「ヘイト」の烙印を捺されたら休刊の理由 週刊プレイボーイ連載(355)

「LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)は「生産性」がない」と主張する保守派の女性国会議員が寄稿した月刊誌が休刊しました。批判に対して「そんなにおかしいか」という特集を組んだところ、同性愛(自由恋愛)と痴漢(犯罪)を同一視するかのような記事が掲載され、火に油を注ぐ大騒ぎになったのです。

なぜこんなことが起きるのか。それはリバタニアとドメスティックスの関係を見誤っているからです。

オバマ大統領の二期目の大統領就任式では人気歌手のビヨンセがアメリカ国歌を歌いましたが、トランプ大統領の就任式では、得意のネゴシエーション力にもかかわらずすべての歌手が出演を断ったようです。それ以前に、ザ・ローリング・ストーンズ、エアロスミス、アデルなどのミュージシャンがトランプの集会で自分たちの曲を使わないよう求めています。

これは政治的イデオロギーの問題というよりも、彼ら/彼女たちがアメリカだけでなく世界じゅうにファンを持つグローバルなスターだからです。

アメリカ国民3億人のうち、2億人が保守派(ドメスティックス)だとしましょう。リベラルは1億人ですから、選挙では常に保守派が優位に立ちます。だったら、政治家と同様に人気商売の芸能人もみんな保守派に鞍替えすべきではないでしょうか。

そんなことにならないのは、ちょっと考えればわかります。スーパースターは70億人を超えるグローバルマーケットを相手にしており、わずか2億人のアメリカの保守派の機嫌をとるために、世界じゅうのファンを失うリスクを冒すはずがないのです。

人種や性別、性的指向などで差別してはならないというリベラルの理念は、グローバル世界のもっとも大切な約束事です。多様なひとたちが集まる場で、お互いの善悪や優劣で争えば殺し合いになるほかありません。

これを「リバタニア」と呼ぶならば、世界的な有名人やグローバル企業はすべて(仮想の)リベラル共和国の住人です。ハリウッドがどんどんリベラルになり、グーグルやフェイスブックがあらゆる差別に反対するのは、リバタニアから排除されれば事業が成り立たないからです。

それに対して日本のメディアは、「日本語」という非関税障壁に守られてきたため、これまでリバタニアの巨大な圧力を軽視してきました。しかしいまでは小説・アニメ・音楽・映画などのクリエイターのなかには、日本以上にアジア(中国・韓国・台湾)で人気があるひとがたくさんいて、彼ら/彼女たちは「反中」「嫌韓」のレッテルを貼れることをものすごく嫌うでしょう。海外の高名な作家たち(ほとんどがリベラル)も、高名な文学賞の候補になり世界じゅうにファンのいる日本の人気作家も、「同性愛者を差別している」と批判される出版社から作品を出そうとは思わないでしょう。

このように考えれば、「ヘイト」の烙印を捺された雑誌を休刊するほかない事情がわかります。下手に言い訳や反論をすれば、ますます炎上して信用が失墜していくだけです。

グローバル化の進展にともなってリバタニアの圧力はさらに強まっており、今回の事件をきっかけに、日本でも大手メディアのリベラル化がさらに進むでしょう。こうして、取り残されたドメスティックスとのあいだで社会の分断が進んでいくのです。

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カトリックはなぜペドフィリアに侵されるのか 週刊プレイボーイ連載(354)

全世界で12億人の信者がいるカトリックの総本山バチカンが、少年への性的虐待事件で揺れています。この問題は長らく指摘されてきましたが、法王庁など教会上層部は不祥事の発覚を恐れ、真相の解明を怠り事件を隠蔽したときびしく批判されているのです。

きっかけは2002年、ボストンの地方紙が教区司祭の性的虐待を大々的に報道したことで、アカデミー作品賞を受賞した映画『スポットライト 世紀のスクープ』でも描かれました。私はたまたまその時期にニューヨークにいましたが、連日、テレビや新聞で大きく報道されるのを見て、こんなことがあるのかと驚いたのを覚えています。

事件の背景には、カトリックの司祭が終身独身で、女性との性的交渉を禁じられていることがあるとされます。若い男性が共同生活する修道院や神学校は「ボーイズラブ」の世界で、イタリアの国際神学校では入学者の多くがゲイであることは公然の秘密だそうです。

同性愛を認めるかどうかはカトリックの教義にかかわる大問題ですが、リベラルな社会では成人同士は自由恋愛ですから部外者が口をはさむようなことではありません。「女性と交わってはならない」という戒律を課せば、それを苦にしないひとたちが集まってくるというだけのことで、少年への性的虐待とはまったく別の話です。

2018年、国際援助団体オックスファムの職員がハイチや南スーダン、リベリアなどで買収やレイプをしていたことが報じられ、幹部が引責辞任しました。あるフランスの女性ジャーナリストがIS(イスラム国)幹部に接触しようとしたところ結婚を強要され、生命の危険にさらされました。フランス生まれのその男は窃盗から強盗までありとあらゆる犯罪に手を染め、イスラム国では拷問と虐殺を専門にしていました。

