そうそう」手の甲で唇の脂をぬぐうと、植木はカバンから書類を取り出した。「うちのマニラ支局に、外国人の派遣事業について調べたいから関連する資料を送ってくれって頼んでおいたんですよ。そのなかに入っていたんですけど」

渡されたのは英字新聞に掲載された広告だった。居酒屋の薄暗い照明では細かな文字は読めないが、見出しには「JFCなら日本への帰化手続きが簡単にできます」と書いてある。

「私もはじめて知ったんですが、JFCというのは「新日系フィリピン人」のことで、Japanese Filipino Childrenの略だそうです」

「新日系人?」

「ええ。第二次世界大戦の終戦でフィリピンに住んでいた日本人のほとんどが本土に引き揚げましたが、彼らと現地の女性のあいだに生まれてフィリピンに置き去りにされた子どもたちが日系フィリピン人、一九八〇年代以降、フィリピン女性が興行ビザで日本にやってくるようになって、彼女たちと日本人男性のあいだに生まれ、フィリピンで育てられた子どもたちが新日系フィリピン人なんだそうです」

“じゃぱゆきさん”と呼ばれたのは主に興行ビザで日本に入国したフィリピン人女性で、ピークの二〇〇四年には年間八万人を超えた。その後、法務省が興行ビザの発給を厳格化して来日数は激減するが、いまも全国各地の繁華街には多くのフィリピンパブがある。

「一九八〇年に生まれたとして、二〇〇〇年で二十歳でしょ。その頃から、新日系人の国籍の扱いが社会問題になるんです」

植木はインターネットからプリントアウトした新聞記事を見せた。

ひとつは二〇〇八年六月四日の最高裁判決で、結婚していない日本人の父とフィリピン人の母から生まれた子ども一〇人が、国に日本国籍の確認を求めた。最高裁は一〇人全員に日本国籍を認めるとともに、生まれたあとに父親が認知しても、両親が結婚していないと日本国籍を与えない国籍法を憲法第一四条の「法の下の平等」に反すると判断した。

もうひとつの二〇一五年三月の最高裁判決では、日本人と外国人が結婚し、その子どもが日本国外で生まれた場合、子どもの出生から三カ月以内に在外日本大使館または日本の市町村役場に出生届を提出しないと日本国籍を喪失するという国籍法第一二条の規定を合憲と判断した。

「どういうことかよくわからないんだが」憲一は眉根を寄せた。

「ええ、私にもちんぷんかんぷんですよ。結婚してなくても日本国籍が取れるのに、結婚してたら国籍を喪失するだなんて。それで今日の午後、御成門法律事務所で別件の打ち合わせのついでに顧問弁護士の木村先生に聞いてみたんです。そしたら外資系企業の外国人社員のビザを専門にしている先生を紹介していただいて、いろいろ教えてもらったんです」

植木はそういうと、カバンからノートとペンを取り出した。

「それによると、日本人の父親と外国人の母親のあいだで子どもが生まれた場合、子どもの国籍は大きく四つのケースが考えられるんだそうです」

ケース1は、両親が結婚して日本国内で子どもが生まれ、その後、離婚などによって母親が子どもを連れて帰国したような場合。これは出生届を出した時点で子どもは日本国籍を取得し、戸籍にも記載されるのだから、外国で暮らすようになっても日本人であることに変わりはない。

ケース2は未婚のまま海外で子どもが生まれ、出生後に父親が子どもを認知した場合。以前の国籍法では、婚外子でも出生前に父親が認知していれば日本国籍が認められるものの、出生後の認知は父母が結婚していなければ有効でないとされていた。それが憲法に違反するとされたのが二〇〇八年の最高裁判決で、これによって国籍法が改正され、現在は、父親の認知によって婚外子も日本国籍を取得できるようになった。

ケース3は、父母が正式に結婚していて外国で子どもが生まれ、その国の国籍との二重国籍になった場合。出生日から三カ月以内に現地の日本大使館などに届け出ることで「国籍の留保」が認められ、二十二歳までにどちらかの国籍を選択すればいい。