一見無関係なこの話題は、カトリックの不祥事とどうつながるのでしょうか。もちろん、「国際ボランティアは買春目的だ」とか「イスラーム原理主義者はみんなサイコパスだ」ということではありません。ここでいいたいのは、「特異な環境は特異なひとたちを招き寄せる」という単純な法則です。

若い女性と好きなだけセックスを楽しみたい男は、国際的に著名な援助団体を隠れ蓑にすれば、貧しい国に安全に滞在し高い地位を使って性欲を満たせることに気づくでしょう。暴力への異常な欲望をもつ人間はどんな社会でも一定数いるでしょうが、もしも彼がムスリムであれば刑事罰を恐れる必要はありません。「イスラム国」へ渡れば、好きなだけ拷問や殺人ができるのですから。

同様に男児のペドフィリア(児童性愛)は、市民社会では許されない暗い欲望を満たすための格好の場所をカトリックのなかに見つけるでしょう。そこでは少年聖歌隊やミサを補助する侍童など、たくさんの男児と堂々と接触できるのですから。

そのうえ彼らは、偏った性欲以外はごくふつうで、仕事のできる愛想のいい人物であることも珍しくありません。こうして教会の位階を上がっていき、事件が発覚したときには取り返しのつかないことになっているのです。

このように考えると、バチカンがこの問題に及び腰な理由もわかります。カトリックの教義そのものを変えないかぎり、ペドフィリアはどこからともなく侵入してくるのです。

参考:アンナ・エレル『ジハーディストのベールをかぶった私』(日経BP社)

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そしてすべてが善悪二元論になる 週刊プレイボーイ連載(353)

東京オリンピックを目指す女子体操選手へのパワハラ問題で、日本体操協会が大混乱しています。一連の経緯をざっとまとめると、こんな感じになるでしょう。

(1) 女子代表候補選手を指導する男性コーチに対して、日本体操協会が、暴力行為(体罰)を理由に無期限の登録抹消処分を課した。

(2) 当の女子体操選手が記者会見し、コーチの体罰を「指導」だと受け入れていたことを認めたうえで、調査の過程で体操協会の役員夫婦から、自分たちが運営するクラブに移籍するよう強要されたと「パワハラ」を告発した。

(3) 体操協会が第三者委員会による調査を発表し、役員夫婦は職務一時停止の処分を受けた。

(4) 民放テレビが、体操クラブの練習場で男性コーチが女子選手をはげしく平手打ちする「暴力映像」を公開。

(5) 女子選手が、「自分を貶めるために無断で過去の映像を放映した」とテレビ局に抗議。

こうした出来事が2週間ほどのあいだに次々と起こるのですから、部外者にはなにがどうなっているかまったくわからず、だからこそひとびとの興味や関心を掻き立てるのでしょう。

ここで興味深いのは、事件の進展とともにメディアの態度が大きく変化したことです。

第一報では、大学アメフト部の事件と同様に、選手を暴力で支配しようとしたコーチに非難が集中しました。しかし「被害者」本人が記者会見で体操協会のパワハラを告発すると、こんどは協会を牛耳っている(とされた)元メダリストの夫婦に非難の矛先が向けられます。ところが「暴力映像」で体罰の実態が明らかになったとたん、「こんなコーチを擁護するのは洗脳されているからだ」と女子選手を批判する論調が出てくるのです。

ここからわかるのは、メディアの役割が「事実(ファクト)」を追求することではなく、読者や視聴者に事件をわかりやすく伝えることだという単純な「事実」です。

複雑な出来事を複雑なまま理解しようとすると、脳に負荷がかかって苦痛を感じます。こうしてひとは、善悪のはっきりした単純な物語だけをひたすら求めるようになります。

このように考えれば、大衆メディアが善悪二元論になっていくのは宿命みたいなものです。

メディアの役割は「悪」を特定し、読者や視聴者を「悪」を叩くよう誘導することです。そうすると気分がよくなって、視聴率が上がったり部数が増えたりします。なぜなら、「悪」を叩くのは「善」に決まっているから。――これがメディア商売の基本です。

今回の事件の背景には、体罰による「指導」を容認する日本のスポーツ界の軍隊的な体質があり、それはパワハラが蔓延する学校や会社も同じです。なぜこんなことになるかというと、日本社会が「先進国のふりをした前近代的な身分制社会」だからです。

新卒一括採用という軍隊の徴兵みたいなことをやっているのは、いまでは世界で日本だけです。日本人は「右」も「左」も軍隊が大好きで、だからこそ自分たちにぴったりの抑圧的な組織や社会をつくりだすのです。

もっともこんな「むずかしい」話をしても面白くもなんともないので、誰も相手にしてくれないでしょうけど。

『週刊プレイボーイ』2018年9月25日発売号 禁・無断転