ケース4は、ケース3と同じく外国で子どもが生まれたものの、出生後三カ月以内に日本大使館や役所に国籍留保の届け出を行なわなかった場合。これが二〇一五年の最高裁で争われたケースで、出生にさかのぼって日本国籍を喪失するとの国籍法の規定が合憲とされた。

「親が届を出し忘れただけで日本人にはなれないってこと?」憲一は植木の描いた図を指でなぞった。

「そういうことみたいです」植木はこたえた。「国籍留保の手続き自体が衆知されていたわけではないし、出生届を出さなかったのは親の責任で子どもには関係ないわけですから、それだけで日本国籍を失うというのは理不尽だというのはたしかです。国籍法の改正で、両親が結婚していなくても、父親が認知すれば日本国籍を取得できるようになったわけですから、結婚していることで認知ができず、親が望んでも子どもは日本人になれないというのでは、婚外子のほうがよかった、ということになってしまいます」

植木はいったん言葉を切ると、ノートをめくった。

「ただ救済措置も法律には定められていて、出生届を出していなくても、国内に住所があって子どもが二十歳未満なら法務大臣への申請で日本国籍を再取得できます。二十歳以上なら帰化が必要になりますが、これは国籍を留保して日本国籍を選択しなかった場合も同じですから、法の下の平等には反しないと見なされたんでしょうね」

「国籍法がやっかいだというのはわかったけど、俺の場合はどうなるんだ?」植木の長講釈が終わるのを待ちかねたように、憲一が聞いた。

「わたしも最初はどうつながるのか理解できなかったんですが、要するにこういうことです」植木は音を立ててウーロンハイを啜ると、憲一を見た。「部長のケースは、日本で婚姻届を出していないのですから、日本の法律上は未婚のまま外国で生まれた子どもになります。そうするとケース2で、日本国籍の取得には父親の認知が必要になります。しかしフィリピンでは婚姻の事実があるのですから、それを戸籍に記載できれば救済措置の対象となって、子どもが二十歳未満で母親といっしょに日本に来れば日本国籍を取れますし、二十歳以上でも日系人として優先的に日本国籍が与えられる。それでフィリピンでは、業者がJFCを探し出してビジネスしてるんですよ」

「ビジネス?」

「いまは規制が厳しくなって、フィリピン人が日本の労働ビザを取得するのが難しくなったでしょ。でも幼い子どもに日本国籍を取得させれば保護者である母親には居住資格が与えられますし、二十歳以上で本人が日本国籍を持てば日本国内で自由に働くことができる。彼らにとってこんなウマい話はないですよ。それで業者が広告まで出してJFCを集めて、日本国籍を取得する代行ビジネスをやってるんです。だから……」ここで植木は声を潜めた。「その女弁護士も、部長がマリアと直接、話をするしかないっていってるんでしょ。代行業者を突き止めれば、二人の居所がわかるんじゃないですか」

「でもどうやって?」憲一もつられて小声でいった。

「戸籍を修正するには、まず部長の戸籍謄本が必要でしょ。いまはいろいろうるさくなって、第三者の戸籍の閲覧は弁護士や司法書士、行政書士などの士業しか事実上できません。部長の戸籍を誰が閲覧したのかを調べれば、フィリピンの代行業者の日本側のカウンターパートがわかるはずです」

「だったら明日、市役所の戸籍係に電話するよ」

「それじゃダメですよ」植木はいった。「個人情報だからって、教えてもらえません」

「個人情報? 誰の?」

「部長の戸籍を閲覧した人間の、ですよ」

「そんなバカな話があるのか。自分の戸籍を誰が調べたのかを知る権利くらい、あって当然だろう」

「そんなバカな国なんですよねえ、日本は」植木はわざとらしくため息をついた。「私もそう思って聞いてみたんですが、やってみるのは勝手だけど時間のムダだって」

「じゃあどうすればいいんだ?」

「弁護士からの照会があれば対応するんじゃないかって」

「弁護士?」

「ええ。私のほうで探すこともできますが、そのイヤな女にやらせたっていいんじゃないですか」そういうと植木は、ウーロンハイを飲み干した。

文藝春秋刊『ダブルマリッジThe Double Marriage』 禁・無断転載